(本編後)ディートリッヒの実家へご挨拶
ディートリッヒの自宅に招かれたベルナは口を開けてお屋敷を見上げる。
ベルナの実家とは比べ物にならないぐらいの豪華さに眩暈を感じながらベルナはディートリッヒに案内されながら客間へと向かう。
客間ではディートリッヒの母ナルアーニが迎えてくれる。
婚約の書類にサインするときに城で一度会っているが、何度見てもディートリッヒによく似た美人の母親にベルナは息が止まりそうになる。
ベルナの姉も美しいと思っていたが、それとはけた違いの美しさだ。
人間の美しさを集め人形にしたようなナルアーニはディートリッヒと同じプラチナブロンドの髪の毛を綺麗に纏めて淡い色のドレスを着ている。
ベルナが部屋に入ってくるのを見て微笑んだ。
「ようこそ、ベルナちゃん。無理を言ってごめんなさい。どうしてもベルナちゃんとお茶を飲みたいと思っていたのよ」
「こちらこそ、ご挨拶が遅くなりまして申し訳ございません」
挨拶もなしに婚約誓約書にサインをしている状況にベルナは頭を下げた。
ディートリッヒが早く婚約をしたいと言ったために、直ぐにお互いの両親が城に呼ばれて婚約の書類にサインをするという前代未聞の出来事に嫁入り先の両親にご挨拶をするという大切なことをしていないのだ。
婚約誓約書にサインをするときにはお互いの両親もいたが簡単な挨拶のみだったのがベルナも気にはなっていた。
男爵令嬢のベルナはディートリッヒの家とは身分差で本来ならばとても縁談が成立するはずもない。
現王妃の妹でもあるナルアーニにディートリッヒの父は騎士団長。
田舎の領主が実家でしかも貧乏のベルナはいまだに結婚してもいいものかと不安になる。
ディートリッヒの両親はなんて思っているのだろうか。
不安になりながらベルナは勧められるままソファーに腰を降ろした。
ナルアーニが自ら紅茶を淹れてくれる。
「ケーキも焼いたから是非食べて」
「は、はい頂きます」
緊張しながらベルナは頷いて震える手で紅茶を一口飲んだ。
ベルナの緊張を見て隣に座るディートリッヒが微かに眉を顰める。
「母上、ベルナが緊張しているようだ。もう帰っていいか?」
まさかのディートリッヒの言葉にベルナは慌てて首を振った。
「とんでもないです。むしろ、私なんぞがディートリッヒ様と婚約をさせていただきましてありがとうございます」
緊張しながら言うベルナにナルアーニが微笑んだ。
「緊張しないで。私たち、母娘になるのよ」
「は、はい」
怒ってはいなさそうなナルアーニにベルナは頷いた。
「お礼を言いたくて。ディートリッヒは物心ついたころから無表情になって何を考えているのか分からなかったのよ。それが、最近は嬉しそうにベルナちゃんの事を話してくれるの。私嬉しくて、本当にありがとうベルナちゃん」
聖母のような笑みを浮かべてお礼を言われベルナは少し顔を逸らした。
「ディートリッヒ様の心の制限を取ったのはサイア姫の怪しい術のおかげだと思うので私のおかげではないです」
「そんなことないわ。ベルナちゃんと一緒に過ごせて表情が豊かになったのよ。毎日楽しそうだし。無表情だったころのディートリッヒに比べたらとてもいいことだわ」
ディートリッヒも頷いてベルナの肩を抱き寄せる。
「母上の言う通りだ。ベルナを愛することができて、それを言う事が出来る。とても幸せだ」
二人でベルナに感謝をされてベルナは居心地が悪くなる。
感謝されているが、むしろ感謝するのはベルナの方だ。
「私も、ディートリッヒ様に出会えてよかったです。いろいろ呪縛から逃れられました」
「そうなの?お互い助け合っていい夫婦になってね」
乙女のように微笑むナルアーニにベルナは顔を赤らめる。
「夫婦…」
美しいディートリッヒと夫婦になる実感が無く、言われると少しこそばゆい。
