12
めらめらと燃えている焚火を眺めてベルナは温かいスープを一口飲んだ。
「美味しいです」
「お嬢ちゃんの口にあってよかったよ」
焚火の上にかけられた大きな鍋に入っているスープをかき回しながら中年の女性がニッコリと微笑む。
辺りはあっという間に暗くなり、鳥の鳴き声すら聞こえない。
深々と冷えてくる地面に毛布を敷いてディートリッヒが座りその膝の上にベルナは座ってスープを飲んでいる。
「ディートリッヒ様、寒くないですか」
ディートリッヒに後ろから抱きしめられるように抱えられているベルナは寒さを感じずむしろ暖かい。
「ベルナが温かいから大丈夫だ」
スープを飲みながらディートリッヒは無表情に答えると、周りに居た劇団員たちが微笑ましいと顔を和らげている。
「可愛らしいお嬢さんはディートリッヒ様のお子さんかい?」
「婚約者だ」
無表情に言うディートリッヒに団員たちは冗談だと思ったらしく一斉に笑った。
「可愛いね。これだけカッコいいお父さんなら婚約者ごっこもしたくなるよね」
「きつい顔をした姫に子供の姿にされただけで、実際は21歳の大人の女性だ」
ディートリッヒは幼女趣味だと思われたくないと、真面目に言うと団員たちは顔を見合わせる。
「騎士様の冗談にしては笑えないが、俺達はソミール村の爺さんが術で人の病気を治しているのを見ているから嘘ともいえんな」
団長はベルナをまじまじと見て呟いた。
「そう言われれば、お嬢ちゃんは子供にしては子供らしくないというか・・・。だとしたら、凄く怖い話だな」
スープをすすりながら優男が顔をしかめた。
「術を扱うご老人はソミール村に行けば会えるのだろうか」
ディートリッヒが聞くと、団長は頷いた。
「すぐ会えるよ。彼は慈悲の人らしく困った人を助けるのを生業にしているからな」
「しかし、女性を小さい子供に変えちまうなんて恐ろしいねぇ。本当だったら」
信じ切っていない団員達にベルナは頷いた。
「そうですね。私もこんな目に合うなんて思いもしなかったです」
子供らしくなく答えるベルナに、焚火を囲んでスープをすすっていた団員たちが顔を見合わせた。
「もしかして、本当に・・・・?」
「そうだと言っている」
冷たい表情を浮かべているディートリッヒが答えると、団員たちはまた顔を見合わせた。
軽い夕食を食べ終わると、女性達にベルナは手招きをされた。
「おじょうちゃん。女性はテントが用意されているから一緒に寝ましょう」
どうしようかとディートリッヒを見上げると彼は首を横に振ってベルナの耳元で囁く。
「完全にあいつらを信用していない。離れると危ない」
知り合ったばかりの団員隊を信用できないと言うディートリッヒの事も理解できるとベルナは頷いた。
「ディートリッヒ様と一緒に居ます」
「振られちゃったね。寒かったらいつでもテントに入ってきなね」
「ありがとうございます」
ベルナがお礼を言うと、女性達はテントへと入っていく。
配られた毛布を膝の上に座っているベルナに被せてディートリッヒは後ろから抱きしめた。
小さなベルナはすっぽりと腕の中に入ってしまう。
「寒くないんですか?」
「慣れている」
二人の会話を聞いていた団長が頷いて懐から酒を出してコップに注ぐと一気に飲み干した。
「騎士は野営訓練もするからなぁ。一晩ぐらい寝ないでも大丈夫だろ」
「よくご存じですね」
まるで自分が訓練してきたような口調にベルナが言うと、団長は低い声で笑った。
「元騎士だからな。下っ端のまま辞めちまったけど」
「それで劇団を始めたんですか?」
欠伸をかみ殺しながらベルナが聞くと団長は頷く。
「演劇に興味があったんだ」
急激に眠くなりベルナは夢うつつで頷いた。
団長がまだ何か話しているようだが、ベルナは眠さに勝てずディートリッヒの胸に頭を乗せて目を閉じた。
深い眠りの中、ベルナは体を軽く揺すられて重い目を開けた。
薄っすらと目を開けるベルナをディートリッヒが覗き込んでいる。
あまりに近い顔の距離にベルナの眠気が一気に吹っ飛んだ。
「もう出発ですか?」
バカな顔をして寝ていなかっただろうかと顔に手を当てているベルナにディートリッヒは静かにするようにジェスチャーで伝えてくる。
ベルナは頷いて回りを見た。
空は明るくなっておりそろそろ太陽が昇りそうな気配だ。
焚火は燃えたままだが、囲むように団長と男性部員が毛布にくるまって寝ている。
「馬の嘶きが聞こえる」
小さく言うディートリッヒにベルナは耳を澄ますが何も聞こえない。
「姫様かしら」
