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スキトオル  作者: 咲佳名
二月二十一日
6/42

一三〇〇

 時は流れて昼休み。ある者は友人と昼食をとりながら歓談を楽しみ、ある者は食事もそこそこにグラウンドで体を動かし、またある者は本の世界へその身を委ねる。それぞれ束の間の自由を楽しむ和やかな時間。そんなゆったりとした時が流れるクラスの中で、異質な空気に包まれた一角があった。


「どうしても譲らないんだな?」


「ええ、あんたが退かない以上、この争いは避けられないわ」


 下手に触れれば張り裂けてしまいそうな剣呑な雰囲気の中、対峙する徹と姫紅。両者のちょうど中間に座るわん子は何も言わず、ただじっと二人を見守っている。幼馴染。互いに良く知った仲だ。彼らには余計な会話も、合図も必要無い。戦いの火蓋は、とうに切られているのだから。


「……っ!」


 動いたのは全く同時だった。その一瞬の後、やがて訪れる沈黙、静寂。それは即ち、争いの決着を意味していた。


 徹がグーで、姫紅がパー。


「はーい姫紅の勝ちー」

 

 ぐああああ、と悲痛な叫びを上げる徹を余所に、姫紅はふふんと鼻を鳴らしわん子の持つ景品を受け取る。


「悪いわね徹。この箸は私が使わせてもらうわ」


 ぷらぷらと箸を揺らし、勝者は敗者をあざ笑う。憎たらしい程に美しい笑顔だ。


「くっ、大体お前、箸一膳だけ忘れるとかありえないだろ! どんだけ器用なドジっ娘だよ!」


 徹の食生活のほぼ全てを管理する姫紅。それは、学校で摂る昼食も含まれる。彼女は毎朝、徹の分までお弁当を作っているのだ。お弁当が可で一緒に登校が不可である理由は謎であるが、そういう訳で起こったのが、今回の箸争奪戦だった。


「……何だか騒がしいね」


 わん子の真上で揺れる綿毛。二人の様子を見て、仁が溜息をついていた。


「あれ、仁君。どこ行ってたの?」


「うん。ちょっと仲雨先生の所にね」


 ここ最近の話だが、どうやら仁も美月に相談に乗ってもらっているらしい。仁の悩みとはどんなものなのか。興味を持った徹が訊ねると「これからの事について聞いているんだ」と話してくれた。案外真っ当な相談をしていて拍子抜けだったが、それだけ将来の事を真剣に考えているのだろう。大いに結構だ。身の振り方も含め、友人がまともな人間になってくれる事を、徹は切に願っている。


「みっちゃんかあ。そういえばあの後ぐっすりだったねー」


「ああ。あんな大人にはなりたくないな。というか姫紅も、素直に言うこと聞く必要ないんだぞ? あんなわがまま、付き合ってたらキリ無いだろ」


 口を尖らせて徹が咎めると、姫紅は困ったように笑い、首を捻った。


「わかってるんだけど、何か世話焼いちゃうのよね」


「流石学級委員長。立派だね」


「からかわないでよ。もう」


 徹達だけでなく、先生に対しても世話を焼く姫紅はこのクラスの学級委員長として、美月の手伝いをしている。彼女自信が望んでそうなったかと言えばそうでは無く。美月に一方的に指名され、現在に至っているという訳だ。姫紅の優秀さを見抜いたのか適当に選んだのかは定かでは無いが、結果的に大正解だった辺り流石は美月。楽をする天才である。


