カエルになったベルナ 6
「マスターか?」
ディートリッヒが井戸を覗き込みながら問いかけた。
ベルナも落ちないようにディートリッヒの肩に掴まりながら中を覗き込む。
井戸は深く暗い。
騎士が明かりを深く照らしてく、中で小さな生き物がジャンプしているのが見えた。
「グエェェ(俺だ!ドネツクだ!ここから出してくれぇ)」
「マスターだ!」
「グエェェ(マスターだわ!私も言葉が解るわ!)」
ベルナとディートリッヒが同時に叫ぶと騎士達が手を叩いて喜んだ。
「よかった、これで仲間が元に戻せる」
騎士の一人も喜びながら紐の付いたバケツを手に駆け寄ってきた。
「枯れ井戸で助かりましたね。今から引き揚げます」
騎士が叫んでバケツを井戸の中へと入れて行く。
「グエェェ(助かったぜ)」
ドネツクは降りてくるバケツに飛び乗ってカエルの姿で汗をぬぐった。
「引き上げますね」
騎士はそう言うとゆっくりと紐を手繰り寄せてバケツを引き上げた。
バケツの中のドネツクは地上に出るとポンと地面へとジャンプをした。
「グェ(あの女はどうした)」
「捕まえた。手は斬りつけて使えないようにして口には布を突っ込んでいる」
ディートリッヒが答えると、マスターはカエルの姿のまま頷いた。
「グエェ(そうか。よくやった。早く殺した方がいい。あいつは碌な奴じゃねぇ)」
物騒な話にベルナは気配を消して聞いていると、カエル姿のマスターと目が合った。
「グェェ(お前、ベルナか?)」
「グエェ(そうです。私もカエルになってしまったんです)」
今にも泣きそうなベルナの姿を見て、マスターはひっくり返って大笑いをしだした。
「グェェェェェ(カエルがドレスを着てやがる!お前バカみたいだぜ)」
「グェ(可愛いですよ)」
自分でも少し変だと思っているが、他人に言われると傷つくとベルナは頬を膨らませるとディートリッヒも頷いた。
「カエル姿のベルナは可愛い。ドレス姿も可愛いと思う」
「グエェェ(ヤベェー。ディートリッヒ君もやべぇ奴じゃねぇか)」
未だひっくり返って笑っているカエルに、周りに居た騎士達は複雑な顔をしている。
カエル同士話している姿も異様だが、やはりドレスを着たカエルがどうしても面白くて笑いそうになるのを堪えて目を逸らしている者すらいる。
ひたすら笑った後息を切らしながらドネツクはあたりを見回した。
「グェェェ(それで、あのロンド王子はどこ行った?)」
「姿を見ていない」
ディートリッヒが答えるとドネツクは真剣な顔をして辺りをキョロキョロ見ている。
「グエェ(絶対傍にいるぞ。あいつが育てたアスケラ嬢っていう自ら育てたおもちゃを取られて黙っているわけがねぇ)」
「ロンド王子が居るかもしれないとマスターが言っている。警戒しろ」
剣を抜いてディートリッヒが叫ぶと周りに居た騎士達が剣を構えた。
緊張感が走るなか、ぽつぽつと雨が降り出す。
「グェ(雨だわ)」
ベルナが呟くと、空に稲光が走り雷鳴が轟いた。
「いい天気だねぇ」
ロンド王子の声に、ディートリッヒと騎士達が剣を構えながら姿を探す。
ゆっくりと木々の間から歩いてくるロンド王子の姿が見えて一同は剣を構えた。
「少し目を離している隙に、アスケラ嬢が勝手に暴走してしまって申し訳ないね。返してもらいに来たよ」
アンドレ王子とよく似た顔をしているが、雰囲気は全く違う。
ニコニコと笑っているが殺気立つ気配を出しながら剣を抜いた。
雨に濡れているのを気にすることなくゆっくりと歩きながらディートリッヒに視線を向けた。
真っ黒な洋服が暗闇に溶け込んで、青白い顔だけがよく見える。
「ディートリッヒを絶対にカエルにしてやると息まいていたが、どうやら失敗したようだね。
なにか術で防御しているのかな?」
ロンド王子を騎士達が遠巻きに取り囲むが、彼は気にする様子も無くゆっくりとディートリッヒに向かって歩いてくる。
「さぁな」
ディートリッヒは警戒をしながら剣を構えた。
降り出した雨が大粒になりベルナの体を濡らしていく。
