まちかどマゾク
いろんな意味で書きたくなる作品じゃないかな。この手の作品は基本書く事が無い。キャラクターが可愛いからそこが良い。それで終ってしまうんだ。必ずしも大量に書く事が面白いわけじゃない。特にアニメ漫画はそれが重要なんだ。だから長々アニメ漫画の面白さを書くっておかしいんだ。そういった人は大体どうでも良い事ばかり書いてるとか、同じ面白さでも書きやすい作品があるってだけなんだ。
例えば、終る前にあーだこうだーこういう展開じゃないか?とか考えた結果を書くって、終ってしまえばすごく下らない事なんだ。でも途中の感想ってこういう人ものすごく多いんだ。私は展開予想を考察って言葉で表現するの大嫌いなんだ。そんなもんTOTOの当たりについて考えるよなものだ。考えてるかもしれないが、意味の無い思考だ。
大半の人間が駄目だと言うのは書きやすいのを書いてるだけで、しかも大半が重要な部分じゃないんだ。
この作品は2点重要な部分がある。まずは非現実的な要素が入る日常系ってやつになる。これ矛盾なんだ。非日常=非現実であるから、それを日常系と呼ぶのは矛盾してる。この手の作品が成り立つのは飽き飽きした刺激の薄い非現実的要素なんだ。非日常を創作で繰り返すことで、日常になってしまったというわけで、きちんと日常系になってる。
この中でもう1つキーはまどマギなどから始まる新日常系といわれるもので、日常系と思わせて残念実は残酷物語よ?って展開する作品になる。有名作品は、がっこうぐらし、これは私は見てない。まどマギ、ゆゆゆになる。典型的な流れでスタートの日常を破壊する衝撃的事件が起きる。
実際はまどまぎは日常系のキャラデザを使った幼児向け魔法少女になる。この点魔法少女なのはも多少似ている。あれもエロゲのキャラデザを使ってるって点で似ている。どうでも良いじゃないか?と思うかもしれないが、当時流行してたキャラデザを使ってるのがポイントで、幼児向け魔法少女のキャラデザは必ずしもオタク受けするものじゃない。
だからって日常系をキャラデザに集約するのは間違ってるし、分かって無いとスグ単純化するので、そういわれてしまう部分がある。難しいのだが、たかがキャラデザ、されどキャラデザと覚えておけばなんとなくつかめると思う。それがすべてじゃないのだが、かなり重要であるって点。
そういった新日常系をさらに日常系に戻したのがこの作品になる。ただこの作品不穏な設定が多くて、この先の展開で何か?やらかす可能性はある。それが否定されるか?肯定されるか?は謎だが。
ちなみに私は結構このタイプ好きで、私が苦手だったのが、うららとガウリールで、この両者共通点がある。占いがかなりどうでも良いのと、ガウリールはやってる事はうまるちゃんじゃないか?で中身がつまらない。キャラクターはガウリールは人気が有るらしい。これは売れ方が弱いのでイマイチピント来ないが、この手の非現実要素が混じる日常系では必ず名前が出てくるので、多分キャラの可愛さはそれなりに数多くの人に評価されてるんだろうなと推測できる。たまに苦手なのがあるが、基本このタイプ嫌いじゃない。
2点目はたまに出てくるのだが、イカ娘にシャミ子が似ているという点。確かにこれに似ている。桃との関係が特に似てるんだ。悪の主人公のはずだが、どうも別の主要キャラに良いようにもてあそばれてるって点。
イカ娘は分かりやすいギャグ主体のアニメだが、それが結果論的に可愛くなってしまったと言う作品で、これは最初から可愛さを狙ってる。ただ根本の構造が良く似てるから、日常系にありがちなものより何か笑いが強くなってしまった作品に似ている。
これ何故重要か?と言うと、日常系は笑いを組みあわせる作品が多くて、何当たり前の事を言ってるんだ?となるが、これが笑いメインの作品と較べて、笑いは可愛さを演出すためのものでしかない。だから、ゆるキャンのように笑える会話じゃなくて、キャンプの話題になっても楽しめてしまうんだ。
中身は最終的に可愛さに繋がらないと意味が無い。だから、単純に日常系アニメで笑えるって感じるだけじゃ駄目なんだ。だからこの作品みたいにぎりぎり狙ってくるような作品はすごく創りにくいんだ。
日常系がわんさか創られすぎてレベルが高くなってしまったゆえの今の時代の作品。野球のピッチャーならこんなきわどいコース狙わないとアウトに出来ないのか?ってバッターのレベルの高さを思わせる。要するにそれは視聴者読者などの受け手だ。イカ娘は結果論的だから特にいう事は無いが、この作品の様に意図的に創ってるとうわーって思わせる。
ここまでやらんと駄目なのかと。しかも久しぶりのBD的にも手ごたえのある作品だが、多分滅茶苦茶は売れない…。