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城を出発してから数時間が経過していた。
馬に揺られながら手綱を握っているディートリッヒの顔を見上げる。
小さくなったベルナの体よりもはるかに高い位置にある美しい顔を見上げた。
無表情だったディートリッヒはベルナの視線を感じて見下ろすとニッコリと微笑んだ。
綺麗すぎる微笑みに一瞬心臓が止まりそうになり、ベルナは息を深く吸い込んだ。
体は幼くなっても、気持ちは大人なのだ。
「どうかしたか?」
「・・・ディートリッヒ様は、無表情だったのは意識的だったんですか?それとも今は妙な術にかかっているから表情が豊かなんですか?」
レナード王子が意識的に無表情になっているという言葉が気になってベルナは聞く。
ディートリッヒは少し考えて頷いた。
「多分そうなのだろう。感情を表さなければ周りに期待されることも誤解されることもないから」
「なるほど、私の姉も凄い美人なのですが確かに少し微笑まれただけで誤解した男性が家に押しかけたりして大変でしたよ。ディートリッヒ様はそれを超えた美しさですものね。そりゃ、誤解する人もいますよね」
ベルナは納得しながら頷いてはっとした。
自分も誤解している人の一人なのではないかと。
ベルナの思っていることがわかっているのか、ディートリッヒは後ろからベルナの顔を覗き込んだ。
「姉上も、苦労をしているのだな。ベルナを愛しているのは本当なので信じてほしい」
真剣な顔で言われてベルナは顔が赤くなった。
異性に愛しているなど言われてうれしくないわけがない。
それでもとベルナは俯く。
「きっと、妙な術のせいで勘違いしているのではないですか?私は、美人でもないし、家がお金持ちでもないですよ」
「顔ではない」
ディートリッヒの言葉にベルナは自分で美人ではないと言っておきながら少しムッとする。
「そりゃ、そうですけれど。顔じゃないと言われると傷つきます」
「誤解しないでほしい。顔だって可愛いと思っているが、それよりも普通に話してくれることが嬉しかったんだ」
「普通に話す?」
ベルナはディートリッヒを見上げた。
少し笑みを浮かべてディートリッヒはベルナを見下ろす。
「特に女性は、僕を見ただけで過度な期待をして接してくる人がほとんどでまともに会話ができたためしがない。それなのに、ベルナは僕と普通に話してくれるし僕に過度な好意が無いのが初めは嬉しかった。そうして普通に話すことによってベルナの性格もわかり惹かれていったと思う」
「・・・姉を見ているからですよ。だれでもディートリッヒ様の素敵な顔を見てまともで居られる女性は少ないと思いますよ」
「人に会うのが面倒になった時に馬小屋に逃げていた。そしてベルナと話すようになって、いつの間にかベルナの事が好きになったのだ。術がかかる前の話だから信じてほしい」
丁寧に心を込めて話すディートリッヒにベルナは恥ずかしくなってますます俯いた。
「本当に妙な術で可笑しくなっているわけではないって言いきれます?」
「姫の妙な術のおかげで長年ベルナに言えなかった言葉が言えた。いつも自分の心に蓋をしていた。それでいいと思っていた。だが、こうして愛している人に思いを伝えられるのは良いものだ」
ディートリッヒは微笑みながら片手で小さなベルナを抱きしめた。
「今は小さいが、元に戻ったらちゃんと結婚を申し込もう。幼女趣味だと誤解されているからな」
美しいディートリッヒに好意を伝えられて心が傾きそうになる。
「少し時間をください。ディートリッヒ様は嫌いではないですよ。ただ、不安なのです」
ベルナは俯きながら呟くとディートリッヒは満面の笑みで頷いた。
「ありがとう。いい返事を聞かせてくれると願っている」
小さなベルナの髪の毛に軽くキスをするディートリッヒにベルナは真っ赤になる。
「な、なにをするんですか」
「ベルナに対する愛情を示そうと思って」
「やっぱりおかしいですよ!ディートリッヒ様」
小さなベルナが怒る姿が可愛くてディートリッヒは髪の毛を撫でた。
ベルナの実家がある町までは城から丸二日はかかる。
山を何個か超えて、大きな町が見えてきた。
