2 祭りへのカウントダウン
神社の境内の隅に木で囲われた家がある。防風林の役目もあるが、神社の境内にある家をカモフラージュするために植えられた木々達は夏の日差しを遮ってくれていた。
縁側があり、軒下がある珍しい和風の家だ。古民家と言うべきか。黒い瓦屋根が夏の日差しを受けて鈍くきらめいている。
村の中でもこういう作りの家はめっきりと減った。新しく越してきた人が建てる家はどこか洋風めいているのだ。
和花は引き戸を開けて家の中に入った。
「ただいまー」
挨拶をして、後ろ手に引き戸を閉める。
土間で靴を脱ぎ、揃える。
「おかえり」
挨拶の返答があり、和花は驚いて後ろを見た。
この時間は和花の父親も母親も神社の舞殿や、本殿に居ることが多い。御神刀を磨いたり、本殿を清めたりしているのだろう。それが神主の仕事だから、仕方がないのだ。
和花が帰ってきた時に返事がないことが多い。
だから、お帰りの挨拶が聞こえるのは珍しいことなのだ。
和花が振り向いた先には神主見習いとして和花の家に身を寄せている龍現がいた。
ギリギリ結べる程度の赤髪と金色の鋭い目。パッと見、近寄りがたい強面だ。喧嘩っ早そうに見える、と村の人には言われている。
しかし、龍現は無口だが、優しい人だということを和花はちゃんと知っている。皆が怖がるが、和花は平気だ。むしろ、ちゃんと話を聞いてくれる龍現はお兄さんのような存在だ。実際、年齢も二十歳を超えていて、年的にも、お兄さんである。
神や霊の存在を視ることは出来ないが、感じることが出来るらしい。実を守るために少しだけ陰陽道の知識を知っている、ということもあって、和花は龍現からよく話しを聞かせてもらっている。和花の知らない世界の話しを。
和花の話を真剣に聞いてくれるから相談することも多い。
「ただいまっ! 龍現さんがこの時間に居るなんて嬉しいや」
緩みきった笑顔で挨拶すれば、ああ、と素っ気ない返事だけが帰ってくる。
龍現は誰に対しても、こんな感じなのだ。むしろ、和花に返事する時は心持ち、優しい声音な気がする。一々、落ち込んだり悲しんだりする必要はないのである。
龍現が台所へ向かい、歩き出した。龍現の後ろを着いていくようにして、和花も歩きだす。
「明日から夏休みか」
龍現が着物を襷でくくりながら、和花に声をかけてくる。
珍しいこともあるものだ、と和花は数回瞬いた。
龍現は基本、あんまり話をしない。だから、話しかけてくることは希少な出来事なのだ。
「そうだよ。でも、今年は忙しくなりそう」
明るい口調で和花は答えた。
台所に着き、夕飯の支度を始めた龍現の手伝いをしながら、和花は目を伏せた。
龍現は、意味が分からないと言いたげな視線を和花に向けてくる。
視線を感じて、和花は目を開いて龍現を見た。金色の瞳と目が合う。
和花はくすり、と笑う。
人参を洗いながら、口を開く。
「今年こそ、やろうと思うんだよね。夏祭り」
和花がハッキリ口にすれば、金色の瞳が見開かれる。しかし、その表情の変化は直ぐに消えてしまう。注意深く見ていなければ、龍現の感情を読むのは難しいだろう。
洗い終わった人参を龍現に向かって差し出す。
龍現が和花から人参を受け取る。まな板と包丁を取り出し、人参をリズム良く刻み始めた。
和花は龍現の僅かな感情の動きを拾いながら、言葉を続けた。
「楽しみにしててよ。学校側には話を付けて来たし、後は村長から承認を貰えればそれで良いんだけどね……」
そこまで言って和花は言葉を濁した。
村長から許可をもらう。それは、和花の想像以上に難しいことなのだ。
そもそも、村長が幼馴染の親だと言うだけで話しにくいというのに。気心が知れているからといって甘えが出てしまうことだってある。颯太の父親はその甘えを許す人ではない。
それどろか、その和花の幼馴染である颯太は、あろうことか自分の親を毛嫌いしている。
村長自身も気難しい人だし、簡単に承認がもらえる気がしない。
「……無理はするな」
和花の様子見ていたのだろう。龍現がポツリと言葉を零した。金色の瞳はまな板に縫い付けられているのだが、どこか優しさを感じる。
和花は頷いた。龍現に励まされると今まで以上にやる気が出てくる。同じくらいちょっとワクワクしてくるのだから、不思議なものだ。
「ありがとう。でも、まあ、やれるところまではやってみるつもりなんだ」
