第拾捌ノ巻 出会い
突然の訪問者にその場の空気が一気に張り詰める。
昌享達の前に現れたのは180センチはあろうかという一人の女性。
黒いドレスと地面に着くほどの長い黒髪で口元以外の顔を隠しているため、見えている真っ白な肌が異様に際立って見える。
そして、全員の視線が集まったのを感じてかその身からは今まで感じられなかったのが不思議なほどの妖気と瘴気をじわじわ放たれ始めた。
「ああ、本当に素晴らしい。クロが逝ってしまったのは残念だけどよく見つけてくれたわ」
先程、葬られた我が子を慈しみつつも、その声音は喜びにあふれている。
「貴様があいつの言っていた母親か」
「ええ」
ソウの問いに答えながら髪で隠された顔を灰と化した土蜘蛛へと向けられた。
「あの子は特に秀でた子ではなかったけど兄弟思いの……本当にいい子だったわ。だから……」
わずかに見える口角は若干下がり今度は悲しみを映し出す。
そして、徐々にあふれだしている妖気と瘴気があらぶり始める。
全員が身構えると土蜘蛛達の母親は先ほどまでの悲しみは無かったように、再び嬉々として声を上げた。
「みんな、あの子のためにもここで悲願を成就しましょう」
まるでその言葉が合図だったかのように母親の周りに次々と大量の土蜘蛛が湧き出してくる。
「離蓮!震電!」
ソウの掛け声と同時に離蓮と震電が母親に切り掛かる。
湧いてきた土蜘蛛達は阻むように壁を作り動くが、炎と雷はそれらを薙ぎ払い突き進んでいった。
しかし、それも女性の少し手前で何かに阻まれるように止まってしまい、二人はすぐに昌享の前へと戻ると武器を構え直す。
「ちっ、さすがに親玉といったところか」
一連の流れと目の前の状況にソウは舌打ちする。
「あらあら、危ない事。皆が居なければ危なかったわ」
そう言う女性の声音に焦りの色は見えない。
それもそうだろう、彼女の前には先ほど倒した巨大な土蜘蛛と同じサイズか、それよりも大きな土蜘蛛が数体、その身を壁として立ちふさがっていた。
さらに周囲にも同じような土蜘蛛が姿を現し、完全に女性を守るように動き始める。
気づけば先程散らしたはずの比較的小型の土蜘蛛も昌享達を取り囲むように、その影を伸ばし始めてきた。
この規模の土蜘蛛の群れはもはや伝承でも早々みられる規模ではなかった。
その状況にソウは若干苛立ちを募らせた様子で余裕を見せる女性に言葉をぶつける。
「ただの土蜘蛛ごときがそんなことを言うとでも思っているのか!この土蜘蛛モドキが!」
ソウの言葉に今までざわざわとうごめいていた土蜘蛛たちが一斉に動きを止める。
その瞬間、離蓮と震電は後方への道を開くべく炎雷を放つと、動きを止めていた土蜘蛛たちは抵抗すらせずに一気に消滅し包囲網に一本の道が開く。が、その道は瞬く間に先ほどまでの倍以上の小蜘蛛によって埋め尽くされた。
一瞬の隙とその後の過剰反応に昌享は声をひきつらせながらソウへと視線を向ける。
「これって……」
「すまん、やっちまったかもしれん」
目を伏せ己の失態に頭を抱えるソウであるが、その耳は女性がつぶやいた言葉を逃さなかった。
「そうね、私たちはもう私たちではないのかもしれない……でも、私たちのためにここにやってきたのよ」
(ここ……ねぇ)
ソウがその言葉に眉をひそめると同時に女性は口元の肌と同じように真っ白な手を前に出した。
すると、影となった土蜘蛛たちがざわざわと動き出し、包囲網が異様な動きを見せ始める。
「これって……」
「離蓮、いけるか?」
「さすがに今は無理だな」
明らかに狭まり始め、自分たちの頭上も覆い始めた包囲網に、昌享は足を一歩引きかけるが何とかこらえる。
一方で震電と離蓮も打開策を取ろうにも有効だが無いようで、次の行動をどうすべきか悩んでいるようだった。
