2話 この気持ちのカテゴリー
一斉投下をする時の気持ちは、頑張って並べたドミノを倒す瞬間に似ている
翌日の土曜の昼過ぎ、俺がバイトしている喫茶店で根倉とテーブルを囲んでいる
猫を飼うのに必要な知識を教えてもらう為に、わざわざ来てもらったのだ
まさか下は芋ジャージで上はブカブカなTシャツで来るとは思ってなかったが……こいつの彼氏は何も言わないのだろうか、とてもJKとは思えない格好だ
「休みの日に悪いな」
「いえ、私も気になってましたから」
俺が今気になっているのは、根倉のTシャツに描かれたキノコを火炙りにするタケノコ達と、大きく書かれている【タケノコ派】の文字なんだけどな
その全キノコ派を敵に回すTシャツは何処で買ったのだろう、見た瞬間イラッとしたぞ
「昨日は言われた通りに、毛布に包んで三時間毎にミルクをやったんだが……本当に洗わなくて良かったのか?」
「はい、猫は洗われるのにストレスを感じますし、環境が変わって戸惑っているでしょうから、暫くはお風呂に入れない方がいいです」
「へー、ダニとか大丈夫なのか?」
「洗ってもダニは死にませんし、捨てられてすぐみたいなのと、昨日病院でブラッシングされたので大丈夫だと思います、心配ならダニ避けの薬や首輪とかありますけど」
「なるほどなるほど」
「それと、離乳食も少しずつ食べさせていいと思いますけど、平行してトイレを教えてあげて下さい、もし便が出にくいようなら濡らしたティッシュでお尻を……」
うぐ、覚える事が多過ぎる
これが生き物を飼う責任ってやつなんだろうか……ヤバい、覚えきれる自信がない
あの元気な仔猫なら適当にやっても大丈夫な気もするが、もし何かあったら家族に殺されるしな
うーむ、彼氏がいる根倉に言うのも気が引けるけど、頼んでみるか?
「根倉に頼みがあるんだけど、いいか?」
「はい?なんですか」
「一度 家に来て実践してもらえないかな?今日は土曜日でお袋と妹がいるんだけど、一緒に教えて欲しいんだ」
「え!お、お家にですか」
あらかさまに狼狽えている
そりゃそうだ、ほとんど喋った事のない男の家に呼ばれたら、警戒するよな
俺だって本当は、昨日初めてまともに喋った彼氏持ちの女子なんか呼びたくない、バレたら彼氏に殺されるからな
でも本当に洒落にならない状況なんだよ
だから、恥を忍んでテーブルに頭を擦り付けながらお願いした
「悪いが頼む!このままだと、家族が仔猫を構い殺しそうな勢いなんだ!悪い所をビシッと言ってやって欲しい!」
「どれだけ愛されているんですか……わ、分かりました、私に出来る事なら……」
「ありがとう!そうだケーキ食うか、奢るからちょっと待ってろよ」
返事も聞かずに椅子から立ち上がり、早足でカウンターへ向かう
こういう場合は心変わりする前に連れて行くのが定番なのだろうけど、それは何か無理矢理みたいで嫌だ
カウンターの横から調理場に入り、冷蔵庫にケーキがあるのを確認してから、料理をしている髭顔イケメンなおっさんに顔を向けた
このちょっと筋肉質なおっさんが、この店のマスターであり俺が住んでるマンションの大家でもある
「マスター、ケーキと紅茶貰いますよー」
「おーいいぞ、それより今日は十七時に来れるか?予約が多いから下拵えを手伝って欲しいんだが」
「ういーすっ、早めに来ます」
「助かる」
ここ昼は喫茶店で、夜は居酒屋をやっているんだ
俺のバイトは居酒屋のホール担当なんだけど、こうやってちょくちょく他の仕事も手伝っているから、ケーキやお茶は勝手に食べても怒られない
余ったケーキや料理とかも貰う事が多い……もっともそれで喜ぶのは両親と妹なんだけどな、俺は甘い物が好きじゃないし、料理貰っても酒の肴にされるだけなんだよ
紅茶と一緒にカットしたショートケーキとチーズケーキを根倉の前に置き、自分の分にはアイスコーヒーを置いて座った
「取り敢えず食ってくれ、これは今日来てくれたお礼だ」
「えっとすいません、いただきます…………ふぁっ!」
何故か謝りながらショートケーキを一口食べると、根倉の顔が驚きと喜びで綻ぶ
見た目はスーパーで売られているような安物のショートケーキなのに、予想外に美味しくて驚いたのだろう
