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「おはようございます」
眠い目を擦りながら食堂へ行くと、ディートリッヒがくつろいだ様子で座っていた。
すでに朝食を終えた後で、お茶を飲みながら本を読んでいる。
「おはよう。今日も可愛い洋服を着ているな」
レースがふんだんに使われたワンピース姿のベルナを見てディートリッヒは目元を和らげた。
「姉が幼い時の貢ぎ物です。沢山もらいすぎて着ていないのが沢山あるみたいで、やっと日の目を見ることができたと母が喜んでいます」
「僕にも覚えがある。小さい頃はよくこの服を着てほしいと送ってくる人が居たな」
顔をしかめてレースのスカートを摘まんでいるベルナをディートリッヒは持ち上げ、膝の上に乗せる。
「何度も言いますが、私は大人なんです」
「僕も何度も言うが、知っている。ベルナが大人でもこうしていたと思うが」
真顔で言われてベルナはまた顔をしかめた。
「犬でもないですよ」
「仲がよろしい事で。ベルナお嬢様、そのまま食事されますか?」
手伝いに来ているウバラは、幼いベルナをすぐに受け入れて以前と変わらず接してくる。
「一人で食べるわ」
ウバラは頷いて朝食を取りに向かって言った。
膝から降りようとするベルナをディートリッヒは押しとどめた。
「机と椅子の背丈が合わない。僕が食べさせよう」
「結構です」
ディートリッヒの上から降りたいのにお腹に手を回されて動くことができずにもがいていると、ウバラがワゴンを押して部屋へと帰ってきた。
当たり前のように、ディートリッヒの前にベルナの朝食を用意して去って行った。
「ほら、ウバラさんも僕が食べさせた方がいいと思っているようだ」
「違いますよ。ウバラは面倒なことが嫌いなだけです」
ベルナは仕方なくディートリッヒの膝の上で朝食を食べ始めた。
ディートリッヒは満足したように頷いて、ベルナが食べやすいように手伝い始める。
(私もディートリッヒ様に慣れたものだわ)
「あら、その役はお母さんがやりたかったわ。小さなベルナの世話を私もしたいわ」
空の籠を持ったミレイユがディートリッヒの膝の上でご飯を食べているベルナを見て頬を膨らませた。
「お母様はベルナが幼い頃に世話をされているからよろしいでしょう?」
冷めた目でディートリッヒはミレイユに視線を向ける。
「次は、お母さんがやりますからね」
悔しそうにディートリッヒを睨みつけてミレイユはからの籠を持ったまま部屋から出て行った。
「母に冷たい対応をする人を初めて見た気がします」
ベルナはディートリッヒを見上げた。
ベルナが記憶する限り、美しい母と姉には優しく接する人が多く冷たい対応をしている人など見たことが無い。
驚くベルナにディートリッヒも驚いたように目を少しだけ見開いた。
「ベルナの事は譲れないからな」
「・・・ちょっとだけ嬉しいです」
姉と母より自分を選んでくれることが嬉しくてベルナは思わず口を滑らせてしまい慌てて笑みを作った。
「何でもないです」
ディートリッヒはベルナを見つめると、両手で抱きしめた。
「ベルナが何を恐れているかだいたいわかった気がする。ベルナの姉に会いに行こう」
「はい?どうして突然?」
「僕がベルナの姉に会ってもベルナに対する気持ちが変わらないことを証明するために」
心の奥底にある不安を見透かされたようでベルナは目を伏せた。
美しい姉と会えばディートリッヒもベルナより姉のイーリカの方がいいと言うに決まっている。
このままディートリッヒに優しくされるよりは、姉に会ってベルナの事は勘違いだったと言われた方がいいかもしれない。
ベルナは下唇を噛んでディートリッヒを見上げた。
