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「今日、とうとうディートリッヒ様が結婚を申し込むらしいわよ」


大広間の掃除をしていると、サノエが雑巾片手に囁いてくる。

ベルナは窓を拭く手を休めてサノエを振り返った。


「どうしてそんなこと知っているの?」


ディートリッヒと最後に会ってから数日が過ぎていた。

今日は、ディートリッヒと姫様の婚約パーティーが行われる予定だ。

それも掃除をしているこの大広間で。


あれ以来ベルナは馬小屋の中を通ることをやめた。

もし、偶然ディートリッヒに会ってしまったら今までと変わらず話してしまうだろう。

それを誰かに見られて妙な噂を流され、姫様の耳にでも入ったらベルナは無事では居られないだろう。

国に居ることができないほどの悪名高い噂がある姫様の怒りは買いたくない。

実家に仕送りをしている手前、城の仕事は一生続けていきたいと思っているのだ。


「姫様がそれを望んでいるらしいわよ。今日のパーティーでみんなの前で、美しいディートリッヒ様に結婚を申し込まれたいって」


サノエの言葉にベルナは首を傾げる。


「だって、今日でしょ?お二人の婚約発表。結婚が決まっているのにわざわざみんなの前で結婚の申し込みをさせるなんてよくわからないわね」


小声で言うベルナにサノエも声をひそめる。


「自慢したいのよ。パーティーだって姫様の希望らしいわよ。やらないと、侍女たちの声を奪ってやるとか言っているらしいわよ」


「そんなことできるの?」


驚くベルナにサノエは真面目な顔をして頷いた。


「できるらしいわよ。なんでも古代語の怪しい儀式だか魔法だかをマスターして気に入らない使用人に酷いことをしているらしいわよ。声を奪ったり、数日間だけ目を見えなくさせたり、やりたい放題だって噂よ」


「噂でしょ?そんなことできたら、大変じゃない」


「本当は、牢屋に入れておきたいけれど姫様という扱いづらい身分の為にできないらしいわよ。でも、ディートリッヒ様と結婚できるなら古代語の怪しい本を手放してもいいと約束したらしいわ」


「なるほど!それでディートリッヒ様と結婚させたいわけね」


「怖いわね」


小声でお互い話しながら掃除をしていると、後ろから侍女長に声を掛けられた。


「ベルナとサノエ、ちょっといいかしら」


「はい!」


姫様の悪口が聞こえたかと、二人は慌てて背を正して整列をする。

そんな二人に侍女長はため息を付いた。


「あなた達、今夜のパーティーで給仕をしてちょうだい」


身分の低い貴族の二人は掃除など裏方に回ることが多く、パーティーなどが行われるときは、キッチンの手伝いか外回りの仕事がほとんどだった。

見栄えのいいお嬢様達がこぞってパーティー会場での給仕をやりたがるのでベルナ達がパーティー場に出ることは無かったため珍しいことがあるものだと、ベルナとサノエは顔を見合わせる。


「人が足りないのよ。ディートリッヒ様が結婚されると知って寝込む者や、辞表を出す人も多くてね・・・。それに今夜、姫様に結婚を申し込むなんて知ったらほとんど仕事を拒否されてしまったわ」


頭が痛いと言う風に額に手を当ててため息を吐く侍女長にベルナは頷いた。


「わかりました」


サノエも頷いたのを見て侍女長は疲れた笑みを浮かべた。


「ありがとう。助かるわ。まったく、仕事を何だと思っているのかしら」


怒りながら去っていく侍女長を見送って、サノエはにやりと笑う。


「ディートリッヒ様のお姿を近くで見られるわー。それに、姫様に結婚を申し込む場面なんてそうそう見られるものではないし、楽しみね」


「そうね。きっとお綺麗なんでしょうねー。お二人とも」


うっとりと言うベルナにサノエは鼻で笑った。


「性格の悪い姫様を見るのも楽しみだわ」


誰にも聞こえないように小声で言うサノエにベルナは頷いた。


夕方になり、サイア姫が到着されたという一報をうけてベルナたちは忙しく動いていた。

パーティー会場の準備が追い付かないのだ。

机は運ばれたものの、食器類を侍女総出でそろえて置いていく。


「立食形式で助かったわね。適当に置いておけばいいわ。足りなかったら後から出せばいいから」


侍女長が声を張り上げているのでベルナたちは元気に返事をしながらも手を休めずにグラスを並べていく。


「まさか、半分以上の侍女達が居ないなんて考えもしなかったわ。それほどディートリッヒ様の事がショックだったのね」


誰ともなしにベルナが言うと、近くに居た侍女が頷く。


「お年頃の貴族のお嬢様達は、夢を見ていたみたいだからねぇ。残っているのはすでに結婚している人か、家の為に働いている仕事意識の高い侍女ぐらいよ。まぁ、だから仕事が早く進むのは良い事だわ」