もうすぐ日が暮れようとする空を見上げてベルナはディートリッヒを振り返った。
「今日は、この街に泊まります?」
実家までの行程はディートリッヒに任せているのでベルナは一応聞いてみる。
「その予定だ」
大きな町の入口で馬を降りて手綱を引いて歩くディートリッヒはいつもの無表情な顔で頷いた。
馬の上に乗ったままのベルナは落ちないように手綱を握りしめながら町を見回す。
実家に帰るときには馬車を使っているためこの大きな町で乗り換えることが多い。
いつも泊まる安めの宿を見つけてベルナはディートリッヒに教えようとしたが口を閉じた。
(よく考えたら、ディートリッヒ様は超が付くほどのお金持ち貴族だもの。安めの宿なんかに泊まりはしないわよね)
馬を引いて町を歩くディートリッヒは人々の注目の的だ。
町の人達は美しいディートリッヒを二度見する人や顔を赤くして息を吸うのを忘れてしまうほど見惚れている女性の姿など反応は様々だ。
そんな女性達に慣れているのかディートリッヒは無表情に町の大通りを歩いていく。
「ディートリッヒ様、宿屋は決まっているのですか?」
「もちろん。ベルナを野宿させると思うか?」
「野宿とは思っていませんけれど。もしかしてあの、凄く高い宿屋に泊まる予定ですか?」
大通りの先にある宿屋は一件だけだ。
一泊するだけでベルナの一か月分の給料が無くなってしまうほど高い。
「そのつもりだ」
「私、お金そんなに持っていません・・・」
申し訳が無いと言うように小さく言うベルナにディートリッヒは少し驚いた顔をする。
「まさか僕がベルナにお金を払わせるなどと思っているのか?」
「申し訳ないですし・・・私が付き合わせてしまっていますし」
「愛する人に、お金など払わせるつもりは無いから安心してほしい」
注目されている街中で、愛する人などと言わないでほしいとベルナは頷きながら周りをみた。
女性に睨みつけられているかと思いきや、生暖かい目で見られている。
「素敵なお父さんね、恋人ごっこもわかるわー」
「子供がいるのはショックだけれど、素敵だわ」
どうやら親子だと思われているらしいとベルナはホッと息を吐く。
(女性の嫉妬は怖いから。よかった)
「親子だとみられるのは不本意だ」
安心しているベルナとは対照的にディートリッヒは無表情だが、不満そうだ。
「似ていない親子ですけれどね」
ベルナが言うと、ディートリッヒは無言で馬を引いて町で一番高い宿屋へと向かった。
宿屋で馬をつなぐと当たり前のようにディートリッヒはベルナを抱えて馬から降ろすと抱えたまま歩き出した。
降ろしてほしいと言っても降ろしてくれなさそうな雰囲気にベルナも黙って抱かれている。
一人で馬からは降りれないのは仕方ないと思うが、移動手段がすべて抱っこと言うのはいい加減にしてほしいとは思う、言っても聞き入れてくれないのだろうなとベルナはため息をついた。
宿屋のカウンターでは女将さんがディートリッヒとベルナを見て微笑んで迎えてくれる。
「あらぁ、あんた父さんだったのねぇ。ウチの使用人たちが悲しむわよ。お母さんの所にこれから行くのかしら?」
親子ではないと言いたいところだが、説明をするのも大変だとベルナは黙って頷いた。
小さくなったベルナはどこから見ても小さな子供なのだ。
せめて子供らしく振舞おうとディートリッヒの腕の中で無垢な笑みを浮かべてみる。
「お父さんに似ていないけれど、可愛いわねぇ」
(お父さんではないからね)
ベルナはディートリッヒを見上げた。
ディートリッヒは無表情に懐から大金を出すとカウンターの上に置く。
「一晩だ」
「ありがとうございます。最上階の一番いい部屋が開いているのでどうぞ」
鍵を差し出されてディートリッヒは受け取るとベルナを抱いたまま部屋へと向かった。
「親子だと思われていますね。そう思うと私一人では泊ることもできなかったですね。ディートリッヒ様が一緒に来てくれて良かったです」
小さくなった姿では自由に行動もできないと気付いてベルナがお礼を言う。
ディートリッヒは少し嬉しそうに目を細めた。
「役に立ててよかった」
ベルナがいつも泊まる安めの宿とは違い、この宿は内装も豪華だ。