肩を抱いたままのディートリッヒを見上げてベルナは気になっていることを思い出した。
「そういえば、サイア姫はどうなったのですか?」
カエルになったサイア姫を丁重にバージル王太子に引き渡したところまではベルナも知っている。
その後、姫様はどうしているのだろうか。
ディートリッヒは少し眉をひそめた。
「これは内密なのだが…」
そう言って、ナルアーニとベルナを見る。
「他言はしないわ」
ナルアーニの言葉に頷いてディートリッヒは口を開いた。
「いまだサイア姫はカエルになったままでレナード王太子が飼っているらしい。王には姫は行方不明のままと説明をしているという事だ」
「…拘束されてから逃げ出したままということですか?」
ベルナが聞くとディートリッヒは頷く。
「サイア姫は逃げ出した後、各町で目撃されている。男をひっかけて暮らしていたという情報に王は嘆いていたらしい。そのままどこかの男の家で暮らしているかもしれないと思っているようだ」
「なるほど。ちょっと可哀想ですね」
「自業自得だ。サイア姫が気に入らない人間を動物に変えて城の裏庭に放してたという事実が判明した。マスターが行方不明者の捜索に協力をしてかなりの人が元に戻れたらしい」
「かなりの人数というと、一人や二人ではなかったという事ですね」
顔を青くして言うベルナにディートリッヒは頷いてベルナを抱き上げて膝の上に乗せる。
「ちょっと、私はもう大人です」
「知っているが、たまにはこうしたい」
「はぁぁ?」
母親が見ている前でなんて言う事をしてくれているんだとベルナはディートリッヒを睨みつけるが、素知らぬ顔をしてベルナを後ろから抱きしめた。
何とか抜け出そうとするベルナだが鍛え上げた腕はピクリとも動かない。
「仲が良くていいわね。ディートリッヒがこんなに感情豊かになって…。お母さんは嬉しいわ」
涙を拭って二人を見ているナルアーニにベルナは首を振った。
「そんな、大げさな…」
「大げさではないわ…。いつの間にか感情を無くして何が楽しくて生きているのかしらと心配なるほどだったのよ。ありがとうベルナちゃん」
お礼を言うならサイア姫にではないかとベルナは思いため息をついた。
ディートリッヒの膝の上でベルナはもう一つ思い出したことを口にする。
「そういえば、ディートリッヒ様の飼っている犬に似ていると言われましたけれど、犬はどこに?」
犬の気配も鳴き声さえも聞こえずベルナは庭を振り返ったが姿は見えない。
ナルアーニは思い出したようにベルナを見つめて微笑んだ。
「そう言われると、たしかに飼っていた犬に似ているわ。特に色と毛並みが…」
懐かしそうに言うナルアーニに、ディートリッヒは頷きベルナの髪の毛に頬を寄せる。
「僕が幼い頃に飼っていた小型犬だ。首の傾げ方もそっくりだ」
なんだかんだとベルナに似ているという犬に会うのを楽しみにしていたベルナはガッカリしてため息をついた。
「もう、居ないのですか」
「残念ながら。新居が落ち着いたら犬を飼おうか。子供が生まれたら同時に忙しくなるな…」
本気で心配をしているディートリッヒにベルナは呆れてため息をついた。
「子供って…。そんなに心配しなくても、そうそうできやしませんよ」
「いや、僕はすぐにでも子供を作る予定だ」
あまりにも率直に言われてベルナは顔を赤くする。
母親が見ている前でする話ではないだろうとナルアーニを見ると嬉しそうにニコニコとしている。
「孫も、犬もいつでも預かりますよ。孫も二人でも、三人でも預かりますからね。心配しないで」
「よかった。母上がそう言ってくれると助かる」
「まだ、何もないのに心配しないでも…」
本気で呆れるベルナにナルアーニとディートリッヒは声を上げて笑っている。
ディートリッヒの母親とも仲良くなれてよかったとベルナはほっと息を吐いた。




