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14 きっかけ

 部屋に戻った和花は静かに口を結んだ。

 疲れた体をベッドに投げた。布団に体が沈んでいく。

 とにかく疲れていた。夏の猛暑の中で動き回ると言うのはそれだけで体力を持っていかれることだ。

 それに加え、日ごろの悩みと学斗尊のこと。

 不安と心配が入り混じって、疲れているのに、眠れない。

 目を閉じれば色鮮やかに学斗尊の蠱惑的な笑みを思い出す。その口から紡がれた内容――スイの秘密のことも気になるのだ。

 スイが何かを隠していることは和花だって知っている。そして、スイは和花がその秘密に触れないように気を配っている。

 秘密を知る権利は和花にはないのだろうか。幼い頃から一緒に過ごしてきた。ずっと見てきた。それなのに、スイは和花には全てを隠されている感じになっている。

 それが哀しい。でも、和花にも知る権利はきっとあるはずだ。

 だって、スイは和花が神様を視ることが出来なくなってからも和花のことを見守っていたはずだ。

 スイがどれだけ和花を大切に思ってくれているのかはその態度から分かる。

 そのスイが久しぶりの再会で安否を問わなかった。

 今の事実が示すことはたった一つ。

 スイは和花が神を視る力を失っても、和花を見守り続けていたということになる。だから、聞かなくても良かったのだ。だって、見ていたのだから。

 スイはそれだけ和花のことを知っている。

 だけど、和花はスイのことをほとんど知らない。祖母と仲良くしてくれていた神様で。和花に優しい神様で。

 でも、それ以外のことは何も。

 スイのことを何も知らない。どんな生き方をして。どんなことを思っているのか。何も知らない。

 知りたい。知らなきゃいけない。

 だって、スイは和花のことをなんでも知っているのだから。

 和花は布団をぎゅっと抱きしめた。

 胸の奥がざらざらと撫でつけられるような感覚。痛むわけではない。だが、腑に落ちない。

 心が荒れている。

「気になる?」

 不意に自分のものではない声が和花の耳に届いた。

 驚いて、和花は上体を起こす。

 続いて部屋の中をぐるりと見回す。いつもの部屋だ。カーテンも机も窓も。

 太陽が傾いて、暗くなりかけた部屋に人影らしい存在を見つけることは出来ない。

 夏の温度がなくなっていく。

 鳥肌が立ち、夏の夜のはずなのに寒気すら感じる。

 何かがいる。怖くて仕方がない。自分を抱きしめるように腕をつかむ。

「……誰?」

 震える声で質問する。

 布団を抱きしめ、キョロキョロと視線をせわしなく動かしていく。

「ここよ」

 部屋の真ん中あたりから声がする。

 和花は視線を滑らせて、部屋の中心を見つめた。誰もいない。

 だが、床の上に花びらが一枚。

 花を凝視する。一体何が起こるのか。じっと見守る。

 和花は知らず知らずのうちに息を飲み込んだ。

 その途端、部屋にあんずの花が一斉に舞った。

 怖いはずなのに、薄暗くなった部屋に薄桃色の花びらが舞う光景は絵に描いたように綺麗なもので。

 和花はその瞬間だけ、恐怖を忘れ、その光景に見入っていた。

 それほどまでに完成された美しさを持っていた。

 花吹雪が止んだ時、部屋の真ん中には女の子が立って居た。

 小学校低学年ぐらいの背丈。幼い顔立ち。

 抜けるように白い肌と、光を反射させる美しい白いショートヘアー。白い髪の間から覗く赤い瞳は見るものを皆、魅了するだろう。

 緋色の着物と羽織、首には薄桃色のリボンがまかれている。女の子が動くたびにリボンが揺れる。

 そして、綺麗で小さな手には花のつぼみが付いているあんずの木の枝が握られている。

 だが、とても美しい。幼ない人間の出で立ちだが、醸し出している雰囲気は人間ではない。

 和花の直感が告げる。

 この子は神だ。スイと同じで、人間の世界には実在しない。

 和花は布団を抱えたまま、後ずさりをする。

 女の子から視線を反らさず、壁際まで後退する。

 背中が壁に触れて、自分から追い詰められてしまったことを知った。

「何よ、怖いの?」

 女の子が不機嫌そうに言い放った。

 だが、どこか作り物めいた表情に、和花は薄気味悪さを感じた。

「所詮、人間ね」