(体に潤いがあるとなんだか元気になってきたわ)
雨水が体に当たるたびに生き生きするような気分になりベルナは緊張している場面だが新しい発見をしてしまう。
チラリとディートリッヒを見上げると鋭い目でロンド王子を睨みつけていた。
ロンド王子の髪の毛が雨水を吸い額に張り付き、鬱陶しいのか左手で払いのけた。
誰も声を発せず雨音だけが響く。
気配を消していた城の騎士が数人ロンド王子に斬りかかる。
「こざかしいね」
ロンド王子は小さく言うと、剣で薙ぎ払うと左手を騎士に掲げる。
一瞬、ロンド王子の手の平が青白く光り斬りかかった騎士が洋服だけを残して消えた。
「クソッ」
見ていた騎士が悪態をつく。
ひらひらと落ちた騎士の服の間から大きなカエルが顔を出した。
「グェ(カエルにされたわ)」
ベルナが小さく言うと同時にディートリッヒがロンド王子に斬りかかった。
ロンド王子は表情を変えずディートリッヒが振り下ろした剣を受け止める。
ギィンと剣がぶつかり合う音が響いた。
「クッ」
弾かれた剣をロンド王子の脇腹めがけて斬りかかるもそれも防がれディートリッヒは一度ロンド王子から離れる。
肩に必死に掴まっていたベルナにディートリッヒが囁いた。
「ベルナ、少し離れていてくれ」
優しくベルナの体を掴むと、一瞬で遠くに投げられる。
「グエェ(投げるなんて)」
遠心力を感じながら遠くに投げられたベルナの体はバージル王太子が受け止めた。
「やぁ。しばらく保護をしてあげよう」
緊迫感無く言うバージル王太子にベルナはカエルの姿のまま頷いて、ディートリッヒの姿を探した。
「まだ斬り合っているよ」
「グェェェ(ディートリッヒ様がんばって!)」
ベルナの応援が届いたのか、ディートリッヒは力の限り剣をロンド王子に振り下ろす。
「無駄だよ」
ロンド王子は振り下ろされたディートリッヒの剣を防ぐと左手をディートリッヒに向けた。
手の平が輝くが、ディートリッヒには術は効かず、彼の姿に変化はない。
「おかしいな。やっぱり何か術を防ぐことをやっている?」
首を傾げながらもディートリッヒの剣を防いでいるロンド王子の笑みが引きつっているのを見てバージル王太子はにやりと笑った。
「ディートリッヒの体力が続けば勝てるな」
「グエェ(よかった。ディートリッヒ様なぜ術が効かないのかしら)」
ベルナはバージル王太子の手の平の上でハラハラしながら戦闘を見守りながら祈るように手を合わせた。
ディートリッヒの繰り出す剣を避けながらロンド王子は井戸の上に駆け上がった。
「これで終わりだよ」
ニヤリと笑うとディートリッヒの頭を斬りつけようと剣を振り上げた。
「グェェ(ディートリッヒ様!)」
ベルナが叫ぶと同時に雷の光が一面を照らし、轟音が響いた。
地面が振動し、空気が震える。
「わっ」
ベルナもバージル王太子もあまりの眩しさに目を瞑った。
「グェェ(一体何が起こったの?)」
慌てて目を開けると、地面に横たわっているロンド王子の首元に剣を突きつけているディートリッヒが見えた。
ディートリッヒの無事を確認してベルナは安堵の息を吐く。
「ロンド王子の振り上げた剣にちょうど雷が落ちたな」
何事もなかったかのようにバージル王太子はいつもと変わりない口調で言った。
(雷が落ちた?そんな偶然ある?)
ベルナは驚きながらロンド王子を見る。
地面に横たわるロンド王子はピクリとも動かない。
焦げ臭い匂いがしており、ロンド王子の剣を持っている手が少し黒ずんで見えた。
バージル王太子は手の上に居たベルナをディートリッヒに渡すと周りに居た騎士に命じる。
「生死の確認をしろ」
バージル王太子の命令に騎士達がロンド王子を警戒をしながら取り囲んだ。
荒く息をしているディートリッヒは手の平の上に載っているベルナを見つめて微かに微笑んだ。
「ベルナが無事で良かった」
「グェェェ(ディートリッヒ様も無事でよかった)」
お互い微笑み合うと、ディートリッヒはベルナに頬ずりをした。