近くで食器を磨いているサノエが頷く。


「解ります!お嬢様達は、自分の見栄えばかり気にして仕事が進みませんでしたものねぇ」


「そうそう。すぐに鏡を見て髪の毛を直しては化粧を直して。さっさと仕事しろって感じよねぇ」


身分の高い侍女たちが居ないため、言いたい放題の女性達に侍女長は苦笑しながら手を叩いた。


「時間が無いわ。そこの数人はキッチンに行って飲み物の準備をして!パーティーが始まったら運び入れて!」


ベルナも指をさされて磨いていた食器を置いて頷いた。

キッチンへと向かい、慌ただしく動いているコックたちを避けながらワインのボトルを探す。

箱に入ったまま積み上げられたワインのボトルを見てベルナはため息を吐いた。

ベルナの記憶が確かなら、パーティー当日はワインのボトルを抜くだけの状態になっているはずなのだ。


「これ、全部箱から出さないとダメですよね」


飲み物係に指名された少し年上の先輩侍女を見ると彼女はため息を吐いた。


「出しましょう。急いで」


「うわー。辛い。こんなの数日前にやっておくべき仕事でしょう」


ワインを注げばいいだけだと思っていたが、全く整理されていない酒が入った箱を見て文句を言う侍女に、先輩侍女が首を振った。


「お酒係の侍女達が一斉に辞表をだしたのだから仕方ないわね。急ぐのよ。ディートリッヒ様が結婚を申し込む前に準備をしないと私たちの声は奪われてしまうわよ」


「姫様が怪しい術を使う噂って本当なんですか?」


ただの噂だと思っていたベルナが言うと、先輩侍女は箱を乱暴に開けてワインを取り出しながら頷いた。


「私の旦那は騎士なのだけれど、隣国に書類を届けに行ったときに見たらしいわ。我儘な姫様が気に入らない使用人の声を奪っていたって。永遠にではないらしいけれど」


「あ、永遠ではないのですね」


ホッとするベルナに先輩侍女は頷く。


「まだそこまで怪しい古代語魔術を使いこなせていないって噂よ。長くて一年ですって」


「一年は長いわよ」


話を聞いていた他の侍女がお酒を取り出しながら言った。


「視界を奪われた人と、動物にされた人もいるって噂よ。そんな目にあいたくなければさっさとお酒を準備するのよ!」


「ひいぃぃぃ」


ベルナたちは悲鳴を上げながら乱暴に酒の瓶を取り出してテーブルに並べていく。

半分以上取り出して、コルクの栓を開けているとキッチンに騎士が飛び込んできた。


「急いでください。ディートリッヒ様と姫様が会場に入られましたよ!料理とワインを早く運んでください」


「急いでいるけれど、人が足りないのよ!ワインの栓を開けてカップに注ぐだけでいいから、人を集めてくださらないかしら!」


血走った眼で騎士を睨みつける侍女にたじろいで、騎士は頷いて走って行った。


「誰か呼んできてくれますかね」


何本目か分からないワインのコルクを抜き、痛む手を振ってベルナが言うと侍女たちは首をふる。


「多分来ないわね。みんなディートリッヒ様が結婚を申し込む場面を見たいから」


「私たちも見たいわよ!急いでワインをグラスに注ぐのよぉ!」


ベルナたちは悲鳴を上げながらワインのコルクを抜いてグラスに注いでいった。


「手伝いを連れてきました!」


先ほど走って去っていた騎士が息を切らして戻ってくる。

数人の若い騎士の姿にキッチンに居た人たちが歓声を上げた。


「あんたは偉い!ワインをグラスに注いでて!ワインと料理は私たちが運ぶから」


騎士達がコクコクと頷くのを見て、ワインが乗ったお盆を手に持ってキッチンから飛び出す。

ベルナもワインが乗ったお盆を片手ずつ持って先輩の後について歩いていく。

ベルナの後ろを歩いていた先輩侍女が後ろから声を掛けてきた。


「ベルナちゃん、お尻の当たり汚れているわよ」


「掃除をしていたから着替える暇がなかったんですぅ」


顔をしかめるベルナに、先頭を歩いていた侍女が振り向いた。


「わかりゃしないわよ。着替えに戻る暇はないわよ」


「解っています」


ベルナは頷いてワインを溢さないように先輩について早歩きをする。

会場のドアの前に付くと、ドアを守るように立っていた騎士達が安心したように息を吐いた。


「ワインが間に合わないかと思いました。今ちょうど、ディートリッヒ様が結婚を申し込む場面ですよ。姫様がディートリッヒ様に愛する人に正直に告白するという古代の怪しい術をかけたところです」


