悪魔の花嫁~身勝手と観察者~
短編「悪魔の花嫁」の続編です。
そちらを読まれていないと分からない内容なので、ご注意下さい。
お姉様が消える直前まで座っていた椅子。今日もお母様はそこに腰かけ、鍵が開いた日記帳の表紙を眺めている。
たまに開こうとするためか手を伸ばして途中で動きを止め、目を閉じる。そして結局日記帳は開かない。一日中それを繰り返している。
口数も減り笑顔も消え、食事も毎食半分以上残しているお母様。なぜ憔悴されているのか分からない。
お姉様なんてこちらから話しかけないと口を開かない、空気同然の存在だったのに。今さらいなくなったからと、どうして意気消沈するの? 普段からよく会話を交わしていた訳でもなく、私のように二人で出かけることもなかったのに。
「……外国にお嫁へ行ったようなものじゃない」
ぽつりと呟くが、その声はお母様の耳に届かない。
「お嬢様、お客様がお見えになられました」
沈んだ暗い声で使用人が背後から話しかけてきた。足音もなく近づいて来られるのは気味が悪いので止めてほしい。
お姉様が姿を消した晩から、屋敷中の皆が暗い。
これまでの明るく甘い空気はどこへ消えたの? まるで陰鬱なお姉様が屋敷を支配しているかのようで気分が悪い。
玄関へ行くと、そこにはマリーが立っていた。
「あ、貴女……? どうして?」
ずい分と驚いている。どうせマリーのことだもの、お姉様にほらご覧なさい。やはり悪魔に狙われていたのはリューナだったじゃない、嘘つき女ね。そう嘲笑いに来たに違いない。
「悪魔が連れ去ったのはお姉様なの。どうやら本当にお姉様にも紋様が現れていたらしくて……」
玄関先で立ち話もなんだからと応接間に通し、あの晩の説明を行う。
「嘘を吐いていると言ったのは貴女よね?」
「嘘だと思ったのよ。実際紋様が浮かんでいる所なんて、誰も見たことがなかったし」
「今さらそんな……」
まるで危惧を抱くかのような声。一体どうしたのかしら。
そこで楽しくないお姉様の話を止め、他の皆の近況を尋ねるとマリーは答えてくれる。
「そう……。やはり皆、私が連れ去られたと思っているの」
初めて悪魔に狙われていると説明された時は、何歳だっただろう。とにかく幼かった私には理解できなかった。
ただ体調が悪いと言えば誰もが駆けつけてくれ、お姫様のように扱ってくれる。お姉様はその間ぽつんと一人となり、まるで自分こそ世界の中心に思えた。それが気分よく、少しでもお姉様が注目されると気に食わなくて仮病を使うようになり、邪魔することが当たり前となった。
さらに舌を見せざまあみろと、周りに気づかれないようお姉様に伝えれば怒りを見せてくるので、勝利する喜びも味わっていた。
でも十歳の夏、自分にも紋様が浮かぶことがあると叫んで以来、お姉様は自分から発言することがなくなった。何事にも無関心のように一人で過ごす。ただ静かに空気のように、そこにいるだけで、いくら私が挑発しても怒りを見せることさえなくなった。
悪魔に狙われている意味を理解すると、お姉様が憎らしくなった。
どうして誰にも相手にされず愛されていないお姉様が人間社会で生き続けられ、皆から愛されている私が悪魔に連れ去られるの? 憎くて余計に周囲の愛情がお姉様へ向かないようにした。
その為、幼なじみのマリーさえ利用した。