妹も絶賛していたけど、ここのケーキはどれも絶品なんだ、このショートケーキにしても、中のクリームに手を加えたり、生地にはドライフルーツを仕込んでいたりと、かなり拘っている
マスターの美的センスが壊滅的じゃなかったら、この店はケーキの美味しい喫茶店として大繁盛していただろう
「美味いだろ?マスターはお菓子作りが趣味だから、採算度外視なんだぜ」
正確には、原価率が高いくせに毎回売れ残るから、採算が取れないんだけどな
「はい、すごく美味しいです!」
一口食べる毎にすっごく良い笑顔を浮かべている
味はいいんだよ味は、後はデザインさえ良ければ売れるんだけど……これでも最初に比べたら、安物のケーキに見えるだけ大進歩してるんだよなー
初めて見た時は、これがショートケーキ?いや豆腐だろ、と思ったからな
おっと、そういえば肝心な事を言い忘れていた
「一応言っておくけど、それ食べたからといって、絶対に家に来なければならない訳じゃないからな、やっぱり嫌だと思ったら気にせず言ってくれ」
「ぶふっ」
「なんで笑う、頼んどいて何だけど、知り合ったばかりの男の家とか普通は嫌だろ?」
「ふふ、そうですね、普通は男性の家に一人でとか、怖くて行けませんね」
「だろ」
「でも、高幡くんなら大丈夫ですよ、真面目さんですから」
「は?俺は別に真面目でも何でもないぞ」
時給がいいからって居酒屋でバイトしてる高校生だぜ
俺が真面目なら、ボランティア活動とかしてる奴等はどうなるんだ
「いいえ真面目な紳士さんですよ……普通の高校生なら、捨て猫を拾っても動物病院へなんて行きませんから」
ちょっと憂いを帯びた表情で言ってるけど、何かトラウマでもあるんだろうか?
「それは金がねー奴等の話だろ?俺は金持ちだからな、診察代なんて端金なんだよ」
落ち込んだ顔に焦った俺は、わざとおどけてみせた
女の子の涙なんか見たくないぞ、年齢=彼女無しで、耐性なんかないんだからな!
「ぶふっ!試供品のミルクとか貰って先生に泣きながら感謝した人が言うと違いますね」
「笑うなよ、男には見栄を張らなきゃならない時もあるんだよ」
「それが今なんですか?」
「むしろ女の子と二人っきりでお茶してるのに、格好つけない男はいないだろ……根倉の彼氏には悪いけどな」
「ふふ、おもしれー男」
「それ男のセリフだからな!」
突っ込みながらも、学校で漫画ばかり描いているこいつに彼氏がいるのに納得した
女子と喋った事は何度もあるんだけど、こんなに楽しいと思った事はないんだから
見たことのない根倉の彼氏に、ほんの少しだけだけど、羨ましいと嫉妬したのは秘密だ
───
──
─
六階建ての最上階の左奥が、お父さんが頑張って買った我が家だ
築三年と真新しいマンションに越してくるまでは、お母さんの実家に家族全員で住んでた
「と言うことは、高幡くんてタラちゃんだったんですね」
「そこは父をマスオさんと言えよ、なんで俺に矛先が向いてんだよ!」
馬鹿話をしながらインターホンを押す
お母さんに出て来て貰って、根倉を安心させる為だ
さっき電話で説明しておいたから、多分直ぐに出て来るだろう
ガチャリと鍵が開いて、予定通りお母さんが扉から顔を出した
「お帰りなさい……こちらが猫の先生?可愛らしいお嬢さんね」
「根倉さんだよ、無理言って来て貰ったんだから、失礼がないようにね」
「あの、は、初めまして、根倉玲奈と言います……」
緊張している根倉をフォローしようと思ったら、お母さんがTシャツの文字を見て、その手をガシっと握る
「こちらこそ初めまして、今日は来てくれてありがとうね、私もキノコは死すべしと思っているから仲良くしましょうね」
「は、はい!やっぱりタケノコですよね!キノコなんてあり得ませんよね!」
「おい!」
全世界のキノコ派を敵に回す発言は止めろ!
そして、共通の敵であっさりと緊張を解いてんじゃねー!
「さあ上がって上がって、私はお茶の用意して来るから、薫案内してあげなさい」
「あの、お構い無く」
「へーい、根倉も気にせず上がってくれ、猫はリビングに居るからな」
昨日の夜は俺の部屋で面倒をみてたが、出掛ける時には世話を頼んでリビングへ移動させたんだ
……で、リビングへと来たのだが……なんで妹とお父さんが居る?