「なにその術って」


先頭を歩いていた先輩侍女が呆れている。

ディートリッヒがこの結婚に乗り気ではない様子だったのを思い出してベルナは前に居た先輩に囁いた。


「なぜ、愛されていると思うんですかね」


ベルナの囁き声が聞こえた騎士が笑いを堪えて頷いた。


「そうですね。自分を愛さない男などいないと思っているんでしょうね」


「とんだ姫様ねぇ。って、無駄口を叩いている暇はないわ」


騎士が頷いてそっと会場のドアを開いた。

会場には、集められた貴族と、ディートリッヒの仕事仲間でもある騎士が集まっていた。

壇上には長い黒い髪の毛を綺麗に纏め上げた、美しい女性が妖艶な微笑みを浮かべて立っている。

真っ赤なドレスは肩が出ていて胸元の谷間も見える。


「凄いドレスですね。肌の露出が多いわ」


感心しているベルナに先輩侍女が頷いた。


「サイア姫様よ。少し離れて立っているのがお兄様のバージル王太子よ」


ワインを運びながら囁いてくる先輩侍女の視線を辿って、見ると姫様と同じ黒い髪の毛の若い男性が立っていた。

姫様の前には困ったような顔をしたディートリッヒが立っている。


「ディートリッヒ様は相変わらず素敵ねぇ」


ワインを運びながら呟く先輩に、ベルナはディートリッヒを見た。

黒い騎士服姿だが勲章を胸元につけていていつもより美しく輝いて見える。

プラチナブロンドの髪の毛は綺麗に三つ編みされて前に垂らしている。

長い前髪が顔にかかっていて右手でかき上げた。

その姿に集まっていた女性達から甘い息が漏れる。


「素敵ねぇ。さすがに私も近くで見たら惚れてしまうわ」


後ろでワインを運んでいる侍女がため息を吐いて囁いた。

ベルナは頷いてそっと先輩の後に続いて歩いて会場の後ろの方に並ぶ。

ワインを運んできたベルナたちを見て侍女長が近づいてきた。


「もうすぐ、ディートリッヒ様が結婚を申し込むからその時に乾杯するワインがもう少し欲しいわね」


「ディートリッヒ様何か困ってません?」


両手にワインが乗ったお盆を持ったままベルナが言うと、侍女長は真面目な顔をして頷く。


「姫様が愛する人に正直に告白する魔法だったかしら?それをディートリッヒ様にかけたら困ったようにずっと立っているのよ。そのおかげでこのワインが間に合ったのだけれどね」


立ったまま動く様子の無いディートリッヒを見てベルナは侍女長に視線を向けた。


「ディートリッヒ様が突っ立っている間に、もうひとっ走りしてワインを持ってきます」


ベルナはお盆をテーブルに乗せてそっと後ろから回って廊下へと出ると廊下を走ってキッチンへと向かった。

後ろから先輩侍女たちも追いかけてくる。

息を切らせてキッチンへと入ると、若い騎士達がワインのコルクを抜いてグラスに注いてくれていた。

すでにお盆に乗ったワイングラスを両手に持ってベルナは頭を下げる。


「ありがとうございます。これ持っていきますね」


「ディートリッヒ様はどうなりました?結婚申し込みました?僕も見たいですよ」


グラスにワインを注ぎながら聞いてくる若い騎士にベルナは首を振る。


「まだです。ディートリッヒ様は困ったまま突っ立ってます」


ベルナは若い騎士に告げてお盆を両手に持って廊下を歩く。

ワインがこぼれない様に急いで歩き、会場へと戻ると、ドアの前にいた騎士が微笑んでくれた。


「まだ乾杯していませんよ」


「間に合ったぁ、まだ結婚申し込まれていないんですねぇ!」


ベルナたちは喜んでワインを持ちながら会場へと入る。

気配を消したつもりだったが、壇上に立っていたディートリッヒが振り向いてベルナと目が合った。

緊張感が漂う会場の雰囲気を壊してしまったかと、ベルナは軽く頭を下げるとディートリッヒが歩き壇上から降りた。

ざわつく、招待客の間を抜けて前へと立ったディートリッヒをベルナは見上げた。

綺麗なエメラルドグリーンの瞳と目が合い、あまりにも人間離れした美貌にベルナは一瞬たじろいだが、持っていたお盆の存在を思い出して慌ててディートリッヒに差し出した。


(緊張で一杯ひっかけたいのかもしれないわね)


頭を下げてワインを差し出すベルナの前に立っていたディートリッヒは跪いた。


「え?」


驚くベルナにディートリッヒは心からの笑みを浮かべて見上げる。


「ディートリッヒが微笑んでいるぞ・・・」


騎士達が騒めいている声が聞こえてベルナははっとして助けを求めるように後ろに立っている先輩侍女を見つめた。

先輩は首をかすかに振ると自分は関係ないと言うように後ろに下がっていく。

ベルナも慌てて下がろうとするが、ディートリッヒが微笑みながらベルナの名を呼んだ。


「ベルナ・・・」


「はぃぃ?」


上ずったベルナの声が会場に響いた。





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