「解りました。姉に会いに行きましょう。姉に会ったらディートリッヒ様も心変わりするかもしれないし」
今にも泣きだしそうなベルナの唇をディートリッヒは掴んで引っ張った。
「痛いです」
「下唇を噛むよりはいいと思うが」
ディートリッヒはそう言ってベルナにちぎったパンを口元に持っていく。
「さっさと食べて、姉上のとこへ行こう。この街に居るのだろう?」
「はい、医者と結婚して町はずれに居ます」
餌付けされるようにちぎったパンを口元に持ってくるためベルナは仕方なく口を開いて食べた。
急いで朝食を食べ終え、ベルナとディートリッヒは姉が居る家へと向かう。
ベルナを抱っこして田舎町を歩くディートリッヒはかなり浮いており町の人達の注目を浴びている。
ベルナの家の客だという事は一晩で知れ渡っており、城の騎士など見たことも無い町の人達がジロジロとみてくるためベルナはコートのフードを被って顔を隠した。
この町で生まれ育ちそれも領主の娘の顔は町のほとんどの人が知っているだろう。
小さくなったと説明するのも面倒なので顔を隠してディートリッヒの胸に顔を埋める。
「子供を抱いていると話しかけてくる女性達は少なくなるものだな」
ディートリッヒは妙な感心をしているのでベルナは頷いた。
「私の姉もそう言っていました。結婚したら迫ってくる男性も減ったらしいですけれど、子供を産んだらもっと減ったって」
「なるほど。早くベルナと結婚して子供を作れば煩わしい生活が無くなるのか」
「姉に会っても心変わりしなければ、ですけれどね」
冷めた口調で言うベルナにディートリッヒも無表情に見下ろす。
「まだ疑っているのか」
生まれた時から姉と比べられて姉を選んできた人たちを知っているからだとベルナは頷く。
どう考えてもディートリッヒのような完璧な人が、平凡なベルナを選ぶこと自体がおかしいのだ。
「あの小さな家が姉の家です」
店が並ぶ通りを過ぎ、奥まった通り丘の上に建つ白い家をベルナは指さした。
ディートリッヒはベルナを腕に乗せたまま丘の上を歩いて、白い家へと向かった。
白いドアの前でベルナは戸を叩く。
「姉さん!ベルナです」
小さな子供の声で言ってもいたずらかと思われるのではないかと心配したが、すぐにドアが開いた。
ブロンドの髪の毛に、青い瞳を大きく見開いてディートリッヒの腕の中に居る小さなベルナを見つめる。
「お母様から聞いていたけれど、本当に小さくなったベルナなのね」
小さなベルナの頬を優しくなでる。
ベルナの母親とそっくりなイーリカは儚げで風が吹けば消えてしまいそうなほどだ。
長いブロンドの髪の毛を一つにまとめて、薄いお化粧をしている。
未だに妖精ではないかと信じている人もいるぐらい人間離れしている美しさに誰もが一目で恋をしてしまうのだ。
ベルナはそっとディートリッヒを見上げた。
きっと、熱っぽい瞳で姉を見つめているに違いないと。
ディートリッヒは姉を見ていたが、ベルナの視線に気づいて視線を落とした。
「確かにベルナには似ていないな」
いつもと変わらない無表情なディートリッヒの心情が解らずベルナは眉をひそめた。
「とりあえず、中に入って。どうぞ」
こじんまりとしたリビングに通されて、ディートリッヒはベルナをソファーに降ろし自らも隣に座る。
「姉を見て綺麗だと思いました?」
お茶を淹れに行っているイーリカに聞こえないようにベルナはディートリッヒに聞いた。
「美しい部類に入るだろうな。だが、好きになったかと聞かれれば否定をしよう」
ディートリッヒは無表情に言う。
「あんなに綺麗なのに?」
「人の見た目は関係ない」
ディートリッヒは何かを考えるように腕を組んでじっとベルナを見つめている。
何か言おうと口を開いた時に、イーリカがお茶をお盆に乗せて部屋へと入ってきた。
「お待たせしました」