「これは酷い」
根倉が呟くのも無理はない
リビングの端に仔猫が毛布にくるまって眠っているんだが、それを妹とお父さんが寝そべって眺めていたのだ
妹は勉強道具を揃えているが、仔猫をガン見していて手が動いていない
お父さんに至っては、携帯で写真を撮るのとその加工に熱中している
俺は頭痛がするかのような顔で根倉に微笑むと、諦めたような声を出した
「これが我が家の現状だ、因みに父は仕事だったはずなんだが早退したんだろう……な、このままだと仔猫が構い殺されそうだろ?」
「……はい、予想以上に愛されていて、ちょっと驚きが隠せません」
根倉がドン引きしたところで、丁度お母さんがお茶も運んで来たので、三人を座らせて仔猫の飼い方講座を開くことにした
講師は根倉で、俺はアシスタント兼説教役だ
因みに座らされて初めて根倉が来たのに気が付いたみたいで、軽く自己紹介している……どれだけ集中してたんだよ
兎に角、三人とテーブルを挟んで俺と根倉も座って講義を始める
仔猫は俺と根倉の間に置いているが、テーブルで三人からは死角になる位置だ……こうでもしないと、絶対に集中して聞かないだろうからな
「猫はずっと見られるのも写真のフラッシュもストレスになります、只でさえ親猫と引き離されてストレスが貯まっているので、新しい環境に慣れるまでは自重して下さい」
根倉の言葉に明らかに落胆の表情を見せるお父さんとお母さん、だけど志津だけは元気に手を上げた
「お姉ちゃん先生!慣れるまでって何時間ですか?」
「個体差はありますけど、一週間以上は構い過ぎずに世話するべきだと言われています」
「一週間!」
予想以上に長い時間で、一気に落ち込む志津
それでも目がまだ死んでいない、どうにかして出し抜こうとしているのが分かったので、釘を刺しておく
「お父さんやお母さんはもちろん志津も構い過ぎるから、一週間は俺が基本世話するからな」
「「「ズルい!」」」
「ズルくありませーん、ストレスで仔猫が病気になってもいいのか?」
「「「うっ!」」」
仔猫の健康を盾に反論を封じてやった
怨みがましく見詰める家族のヘイトも、仔猫を持ち上げる事で封じてやる
そのまま根倉にパス、流石は五匹も飼っているだけあって、抱き方が慣れている
仔猫も、撫でられただけで目を細めて気持ち良さそうだ……無意識に携帯で根倉を撮っていた、いやだって、まるで聖母様みたいで綺麗だったんだ
「次はミルクの飲ませ方ですけど、この位大きくなっているなら、お皿で飲ませても大丈夫ですよ」
「ええー!哺乳瓶で飲ませるのが可愛いくていいのにー!」
「まだ大丈夫だと思いますけど、哺乳瓶を噛み千切って誤飲しちゃうので、早めに慣らしておいた方がいいんですよ」
「えっ噛み切っちゃうの!」
胸を隠すな胸を!お前のは噛み切られねーよ!
「はい千切っちゃいます、なのでお皿から飲ませる練習が必要なんですけど、ミルクとお皿とスプーンを持って来てもらっていいですか?」
「おう、ちょっと待ってくれ」
言われるままに台所から持って来ると、根倉がスプーンでミルクを飲ませようとしたのだが……志津の視線に負けて、やり方を教える側に回った
根倉も子供の泣きそうな顔には勝てなかったみたいだ
その後は両親と志津を交え、トイレの躾やブラッシングの仕方、触ったら喜ぶ所と嫌がられる所に、離乳食の与え方等、講義は長時間に及んだのだが
「志津ちゃん上手いですよ、抱っこする時にはそうやって手で包むように抱えて、なるべく体に密着させて下さい」
「お姉ちゃん先生すごい!この子目がとろーんとしてる!」
「志津、次はお父さんの番だからな!」
「が、我慢よ、私は平日の昼間にお世話出来るんだから!」
……構い過ぎるのを抑制するのは、どうやら無理そうだ
途中から根倉も諦めたのか、なるべく仔猫の負担にならない方法を教えだした
これは根倉に改めてお詫びをしなければならないな、そう思い始めたんだが……ふと時計を見ると、十六時を過ぎていた
「って、悪い根倉!俺もうバイトの時間だから送って行くよ」
「え?あっはい」
「えー帰っちゃうのー?まだ早いよー!」
仔猫を通して仲良くなった志津が抗議の声をあげる
こいつ毎日勉強ばかりしているから友達が少ないんだよな、だから頼れるお姉さんキャラにあっさりと心を許したみたいだ
「ごめんね志津ちゃん、また来るからね」
「絶対だよ!お兄ちゃんが居ない時でも来ていいんだからね!」
「おいおい、俺はのけ者かよ……って、本気で時間ヤバいから行くぞ」
「はい、今日はお邪魔しました」
「またいつでも来てね、何もお礼出来なかったんだから」
「いえ、勝手にやった事ですから気にしないで下さい……あっ、では失礼しました」