赤い絨毯が敷き詰められた廊下を歩き、一番上の階へと向かう。
一番端の部屋が本日、泊る部屋だ。
ディートリッヒは慣れた様子で部屋につくと鍵を開けて中に入った。
部屋は広く、天蓋付の大きなベッドが中央に置かれている。
「お姫様みたいな部屋ですね」
豪華なベッドの上に降ろされて、ベッドの柔らかさを確かめながらベルナがはしゃいで言うと、ディートリッヒは頷いた。
「王族が泊ることもある宿だから。王子の護衛でたまに泊ることがある」
「だから女将さんがディートリッヒ様の事を知っていたんですね」
大きなベッドの上ではしゃいでいたベルナは部屋に寝る場所が一つしかないのを見て顔をこわばらせた。
ベッドから慌てて降り、他に部屋が無いかすべてのドアを開けて確認をするがトイレとバスルームしかなく、やはりベッドは一つだ。
「寝る場所が一つなんですけれど」
青ざめるベルナに、ディートリッヒは首を傾げながらマントと上着を脱いでソファーの背もたれにかけている。
「何か問題でも?ベルナの見た目は小さい。一人で泊まらせるわけにはいかないだろう。それに、婚約者なのだから問題は無いだろう?」
「いつ、婚約をしたんですか!」
目を見開いて怒るベルナを見下ろして、ディートリッヒは声を上げて笑った。
初めて見るディートリッヒの笑い声にベルナは怒りも忘れて見惚れてしまう。
ディートリッヒが笑っているだけで、彼の周りの空気が輝いて見えるほどの美しさだ。
「安心してほしい。僕は幼女趣味ではないから、ベルナが元に戻ったらゆっくりと愛を語り合おう」
「はぁぁぁ?もう、信じられない!」
ベルナは真っ赤になってディートリッヒが運んでくれた鞄を開く。
「疲れたのでお風呂に入って寝ます!」
「その小さな体で溺れたりしないか?一緒に入ろうか」
本気で心配をしているディートリッヒにベルナはため息をついた。
「大丈夫です」
きっぱりと断って、洗面道具を持ってバスルームへと向かった。
ベルナの実家よりも大きくて綺麗なバスルームに感動をしながら服を脱いだ。
湯船にお湯を貯めながら、脱いだ洋服を広げて見つめる。
「こんなに小さくなっちゃって・・・。何が悲しくてディートリッヒ様と親子に見られないといけないのかしら」
長いため息をついて、服を置いて湯船へと向かう。
「値段が高いところは石鹸までいい匂いがするわ・・・」
置いてある石鹸を手に取って漂ってくる匂いにうっとりしながらベルナは泡立てて体を洗った。
小さな体はあっという間に洗い終わり、泡を落として湯船へと足を踏み入れる。
いつもの調子で入ってしまい小さなベルナは湯船の底に足が届かず頭まですっぽりとお湯につかってしまう。
「わぁぁっ」
悲鳴を上げて体勢を立て直そうとするが、ベルナが思っているより湯船が深く這いあがることができない。
何とか這い上がろうとするが湯船の縁までは高く手が届かない。
水音を立てて伸ばしていた手を掴まれて引き上げられた。
肩で息をするベルナの手を掴んで引き揚げたディートリッヒはそのまま静かに床の上に小さな体を降ろした。
「水は飲んでいないか?」
「大丈夫です。溺れるかと思った」
「だから一緒に入ろうかと言ったじゃないか」
ベルナは肩で息をしながら怒っているディートリッヒを見上げる。
無表情だが、少し目元が鋭い。
「何度も言いますが私は大人なんです!体を見られるのは恥ずかしいんですよ!」
「今更?」
じっと見下ろしているエメラルドグリーンの瞳が裸のベルナを見つめている。
「うわっ」
ベルナは慌ててタオルで身を隠すと、ディートリッヒは長いため息をついた。
「僕も何度も言うけれど、幼女趣味はない。いやらしい目で見ていると思われるのは不本意だな」
「恥ずかしいものは、恥ずかしいんです!」
顔を赤くして体を小さくしているベルナにディートリッヒはまたため息をついた。
「恥ずかしがっていて死んでしまったらとんでもないと思うが」
「湯船にはもう入らないわ」
「解った。今度から気を付けて」
恥ずかしがって動きそうにないベルナの頭を撫でてディートリッヒは立ち上がった。
「冷えるから早く着替えて出ておいで」
優しく言われてベルナは頷いた。