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9 強さ優しさ誠実さ

 次の日。

 和花は颯太の家に居た。ふかふかのソファに腰掛け、相手が来るのを待つ。

 目の前には高そうな湯呑みに、澄んだ綺麗な色の茶が注がれている。その横にはやはりこれも細工に凝った和菓子が添えられている。

 和花は口を付ける気にはなれず、手を伸ばさない。

 家は人がいるはずなのに静かだった。クーラーが稼働する音が耳につく。

 窓の外からは微かに蝉の鳴き声が聞こえた。

 颯太は部活で留守にしているようだった。

「待たせたな」

 そう言って、村長である颯太の父親が入ってきた。

 スーツをきっかり着こなし、白髪をポマードで固めている。小柄だが、背筋が伸びていて何処か威圧感を覚える。仕事に生きている、というイメージを強く感じた。

「私は忙しい。要件は手短に話してくれ」

 上から目線で言われ、和花は胃が縮むような気がした。

 和花は昔から颯太の父親が苦手だった。いつでも忙しそうだし、話す時は高圧的だし、目つきが怖い。心なしか、和花を睨んできている気がするのだ。

 それでも、今回は怖いと言って逃げられない。祭りをやるには村長であるこの人の許可が必要なのだ。

「お忙しい中、時間を下さりありがとうございます」

 礼儀的に挨拶をすれば、鬱陶し気な顔をされる。

 こっちはこっちなりに気を使ってるのに、と言いたくなるのを我慢して、話を先に進める。

「では、単刀直入に言います。お祭りをやる許可が欲しいのです」

 真っ直ぐに話を進めに行けば、村長の眉がピクリと動いた。

 それだけで逃げたくなる気持ちを抑え、話を進めようとする。

 しかし、それより先に村長が動いた。湯呑みに入っているお茶をすすり、置いた。そして、分かりやすく咳払いをする。

「この村の祭りは夏のアニメフェスタに変更する。お前もそちらの企画を始動するのに協力したら」

 そんな計画がある、と聞いたことはある。クラスの人が噂している程度に、だが。

 しかし、和花は乗り気では無かった。

「でも、神社お祭りをなくしてしまうのは納得できません。それに、勿体無いと思います」

 和花は説明を試みた。

 この祭りのことを簡単に諦めることは出来ない。祖母が残してくれたものでもあるし、スイの信仰を取り戻すきっかけにもなる。

「その祭りが村に金を落としてくれるとでも?」

 村長が腕を組みながら、和花を見据えてくる。

 目が爛々と輝き、見下してくる。村長としての貫禄が垣間見える。正直、泣いて逃げ出したいくらいには迫力がある。だが、ここで逃げるわけにはいかないのだ。

 祭りを復興させると決めたのは紛れもない和花自身なのだから。

 それに、学校側や、村の人も協力すると言ってくれた。その人達からは話し合いで快く許可はもらった。

 だから、後は村長が首を縦に振ってさえくれれば、祭りは出来るのだ。

「屋台をやるので多少の収入はあると思います。それに、この村ご当地のお祭りだと宣伝すれば、観光気分で来てくださる人もいると予想します」

 必死に説得する。

 それを村長は鼻で笑った。

「それはあくまで希望論ではないか。話にならんな」

 村長が綺麗な和菓子を一口で飲み込んだ。もぐもぐと咀嚼すると一息で胃に流しこんでしまったようだ。そのまま、もう用はないと言いたげに腰を浮かせた。

 このままでは困る、と和花は勢い良く机を叩いてしまった。

 村長は驚いて動きを止めてくれた。

「お願いです。祭りをやりたいのです」

 立ち上がり必死に頭を下げた。

 長い黒髪が肩から流れ落ちた。

「もっと多くの人からの要望があれば考えてやる。まあ、無駄なことだ。もっと時間を有意義に使うんだな」

 そう言い残して、話すことはない、とばかりにサッと立ち上がる。スーツの襟を直し、そのまま扉へ歩いて行く。

「お願いです、どうかご検討のほどお願いします!」

 和花は必死になって頭を下げた。

 それも虚しく、村長は部屋を出ていってしまった。

 残された和花は頭を下げたまま、下唇を噛み締めた。

 クーラーの風が黒い髪の毛を揺らした。冷たい風が吹き付けるのみである。

 扉が開く気配を感じて和花は顔を上げた。

 ちょっとばかり厳しい顔をした颯太が立っている。サラサラの茶色の髪が光を受けて金色に見える。どうやら、部活ではなかったらしい。

