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「なんだって⁉︎ あのルドルフ殿に娘さんが……? ――そうか、お父上の死は残念だったね。しかし、それが婚約とどう関係が……」

「サリュートさまの実家であるアドラー家は父のことを大変買ってくださっていて、一番の後援者だったんです。特に当時から音楽家を志していたサリュート様の入れ込み具合は本当にすごくて……だからこそ、父の死を受け入れられなかったんでしょう。忘れ形見である私を手元に残したいと、婚約を望まれたのです」

 まぁ今はきっともう、彼も私に失望して結婚なんて到底考えてはいないだろう。この婚約も、まだ破棄していないだけという状態に過ぎない。


「しかし、だからと言って十歳以上離れている幼子(おさなご)を婚約者にするとは……いや、そういえばその当時、次期聖女と噂されるヴィロ奏者の少女の話を聞いたことがあったな……もしかして、それが君のことなのかい?」

 昔の恥ずかしい評判を口にされて、セレナは曖昧に微笑む。


 当時、周囲が自分を持ち上げていたのは、父の威光によるものだ。断じて自分の実力ではない。

 そもそもセレナは、音楽家として致命的な欠陥があった。技術ではなく、内面における欠陥が。

 ――()()()()()()。彼女は、人前で注目を引くのが苦手だったのだ。

 自分を良く見せたい、己の音楽に耳を傾けて引き込まれて欲しい――そんな欲望は、音楽家なら誰でも持っている当然のものだ。その欲望こそが彼らを至高の高みへと上り詰めるための原動力(エンジン)で、表現の血肉となるのだから。

 ……しかし、セレナはどうしてもそんな欲望を持つことができなかった。


 演奏技術がいくら優れていようと、その人にしかない魅力や独自性をアピールできなければ音楽としての価値は低い。譜面を正確になぞるだけの演奏では、聴衆の心を掴むことなどできるわけがないからだ。セレナの演奏は、まさにその状態であった。

 そんなこと、当時のサリュートだってわかっていただろう。それでも、セレナの中にルドルフから引き継いだ才能が眠っているかもしれないと、彼は僅かな可能性を見出してしまった。

 そんな分の悪い博打(ばくち)に縋りついて婚約を決めてしまうほど、父の死は彼を打ちのめしていたのだ。




「そうか……そんな関係とは知らず、君に変な話をしてしまった。すまなかったね」

 思いがけない人事異動に、サイモンも事情を知りたかったのだろう。

 どうしようもないことではあるが、なんの役にも立てないことが申し訳なくて胸が痛む。口を開きかけて、セレナは結局そのままその口を噤んだ。音楽しかやって来なかった彼女の十八年の人生経験では、こんな時に適切な言葉など見つからなかったのだ。


 サイモンは独り言のように、ぼんやりと虚空を見つめて言葉を続ける。

「この教会が貧しかった頃は誰も見向きもしなかったのに……まだ聖女としては未熟だったエイリーンが徐々に実力をつけて安定した加護が得られるようになると、ここのポストも政争の対象となってしまった。私としては、神々に仕えることができればそれで良かったのに」

「ええ、ええ。サイモン司教の献身的なお姿はよく存じております」

 思わず身を乗り出して深く頷いてしまった。だからこそ、彼には長くここに居て欲しかったのだ。


 そんな素直なセレナの反応を前に、サイモンは微笑んでポンポン、と軽く彼女の頭を撫でる。

「それは君も同じだ。毎日コンサートがない時間帯はひたすら練習に励む、弛むことのないその姿勢。本当に素晴らしいと感心している。更なる高みを目指して練習を重ねるその献身は、神官が神に奉仕する姿と何も変わらない。……もっと自信を持ちなさい、セレナ。エイリーンの功績は、君の伴奏による部分も大きいんだ」

「そんなことは……」

 初めて聞く賛辞に、困ったようにセレナは首を傾げる。

 ――自分はただ、自身がエイリーンの美しい声を間近で聞きたかっただけなのだ。その彼女の声の邪魔にならないように、彼女の声を一番美しく届けられるように、伴奏の音を極限までブラッシュアップすることに努めていただけで。


 ふっと軽く笑みを洩らして、サイモンはセレナに向き直る。

「わざわざ呼びだして、申し訳なかった。この件はこの後、僕から皆に伝えるから。持ち場にお帰り」

 そう促されて、セレナは静かに退室する。


 ――扉を後ろ手に閉めてから思わずついた小さなため息は、少し低めのEフラットの音がした。




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