和花の言葉に龍現が僅かに笑った。
そこで、ガラリと部屋の引き戸が開いた。
「あ、お帰りなさい」
和花は顔を上げて笑った。父親と母親が帰ってきたのだ。
「ただいまっ、和花ちゃんっ!」
元気な挨拶が帰ってきた。
眼鏡をかけた父親が嬉しそうに笑っている。
それを横目に苦笑した母親が部屋の中に入ってきた。
二人とも、境内の草むしりをしていたらしい。日差しにやられたのか、少し疲れた顔をしている。少しばかり、肌も焼けている気がした。
特に母親の色白な肌は赤く焼けていたそうに見える。
参拝者も減って、草むしりを手伝ってくれる人がいないらしい。
夏の間はとにかく雑草が伸びる時期。
二人だけで雑草をむしるというのは、和花が想像するよりもずっと疲れる作業なのだろう。去年、一日だけ手伝ったことがあるが大変だったことを思い出した。
和花は、二人にお疲れ様を言おうとした。
和花が声をかけようとした途端、父親は顔を輝かし、和花を抱きしめてくる。愛情表現が重いのが父親の悪い癖だ。
腕の中で和花は苦笑するより他はない。抵抗しても無駄なだけということを和花はよく知っているのだ。何せ、父親のほうがすばしっこいのだ。普段、運動をしていない、和花が敵う相手ではない。
和花が遅すぎるのだ、と言われればそれでおしまいなのだが。
「龍現にもギューッ! ……ってあれ?」
父親が和花を解放し、龍現に突撃していく。
しかし、龍現は味噌汁の味見のためのお皿を取り出しながら、華麗に父親の腕を逃れている。
金色の瞳が言外に面倒だと語っている。
「逃れられると思ったか!」
高笑いしながら、味見をしている龍現に抱きつく。
瞬間、龍現の顔が一目すれば分かるほど、うんざりしたものになった。
「止めろ、引っ付くな」
父親をグイグイと押し返そうとしているが、勝ち目は無いようだ。
そんな光景を見ながら母親が笑う。この歳になっても甘えん坊なんだから、などと笑っている。
いや、笑ってないで助けてあげて欲しい。そうでないと龍現が神主見習いを止めてしまうかもしれないぞ、と和花は何処か他人事のように思った。
「それより、和花ちゃん。今年は夏祭りやるって本当かしら?」
母親が不意に和花に話を振ってきた。
和花は大きく頷く。
「もちろん。お母さんにはちゃんと言ったじゃない」
机にお皿を並べながら言えば、母親はそうだったわ、ごめんごめん、などとやっぱり笑っている。母親はとにかく、明るいお人なのだ。
「でも、どうかしらね。最近、参拝してくれる人も減ったし、ちゃんとしたお祭りになるかしら?」
母親が心配そうに告げた。
その言葉に和花は黙るより他はない。都市化が始まる前まではそれなりに信仰があった和花の神社も、今は人々に忘れかけられている。精々、年越しに人が集まればいいか、程度までに減っていた。
今日では参拝者の影を見ることは無くなっている。
祖母が亡くなってからずっとこの神社が中心のお祭りが中止されていた。その影響も大きいのだろう。
だからこそ、和花はお祭りを復活させたいのだ。
このままでは幼い頃の自分の記憶すら、偽物のように思えてしまうから。年をとる度に自分の中で風化していく記憶に和花は焦りに近い感情を抱いている。
スイのことも祖母のことも自分が生み出した都合の良い記憶だったらどうしようと思うのだ。とくにスイのことは……。
「まあまあ、花月。成功すれば村の皆の祈りが戻ってくるかもしれないだろう? そんなのは祭りが始まってから考えようや」
父親がどこか気楽なコメントを述べた。
母親は、貴方は本当に楽観的なんだから、と少し頬を膨らませている。
本当にお父さんらしい、と和花は苦笑した。なんと言えば良いのだろうか。母親の言うとおり楽観的と言えばそれまでなのだが、不思議と父親が言うと力になるのだ。
和花はやる気が出てきた。
この神社は和花にとって大事な思い出がある神社だ。祖母との思い出も、昔よく話した神様との思い出も。和花はこの神社で育ち、この神社に骨を埋める。
和花は心にそう決めている。
母親は自分の人生を決めるのは早すぎる、と言っていたが和花は決意してしまっているのだ。神社に関わったまま生きていきたい、と。
だからこそ、この神社への祈りを取り戻したい。
和花は静かな決意を胸にしたのだった。
「それもそうね。さあ、夕食にしましょう」
母親が元気に言うのを聞きながら、和花も動き出した。