 怒っているのだろう、颯太の眉間には皺が寄っている。

「えっと……」

 和花が口を開くと、颯太は首を振った。話すつもりは無いらしい。

 静かになる。機械の作動する音だけが耳につく。

 寒いような気がして、和花は一度だけ身震いをした。

 それを見た颯太が部屋の中に入ってくる。そのまま、クーラーのリモコンのスイッチを切った。

「少し、歩かねぇ?」

 何時になく元気がない颯太が和花の方を見ずに、声をかけてきた。

 珍しいこともあるのだ、と和花は目を丸くした。それから、母の言葉を思い出した。バランスとか、視野を広くとか。

「良いよ。気晴らしに歩こう」

 和花が承諾すると、今度は颯太が目を丸くした。和花が肯定するとは思わなかったのだろう。

 笑いそうになるのを堪え、和花は玄関に向かう。

 その後を小走りで颯太が追いかけてくる。

 玄関の扉を開けると夏特有の湿気を含んだ生ぬるい空気が肌にまとわりついてきた。より一層、蝉の声が大きく聞こえる。

 温度差に体が重くなる。

 和花が暑さにやられている間に、颯太が和花の数歩先で手を振っていていた。

「今、行くよー」

 少しダレつつも声をかける。

 颯太が歩き出した。和花はその後ろをテコテコと付いていく。

 アスファルトの上で陽炎が揺らめき、逃げ水が見える。颯太の足はそれを追いかけるように進んでいく。

 無言で歩いていると首や腕を太陽の日差しが焼く。

 行くあてもなく歩いて行く颯太は大きな木陰の下で立ち止まった。颯太の頬を汗が流れ落ちていく。

「大人って嫌だよな。ああはなりたくないもんだな」

 颯太が呟いた。

 ああはなりたくない──村長の態度が頭の中で繰り返される。

 人のお願いを鼻で笑い、必死の説明を無理だで片付け、頭を下げる人を無視して部屋を後にする。おまけに、高いお菓子を一口で飲み込んでしまう。

 確かにそういう大人にはなりたくないものだ、と和花は頷く。

「お前、悔しくないのかよ?」

 颯太が短く質問してきた。

 和花は迂闊にも頷きかけた。だが、ギリギリの所で踏みとどまる。

 手をギリギリと握りしめつつも、ヘラリ、と笑ってみせる。

「うーん」

 和花は唸った。

 全然悔しくない、というわけではない。だが、村長のことは昔から知っている。ある程度、こういう態度を取られることは分かっていた。

 だからだろうか。

 多少は悔しい、と感じていても和花はそれほど落ち込んでは居なかった。

「なんだよ、煮え切らねぇな」

 颯太が少しだけ不機嫌そうにぼやく。

 こういう時は和花も一緒になってそうだよね、と言ってあげるのが友達なのかもしれない。

 しかし、和花はこの時、幼馴染として、頷くのを止めた。ただ、同調しているのが優しさ、とは限らない。

「うん、ごめん。でもさ、少し考えてみたくて……」

 和花は言葉を濁した。

 龍現がしてくれたように相手の話を聞いて、その上で何かを言ってあげられればいい。

「ふーん。……てか、親父は頭が固い年寄りかっての」

 颯太が文句を言い出す。

 和花は黙って耳を傾けた。

 湿気を含む生ぬるい風が木の枝を揺らし、木洩れ日を躍らせた。複雑な光が交差する。

「いや、元々ああいう性格だよな! 家族すら放り出して、仕事仕事仕事! おかげで俺の人生は滅茶苦茶だ」

 嘆くような口調で、颯太が言葉を募らせた。

 颯太の家庭は難しい。和花はその事情をかい摘んで聞いただけだが。

 一時期、颯太は真剣に神社に祈りに来ていたことがある。和花がまだ神様を視ることが出来ていた時代。つまり、和花の祖母がまだ生きていた時代に。

 颯太はその当時、離婚騒動で裁判が行われていたのだ。それは颯太の親権を巡っての裁判だった。

 父親にはほとほと嫌気が差した母親だが、颯太には愛情を注いでいた。ゆえに颯太を引き取ろうとした。しかし、自分の跡取りである颯太は自分が育てる、として父親が裁判を起こしたのだった。

 そして、颯太は母親に引き取られたいと願った。

 必死に願ったのだ。仕事人間で、自分のことなど道具としか思っていない父親などには引き取られたくない、と。

 しかし、スイはその願いを叶えることが出来なかった。スイが叶えられる領域の願いではなかったし、何よりもスイには力がなかったのだ。その時から既にスイに信仰が集まって居なかった。だから力が発揮出来なかった。