彼女にお姉様は嘘つきだと伝えれば思った通り、彼女はそれを勝手に面白おかしく言いふらしてくれた。マリーの噂話好きな性格を利用させてもらったのだ。
領民を助ける当主の行為により、娘を悪魔に奪われる哀れな両親を考えれば残酷な嘘。
酷い女と評価されるようになったお姉様は、ますます人との係わりを避けるようになり、いい気味だと思った。
だけどテーゼ様だけは違った。お姉様を信じようと言ったり、庇ったりすることが多かった。根気強く話しかけてもいた。そんなテーゼ様も最初はお姉様の言うことを信じていなかったと知り、後で笑ったけれど……。
どうりであんなに懐いていたのに、急にテーゼ様を避けるようになった訳だわ。
「ところでご両親は、どんなご様子?」
「お母様はお姉様の日記帳を見つめてばかり。お父様とお爺様は……。よく知らないけれど、毎日忙しそうよ。あの晩の翌日から一日中、どこかへ出かけてばかりだから」
せっかく愛されている私が人間社会で生き続けられるようになったのに、お祝いもしてくれなくて不満が堪っていたので愚痴をマリーに聞いてもらう。
そしてマリーが帰ればまた屋敷の中は静まる。
外出はお爺様たちから控えるよう言われており、クラン様へ会いにも行けない。
退屈。喜ばしいことなのに、これではちっとも面白くない。紋様も消えたことだし早く外出できるようになり、悪魔に狙われることのない人生を謳歌したい。
◇◇◇◇◇
あの晩から半月、屋敷中の全員がお爺様により集められた。
「本日、私は甥に爵位を譲渡した。もちろん国王陛下もお認めになられ、諸々の手続きも完了した。屋敷という狭い空間すら掌握できない私に、どうして領民を守ることができよう。また家族全員貴族籍から抜け、私たちは領主代行という形で領地内に隠居することに決めた」
一瞬、なにを言われているのか分からなかった。
つまり……。父の従弟が伯爵になり、我が家は伯爵家でなくなり……。住む場所が領内という田舎になる……?
「い、嫌よ! どうしてそんな勝手な……!」
山が多く林業で成り立っている領地、都会と呼べるような町は少ない。どこに引っ越すかは知らないが、たまに静養で滞在するにはいいが毎日暮らし続けるなんてご免だと強く反対するが……。
「それがルジーを蔑ろにした償いでもある」
……なによ、なによ! これまでお姉様を蔑ろにしてきたのは自分たちのくせに! いなくなった途端に償い? 居もしない相手に償って、なんの意味があるのよ!
「この屋敷も売り払うので、使用人全員に暇を出す。希望する者には紹介状を書くが……。分かっているな? これまで自分たちで仲間内にルジーを蔑ろにしていたと言い触らたり、熱の出たルジーの面倒を見る命令を無視していたりしていたと笑いながら話していた意味が」
使用人たちが顔を伏せる。
例え紹介状があったとしても我が家に勤めていただけで、この者は主人の命令に背くと判断される。つまり使用人として信頼できないので不採用になると、彼らは分かっているのだ。結局誰も紹介状を望まなかった。
それから毎日、他の職種を探すしかない、困ったとぼやく話し声が屋敷中にこだまのように響く。
田舎に行きたくない私は、伯爵となったおじ様の養子になりたいと訴えても認められなかった。
これまで甘い甘い優しい世界だったのに……。望めばなんでも叶っていたのに……。その世界が崩れてしまった。
これも全てお姉様があんな日記を残したから……!
