29 真実
お神楽が終わった後。
和花は髪の飾りをとると、巫女服のまま、そっと祭りを抜け出した。
神社の裏にある林は静かだった。祭りの喧騒が嘘のように思われるぐらい、蝉の声しか聞こえなくなる。
一歩一歩踏み出す。
夏の日差しは林の木々に遮られている。
僅かに差し込む木漏れ日も葉のお陰で、柔らかい光になっていた。
杏の姿を探すも、見つからない。
待ち合わせする場所をもっとちゃんと決めておくのだった、と和花は今更ながら後悔する。
いくら、日差しが弱いと言え、湿気を含む空気は気持ち悪い。
汗が頬を伝う。背中もしっとりとしてきた。
一度帰るべきかを本気で悩み始めた時だった。
誰かの話し声が聞こえた。
杏かと思ったが違う。和花は咄嗟に身を隠した。
木の陰から、そっと様子を伺う。
話をしているのはスイとガクだった。
朝から姿が視えないと思えば、こんなところに居たのか。
消えるか消えないかの瀬戸際に居るはずなのだ。祭りが気にならないのだろうか。
だが、二人共とても真剣な顔をして向かい合っている。
一体、そんなに怖い顔をして何を話しているのだろうか。
和花はそっと聞き耳を立てた。盗み聴きはいけないことと知っていたが気になったのだ。
「もう一度言うけど、ボクの信仰に下ってくれないかな?」
ガクの真剣な声が林に響く。
和花の聞いたことのない声だ。巫山戯ている雰囲気ではない。
「断るって言ってるだろう? 君も懲りないな」
ガクの言葉にスイは静かに声を紡ぐ。
馬鹿にしている訳ではない。穏やかな顔をしているけれど、スイもまた真剣な雰囲気を醸し出している。
「現状を見て、物を言ってる? このままじゃ貴方は消えるだけなんだよ? その現実から逃げてるのかな? それとも、未来を見据えることも出来ない馬鹿なの?」
ガクがスイを罵る。
どこまでもお調子者のような口調だ。耳に残る気持ちの悪い声だった。
「馬鹿で結構だ」
スイが笑った。
和花の見たことのない儚い顔で。
ガクが悔しげに表情を歪めた。
悔しげな顔をしてスイに掴みかかる。
スイはガクの手を掴み、勢いを殺す。しかし、胸倉を掴まれながらも、手を挙げる様子はない。
「貴方はただの臆病者だ。人間に入れ込んで。人間ごっこに興じて」
ガクがスイに顔を近づけ、押し殺したような声で言う。
オレンジ色の瞳は見開かれ、スイを飲み込もうとしているように見えた。
「人間ごっこ?」
スイの瞳に強烈な光が浮かんだ。何だか怖い。
和花は少しだけ後ろへと下がる。
「そうだよ、人間ごっこ。人間に寄り添ったフリをして、自分のやりたいようにやっているだけだよ。それがあなたの本性だ」
スイの本性。
和花は胸の奥が凍りつくような気がした。考えても居なかった。スイの心を知らないことを知っていながら、スイの本心に触れるようなことはしなかった。知るのが怖かった。
「意味が分からないな」
ガクの言葉にスイが返す。
いつもより固い声音で。嘘なのか真実なのか分からない。
「分かってるはずだよね? 貴方は嘘つきで醜い。今だって和花ちゃんを騙し続けているくせに」
スイの顔色が変わった。余裕のある笑みがスッと無表情になった。
和花は息を飲む。
スイは嘘をつかないって言ってやりたかった。だが、心の何処かでスイを疑っている自分がいる。
「騙すって君な……」
スイが言葉を濁す。
しっかり否定して欲しいのに、スイがガクの言葉を否定することはない。
急にこの話を聞き続けるのが怖くなった。
その場を離れようとした。
「目を逸らすの?」
いつの間にか和花の隣に現れていた杏が和花に声をかけた。
和花は目を見開く。
赤い瞳が和花を試すように見つめてくる。
「これが真実よ」
杏が二人に視線を向ける。
和花も二人に視線を投げた。
「それは……」
スイが言葉を濁す。