「さあ、ここで私たちの悲願を達成しましょう」
策がないと読んだのか女性は声を上げ、それを合図に一気に包囲網を作っていた土蜘蛛たちが昌享をめがけて一気に流れ込み始める。
離蓮と震電はそれぞれ炎獣と雷獣を呼び出し対抗するが、圧倒的な数にあっという間に影へと消えて行ってしまう。
「ちっ、やはり数が多すぎるか……」
離蓮が舌打ちすると、炎獣らが飲み込まれた影のなかから炎と雷が吹き上がった。
どうやら、このままでは意味がないと判断して獣として使っていた力を一気に解放し、周囲の土蜘蛛ごと消滅させたようであった。
さらに神気を高め離蓮と震電は周囲の土蜘蛛を排除するが勢いが衰える様子は全くない。
「昌享、召兌以外を呼べ!さすがに引くにしてもこの数はきつい」
わずかながらも手伝っていたソウが流石にこれ以上は限界と判断し、昌享に他の神将の呼び出しを促す。
離蓮、震電の力を使っている状況で、これ以上の神将の戦闘の参加は昌享への負担がさらに増すが、背に腹は代えられない状況である。
力を少しでも温存していた昌享も今が使い時と巽風と宵坎を呼ぶために印を結ぶが、その様子を土蜘蛛は逃さなかった。
「させませんよ」
女性は腕を上げそこから勢いよく糸が幾つも放たれる。
それに気づいた震電と離蓮が雷と炎を放ちそれらを焼き落としていくが、それらの迎撃を縫うように女性の腕から伸びた一束の糸が、印を結ぼうとした昌享の腕に絡みつく。
「くそっ」
昌享は何とか糸を外そうとするがビクともせず、離蓮や震電、ソウもその糸を断とうとするが、それを邪魔するように影となった土蜘蛛たちが割って入る。
残った手で刀印を組み、術で糸を切ろうとするが、ぐいと引かれる糸にバランスを崩しかけた。
「さぁ、こちらへ……」
女性が手招くように手を動かすと昌享の腕に絡みついた糸がさらに引っ張られる。
何とか堪えようとするものの、ずるずると引っ張られ土蜘蛛たちに邪魔をされる離蓮と震電の間から昌享の体が姿を見せようとする。
昌享が守りの外へと出されようとした次の瞬間、ブツリという音ともに腕を引く力はなくなった。
「えっ?」
突如として無くなった力に、踏ん張っていた昌享はその場で尻もちをつくがそこを囲う様に離蓮と震電、ソウが位置取りをし直す。
昌享が女性の方へと視線を向けると、そこには一本の矢がコンクリートの床に突き刺さっており、周囲の影となった土蜘蛛が霧散していた。
「矢?まさかさっきのはあれが?」
突然のことに困惑する昌享をよそに女性は矢が飛んできたであろう方向へと顔を向ける。
「伏兵ですか……」
その顔を向ている方を見ると先はぽっかりと空いた天井の穴だった。
そこには一人の人影があり、その手には身の丈と同じ大きさの弓が握られ再び矢を射ようとしている。
しかし、これ以上はさせまいと女性の周囲にいた一体の大蜘蛛が素早く前に出ると極太の糸を吐きかけた。
「危ない!」
昌享が言うが早いか、人影は躊躇なくこちら側へと飛び込むが弓の構えは解くことはない。
そして、弓を構えたままの人影が不意に大きくなった。
「翼!?」
背中から突如として生えた朱色の翼に昌享は驚くが、翼をはやした人影はそのまま空中に停滞すると狙いを女性へと向け、再び矢を射る。
射られた矢は鋭い線を描いたかと思うと、女性の目前で炸裂し散弾のようになって女性を襲いあっという間に土煙に覆われる。
しかし、すぐさま瘴気の嵐によって土煙が払われると明らかに警戒心を増した大蜘蛛達とそれに守られる女性の姿が現れた。
そして先ほど前に出ていた大蜘蛛が勢いをつけ空中の人影へと襲い掛かるが、それをひらりと躱す。
さらに天井の穴からもう一つの影が現れると、飛び掛かった大蜘蛛とぶつかるとそのまま地面へと叩きつけた。