クローゼットの中から見つかったウサギのぬいぐるみを見て、お母様はショックで倒れた。何度も刺されたのか目や綿が飛び出しており、原型を留めていなかった。さすが悪魔の花嫁に選ばれただけはあるわ、人として狂っているとぬいぐるみを見て思った。
「捨てておいて」
引っ越しに合わせぬいぐるみを処分するよう使用人に命ずるが、お母様が拒んだ。
なにかを取り戻したいよう自ら新しい布と針と糸を使い、修繕する。黙ってなにかをこなす姿はお姉様を思い出させ、苛々させた。
「お爺様、私クラン様の側から離れたくありません。どうか私だけでもここに残れるよう、取り計らってくれません?」
甘えた声でねだってみるが今日も駄目だった。それどころか……。
「クラン殿は布教師となり、各地で悪魔を呼び出すことを止める教えを広める旅をされると決められた。お前が嫌がる田舎どころか、秘境へ足を運ぶこともある。それに同行できるか? 野宿をすることもあろう。雨や雪が降る中、ひたすら自分の力で歩き旅を続ける。その覚悟がお前にあるか?」
この頃には外出許可が出ていたので、慌ててクラン様へ会いに向かう。
「ええ、本当です。今回のことで思い知りました。一つの間違いが取り返しのつかない事態を招くことがあり、後悔してからでは遅いのだと。悪魔がどこまでなにを狙っていたのかは分かりませんが、今ごろはしてやったりと笑っているでしょう。僕はそんな悪魔に笑い者にされる人を一人でも減らしたい」
「そんなこと、他の人に任せればいいではありませんか!」
「そんなこと?」
不快そうにクラン様は眉根を寄せる。
「もとは悪魔と契約された貴女のお爺様に責任がありましょう。ですがそれは領民たちを助けたい思いからで、私欲からではなかった。それでも結果としてルジーが人からの愛を知らず、信頼すら知らない人間となったことに、僕たちは深く係わっているではありませんか。それなのに『そんなこと』と言うなんて……」
愛を独り占めしたいと思うことは、悪いことなの?
両親からの愛。友からの愛。それらを姉ではなく自分に向けてほしいと思うことは罪なの? いいえ、罪ではないわ。誰だって愛を欲している。特に子どもなど、自分だけに注目してほしいと思うことが自然ではないかしら。
それにお姉様は悪魔への愛を日記につづっていた。
そんな人が悪魔に嫁いだのだから、本人は幸せに決まっている。人間同士の愛は知らなくても『愛』を知らない訳ではないわ。
それなのに……。
なぜクラン様は残念そうな目で、私を見ているの?
◇◇◇◇◇
引っ越し先は町どころか村だった。
一応一人部屋を与えてもらったけれど、その広さは元の屋敷に比べ十分の一にも満たない。ベッドと机、クローゼットを置いただけで一杯となった。
「今さら私たちは林業など出来ぬからな……」
そう言ってお爺様とお父様は狩りをし、生計を立てると決めた。
二人はやる気を見せているが、私の思いは置いてきぼり。どうして私の気持ちを無視するの?
これまで洗濯も料理も掃除もなにもかも使用人任せだったのに、これからは自分たちで行わなければならないと言われ、嫌だと言えばお爺様に叱られた。
「働かざる者、食うべからずだ。我々はもう貴族ではない、ただの村人だ。だから全て自分たちの手で行わなくてはならない」
自分で荷解きしながらお爺様の言葉を思い出し、ピンク色のウサギのぬいぐるみを床に叩きつける。
せっかく人間社会に残れた私の幸せを願うなら、貴族籍を抜く前にどこかの貴族と婚姻を結んでくれれば良かったのに。それなのに勝手に田舎に連れて来て説教までするなんて……。信じられない。
お姉様が消えて以来、毎日なにかに苛々している。
あんなに楽しく幸せな毎日だったのに、どうしてこうなったの?
もともとお爺様が悪いのに。一気に復興しようとするからお金が足りなくなったのでしょう? 少しずつ復興させていれば、悪魔を呼び出す事態にならなかったはずよ。自分の経営手腕が悪く大切な孫娘をこんな目に合わせ、反省の心はないのかしら。反省しているのなら、私の幸せをもっと考えて!
「申し訳ありません、料理の仕方が分からず困っております。どうか教えて頂けませんか?」
お母様だってお父様と離縁し私を連れて実家に帰る選択肢があったのに、なんで大人しく従っているの?
これまで我が家が管理していた者たちに頭を下げ、いろいろ教えを請いているけれど……。私と同じで、これまで一度も包丁を持ったことがないのに無理しちゃって……。
本当、みっともない。
貴族の矜持はどこへ消えたの?