白く長い指がティーカップを置いていく。
「姉さんは指先まで綺麗ね」
何気なく呟いたベルナの声がリビングに響いた。
「ベルナは小さくなっても可愛いわね。小さい頃を思い出して懐かしいわね」
「そうね」
小さい頃に姉と比べられていた嫌な思い出がよみがえり、ベルナは下唇を噛む。
「城の騎士様に送ってもらったのですって?ベルナがお世話になりまして」
ベルナの隣に座るディートリッヒをちらりと見てイーリカが言った。
ディートリッヒはイーリカに軽く頭を下げる。
「ベルナが心配でしたので。それにベルナのご家族に結婚のお許しを得に参りました」
「ベルナ、本当に結婚するのね」
イーリカは青い目を見開いて口元に手を当てて喜んだ。
絵本に出てくるお姫様の一場面のように美しい喜び方にベルナはディートリッヒを見上げる。
この笑顔にほとんどの異性は姉に恋をするのだ。
見上げたディートリッヒの顔は無表情で姉に惹かれているかどうかは分からない。
「まだベルナは頷いてはくれないのですが。私の愛を信じてくれないようだ」
ディートリッヒは軽く肩をすくめてベルナを見下ろした。
ベルナは居心地が悪くなり顔を逸らすが、ディートリッヒに体を持ち上げられて膝に座らせられる。
「子供ではないのだからやめてください」
「可愛いからつい」
顔を見合わせて言い合いをしているベルナとディートリッヒを見て、イーリカは両手を口元に当てて涙ぐみ始めた。
「良かったわね。ベルナ。いい人に巡り合えて」
「・・・ありがとう」
遠くから赤ん坊の泣き声が聞こえ、イーリカが慌てて立ち上がった。
「起きちゃったみたい。ちょっと待っていてね」
長いスカートを揺らしながら小走りにイーリカが部屋を出ていくのを確認してベルナはディートリッヒの洋服の裾をぎゅっと握る。
「ディートリッヒ様、姉を見て私なんて嫌になりませんでしたか?」
「なぜ?」
「見たでしょ?喜び方も走り方も、絵本のお姫様のように綺麗なんですもの。私みたいな、普通の人より魅力的でしょう?」
ディートリッヒがなんて答えるのだろうと不安になるが、勢いに任せてベルナは早口に言う。
「美しい人と愛する人は別だと思うが。ベルナの見た目も中身もすべてを好きになったのだから今更、美しい人が現れて心を奪われることは無いと誓おう」
美しい姉を見てもまだベルナの事が好きと言ってくれるディートリッヒ。
ベルナは彼の胸に顔を擦りつける。
「少し安心しました」
「少し?」
わずかに眉をひそめてディートリッヒは言った。
「姫様の妙な術が解けても本当に心変わりしなければ、私もディートリッヒ様が好きだって言いますね」
「やっとベルナが素直になった気がするが喜べないのはなぜだろうか」
ディートリッヒはそう言いながらもとろけそうな笑みを浮かべてベルナの両脇に手を入れて持ち上げた。
真っ赤になっている小さなベルナを見てますます微笑む。
あまりにも綺麗な微笑みにベルナはディートリッヒの顔を直視できずに視線を逸らした。
「ディートリッヒ様に好きだと言われて頷かない女性はそうそう居ないと思いますけれどね」
「ここに居たがな。まだ信じてはくれないようだから努力をしよう」
「あら、仲がいいわね」
戻ってきたイーリカが微笑み合っている二人を見て口元に手を当てて目を細めて見ている。
「私も、ベルナを抱っこしたいのだけれどいいかしら」
ウズウズと手を伸ばしてくるイーリカにディートリッヒは首を横に振った。
「可愛いベルナを手放すことができないので無理です」
「残念。幼い頃はベルナに避けられていたから・・・」
悲しそうに言うイーリカにベルナは目を伏せた。
「・・・ごめんなさい。今度はちゃんとこまめに顔を出すようにする」
「ありがとう」
イーリカは儚げに微笑んだ。