不安になるベルナにディートリッヒは首を傾げた。
「かもしれないが、姿が見えないからわからないな」
ベルナを抱き上げながらディートリッヒは立ち上がると、近くで寝ていた団長が薄く目を開けた。
「誰かが馬に乗ってくるな」
「流石、元騎士ですね」
ベルナが感心をしていると、団長は軽く笑って起き上がった。
ディートリッヒは無表情のまま自分の馬へと向かうとベルナを静かに降ろした。
ディートリッヒも後ろに乗ると馬の足音がベルナにも聞こえた。
「馬が近づいています」
「そのようだな」
ディートリッヒは頷いて馬の手綱を握って、馬がやってくる方向を見つめた。
団長達も起き上がりあたりを見回しながら、傍に落ちていた剣を拾って立ち上がって馬がやってくる方向を眺めている。
「ただの通りすがりだといいけれど」
団長も呟いて剣を身に着けた。
「馬の足音からして一人ですね」
いつ動き出しても振り落とされないようにディートリッヒの服をしっかりと握りながらベルナは耳を澄ませる。
馬の足音が近づき、木々の間から赤いドレス姿の女性が見えてベルナは悲鳴を上げた。
チラチラとしか見えないが、間違いなくサイア姫だ。
髪の毛を振り乱しながら馬に乗っている姿は狂気的だ。
震えるベルナを抱えてディートリッヒは馬の腹を蹴った。
「世話になった」
無表情に言うディートリッヒに団長は引きつった顔を向ける。
「行ってもいいけれど、俺達あの姫さまの対応できないぜ」
「目的は俺達だ。逃げ切れるといいけれど」
ディートリッヒとベルナを乗せた馬が走り出すと、テントから女性達が顔を出した。
「元気でね!あんた達を応援しているよ」
「お世話になりましたー」
ベルナは大きな声で別れを告げると馬は走り出した。
「ディートリッヒ様!逃げるなんて卑怯ですわよ」
サイア姫を乗せた馬は凄い速さでディートリッヒを乗せた馬へと近づいてくる。
予想外のサイア姫の移動の速さにディートリッヒはいったん手綱を引いて馬を止めた。
「通り抜けられる道を塞がれた」
舌打ちをしてディートリッヒは満面の笑みを浮かべているサイア姫を鋭い瞳で睨みつける。
黒く長い髪の毛は馬に乗ってきたためにぼさぼさになっているがサイア姫はそれでも美しく微笑んだ。
「私に酷いことをしたことは覚えていますかしら?」
「僕達が妙な魔法をかけられたことは覚えているが」
対峙しているディートリッヒとサイア姫はお互い睨み合っている。
ベルナは彼女から見えないようにディートリッヒのマントの陰に隠れた。
サイア姫がしたことは許せないが、王命とはいえ一度は結婚できると思った人に裏切られたら恨みを持つのは分かるとベルナは何とも言えない気持ちになる。
「私と結婚をしてくださったら、許してあげてもいいわよ」
笑みを絶やさずサイア姫が言うが、ディートリッヒは首を振った。
「王命で断れない結婚だったが、妙な術のおかげで本当に結婚したい相手以外は無理だ。心に嘘が吐けない体になった」
「・・・・そう、なら別の術をかければいいわ!」
サイア姫は右手を上げてディートリッヒに向けた。
手の平が一瞬光り輝いたが、ディートリッヒにもベルナにも体の変化は見られない。
ベルナはマントから顔を出してディートリッヒの全身を確かめるがどこも変わった様子はなくホッと息を吐いた。
ディートリッヒもベルナの体に変化が無いか確認をして頷いている。
ベルナはまだ小さいまま変化はない。
様子を見ていた劇団員たちがディートリッヒとサイア姫の間に入って手を広げた。
「まぁ、とにかく落ち着いて」
場を収めようとサイア姫に向かって言うが、姫は汚いものでも見るような目で劇団員たちを見下ろした。
「邪魔よ」
一瞬、サイア姫の意識がそれたのを確認しディートリッヒは馬の腹を蹴り走った。
わずかに空いたサイア姫と森の間の道を通り抜ける。
「待ちなさい!ディートリッヒ様」
サイア姫も追いかけようと馬の腹を蹴ろうとするが団員たちがそれを防いだ。
「まー、まー。こんな綺麗な姫様を見るのは初めてだからちょっとお話ししましょう」
「うるさいわねぇ。どきなさい!カエルにしてやるわよ!」
高速で走る馬の上でサイア姫の怒鳴り声が遠くに聞こえる。
ベルナは逃げ切れたのかと、ディートリッヒの腕の隙間から後ろを振り返った。
かなり遠くにサイア姫が怒鳴り散らしているのが見えたが追っては来ていないようだ。
「このまま山を越えてソミール村に行く。かなり速く走るからしっかり掴まっていろ」
「はい」
ベルナは頷いてディートリッヒの胸にしがみついた。