「リョク……」
その様子に女性がわずかに悲痛な声を上げる。
リョクと呼ばれた大蜘蛛は地面に叩きつけられ脚が関節とは別の方向に大きく曲がっており、無事な脚にその脚に力をいれ、立ち上がろうとする。
しかし、それを抑えつけるかのように大蜘蛛の頭には薄い黄白色の大柄な虎の姿があり、ぐるると低いうなり声をあげている。
虎によって動けない土蜘蛛を確認したのか少し離れた場所に翼をはやした人影が着地する。
人影は昌享が持っている術用のコートに似たコートを着ており、フード部分を深くかぶっており顔の上半分を隠しているが隠されていない口を開いた。
「茱雀、珀虎ありがとう」
発せられたのは若い女性の声、そしてそのねぎらいの言葉を合図に人影の翼は離れると大人の大きさありそうな首の長い赤い鳥の姿を見せる。
そして、翼を勢いよく羽ばたかせると羽が火の粉のように舞い散り、影に潜んで周囲の土蜘蛛たちを燃やし灰へと変えていく。
離蓮の炎のような派手さはないものの、その燃やす力には離蓮以上の力があるのではないかと昌享が感じていると足元へとソウが姿を見せる。
「茱雀に珀虎、やはりあいつらか……」
その言葉に驚きつつ、ふと周囲に目をやれば包囲していた土蜘蛛たちの影は引き下がり、離蓮と震電がだいぶ優勢に立っているようだった。
おそらく突然の侵入者と彼らを統べている女性が攻撃を受けたことによって、連携が乱れ始めているのだろう。
だいぶ余裕ができたことに安堵すると昌享は視線をソウに向ける。
「ソウ、あの人が誰か知ってるの?」
「いや、知らん」
その答えに昌享はガクリと肩を落とすが、式を従える女性を見つめるソウの目は細く険しくなり、そして物凄く不機嫌な様子を見せると前足で地面を掻き始めた。
「だが、あいつらを従えられる奴らなら知っている……安心しろ」
最後の言葉に昌享はホッとするが、様子を見ていると敵対心がにじみ出ているようだった。
そして、人影……いや、式を従えている人物へと視線を向けると、構えた弓から矢が放たれようとしていた。
「……あの御嬢さんは少々厄介ですね」
狙われている女性がそう言うと周囲の土蜘蛛たちが一斉に全身を振るわせ始める。
さらに女性は腕を掲げ、複数の糸を先ほどから大蜘蛛を抑えている虎へと放った。
虎は咄嗟に避けると、その隙をついて大蜘蛛は女性の元へと戻り、他の大蜘蛛と同様全身を震わせ始めた。
「このままでは儀式も難しいので本日はこれで失礼します。皆、引きますよ」
その言葉を待っていたかのように瘴気の暴風が巻き起こり視界が奪われ始める。
気づけば周囲を囲んでいた影も消え、完全に逃走の形態に入っているようだった。
そして、徐々に隠れてゆく女性はある場所を見るとある言葉を放った。
「念のため最後の仕事をお願いしますよ……クロ」
次の瞬間、女性が視線を送っていた場所。先ほど離蓮が大蜘蛛を倒した場所から別の瘴気が……いや、瘴穴が開き膨大な瘴気を吹き出し始めた。
そして、巨大な土蜘蛛の姿を形作り始める。
『ハ、ハ…ウ…エ……』
「なっ!?」
瘴気によって形作られた土蜘蛛は先ほど倒したはずのクロと呼ばれていた土蜘蛛にも似た声を発し昌享は驚くが、それを確認したのか女性と大量の土蜘蛛の気配は瘴穴から噴き出る瘴気に紛れ消えてしまう。
クロとなった瘴気の塊は瘴穴からの瘴気を吸収し、その体をさらに大きくし始めると、さらに先ほどまで倒されていた小型の土蜘蛛たちまでも瘴気で形を作り始めた。
「離蓮、震電、瘴穴を優先しろ!悔しいがまずはこっちだ!!」
このまま放置するのは危険と判断したソウが叫ぶと警戒していた離蓮と震電は炎と雷を放つ。
瘴気で作られた小さな土蜘蛛は一瞬にして霧散するが、その場で再び体を作り始める。
