YONO
鍵やシュタゲのような知る人ぞ知るエロゲの名作らしいが、遅きに失するってあると思う。とにかく今更感がある。私はズットこういった話をしている。作品には作品が社会の一つである社会的影響ともう1つ創作だけの社会と隔絶した閉鎖した時代性がある。多くの人はこの時代性の違いを理解できない。
すべて社会的な歴史の流れに組み込んでしまう。だがこれは分けるべきだ。これは単純に創作の閉じた流れの中で受け手が飽きるだけだ。平成から令和に変わった今だからタイムリーで書いてる。令和時代に平成時代の名作は受けないとかじゃないんだ。いい加減これを分けてきちんと語れる人が増えて欲しいものである。
じゃ何故そういった人が不足してるのか?受け手にも問題がある。受け手にはまとめて話すほうが受けるからだ。馬鹿に振り回されるというか、イマイチな発想の多数集団に迎合した意見に多くの発信者はなってしまうんだ。私は大衆が馬鹿だと言う話はしたくない。何故なら馬鹿な大衆こそが平均であり、平均は馬鹿じゃないからだ。それが通常だからである。
平均以上の人々が居るのだ。発想がやや選民思想だが。そして平均以下の大衆にすら入れない馬鹿集団が居るのも確かだ。
多数派に受ける事を必ずしも正義にしないで欲しいとずっと書いてきたのはこういう理由がある。
そういった創作の飽きる飽きないの流れとは別に、この作品特有の駄目さもある。例外なくループ物でつまらん作品は、助けたい対象=キャラに対してを受け手が主人公に全く共感できない場合だ。その点シュタゲは違ったんじゃないかな?と思う。
似た作品で男受け手にはすこぶる評判の悪いオレンジがある。男が自殺願望のある男を助けたいなんて思わない。それは同性の理屈で簡単だが、異性の場合はどうか?ならなんとも言えない。やや年齢の高いキャラだとか理由はいろいろ出来るが、敢えて言わない。私はキャラって言葉が嫌いだからだ。困ったらキャラって言葉で真実を語ったような期になるアホな言及はし無い。
ただ言えるのは、このキャラが死のうがどうでも良いなって正直に思える自身の感情のみ。