私はああはならないわ。伯爵家で生を受けた私が、どうしてこんな村人たちに頭を下げて教えを請わなければならないの? 冗談じゃない。
それにしてもこの村、なにもない。あるのは住まいと家畜小屋、そして小さな古い教会。
図書館も美術館も芝居小屋も、娯楽施設がなに一つない。
せめて町ならまだ外出先があったのに……。なんて退屈な場所。
仕方なく散歩しようと森へ行こうとすれば、畑仕事をしている村人たちに止められた。
「ちょっと、あんた。一人で森へ行くのは危険だよ」
「森には狼がいるからね。武器を持たず出くわしたらお嬢ちゃんなんか、あっという間に狼に食われちまうよ」
それは嫌なので踵を返す。なんて危険で嫌な場所。冗談じゃない、一刻も早く出て行きたい。
毎日お爺様たちにおじ様の家で暮らしたいとお願いするのに、承諾してくれない。
「お前は自分がなにをしてきていたのか自覚がないのか?」
以前はすぐに怒りを見せていたお父様だが、ここへ越してから柔らかくなった。声を荒げず諭すような口調で言われ、仮病を使ったことを謝る。
「本当に悪いと思っているのなら、なぜお爺様がここで反省しながら暮らすと決めたのか分かるはずだ。家事もしたくないというのなら、考える時間が存分にあるだろう。しっかり考え反省するんだ」
だから悪いと言っているじゃない。
家族との会話は減り、以前のお姉様のように部屋へこもってばかりの日々を送る。
悪魔に狙われなくなったというのに状況は悪くなって……。なんなのよ、これは!
◇◇◇◇◇
ある日、お母様が熱を出した。
なにもせず家にいるのなら、せめて近くの町へ薬を買いに行くようお父様に命じられ、村人に頼み馬車を出してもらう。
お父様が狩りをせず自分で買いに行けばいいのに、面倒くさい。だけど家事をこなすお母様にいつまでも寝こまれては困る。それに町へ行けば私も少し気分転換できるかもしれない。
「どうだ? 村の生活には慣れたか? 前領主様やご両親は慣れたようだが、お前さんはちっとも村へ溶けこもうとせんよな。村の若い娘はお前さんと話したがっておるよ。皆、都会の話を聞きたいって。どうだい、少しは話を聞かせてやってくれないか?」
なんで私が貧乏人の相手をしなければならないのよ、冗談じゃないわ。
返事をせず林道の光景を眺める。村人はやれやれと言わんばかりに肩をすくめると、それから話しかけてこなかった。
憎らしいほど鮮やかな若葉の林道。これが静養に来た状況なら、美しく見えただろう。今はただのみずみずしい新しい葉としか見えない。そのみずみずしさが苛ついてきたので目を閉じ、馬車の揺れに体を任せた。
町へ行っても薬局で薬を買うなり、すぐに馬車に乗せられる。
少し町を見て回りたいと言えば、それなら先に薬を馬車で届けるから、自分で歩いて村まで帰って来るんだなと素っ気なく言われ、渋々従う。その帰り道、一台の馬車が先に停まっていた。村人が馬車を停め、声をかける。
「どうなすったかね」
「実は車輪が壊れまして……。先ほどから誰も通らず困っておりました。どうか助けて頂けないでしょうか」
そう答える御者の隣に立つのは……。
「マリー⁉」
「リューナ⁉」
思いもよらぬ人物との再会だった。
位置的に町に戻るより村へ行き、そこで車輪を用意する方が早いと決まり、マリーと同乗することになった。馬車と言っても屋根のない荷物を運ぶ用の馬車なので、荷台部分に二人で腰を下ろし、がたがた揺れながら向かい合っている。
「お久しぶりね」
シンプルな恰好をしたマリーに挨拶をする。
「……元気だった?」
「ええ、一応。ねえマリー、どうして貴女がこんな所にいるの?」
尋ねた瞬間、頬を叩かれた。
「貴女のせいに決まっているでしょう⁉ 人をけしかけルジーを蔑ろにして笑い者にし、我が家の名声を落としたと父に叱られ、私は修道院送りよ!」
それからどの修道院へ送られるのか、皆から嘲笑され遠巻きにされ惨めだった日々の愚痴を延々と聞かされ、大笑いする。
そこは高い壁に囲まれ逃亡は無理で、しかも規律が厳しくて有名な修道院。一度入れば一生神へ祈りを捧げつつ神の言葉を理解する研究に身を捧げ、外へ出ることは不可能と言われている。それに比べ私はまだ挽回のチャンスがある。自分が一番不幸者だと思っていたけれど、上には上がいるものね。