「なあ、和花は悔しくないのかよ、あんな言い方!!」

 颯太が再度、縋るような声で言ってきた。怒鳴り声にも似ていたが、それは間違いなく、和花に救いを求めた声に聞こえた。

 その時、和花は不意に思い出した。

 ――俺は人間が嫌いで愛おしいんだ。

 スイの言葉だ。昔、スイが祖母に向かって言った言葉だ。

 その時の表情と颯太の今の顔はそっくりで。だから、和花も気が付いてしまった。

 颯太は嫌いだと言いながら、愛してほしいと願っているのだ、と。

 それは和花が簡単に踏み込んでいい領域ではない。だから、見守るしかできない。

「悔しいよ」

 和花は静かに言い返した。

 拳を握りしめ、一度、視線を下に向けた。

 夏の騒音である蝉の鳴き声も遠くなっていく。

 このまま居たら、泣きそうな気がして和花は慌てて顔を上げた。

 颯太の焦げ茶の瞳が大きく見開かれた。綺麗な瞳に和花の姿が映る。

 予想はしていた。覚悟はしていた。だから、ショックは少なかった。だけど、悔しくないか、と言われたら悔しいに決まっている。

「だよな、お前頑張ってたもんな。頑張って計画立てて、必死になって支度してさ……。馬鹿みたいじゃん」

 颯太の言った通りだった。今年こそは、と決めて準備をしてきた。それを話しにならん、の一言で片づけられてしまう。

 それが悔しくないのなら、そんな思いは偽物だと和花は思う。

「悔しいに決まってるじゃん。だから」

 和花はそこで言葉を区切った。

 痛いほどに拳を握りしめた。

 生ぬるい風が木の葉を揺らしていく。差し込んで目に入った木洩れ日に颯太が眩しそうに目を細めた。

「だからこそ、納得させてやる。私なりのやり方で」

 黒い髪が風に遊ばれた。

 颯太は何も言わない。いや、言えないのだろう。

「私、この祭りは絶対やるって決めてるから」

 固く強く拳を握り締め、決意を口にする。

 誰の為でもない自分の為に。

 祭りを成功させて、スイや颯太と向き合って。自分なりの付き合い方の答えを出していきたい。そう決めた。

 その覚悟が誰かの灯火になればいいと思う。颯太の灯火に。スイの灯火に。この祭りが何かのきっかけになればいい。

 和花は心の底から思う。

「強いなぁ……」

 大分時間がたってから颯太がぽつりと呟いた。その言葉が空気に溶けて消えていく。

 遠くに聞こえていた蝉の音が近づいてきたような気がした。いや、蝉が今鳴き始めたようにも思える。和花の肌を汗の滴が落ちていく。

 和花は黙り込んだ。

 自分が強いようには思えなかった。普通に悩むし、屈折もする。全ての自信を無くすことだって多々ある。

 その度に母親や龍現に迷惑をかけて、励まされて。

 それを強いとは言わない気がする。和花は颯太が思うよりずっと普通の女の子だ。

 だから、颯太の言葉に素直に肯定することが出来なかった。

 一際強い風が吹き抜けていった。

 颯太がよしっ、と一言呟いて頬を叩いた。

「で、どうすんだよ?」

 焦げ茶の目がいつも通り、明るさを取り戻している。

 和花はくすり、と笑った。颯太の方が強いと思う。こうやって切り替えて前を向くことが出来る。

「そうだね、まずは署名でも集めてみようかなって。……ん?」

 言ってから、和花は颯太のことを見つめた。

 颯太は和花の方を見ていない。木洩れ日を作っている大木を眺めながら、明るい茶髪をガシガシと掻き毟っている。

「ねえ、それって祭りに参加してくれるってことでいいの!?」

 和花の言葉に颯太はどんどんそっぽを向いていく。耳が赤くなっている。

 和花が近づくと、颯太は腕を大きく振って和花を追い払った。口をとがらせて和花の方をちらちら見てくる。

「あれだ! 別に神様なんざ信じていないけど、祭りだしな。協力してやってもいいなって思っただけだ」

 ふんって鼻を鳴らして、颯太は踵を返す。

 おかしくなって和花はクスクスと笑いをこぼした。それと同時に胸に肩にのしかかっていた重みが軽くなった気がした。

 いつもの颯太だ。良かった、と心の底から思う。

 笑われたことに腹が立ったのか、颯太はいつもに増して不機嫌そうな顔を浮かべていた。だけど、やがて困ったように笑みを零したのだった。


 その夜、和花は自室で笑みを零した。

 署名を集めるために作ったノートの最初のページの最初の欄。そこに颯太の名が記されている。性格に似合わない達筆な文字がキチッと枠内に収められている。

 あの颯太が、神様を信じていない颯太が、祭りに協力してくれた。これはとっても嬉しいことだ。

 颯太にとっては父親へのほんの少しの抵抗なのかもしれない。気に入らないから、相手の気に食わないことであろうことをやる。そんなつもりで書いたのかも知れない。

 それでも、和花にとっては何にも代えがたい大切な一票な気がした。

「まずは一人。皆にも書いてもらわないと」

 和花はパタパタと自室を出ていく。


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