「ところで徹、君は何故ご飯を食べないんだい?」


 いつまでたっても開かない弁当箱を仁は不思議そうに見つめる。改めて掘り起こされたこの問題。むくれた徹は窓の方に顔を背け、質問を無視した。


「徹君は、お預けされてるんだよねぇ?」


 わざわざ窓際に回り込んで意地悪く笑うわん子。鬱陶しそうに徹は目を細めた。


「お預け?」


「そう、お預け」


 わん子は掌を徹の前に広げ、「待て」のジェスチャーを取った。何だか癪に障った徹が身を乗り出して「わん!」と吠えてやると、彼女は驚きの余りひっくり返っていた。


「お箸忘れちゃったのよ。私」


「ああ、それで」


 なお、徹の弁当を姫紅が作っているという事は、仁やわん子は愚か、クラスの全員に知れ渡っている事実だ。今回の騒動に関しても割と日常的な光景であったりする。


「でも、何か食べないと午後は辛いよね」


 立ち直ったわん子は、そう言って自分の弁当箱を手に持ち、「食べさせてあげよう」と徹の口元に野菜炒めを運んできた。所謂あーんという奴だ。徹は「うっ」と短く呻き、身を固めた。決してわん子の好意が嫌という訳では無い。徹とて正常な思春期の男子高校生。単純に恥ずかしかったのである。どうしたものかと逡巡していると、横にいた姫紅がわん子の手をそっと握った。


「わん子、これは何かしら?」


「へ? いや、徹君に野菜炒めをお裾分けしようと」


「そう、わん子は本当に優しい子ね」


 姫紅が空いている方の手でわん子の頭を撫ででやると、彼女は気持ち良さそうに「んー」と喉を鳴らした。


「玉ねぎしか残ってないのはどうして?」


 空間が固まったような感覚を覚えた。事実、わん子は幸せそうな表情をそのままに完全に静止していた。冷静になった徹は視線をわん子の弁当箱の中に移してみる。弁当は件の野菜炒めを除いて綺麗に平らげられており、そしてその野菜炒めも最早ただの玉ねぎ炒めと化していた。


「どうして?」


 再度。先程より些かドスの効いた声がわん子に向けられる。彼女はその言葉が切れるよりも先に椅子から飛び降り、徹の陰に転がり込んだ。


「あ、あのその、えと、ほら、徹君は玉ねぎが大好きだから」


「いや別に」


「徹君!?」


 目に涙を溜めて縋り付いてくるわん子を思いっきり無視して、更に徹は非情にも彼女を姫紅に引き渡した。


 つまりは、わん子はただ嫌いな食べ物を徹に押し付けようとしていただけなのであった。一人で悶々としていた自分が恥ずかしい。姫紅に叱られているるわん子を冷ややかな目で眺めながら、徹は嘆息した。


「何か知れば知るほど犬だなお前。キャラ作りとかしてるんじゃないか?」


「何でわざわざ犬になりきらなきゃいけないんだよ! どうせ真似るなら憧れの人とかでしょ普通!」


「憧れの人って?」


「もー、本人の目の前で言わせる気かよー」


「痛っ! ああもう勝手にやっててください」


 この真っ直ぐな好意をどうして異性に向けられないのか。照れ隠しでしばかれた後頭部を擦りながら徹は呆れ果てた。


 手を合わせ、一足先にごちそうさまをする姫紅。小さめな弁当箱とはいえ随分早い食事だ。もっとゆっくり食べればいいのに。と仁が笑う。


「よし、じゃあ私ちょっと行って来る」


 席を立とうとする姫紅。徹はその腕を取った。


「ちょっと待て姫紅。お前が持っているそれは何だ?」


 そのままゆらりと立ち上がる徹。まるで幽鬼だ。目の光も消えている。止められた理由がわからず、姫紅は首を傾げた。


「何って……お箸だけど?」


「お箸だけど? じゃねえよ! なに普通に持っていこうとしてんだよ! こっちはもう限界なんだ、寄越せホラ今すぐ!」


「い、今すぐは無理よ! ちょっと待ってて!」


「これ以上俺に待てだと……? 冗談じゃねえ、こうなったら力ずくでも奪い取る!」


「や、ちょっと、どこ触ってるのよ!」


「ほぶっ」 


「うわあ、手首から先が見えないよ」


「……昼食前でよかったね」


 呼吸もままならない状態らしい。腹部を抑えてうずくまっている徹はラマーズ法に近いリズムで肩を上下させていた。


 結局、もう知らないと姫紅は箸を片づけてしまった。これは徹が後に知る事だが、箸は洗ってから徹に渡すつもりだったらしい。彼女が急いで食べていたのはそれが理由。納得はしたが、計り知れない被ダメージ量のせいでどうにも腑に落ちない徹だった。


「ところで徹。今日は僕、たまたま割り箸を持っているんだけど、使うかい?」


「お前、本当性格悪いよな……」


 穏やかじゃない腹の痛みと共に、彼の昼休みは穏やかに過ぎていく。

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