笑ったことが気に障ったのか、マリーが髪を引っ張ってきたので顔を強く引っかいてやる。
「お前ら暴れるな。この馬車まで壊れたらたまったもんじゃない。ったく、子どもの喧嘩だな」
「いやはや……。お互い大変ですな、子守というのは……」
「いやまったく、お互い苦労しますなあ。あんなのと修道院まで二人きりとは……」
そんな前方に座っている二人の男の会話は耳に入らなかった。退屈な村への生活の不満も併せ、マリーとの対峙に夢中だったからだ。
「乙女の顔を引っかくとはどういうつもりよ! 一生の傷がついたらどう責任を取ってくれるのよ⁉」
「どうせ神へ嫁ぐのだから、顔なんてどうでもいいじゃない! 一生出られないくせに! 痛い! あんたこそ髪の毛を引っ張らないでよ! 私の大切な髪の毛が痛んだらどうしてくれるの⁉」
「すでに艶もないしボサボサの髪のくせしてなにを言っているのよ!」
◇◇◇◇◇
「まるで赤ん坊の喧嘩ね」
林に生えている大きな木の枝に旦那様と並んで腰かけている私は、呆れた声を出す。
「君ならどうする?」
「そうですわね……。まずはマリーのかんざしを取り上げ目に突き刺し、潰しますわ。……いえ、狙うならやはり喉元かしら」
どうかしらと反応をうかがうよう旦那様を見つめる。
「一人だけ武器を調達するのは、フェアではないとは思わないのかね?」
「奪い返し、やり返せばいいだけのことです」
旦那様の魔法により人間から姿が見えなくなっている私は動くと、旦那様の膝の上にまたがるよう座り、首に手を回し彼と正面から向かい合う。旦那様はそんな私の腰に手を回してくれる。
「それより早く帰りません? こんなつまらないものを見続けても時間の無駄でしょう?」
「そうだな。おや?」
今日の私の服装は首元まで隠れ、裾も足先まで隠れている丈の長いドレス。けれど流石ですわ、旦那様。お気がつきになられたのね?
妖艶な笑みを浮かべる。
「悪い妻だ。まさか洋服の下になにも身につけていないとは」
旦那様の手がスカートの上から尻を掴んでくる。
「ふふっ。いつ気がついて下さるのか私、ずっと楽しみにしておりましたの。どうかしら、こういう趣向」
興奮した息づかいで伝えれば、旦那様は笑みを浮かべる。どうやらお気に召してくれたらしく嬉しくなる。
「あんたなんか地獄へ落ちればいいのよ!」
「地獄へ落ちるのはあんたよ! 仮病を使っていたくせに! 挙句には新伯爵にまで私は悪くありません! このままここで贅沢な暮らしを続けたいですと言ったそうじゃない! 強欲な女ね!」
強欲? マリーの言葉に笑う。
「赤ん坊たちがなにを言っているのかしら。贅沢な暮らしをしたいと望むことが強欲なら、人間は皆強欲者ね」
「テーゼ様はどうしたのよ! あの人だってお姉様の話を最初は信じていなかったのに!」
「あの女は最初こそ信じなかったけれど、父に言われ過ちに気がついたと素直に認め、それから実際庇う態度を取り続けていたから、今や王都では人気者よ! だけどどの男性からのアプローチも断って、より高嶺の花状態よ!」
「なによそれ! あの人の一人勝ちじゃない! あの人だけ幸せになるなんて許せない!」
「貴女もそう思う⁉」
あらあら。今度はテーゼを悪く言うことで意見が一致し意気投合し、テーゼの悪口に花を咲かせているわ。
でもそうなの……。あの女、人気者なの。反吐が出るわね、善人ぶった生き物のくせに。こればかりは妹たちに同情するわ。
「旦那様、私、テーゼの話を聞いてむしゃくしゃしておりますの。慰めて下さいません?」
先ほどまでの興奮が嘘のように消え、真顔で伝えれば頷かれる。
「そうだな、それでは帰ろうか。我が家の寝室に」
そうよ。たっぷり旦那様に愛してもらえればテーゼなんてすぐに忘れてしまえるもの。実際毎日旦那様と過ごせ幸せだから、あの女の名前が出るまですっかり存在を忘れていたわ。
「でもその前に……」
妹たちを見下ろしながら、旦那様が私を弄ぶ。
もし……。もし妹たちに私たちが見えていたら……。そう想像しただけで、ぞくぞくと興奮する。
リューナ、マリー、私はここにいるのよ? ここで愛しい男性に抱かれているの。どう? 『愛』を知らない貴女たちにとって、羨ましいでしょう?
