幸せの鐘よ、いつまでも
白くしなやかな手触りの生地がしゃらり、と音もたてずに滑り落ちる。日の柔らかな光を弾くその輝きは、どこまでも清らかでどこまでも優しい。
静かに過ぎる時の中で、それぞれのあたたかな思いが交差して絡み合う。
白亜の建物に、まっすぐに敷かれた赤い絨毯がまぶしい。その上を一歩、また一歩とゆっくりと歩を進める一組の親子の姿。
その二人の歩みを、わずかに顔をこわばらせた礼装姿の背の大きな男が優しい眼差しで待っている。
参列者が息をのんで見つめるその先には、真っ白なヴェールとプリンセスラインのかわいらしいアイボリーのドレスに身を包んだラルベルがいる。その隣で絨毯の上をぎくしゃくとしたぎこちない足取りで進むのは、父親のドムである。足がもつれそうなほど緊張と重圧とでいっぱいなドムであったが、転んでは死んでも死に切れないとばかりに、必死の形相である。
ラルベルはちらりとその表情を目にしてしまい、思わず目にうっすらたまっていた涙がひゅっと引っ込んでしまった。
「それでは、誓いの言葉を」
ドムのエスコートはダンベルトへと引き継がれて、二人は祭壇を上がっていく。
そして神父の声に二人はゆっくりと向き合い、ダンベルトの大きなその手にラルベルの手が乗せられる。
永遠を誓う言葉が、ラルベルの心に重く響く。いついかなる時も、永遠の愛と尊敬を誓い合う言葉。ラルベルの持つ永遠と、ダンベルトの持つそれとはきっと違う。永遠は願いだ。その最期の時までどうかそばにと願う、愛の言葉だ。
時の流れは変えられない。きっといつか別れの時はくる。それでもどうか、わずかでも長く、わずかでもそばにいたいと願う。それが永遠だ。
「永遠を誓いますか?ラルベル・モンテール」
神父の優しいあたたかみのある声に、ダンベルトを見つめながらラルベルは答える。
「はい。私の永遠を誓います」
ダンベルトとラルベルの視線が優しく絡み合い、握った指先にわずかに力が込められる。
「永遠を誓いますか?ダンベルト・ヒューラー」
わずかな間を置いて、ダンベルトの声が聞こえた。
「はい。たとえ時の長さに違いはあろうとも、私の永遠を誓います」
思わず顔を上げてダンベルトの顔を見つめるラルベル。『たとえ時の長さに違いはあろうとも』という言葉は、本来形式的にない言葉だ。その言葉に、ダンベルトの思いが込められている。ラルベルとダンベルトの時の長さにどれほどの違いがあろうとも、それを超えるくらいの二人の永遠を願う気持ち。二人の思いが重なって、ラルベルの頬をあたたかいものが伝う。
ダンベルトの包み込むような優しい眼差しに、守られる幸せを知るラルベル。同じようにダンベルトを守り、包み込むことが自分にもできるだろうか、と思う。そうありたい、と願うラルベルだ。
「では、誓いの口づけを」
ゆっくりと二人の影が重なって、初めて触れ合わせた唇から震えるほどの幸福感が流れ込んで体中を満たしていく。指先をきゅっと強めに握られて、目を上げるラルベル。
「さぁ!ようやく皆にお披露目だ。この日のお前をどれほど見たいと思ったか分からない。待ち遠しかったよ。世界中の誰よりもきれいだ。……大切にする、絶対に」
普段のダンベルトからは思いもよらない甘くまっすぐな言葉に、涙がにじむと同時に赤面するラルベルである。
普段甘い言葉とは無縁の人が急に甘さを発動すると、破壊力がすさまじいのだ。ダンベルトの母テスラが一針一針心を込めて縫ってくれた白いヴェールに、ラルベルの赤い頬が目立つ。
「私も、ですよ。ダンベルトさんも素敵です、とっても。……私も大切にします、ダンベルトさんのこと。世界で一番大好きです」
二人で見つめ合うことも出来なくなるほど真っ赤に色づいてもじもじし始めた二人に、周囲は祝福の声を投げかけていいものかどうか、タイミングを掴めずに焦れている。
その困惑を吹き飛ばして第一声を発したのは、海猫亭の店主ノールである。
「ラルベルちゃん、ダンベルトのだんな!おめでとうっ。本当にめでたいっ!今日はお祭りね~」
その声を皮切りに、次々と祝いの声が飛び交う。