「騙してないって言うつもり? 笑わせないでよ。どうせ、和花ちゃんには言ってないんでしょ?」
ガクが畳み掛ける。
瑠璃色の瞳が揺らぐ。
和花の心臓が大きく脈打つ。知ってはいけない。だけど、知らなければならない。
自分の心臓の音が煩い。騒がしい。
周囲の蝉の音をかき消すくらい、自分の脈動が聞こえる。
「本気で貴方を信仰してくれる者は居ない。祭りが開かれまいと開かれようと、貴方は消えてしまうって伝えたわけ?」
ガクの言葉が和花の心臓を深く抉った。
信じよう、信じようと言い聞かせてきた和花。スイへの信頼が和花の中で音を立てて崩れていく。
裏切られたような気持ち。
「貴方は卑怯者だ。それ以外の何者でもないっ!」
次々と放たれるガクの言葉。
スイに向けられた言葉なのに、和花の胸へと刺さっていく。
もう聞きたくない。
スイと過ごした日々の全てが壊れてしまう。
和花の灰色の瞳から涙がこぼれ落ちた。
透明な雫が落ちる。足元に生えた木の葉を濡らし、地面へと。
黒く湿る土。
「止めてよ……」
和花は呟いた。
二人には届かない。
ガクはスイを責め続けている。言葉の刃は止まることを知らない。
和花は走り出した。
「止めてよって言ってんじゃんっ!」
ガクに体当たりする。
横から飛び出してきた和花に面食らったらしい。スイもガクも反応が遅れていた。
和花の体当たりをまともに食らって、ガクの手からスイが解放される。
体勢を崩しかけるも、和花は足を踏ん張って立て直す。
「和花ちゃん……」
勢い良くぶつかられたガクが和花を見て、動きを止めている。
杏が僅かに微笑んでいるのが視界に映った。
「君、何でここに?」
スイが目を丸くして。その端正な顔は固まってしまっている。
和花はスイをキッと睨みつけた。
「騙してたの?」
和花の厳しい声にスイが傷ついた瞳をした。
だが、反論はしてくれなかった。
「ねえ、騙してたの? 頑張っていた私の事を見て笑ってたの?」
泣きたくないのに、目頭が熱くなった。涙が雫となって頬を流れる感覚が生々しい。
「そんなことはない」
スイが苦しそうに言葉にしてきた。
何を信じればいいか分からない。スイを助けたくて祭りを成功させようって努力してきた。負けないように踏ん張ってきた。それなのに。
酷く裏切られたような気がして、和花は泣くことしか出来ない。
「ねえ、スイを助ける方法が他にもあるよ?」
不意にガクが笑った。
学生マントから誇りを払って、和花に向かって微笑んでくる。
甘い言葉だった。
スイを助けられるかもしれないって思えた。
「本当に?」
和花の答えに、スイが瑠璃色の瞳を見開いた。
「止めろ、和花っ!」
スイが叫ぶ。
和花はスイを睨みつけた。
「騙してたくせにっ! 私がどうしようと勝手でしょ!?」
叫ぶように怒鳴る。
スイは何も言わずに、動きを止めた。限界までに見開かれた瑠璃色の瞳が、和花の網膜に焼き付いた。
罪悪感が無いわけではない。
でも、おあいこさまだ。スイだって和花を騙していたのだから。
「おいでよ、和花ちゃん」
ガクが和花に向かって手を差し伸べた。
「止めろ」
スイがガクと和花を交互に見つめながら、叱るように声のトーンを落とす。
瑠璃色の瞳には迷いがない。
和花がガクの手を取る前に、攻撃する、と言外に述べていた。ガクに向けてスイの殺気が広がっていく。
だけど、和花は殺気を放っているスイの目の前でガクの手を取った。
ガクが微笑む。
「杏!」
合図だったのだろう。ガクが杏の名を呼ぶ。
和花はスイを振り返った。
スイが動くより早く、和花の視界をあんずの花びらが覆っていった。
最後に灰色の瞳に焼き付いたのは、スイの暗い表情だった。
和花の大好きな手が伸ばされる。
だが、ギリギリのところで、その手は空を切った。




