カエルの王子様 2
カエル姿のアンドレ王子はレナード王子にお願いして、ベルナは王子の執務室を後にした。
送ってくれると言うディートリッヒの言葉に甘えて二人で廊下を歩く。
「毎日忙しくてゆっくりお話しできなかったな」
ディートリッヒは目を細めてベルナを見る。
「そうですね。一週間後に結婚式があるなんて信じられません」
ディートリッヒと結婚をすることが夢のようで、ベルナは結婚式の事を考えると期待と不安と喜びで高鳴る胸を押さえる。
ディートリッヒと廊下を歩いていると、侍女たちが二人の姿を見て微笑んですれ違う。
ベルナは首を傾げた。
「そういえば以前ほど、ディートリッヒを見て悲鳴を上げて倒れる女性を見なくなりましたね」
「ベルナと結婚が決まったあたりから減った。やはり結婚はいいものだ。子供が出来ればもっと僕に興味を無くすだろう」
自分が注目されないことが嬉しいと語るディートリッヒはベルナが思うよりトラウマなのだろう。
子供ができるなど、そんな先の事は考えられないがベルナは一応頷いておく。
「隊長さんが言っていましたが、アンドレ王子は妙な人なんですか?」
ベルナの問いに、ディートリッヒは首を傾げた。
「ファッションセンスが奇抜というか、美に関して煩い印象がある」
「へぇぇ、人間になった姿を見てみたいです」
感心して頷いているベルナの顔をディートリッヒは覗き込んだ。
エメラルドグリーンの瞳が太陽に照らされてキラキラと輝き、宝石のようだと目を奪われているとベルナの左手をディートリッヒは握って歩き出した。
「仕事中ですよ」
ベルナは何とかディートリッヒの手を離そうとするが力が強くピクリとも動かない。
こういう時のディートリッヒはベルナが何と言っても引かないことは知っているので一つため息をついてそのまま歩き続けた。
微笑ましい顔をして見守っている女性達の視線を感じつつベルナは心を無にして歩いた。
職場でいちゃつくカップルほど嫌なものは無い。
少し前まではベルナも付き合い立てのカップルを見て心の中で文句を言っていた一人なのだから節度を持って接しなければ。
ここは職場なのだからと心の中で言い聞かせて無表情のまま侍女の控室へとたどり着いた。
「ありがとうございました」
「今日は少し時間が出来そうだ。仕事が終わったらまた会おう」
ディートリッヒは微かに微笑んで去っていく。
美しすぎる人の微笑みに見とれていたベルナははっと意識を取り戻した。
「あの微妙な笑顔でさえ心臓に悪いわ」
ドキドキする胸を押さえてベルナは大きく息を吸い込んで心を落ち着かせ侍女の控え室の扉を開いた。
「おかえりー。どうだった?」
サノエと先輩侍女たちがちょうど休憩をしていてクッキーを口に頬張りながらベルナを迎えた。
「あのカエル、やっぱり元人間だったわ」
椅子に座りながら言うベルナに休憩していた侍女たちが一斉に驚いた。
「やだー。城の人かしら?誰か行方不明になっていた人なんていたかしら?」
「違う国の偉い人だったわ」
ベルナが言うと、サノエは舌打ちをした。
「だったら私が助ければよかったわ。いいご縁ができたかもしれないわよ」
「そうね」
パルス国の王子だったことは伏せてベルナは頷く。
もし、王子様だったなど言ったらサノエや先輩侍女たちはこぞってカエルに恩を売りに行くに違いない。
(騒ぎを大きくしない方がいいわね)
サノエが淹れてくれたお茶を一口飲んでベルナはクッキーを一口食べた。
「あー、私も結婚したいわ」
溜息をつきながら言うサノエに座っていた侍女たちが眉をひそめた。
「なに?急に?」
「ベルナを見ていたら羨ましくて」
サノエの言葉に先輩侍女たちが苦笑をする。
「誰だって羨ましいけれど、結婚なんていいものでもないわよ」
「それでも羨ましいわー。家柄も良くて、美しくて、優しくしてくれて、地位もある職業についている人と結婚できるなんて」
恨めしそうに見られてベルナは肩をすくめる。
「そういう目で見られても。運命の流れってやつね」
「言うわね!絶対にベルナよりいい人を見つけてやるんだから」
キッとサノエに睨まれてベルナはまた肩をすくめた。
「無理よ。無理、無理。そんな人居ないから。ベルナは神様に選ばれたのよ。私たちは無理なのよ」
先輩侍女たちの白い視線にも負けず、サノエは一人決意をしたのか鼻の穴を大きく膨らませていた。
次の日、ベルナが侍女室へ向かうと侍女長にレナード王子の執務室に向かうように言われた。