 赤い目が一気に冷めていく。

 冷ややかな眼差しが和花を射抜く。品定めされているかのような無遠慮な視線。

 和花は混乱した頭を冷やすのに精いっぱいだった。 

 この状況を把握するために頭を働かせる。

「でも、仕方ないわね、これがガクのお気に入りなんですもの」

 ため息とともに女の子の姿をした神が呟く。

 見下されているのは分かっていても何も言い返すことは出来ない。言葉は何も意味をなさない気がした。

 その段階になって、和花は自分が布団を抱えたまま座り込んでいることに気が付いた。

 自分より背が低いはずの女の子に見下ろされているのだ。

 慌てて和花は立ち上がった。視線が相手より高くなったことで少し落ち着いた。

「貴方……、ひ、人の部屋にずかずか上がり込んできて、な、何なのよ?」

 和花はようやく声を絞り出した。

 いや、絞り出したつもりだった。だが、実際の声は震え、ほとんど声になっていなかった。

 小さな女の神様は冷ややかな視線を和花に投げつけてきた。

「礼儀がなってないのね」

 女の子はそっぽを向いてしまう。首に巻かれた桃色のリボンがひらりと揺れた。

 あんずの花の香りが部屋一杯に広がる。

「でもまあ、いいわ」

 和花が困惑して何も言えずにいると、女の子が静かに言った。

「私はあんず。愚かな人間でも覚えやすいでしょう?」

 明らかに和花を馬鹿にした口調で女の子――杏は名乗った。

 あんずの花を持った神様、杏。確かに覚えやすいけれども。言葉の一つ一つが鼻につくのだ。

 和花は何か言い返してやりたかったが、何も言葉が出てこなかった。脳が考えることを放棄してしまったみたいだ。

 その様子を見て、杏がクスリと笑う。

 和花は手に力を込めて布団を握り締めた。

「それで、気になるの?」

「……え?」

 言われたことに付いていけず、和花は思わず間抜けな声を出してしまった。

 杏はわざとらしく肩を落とした。

「水読尊。気にならないの?」

 はっきりとした問いに和花はハッとした。

 この神様は知っているのだ。スイの秘密について。

 和花は恐怖もいら立ちも忘れて、杏に詰め寄りかけた。

 灰色の瞳ぎりぎりにあんずの枝が付きだされる。目の前に桃色の花びらが見えた。木の枝の僅かな凹凸さえ確認できる。

 もうあと少しで、杏の枝が和花の目を突いていただろう。

 和花は動きを止めた。

「近寄らないで」

 杏の赤い瞳に嫌悪の光が浮かぶ。

 和花は息を飲んだ。数歩、杏から離れる。

「無神経にもほどがあるわ」

 フン、と短く鼻を鳴らした。偉そうな態度で杏が和花に言ってくる。

 そこまで言われるほど無神経だったのだろうか、と和花は少々遺憾に思った。

 だが、そもそも人の部屋にいきなり上がってくる杏は無神経ではないのだろうか、と和花は内心開き直った。

 それすらも見抜いているかのように杏は面倒そうに目を細めた。

 杏の赤い瞳は和花を見据えている。和花の本心すらも見えているかのように、その場にあり続ける。

「これだから愚かな人間になど近づきたくないのよ」

 赤い瞳が燃え上がる。地獄の業火を持ってきたような赤色は怒り。

 だが、和花には杏が怒っているだけには見えなかった。

 どこか別の感情を持っている気がするのだ。それが何、とはハッキリ言えないが。

 杏の気持ちはゆらゆらと揺れているのではないか、と思えた。

 確証もなにもない。そんな風に思えただけだ。

 だが、その考えは妙に和花の頭の中にこびり付いた。

 スイと似ているのだ、と和花は気が付いた。

 真っすぐな瞳の奥で不安定に揺れる悲しみの色。神様の目は悲しみを宿しているものなのだろうか。

 哀しいという思いを沢山抱えているに違いない。だって、神様は人よりずっと長生きだ。

 和花の祖母もよく言っていた。『人と神はまるで違うのだ』、と。

 見てきた歴史も、人の醜い欲望も、世の中を巻き込む狂気も、神様の方がよく知っている。

 全てを背負って神様は笑う。その笑みは優しいが、人の優しさとは違う。

 祖母の言っていたこと。意味はまだ、和花にはよく分からない。

 だが、祖母は和花に悪いことを教えない。だから、きっと大事なこと。

 人間である和花が神とどう関わっていけばいいのか、祖母は教えてくれていたはずだ。

