12 視線の先
ガラガラと引き戸を開けて、和花は家の中に入った。
日差しが遮られた家の中は、湿気こそ変わらないものの、ずっと快適なものに感じられた。
「ただいまー」
学斗尊と会ったことでどっと疲労感が押し寄せてきていた。疲れのにじむ声で帰宅の挨拶をする。
「お帰り~、和花ちゃんっ!」
奥の部屋から父親が姿を現す。そのまま、和花の方へと駆け寄ってきて、抱き着いてくる。
和花は抵抗する気力が湧かなくてされるがままになっている。
「どうしたんだ? いつもの元気が感じられないぞっ!」
父親が元気いっぱいに言うのを横目に和花は家の中に上がった。
ただでさえ頭はとっくにキャパシティーオーバーなのだ。学斗尊のことも、スイのことも。その上、父親のことまで悩まなければならないなんて、和花の疲労がたまるだけである。
父親のハグを華麗に交わしながら、和花は自室へ向かおうとした。
「和花ちゃん」
不意にいつもダラダラしている父親が真剣な声で和花を呼び止めた。それは珍しいことで。
和花は足を止めて、自分の父親のことを振り返った。
「改まってどうしたの?」
問えば、父親はドン、と自分の胸を叩いた。
「困ったことがあったら、いつでも頼りなさい。だって、パパは和花の父さんなんだから」
和花は思わず、失礼ながらも父親をまじまじと見つめてしまった。
すぐに目じりが下がる父親だ。家族には甘い顔しか見せない。キリッとした顔は仕事のときぐらいしか見たことがない。
優しくてデレデレな父親が真面目な顔で言ってくれている。
それはありがたい話なのだが、正直、初めて見た表情のような気がした。
「和花が神様が視えていることは知ってる。パパにはその苦しみは分からない。でも、少なくとも和花よりは長生きしてるんだ。アドバイスぐらいなら出来るから」
父親はそう言って照れくさそうに笑った。
大きな温かい手が和花の頭に乗せられる。それは、スイのものとは違う温度で。でも、同じ温かさを持っている気がした。
「ありがとう。私、大丈夫だよ。もう少しは自分で頑張ってみる」
心配かけたくないと言うのもある。
だけど、それだけではない。何が不安なのか、何が怖いのか、自分で分かってない。何を質問すればいいのか、何を理解していないのか。自分の立ってる場所すら見えない、というのが現状なのだ。
だから、相談しようにも相談できない。
「そうか。何でも言っていいんだからな」
「……うん」
父親の言葉に和花は返事を躊躇った。
俯く。心が何だか苦しい。
足裏に伝わってくるひんやりした廊下の温度がやけにはっきり感じられた。
「そっか、そっか!」
父親がいつもの笑顔で笑った。
和花はそれを雰囲気で感じながら、視線を床に落としたままだった。
「それより、祭りの準備は順調か?」
父親なりに気を使ったのだろう。
だが、和花の心にその言葉は重く刺さっただけだった。心がぎりぎりと痛めつけられる。
祭りの準備は上手くいっていない。中々署名も集まらない。いや、半分は埋まった。
だけど、ここからが難しいのだ。村の大半の家々は回ってしまった。故にここから、集めるのが難しいのだ。
自分の計画がうまくいかない。
「まあまあかな」
イライラしたものを飲み込んで、言葉を濁す。
「そっかそっか。それなら良いんだ。楽しみだな、祭り」
何も知らない父親が笑いかけてくる。
「でも……、その、ちょっと行き詰まってて……」
上手くは行っていない。だから、無意味に喜んで欲しくない。
「お? 和花らしくないぞ。元気を出せ!」
なんにも知らない父親の楽観的な態度が心を逆なでしていく。
「元気でなんとかなるような問題じゃないんだけど。今の状況、お父さんは分かってるの? 分からないでしょ?」
いつも以上に突き放した言い方になってしまう。
「分からないけどな、でも明るくいればなんとかなるもんだぞ。笑う門にはなんとやら、だ」
お気楽な言葉が和花の上に降り注いでくる。
拳を痛いぐらいに握り締める。唇も血の味が滲むほどに噛み締める。
父親の言葉は和花には責められているように聞こえた。
何もかもうまくいかない。
「少し放っておいてよっ!」
気が付いたら叫んでいた。
父親がビクリ、と肩を揺らしたのを視界の隅に捉えた。
酷いことを言ってしまったと頭では理解している。どうしても心が追い付かない。
一度も父親を見ないまま走り出した。
目の奥がぐっと熱くなって涙が零れそうになる。それを堪えて部屋の中に飛び込んだのだった。