また、クロの方は瘴気が濃いせいか本体は霧散することなく、脚が失われる程度でこちらもあっという間に再生されていた。
また、これまでの連戦もたたってか離蓮と震電の力も徐々に衰えが見え始めてきており、それは主である昌享の力の限界が近づいていることを示していた。
その状況に昌享とソウが考慮していると、一本の矢がクロに突き刺さり一気に瘴気を霧散させていく。
二人の視線はすぐに矢を放ったであろう人物へと向けられる。
そして、その人物は従えている式へと命を下した。
「二人も手伝ってあげて」
それ合図に珀琥と茱雀と呼ばれていた二体の式は瘴気を払うべく動き出す。
珀琥は風を纏いながら瘴気の中を駆け抜け、茱雀は先ほど同様に翼で火の粉を撒き散らしながら瘴気を徐々に払ってゆく。
しかし、それでもおそらく瘴穴の影響を最も受けているであろうクロは衰える様子を見せない。
『ハ……ハ…ウ……エ』
「本当に面倒だな」
亡者のせいか同じ言葉を繰り返すだけのその様子にソウはいら立ちをみせ始める。
「どうすれば……」
「あの瘴穴を封じるしかないな」
「封じるって言ったって……」
現在の昌享の実力では道具なしで瘴穴を封じるのは不可能で、もしあったとしても今残っている力では封じるのはどのみち無理だった。
「私に任せて」
その声の方を向けばいつの間にか隣に女性の術者がいた。
コートに顔の認識を阻害する術をかけているのか、この位置でもフードで隠された素顔を見ることは出来ない。
しかし、その声にはどこか安心感がにじんでいた。
「珀虎、茱雀……封じるよ」
それを合図に珀琥と茱雀は動きを変える。
珀琥は無造作な動きから徐々に瘴穴を囲う様に走り始め、茱雀は瘴穴の真上へ移動し翼を大きく羽ばたかせ瘴気の勢いを抑えこませる。
そして、術者は弓を持ち直すと弓を引き鳴らした。
「我は四霊を統べるものなり」
瘴穴を封じようとしていることに気づいたクロは即座に目標を術者に移し、阻止しようと動き出す。
「離蓮、震電、あいつの動きを止めてくれ」
「任せろ」
離蓮の返答と同時に二人は先ほど同様クロの脚を切り離す。
さらに、すぐに再生しないように離蓮は炎で囲み、震電は雷撃を継続的に体へ向けて放った。
威力自体はさほど高くないが、瘴気だけとなったクロにとっては十分で再生を阻害するには十分であった。
「北に巌武、南に茱雀、東に瀞龍、西に珀虎」
そして瘴穴を封じる術が進むにつれ、瘴穴からの瘴気の量が減り再生が出来なくなってきたのかクロ自身の体も削られ始めた。
しかし、それでもクロはその身を動かし術を止めようとする。
『ハ……ハ……ウ……』
「四神に通じし四霊の力を持ちて、瘴穴を今ここに封ず。四方を治めしは、偉大なる王なり」
『エ……』
術の完成とともに瘴穴は封じられ、瘴気を得られなくなったクロは完全に崩れ去った。
「片付いたな」
完全に気配が消えたことを確認し震電がそういうと昌享達はやっと肩を下すことが出来た。
そして、いきなりとはいえ協力してくれた術者へと足を向ける。
自信が陰陽師の家系である事を知ってから昌享が同職の人物に合うのは初めてであるが、数は少ないが居ることは話として聞いており、先程のソウの話からある程度安心できる相手であることは何となくわかった。
「えっと……ありがとうございます」
恐る恐る礼を述べると術者は式である珀虎と茱雀を撫でるのを止め、深く被っていたフードを上げた。
「えっ?」
そこには昌享がよく知る、今日も学校で見た顔があった。
そして、よく知る術者は外していた赤縁の眼鏡を掛けて満面の笑みを浮かべた。
「無事でよかったマー君」
「す……ず?」
そう、そこにいたのは幼なじみである信濃鈴であった。
訳あっての更新!(活動報告参照)
次はいったいいつになるやら…