19 熱
昨日はすいませんでした。
なんとかなりましたのでお届けします。
気が付いたときには家に居た。
母親がそばに居て、安心したように笑っていた。
「私、どうしたんだっけ?」
掠れた声で問う。頭はズキズキと痛んだ。
「風邪を引いたのよ。あんだけびしょ濡れになれば無理も無いわ」
母親が困ったように言った。
思考がぼうっとする。考えなきゃいけないことは山ほどあるのに、まとまらない。
「根を詰めすぎたのよ。ゆっくり休みなさい」
母親はそう言い残して、部屋を去っていく。
一人になった和花は見慣れた天井に視線を移した。
体が熱っぽく、重い。関節は痛むし、ひっきりなしに寒気が襲ってくる。喉は痛むが、鼻が詰まっているので口呼吸するしかない。
ゼイゼイ口で息をしながら、まだ熱は上がるだろうな、と心の隅で思った。
窓から日が差し込んでいる。雨は止んでいるようだった。
スイはどうなったのだろうか。
まだ姿を見ていない。まさか、消えてしまったのではないだろうか。
そんな考えが一瞬で頭を過ぎった。瞬間、ゾッとした。
スイが消えてしまうなんて考えたくない。
這うようにして、和花は布団を抜け出した。途端に汗が冷え、寒気と頭痛が酷くなる。
構わず、前に進み、壁に辿り着く。
歯を食いしばって壁を支えに、立ち上がった。
スイのところへいかなければ。
その一心が和花を突き動かしていた。体が悲鳴を上げるのも気にせず、和花は誰にも見つからず部屋を抜け出して、境内に出た。
境内はいつも以上に静かな気がした。
水溜まりに景色が映っている。熱も相まって、自分が全く知らない世界に来たような感じだ。
足元がおぼつかない。
それでも、必死にスイの姿を探す。
消えてしまったんじゃないだろうか。そんなの嫌だ。
和花はフラフラと境内を進む。
もはや、足の感覚は無いに等しい。
「和花!?」
不意に自分の名が呼ばれ、和花は振り向いた。
しかし、そこに立っていたのは期待した人物ではなかった。
「……颯太」
名前を呼んで虚しくなった。
期待外れもはなはだしい。和花はまた境内を進んでいこうとする。
しかし、境内に生えている木の根っこにつまずき、バランスを崩す。
あっ、倒れる。分かっていても、体は思うように動かない。
倒れ込むより他はないだろう、と覚悟を決めた。
だが、体が地面にぶつかることはなかった。
和花の腕は、がっしりと掴まれた。颯太が和花の全体重を支えている。
「お前、こんな格好で何やってんだよ? てか、まだ熱あんじゃねぇか!」
颯太が怒鳴る。
怒りの声は頭痛に響く。和花は顔をしかめた。
「寝てろって」
和花の手を引きながら、颯太が言った。
その言葉を聞いて、和花はふらつく足に力を入れて立ち止まった。
もどかしさに颯太が和花を正面から見据えた。
「お前どうしたんだよ、何で寝ようとしないんだよ? 変だぞ?」
怒りを押さえ込んだ声で颯太が言う。
「スイを見つけなきゃ……」
和花はうわ言のように颯太に告げた。
颯太の眉がピクリと揺れた。焦げ茶の瞳が細められる。
「スイ?」
和花の言葉を繰り返していた颯太の顔が険しくなった。
スイ、という名に思い当たる節があるようだ。和花は颯太に近寄る。
「スイを知っているの? 今何処にいるの?」
縋るような気持ちで、和花は颯太に尋ねた。
蒼汰は拳を握りしめたまま、何も答えない。手が細かく震えていた。
いつもの和花なら、ここで追及を止めただろう。いや、そもそも、颯太にスイの話を振ったり、何処に居るかなんて尋ねたりしないだろう。
だけども、今日の和花は熱もあった。何よりも、衝撃的な話を聞いた後ということもあり、取り乱していた。
うわ言のように繰り返し、颯太にスイの居場所を問う。
「知るかよ、そんなん!」
颯太が怒鳴った。
力強い腕が和花の胸ぐらを掴む。
「この際だからハッキリ言ってやるよ! 神なんかこの世界にはいねぇんだよ!」
焦げ茶色の瞳が苛烈に輝いた。
和花は足が半分宙に浮いた状態で颯太の言葉を聞いた。
「こんなに熱がある女の子が徘徊してても止めてくれない神様なら、居ないほうがずっとマシだ!」
颯太の言葉に和花の瞳が見開かれた。
神様は信仰がなければ消える。信仰を否定するものが居ればもっと早く消えてしまう。
そんな気がした。
和花は颯太の手を振りほどこうとした。
とは言え、熱のせいで少しばかり手と足がバタバタ動いただけだったが。
「和花ちゃん!?」
そこへ、騒ぎを聞きつけた父親が本殿から姿を現した。
履物も履かず、和花の方へ駆け寄ってくる。
颯太は病人相手であったことを今更ながらに思い出したようだった。和花の胸ぐらを離す。
和花は支えを失って倒れ込みかけた。
滑り込んできた父親の腕に抱きとめられ、和花は転ばずにすんだ。
「こんな高い熱で何してるんだ?」
父親の質問に、和花はスイのことを言った。
颯太がギリっと歯を食いしばる。
父親は和花に怒鳴ろうとした。しかし、ぎりぎりのところで思いとどまったのか、息を吐き出す。
「うちの神さんはそんなに弱いのか?」
その質問に、和花は戸惑った。
今までだったら迷わず、弱くない、と否定していただろう。しかし、今は違う。
消えてしまうかもしれない。その不安は今も色濃く和花の中に残っている。
杏が告げたことは嘘のようには思えない。
だからこそ、不安になる。スイはこうしている今も、死に近づいている。
死なんて表現が正しいのかは和花には分からないが。
しかも、スイは和花の祖母のように亡骸が残るわけではない。
更に和花を不安にさせるのだ。
「うちの神さんはそんなに弱くない。信じろ」
信じろ、というのは簡単だ。
だが、心からそう思うのは想像以上に難しい。
信じなければ。和花は自分に言い聞かせた。和花が信じなければ、誰がスイを信じるのだろう。
信じなければ消えてしまうと言うのなら、和花ぐらいは信じていなければいけない。
和花は自分に言い聞かせ続けた。
父親の言うことにコクコクと頷いて見せれば、頭を撫でられた。
そのまま、和花は布団へと連れて行かれたのだった。
ちなみに午後にもう一話上げます。