「……ねえ旦那様、せめて姿は見せなくても二人に声を聞かせてはどうかしら。あの二人に私がどれだけ幸せなのか教えるのも一興だと思いません?」
荒い息づかいで言うが、旦那様の目は冷静だ。
……嫌だわ、旦那様の期待に応えられていないみたい。ひょっとして飽きられた? そう思うなり強い恐怖に襲われる。もし旦那様に飽きられ捨てられたら……。耐えられない! 死ぬしかない!
「その願いなら、すでに叶えているとも」
すぐに旦那様は安心させるよう微笑まれ、顎をしゃくる。
本当だわ。御者二人は顔を赤くし俯き、しきりに咳払いを繰り返している。妹たちは顔を赤くし真っ青にし、顔色を変えながら辺りを見回し抱き合っている。
「ま、マリー……。こ、こ、この声……」
「ルジー、の声、よね……? ど、どうして……? あ、悪魔に、連れ去られたのでは……」
「え、ええ……。目の前で、き、き、消えたのに……」
「ま、まさか……。ゆ、ゆ、幽霊……?」
失礼な二人ね、私は生きているわよ。
それにしてもひどいわ、旦那様ったら。一人で勝手にこんな面白い遊びを始められていたなんて。早く教えてくれればいいのに。
でも……。
旦那様と同じ発想が浮かんだことが嬉しい。やっぱり私たちは深く結ばれている運命の相手同士なのね!
「旦那様、私、本当に幸せだわ。だからもっと……。ね?」
求めていると旦那様に教えるよう、自分から深く彼の唇をむさぼる。
リューナ、マリー。贅沢に暮らすことが強欲ではないのよ? 強欲というのなら、あらゆるものを欲さなければ。それには生活面だけでなく、愛する人を手に入れることも含まれているの。暮らしだってもっと贅沢に。もっと豪華に! 愛だって尽きさすことなく深く! どこまでも深く‼ 際限なく‼
いくら求めても足りない! 恥じることもない! それが強欲というものよ‼
クランが方々を歩き回るから諦めるなんて、そんなの『愛』ではないわ。恋にすらなっていない。恋に憧れるただのお子様よ。
強欲ならどこまでも食らいつきなさいな。クランを追いかけなさいな。私なら地の果てでも逃げる旦那様を追いかけてみせるわ。そして探し出し、二度と逃げ出さないよう監禁して永遠に旦那様を独り占めするの。それくらい実行しないでどうするの。
マリーもそうよ。修道院が嫌なら逃げ出し、どこかの村か町で生活を始めればいい。そんな度胸のない臆病者のくせに……。そんなつまらない人間から見れば……。そうね、妹は強欲者に見えるかもしれない。だけど……。
「やっぱりあの二人、赤ん坊ね」
旦那様の胸にしなだれ、二人を見下ろしながら笑った。
お読み下さりありがとうございます。
もう一作続編を公開予定です。
(現在下書き中)
そちらの続編に関する内容はご質問を受けてもお答えできませんので、ご了承下さい。
◇◇◇◇◇
令和元年9月19日(木)
続編を公開致しました。