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21 わずかな希望

 熱が下がった和花は改めて、スイを探していた。

 神主見習いとして家に住み込んでくれている龍現がスイの気配を感じるとは言っていたが、自分の目で確認しないと気がすまない。

 和花は境内を探し回る。

 スイを見つけたのは鳥居の下にたどり着いた時だった。

 灰色の石で出来た鳥居の上にスイの羽織が揺れているのを見つけた。退屈そうに村を眺めている。

「スイ!」

 下から呼べば、スイはふわりと和花の前に下りてきてくれた。重力を感じさせない着地。

 和花はその一つ一つの動作を目に焼き付ける。

 それだけで泣きそうになる。

「ねえ、正直に答えて」

 スイを前にして、和花は一歩も引くつもりはなかった。確かめなくてはならないことがある。

 和花は真っ直ぐ、スイを見つめた。スイは視線を逸らすこと無く、和花の瞳を真っ直ぐに見つめ返してきた。

「スイは消えそうなの?」

 その問いにスイは唇を引き結んだ。和花がスイの秘密を知ってしまったことに薄々気が付いている様子だった。

 それなら話は早いはずだ。

 スイは和花から視線を逸らそうとした。

 逃がすわけにはいかない和花はスイの顔を両手で覆って、自分の方を向かせた。手段を問う訳にはいかない状況になっていた。

「このままじゃ消えるだろうな」

 和花が最も恐れていることをスイはサラリと言ってのけた。まるで、少し散歩に行ってくる、という口ぶりで。

 当たり前のことを当たり前のように言っているのだ、と言いたげな口調だった。

 瑠璃色の瞳には哀しみや陰りは一切無かった。

 後悔や思い残すことなどない、と笑いけけてくるスイに和花は言葉を詰まらせた。

 用意してきた言葉も、言いたいことも一杯あったはずなのに、そのどれもが形にならずに消えようとしている。

「何で……?」

 全ての問いの代わりに溢れた言葉がそれだった。

 消えようとしているのに、何処までも満足した、みたいな顔をして。これも運命と受け入れようとしている。いや、もう半分以上、受け入れているに違いない。

 心残りなんてないみたいに。

 和花の問いにスイは顔を曇らす。

「何でって言われてもなぁ。俺も大分、長いことここに居座ったからなぁ」

 懐かしむような口調で、スイが言う。

 スイの瞳に何が映っているのか、和花には分からない。昔の景色か。和花の祖母のことか。それとも、和花のことか。

「仕方ないさ。人間が俺を求めちゃくれない。なら、俺も大人しく消えるまでさ。かつての神々がそうしたように」

 スイが目を細める。

 懐かしそうな穏やかな顔だった。

 和花はその表情は嫌いだと思った。何もかもを達観してしまったかのような目。諦めることを前提とした目。

「スイは私を置いていくの?」

 気がついたら、本心が溢れていた。

 スイが和花を見下ろす。

 蝉が一層強く鳴いた気がした。蝉がスイを連れて行こうとしている。

 瑠璃色の瞳が複雑な色を描く。ここに来て初めて戸惑いが顔を覗かせたようだった。

「そういうことになる、な……」

 スイが言葉を濁す。

 和花は泣きたくなった。置いていこうとしている。

「だけど、出来れば君のその力は封印していきたいと思っている」

 真剣な目をして、スイがそう言葉にした。

 和花は灰色の目を一杯に見開いた。スイがそんなことを言うなんて。

 神様を視る力を疎んでいたなんて。

 信じられない思いで胸が張り裂けそうになる。

 和花がどんな気持ちでスイと話して居るのか、スイは知らないのだ。

「俺は君を護りたい。いや、護りたいだなんて言って護れてないのが事実だ」

 泣きそうな顔をしてスイが言葉を紡ぐ。

 和花は何も言えず、動きを止めてしまった。

 逃げるのは簡単だ。いつでも出来る。

 だから、今は逃げずにスイの話を聞こうと思った。スイの方が逃げたい気持ちは強いはずなのだから。

「君の力は人ならざるものの力だ。人間に嫌われるだけならまだマシだ。妖も神もこぞって君を狙う」

 スイがギリっと歯を食いしばる。

 こんなことを言わなければいけないスイの心情は穏やかでは無いのだろう。和花は視線を逸しかけた。

 だが、今、和花が自分から視線をそらすわけには行かない。それは許されない行為だ。

 問いただしているのは和花なのだから。

「だから、その力が君を狙う神や妖に露見しないように封印してしまうのが一番の道なんだ。俺に出来る、唯一のことなんだ」

 スイの言葉は重かった。

 そんなことない、と否定したかった。だげど、無責任に口にできない。

 どうすればいいかなんて、和花には分からない。

 スイもきっと迷っている。

 出口のない迷路を彷徨っている気分だ。何処が正解かも分からずにただ迷っている。