「おめでとう!ラルベル。さすが私の娘だわ!本当に綺麗よ。幸せにね」
「あぁ、もう本当に娘が嫁に行っちまうみたいだよ。ダンベルトのだんなにいっぱい食べさせてもらうんだよ。喧嘩したら下宿に家出してきたっていいんだからね」
マルタがいつもの癖でエプロンの裾で涙を拭おうとして、今日はおめかししてドレスを着ていることに気が付く。横からタイミングよくハンカチを差し出したのは、ジーニーである。ジーニーの自前のハンカチであるからして、ちょっぴりしわくちゃではあるがそれはご愛敬だ。
「今日は海猫亭でうんと盛大にパーティーするからね!あとで皆お店に集合よ~」
「今日は第一、第二師団ともに騒いでいいぞ。もちろん当番の奴を除いては、だがな」
イレウスの声に、キャーッという黄色い歓声と、当番の部下たちのくぐもったくやしそうなうめき声が混じる。
「ラルベル、おめでとう」
涙と笑いに溢れた祝福の声にもみくちゃになりながらラルベルが目尻を拭っていると、その肩にポン、と手が乗せられる。
「ロル。……ありがとう、ホントに色々ありがとう。今までずっと」
「これで一生の食い扶持確保、だな。お前のお守りも卒業だ。幸せになりな」
ラルベルの胸に熱いものがこみ上げる。
ラルベルにとってロルは、いつだって特別な存在だった。
もちろんそれはダンベルトに対するものとは大きく違ってはいたけれど、それでも肉親や他の仲間に対する思いとは少し違っていた。
ほんの少し、寂しくもある。今までよりもきっと、互いの距離は広くなるんだろう。同じヴァンパイア仲間で、兄妹で、幼馴染みで、喧嘩友だちで。もしかしたら、それはほんのちょっぴり恋に似ていたかもしれない。
でもお互いにそれは、本当の恋とは違うともう知っている。
ロルの隣には、最近ロルの店を時折手伝っているというかわいらしい少女が立っている。ラルベルと見つめ合うロルをほんのちょっぴり心配そうな顔で見ながら、後ろに控えめに立っている。
「ロルも幸せでいてね。誰よりも幸せでいて欲しいよ、ロルは私の大事な幼馴染みだもん。だから、ちょっとひねくれてるとこも口が悪いところもあるけど末永くよろしくね。コルンさん」
「あ、あの。は、……はい!いえ、あのええと」
突然にラルベルに話しかけられて動揺するコルンの姿に、ロルが笑いをこぼす。
見つめ合ってほほ笑み合う二人の様子に、ラルベルもまた笑みがこぼれる。
ここに集まってくれた人たちも、来れなかった人たちも、ラルベルが今こうして笑ってあたたかな幸せを感じられるのは、たくさんの出会いがあったからだ。
優しく包み込んでくれた人、時に叱ってくれた人、じっと見守っていてくれた人、背中を強く押してくれた人。たくさんの人に出会って、たくさんの思いを知って、その中で自分を知って、ようやくここに立っている。
「幸せ、だなぁ。私」
ぽつりとつぶやいたラルベルの頭に、ダンベルトの手がぽん、と優しく乗せられる。頭を撫でるのは、ダンベルトの癖だ。まるで子どもにするようだけれど、ラルベルはこうしてもらうといつもこれ以上ないくらい安心するのだ。すべてを包み込んで、大丈夫といわれているようで。
「幸せはもっともっと増えていくさ。生きていく限りな。嫌なこともあるし泣きたいこともあるだろうが、そういう時は積み重ねた幸せが救ってくれる。誰かに積み重ねてもらったものじゃなくて、自分の力で積み上げたものならきっとな」
「うん、そうだね。自分で積み上げていくんだよね。これからもずっと、たくさんのこと。……これからは、二人で一緒に積み重ねていくものもたくさんあるね。よろしくね、ゴブリンの旦那様」
ゴブリン、という言葉に一瞬表情をこわばらせつつも、すぐにその眉を下げてやわらかく笑うダンベルト。
「あぁ。こちらこそよろしく頼む。偏食ヴァンパイアの奥さん」
ぷっと吹き出して声を出して笑いあう二人。
門出の日はどこまでも空は澄み渡って、青く広がる。
やわらかな日差しとあたたかい思いに包まれて、どこまでもどこまでも幸せは続いていく。
誓い合った二人の永遠は、時の流れまでも超えて、どこまでも――。