嫌な予感がしつつベルナはレナード王子の執務室に向かった。
「おはようございます」
直ぐに中に通され、ベルナが挨拶をするとレナード王子はにこやかな笑みを浮かべている。
「やぁ、おはよう。いい天気だね」
「…そうですね」
空は曇っていて今にも雨が降り出しそうだったがベルナはレナード王子に合わせて頷いておく。
「ベルナを呼んだのは、このカエル王子じゃなかった、アンドレ王子の事でなんだ」
「はぁ」
カエル王子と言われて机の上に座っていたカエル姿のアンドレ王子がギロリとレナード王子を睨みつけている。
カエルの事はお構いなしに、レナード王子は話を続ける。
「アンドレ王子に助けてくれたベルナに世話をしてほしいとお願いされてしまってね。今日の午後にはアンドレ王子のお世話係のベイカーさんって人達が来るらしいからそれまで王子をお願いできないだろうか」
レナード王子の後ろに立っているディートリッヒに視線を向けると諦めたような表情をしているので、ベルナは断ってはいけないのだろうと頷いた。
今朝ディートリッヒと会ったときは何も言っていなかったから急遽決定したことなのだろう。
「解りました」
ベルナが頷いたのを見てレナード王子は喜んで椅子から立ち上がる。
「ありがとう。適当に城の案内してくれてもいいし、適当にベルナは部屋で休んでいてもいいから。カエル王子がどこかに行かない様に見張っていてくれればいいからね」
「レナード王子、心の声がそのまま漏れています」
傍に居た若い騎士が囁くと、レナード王子は頷いた。
「あぁ、ごめん。カエル王子ってつい言ってしまうよ」
少し離れて見ていた若いカエル係の騎士が飛び上がって喜びながらベルナの前に進み出てきた。
「やったぁ、ありがとうございますベルナさん。カエル王子から解放されます!」
そう言って首にかけていた黒い宝石が付いたネックレスを外してベルナに渡した。
「そんなに大変なんですか?」
嫌な気持ちになりながらベルナが聞くと、若い騎士は困ったようにうっすらと微笑んだ。
「僕と気が合わないだけです」
「気が合わないって…」
隣国の王子と若い騎士では立場が違うのに気が合わないなどよく言うなとベルナが思っていると不意に怒っている声が聞こえてきた。
「気が合わないとは失礼だ!高尚な僕の会話に付き合えないと言え」
聞いたことのない声にベルナが驚いて周りを見回すと、机の上のカエルと目が合った。
カエルの声かとベルナが見つめているとカエルが気づいて手を上げる。
「ごきげんよう。可愛らしい女性にお世話をしていただけるとは光栄だなぁ」
キザったらしく言いながらカエルは小さな手で髪の毛をかき上げるしぐさをする。
その姿と言い方にベルナは嫌悪感に背筋がゾゾッとして何度か瞬きをした。
ねっとりとしたいい方と自分が大好きな様子がたった一言で伝わってくる。
カエルなので髪の毛は無いし、流し目を向けられても気持ち悪いだけだ。
「大丈夫か?ベルナ」
固まって動かないベルナに心配したディートリッヒが背中に手を置いた。
安心する人の体温にベルナは固まっていた体がほぐれ心配そうに見つめているディートリッヒを見上げる。
「カエルとやっていけるか心配です」
「ベルナさんでも無理かぁ」
カエル担当の若い騎士が小さく言うと、カエルは不満そうに両手を腰に当てている。
「何が不満なのだ!レディー」
そのいい方と態度ですよと言う言葉を飲み込んでベルナは口を開いた。
「私はベルナと言います」
「ふむ、ベルナか」
大きなカエルの目で流し目をされてまたベルナは背筋がゾゾッとする。
様子を見ていたレナード王子は笑顔のままベルナを見つめた。
「大丈夫だよね。ベルナはやってくれるよね」
絶対に断るなよと言う目で見られて仕方なくベルナは頷く。
偉い人に逆らうほどの地位には居ないのだ。
了承したベルナにカエル係だった騎士がまた飛び上がって喜んでいる。
「ありがとう、ベルナさん。僕の恩人です」
「そこまで言われると不安になります。午後にはアンドレ王子のお世話係が来るのですよね?」
不安になりながらベルナが確認をすると、レナード王子は頷いた。
「確かに来る。それに術師のドネツクが明日には道具を揃えて来てくれるって」
「良かった。今日の午後までどうぞよろしくお願いします」
数時間程度ならこのカエル王子の流し目にも耐えられるとベルナが頭を下げると、カエルは満足そうに頷いた。
「レディー、よろしく頼むよ」
きざな言い方に鳥肌が立ったベルナは自らの肌をさすって頷いた。