 だから、和花は迂闊な行動はしてはいけない。思いついたことを簡単に口にしてはいけない。

 杏を前に和花は口を噤んだ。

 赤い瞳が少しだけ見開かれた。整っている唇が弧を描く。

「へぇ。ただの人間じゃないってことね。賢い人は嫌いじゃないわ」

 澄んだ鈴のような声音でクスクス笑う。その度に杏の首に巻かれているリボンがひらひらと躍る。

 何となしにリボンの波を見つめる。

「ねえ、神は好きかしら?」

 幼い声音が和花に問う。

 和花は杏を見る。それから、そっと右手を自分の左胸にあててみる。

 神が好きか。

 好き、とは簡単に言えない。

 スイのような神様がいることは知っている。だが、それはあくまでスイが少しだけ人間の考え方に寄り添ってくれているだけのこと。

 本来は人間と神は相容れない存在。

 和花は唇を引き結ぶ。

 そんな和花を見て、杏は表情を歪める。何か言いたそうにして、結局何も言わずに、俯いた。

「残念」

 杏の白い髪が彼女の表情を隠す。

 和花は杏の感情を汲み取ろうと、杏を真っ直ぐ見つめた。だけど、杏からは何にも感じ取れなかった。

「もしかしたらって思ったけど……予想外れね」

 言い残して、杏の姿は掻き消えた。来た時と同じようにあんずの花が部屋いっぱいに広がった。

 和花は思わず目を閉じた。瞼を押し上げた時には、あの幻想的な神様はいなくなっていた。

 あんずの残り香だけが杏がここに居たという事実を教えてくれていた。

 神様は気まぐれ。助けるのも試練を与えるのも、近寄るのも離れるのも、すべて気分。

 姿を現したかと思えば、あっという間に姿を隠す。

 何を伝えたかったのかも、何を考えていたのかもまるで分からないまま。

 スイやガクも同じ。分からない。本心を探っても容易に見せてくれない。

 和花が手を伸ばしても、手が届くことはない。住む世界が違いすぎる。

 祖母は言った。『解ろうなんておこがましすぎる。解らなくていいんだ。でも大事なことだけは見落としちゃいけないよ』、と。

 和花は壁に寄り掛かる。背にすべての体重を預けたままずるずると座り込んだ。膝を抱え、部屋の隅で丸くなる。

 全然解らない。いったい何が大事なことなのか。そもそも、大事なことが解らない……。

 考えがぐるぐる回って、頭が痛む。

 どれだけ頭を働かせたところで同じところで答えに詰まるだけ。

 全てが嫌になる。

 ちらり、と視線を走らせる。

 床に投げ出された署名ノートが視界に入ってきた。

 祭りも神様のことも、幼馴染のことも、村の人からの期待も、何もかもを放り投げて楽になってしまいたい。

 そんな考えが和花の頭を過った。

 それから、また膝を抱える。

「っはは、私、最低だ……」

 膝に頭を押し付ける。

 夏休み前、あれだけ言っておいて。

 上手く行かなくて、父親に八つ当たりして。涙が出そうなのを堪えようとする。

 自分に泣く権利はない。だって、色んな人を傷つけてしまった。

 だから、泣いてはいけない。

 しかし、強く思えば思うほど嗚咽が溢れだしそうだった。

 誰かに助けてほしくて仕方がない。だけど、誰も助けてはくれないのだ。

 口から息が零れて、終いに和花は声を押し殺して泣いた。

 一瞬でも、全てを放棄したいと考えた。心の底から本気で思った。

 和花は自分が許せなかった。自分がこんなにみっともないとは思わなかったのだ。

 神を信じないと言っていた颯太から最初のサインをもらった。色んな人が期待と願いを込めて署名をしてくれた。

 和花は一旦、背負うと決めて名前を集めていった。

 今更、一身上の都合で辞めます、とか言えないのだ。

 和花だって分かっている。自分が崖っぷちに立たされていることくらい。いや、自分から崖っぷちに行ってしまったことぐらい。

 だからこそ、途中で何もかもを捨てる、というわけにはいかないのだ。頑張らなければならないのだ。

 和花は乱暴に目元を拭うと床に捨てっぱなしにしていた署名ノートを拾い上げた。

 学斗尊とか杏とか、和花には分からないことだらけ。

 ならば、今は考えるべきではないのかもしれない。

 和花は今やれることをやっていくしかないのだ。


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