いつまでも終わりそうにない会話を、俺は根倉の手を引く事で終わらせた
いや本当に時間がヤバいんだよ、マスターがヘルプを頼む時は本気で手が足りない時なんだ
俺が手伝わないと、また一人で無理して店に籠って、家族サービスも出来ずに嫁さんからイビられるんだぞ……そして翌日は落ち込みまくって職場の空気を最悪にする
だから根倉には悪いけど、急かして家を出てもらった
玄関から出ても志津が見送っていたので、再度手を引いてエレベーターまで駆け込み、そこでようやく手を離す
「……」
「……」
「今日はありがとうな、無理なお願い聞いてもらって」
二人っきりのエレベーターで、沈黙に耐え切れなかった俺は根倉にお礼を言った
「いえ、私も楽しかったですから」
「そう言って貰えると助かるけど今日のお礼にまたケーキを奢るから店に来てくれよ」
優しい笑みで「楽しかった」と言われてドキリとしたので、思わず照れ隠しに早口で返答してしまった
何赤くなってんだよ俺、こいつには彼氏がいるんだから不毛な気持ちを抱くんじゃない
「ふふ、お礼ならあの仔猫が大事にされているのが分かっただけで、十分ですよ」
「それだと俺の気が済まないんだよなー……そうだ!なにか欲しい物ないか?次のバイト代が入ったら買ってやるからさ」
「ぶふっ、高幡くんは本当に真面目さんですね、そんなに気を遣わなくてもいいのに」
「だから笑うなよ!一方的に恩を受けたままっていうのは気持ち悪いんだよ!」
「はいはい、ならまたケーキをご馳走して下さい。でも今度は一つでいいですよ、二つも食べたら太っちゃいますからね」
「オッケーワンホールだな!ウエディングケーキみたいなのをマスターに作らせとくよ」
「嫌がらせですか!」
「おう、笑われた御返しだ」
酷いと笑う根倉に、お前もなと笑い返してやる……二人っきりのエレベーターがゆっくりと降りていく、零れた笑みで充たされながら
どうしようもなく自分が舞い上がっていくのを感じる
ただ根倉と二人でいるのが嬉しくて、ただ根倉と喋るの楽しくて、自分の感情を抑えきれない
まるで子供みたいだ、大好きな人と一緒に居られるのが嬉くて、はしゃいでる子供みたいだ
──あっ、駄目だこれ、不毛でも止められない
この気持ちのカテゴリーはきっと『好き』ってやつだ
───
──
─
その後も俺は馬鹿話を続けながらも、根倉を駅まで送ってから別れた
本当は家まで送りたかったけど、流石に重いと思って断念した……バイトの時間も差し迫っていたからな
でだ、上機嫌でバイト先へ来たのだが、マスターの顔色が悪い
「あの、どうかしたんですか?」
たまらず声を掛けたら、疲れきった顔のマスターが怨みがましく俺を見て来た
「さっきお前のお袋さんから電話があってな、マンションを室内猫に限ってペット可にさせられた」
「……俺は止めろって言ったんです」
「なあ、お前のお袋さんは何者なんだ?」
「何を言われたんですか?」
「ははっ、嫁に捨てられたプラモデルを全部確保しているって言われてな……」
「よ、良かったですね」
「嫌がられる原因は接着剤や塗料の匂いだから、モデラーさんの事務所を使うように言われたよ、話を通してるからってな」
「……う、うちのお袋って、顔が広いんですね」
「いや、そっちは親父さんの伝みたいだな」
「……もう、なんて言っていいか分かりません」
「嫁さんにも説教してくれたみたいでな……家族サービスを忘れない限りは、もう二度と勝手に捨てないと約束してくれたみたいだ」
「……結果だけみれば大団円なんでしょうか」
「脅迫されたのに感謝するしかないなんて、こんな気持ちは初めてだよ」
「俺は今、謝罪したい気持ちでいっぱいですけどね」
「「………………」」
その後は黙々と、二人で料理の下拵えをした
これ以上下手な事を喋っても、理不尽な気持ちが募るだけだから……現実逃避気味に、どうにかして根倉と仲良くなれないかと考えてみる
彼氏がいるのは分かっているけど、諦めきれない想いがあるのだ
とりま情報収集だな、根倉の彼氏がどんな奴か聞いてみるか、ろくでなしなら気兼ねなく略奪愛出来るからな
とすると、根倉の友達に話を聞いた方が早いか、都合よく仲がいい二人とは面識はある、俺の友達経由で喋るようになったのだ
……そういえば、その友達からプラモデル選手権(即売会も含む)のチケットを頼まれていたっけ、大会参加者や関係者に大部分が配られたから手に入らないって嘆いていたもんな
お父さんがモデラーと知り合いなら、手に入るかもしれないな……ちょっと頼んでみるか、今回の責任を問わせる意味も含めて
作中のプラモデル選手権は、実際にプラモデルで戦う大会ではありません!