「でも、それでも、私は……」

 スイに消えてほしくないと願うことが悪いことだとは思わない。

 和花のことよりも自分のことを優先して欲しい。消えかけているのはどちらなんだって考えれば分かることなのに。

 スイは消える運命は受け入れてしまっている。

 夏の日差しの中、スイと和花は正面から見つめ合った。

「分かった」

 和花は小さな声で返事をした。風が吹いて、黒い髪が和花の視界を埋める。

 スイの強張っていた頬が少しだけ緩んだ。

 しかし、和花が顔を上げないのを見て、眉根を寄せる。不安そうな表情で、和花の顔を覗き込んでくる。

「私の力を封印するのは構わない。仕方のないことだって考える」

 和花の言葉に、スイが良かった、と安堵の表情を浮かべるのが見えた。

 でも、と和花は言葉を続けた。

 スイの顔が不安げになる。黙って和花を見つめてくる。

「でも、スイが消えないようにして」

 和花は考えた。スイが和花の力を今まで封印して来なかったのは、その力がないからだ。

 もしかすると、すべての力を使えば可能になるのかもしれない。

 だけど、スイが消えてしまう未来を和花は認めない。認めることが出来ない。

 スイの力の源が人の願い、信仰だというのなら、和花は集めてみせよう。昔のように土地神を信仰してくれる信者を。

 視えなくたって、そばに居て欲しい。消えないで世界に有り続けて欲しい。

 残酷な願いなのかもしれない。それでも、和花は願わずには居られない。

 スイは黙り込んだ。瑠璃色の瞳が揺れている。

 長く白い指先が、形の整った顎をなぞっていく。深く思案している顔になる。

 しばらくの沈黙の後、スイは口を開いた。

「この夏の終わりまで時間を伸ばそう。それ以上は駄目だ。どうあっても君の力を封印するからな」

 スイの言葉に和花は愕然とする。期間が短すぎる。

 その間に信仰を取り戻せ、だなんて難しいことだ。

 和花の反応を見て、スイがくすり、と笑った。

「君。そんなに悲観することじゃあないぜ?」

 スイが笑う。

 悲観することじゃないって言われても、和花は明るくなれない。

 期間が短いってことは、スイの残り時間もあと少ししか残されていないということ。

 スイが消えそうな状況になっていることに気がつけなかったことが悔しい。焦りも感じる。

「夏祭り、やるんだろう?」

 落ち込む和花にスイが笑ってみせた。

 和花がやろうとしている夏祭り。それは、祖母がやって来たもので。

 昔、教えてもらったことがある。この夏祭りは和花の実家である神社が執り行う、土地神様への感謝を込めて開かれる。

 実りの秋が訪れる前。夏の一番暑い時期。作物を育てる土地の生命力が弱まる時期。つまり、土地が一番弱まる時期に開かれる。土地が元気になるように。

 土地神様を元気づけるための祭りでもある。

 作物の豊作を願う春の祭りとは違い、作物が順調に育つように土地神に祈りを捧げる祭り。

 つまり、祭りが成功すれば、すくなからずスイへの信仰を取り戻したことになるはずだ。

「夏祭りをやったらスイは消えない?」

 和花は灰色の瞳でスイを見つめた。

「そうだな、来年までは持つんじゃないか?」

 スイが笑った。

 明るい未来が見えた気がして、和花は顔を輝かせた。

 祭りを成功させれば、スイは消えなくてすむ。復興させようと思っていた祭りがもっと大事な意味を持った。

 今年成功させれば、スイは一年を乗り越えられる。来年もまた祭りを行えば、次の年も、スイは消えなくてすむだろう。次の年も、次の年も。

 信仰が戻ってくればいい、と父親と話したこともあった。

 そう。祭りをきっかけに信仰を取り戻せばいいのだ。

「そっか。そうだよね」

 安心したら、泣きそうになった。

 スイの大きな手が和花の頭に乗せられる。優しくて温かい手。和花が一番好きな手。撫でられると安心する手。

 スイがクスクスと穏やかな笑い声を上げた。

「安心するのはまだ早いぜ? 祭りを成功させてくれなくちゃな」

 スイの言っていることはもっともな話だ。

 喜ぶのはまだ早い。心の底から笑うのは、祭りを成功させてからだ。

 祭りの準備はまだ、終わっていない。

 なるべく早く、村長からの許可を得なければならない。秘密裏で進んでいる支度を公にするためにも。

 その為にはまず、村の人であるなしに関わらず、署名を集めなければならない。村長の首を縦に振らせるためにも。

「スイ、私頑張るね!」

 やる気が出てきた和花は自室へ署名ノートを取りに走り出した。スイをこの世界に残すためだと思うと、腹の底からやる気が出てきた。

 和花は元気よく走り出していく。


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