真の魔王
剣が交差する度に響く金属音すらかき消す豪雨。それに雷鳴。勇者は全身鎧なので気にもならないだろうが、軽装で少々肌の露出が多い妾には痛いほどの雨が地味に辛い。こんな事なら、ナメずにしっかりした戦闘装備で来るのだった。ああ、こんな不快な想いをするのも、不甲斐ない勇者のせいだ。コイツがもっと強ければ、妾も戦闘装備で来ただろう。
「どうした? 勇者よ、そんなザマでは、この大陸は妾のモノだぞ」
「くぅ、負けない! 必ず、お前を倒す!」
八つ当たりで勇者を言葉で責めてみると、奴も律儀に応じてきた。もう少しいぢめてやるとしよう。
「仮に妾を倒せたとして何とする? あの愚か者たちは、英雄となった貴様を疎むだろう」
「そんな事は分かっている! アンタが何の為に戦争しているのかも、今では分かっている!」
「ほぅ……」
少しは周りが見えてきたのか。最初は妾を殺すことしか頭になかったのにな。
「でも、アンタのやり方じゃぁ、ヒトが死にすぎる! 人間も、エルフも、ドワーフも、みんな……魔族だって!」
「一度焼き尽くさねば、変われぬよ! ならば、その役目は妾が……!」
種族対立は根深い。個人的な交流ですらほとんど無い。妾が圧倒的な武力で攻めて、やっと同盟軍を結成したが……足並みが全く揃っていない。
「アンタは長生きの魔族の癖に短気過ぎる! 何百年も生きてるんじゃないのか!?」
「失礼な。まだ50だ。それに、長生きといっても、せいぜい300年だ」
言い返すと、勇者は惚けたように剣を止めた。
隙だらけだが、まぁここで攻撃するほど妾も無粋ではない。
それにしても、これも種族対立の弊害のひとつか。正しい知識が伝わっていない。
「あ……なんか、わりぃ……」
素直なのはこの勇者の美徳だな。
「まぁ、妾が短気なのは否定せん。だが、他の方法では確実に成果がでるより前にお主や妾の寿命の方が尽きる」
妾という「敵」を作り、全ての種族で一致団結させる。コレが妾の作戦。妾が生きている間に実現できる種族融和の方策。
「ああ、そうだろうさ」
勇者も他の方法では時間がかかり過ぎるのは理解しているようだ。
「俺が死ぬまで50年か? 100年は無いだろう。その間には成果は出ない。だが、子供が死ぬまでには? 孫は? そのまた孫は? 500年先なら? 1000年なら?」
コイツ、本当に人間か? 気が長すぎる。
「そんなに待てるか! 妾はこの目で、生きている間に見たいのだ!」
「なら、見せてやるよ!」
「なに!?」
勇者の言葉と共に、妾の足元に魔法陣が現れ、光り輝いた。
「これは……!」
豪雨で気がつかなかったが、周りに勇者の仲間が何人も居たようだ。どうやら、魔術師……だが、コレは攻性魔法陣ではないようだが……え?
「さらばだ! 魔王! 【エクソリア】!」
魔法構成を見て驚いた隙に、勇者の……勇者たちの魔法が妾を包んだ。
■
光が収まった時に見えたのは、晴れ渡った空だった。
「負けた……か」
魔法構成は見えた。1000年先の未来に追放する魔法。時の流れは一方通行。未来に飛ばす魔法はあっても、過去に戻る事は不可能。なら、この未来の世界で生きるしか無いか。
辺りを見渡すと、晴れている以外は先ほどまでと同じ景色が広がっている。1000年の月日が流れたとは思えない。だがあの嵐が止み、これほど晴れた空が広がっているからには、時を超えたことは間違いない。そして、あの魔法陣の構成では間違いなく、1000年の時を超えさせる魔法だった。つまり、勇者は妾を遥か時の彼方に追放する事に成功したのだ。
「実力では勝っていたとは言わん。勇者たちよ、お前たちの勝ちだ」
あえて声に出して言う。それが、二度と会わぬ彼らに対する礼儀だと思ったからだ。
さて、それはそうと、これからどうするか……
いっそ、勇者の成果でも眺めて暮らすか? ……ヤツの言う通り、1000年も経てばヒトも変わっているだろう。発展もしている筈だ。武器も、技術も、魔力も強化されているだろう。私は既に魔王ではいられない筈だ。どこぞで町民に紛れて暮らす事になるかな。
そんな風に考えていると、どこかから馬の嗎……いや、悲鳴が聞こえてきた。
「……さて、野生馬か馬車か……どちらにせよ危険はあるが、竜の卵は竜の巣にあると言うしな」
そんな独り言を言いつつ、妾はそちらへ向かった。
■
結果から言うと、馬車が襲われていた。馬は殺され、車両も横転しているという状態だ。
それなりに整備された街道で、少し先には街も見える。護衛も油断したところを襲われたのだろう。馬車の護衛と思しき人間が10名ほどの団体と戦っている。
倒れているひとりは、護衛と同じ装備の……魔族。
馬車を襲っているのは、人間、ドワーフ、魔族の混成。
「なんと……これは……やり遂げたのか!?」
妾が望んだ光景。全ての種族が手を取り合う未来。争いはあれど、種族の垣根は無い。
あの勇者の言う通り、1000年先のこの未来でこんな光景が観れるとは……
とはいえ、この状況。どう見るべきか……
妾にはこの時代の情報は皆無。ならば、少しでも恩を売って情報を得たいが……馬車を襲っているからといって、イコール盗賊というわけではない。役人が咎人を追っているだけと言うこともある。下手に手を出して罪人になるのは避けたいところだ。
……そういえば、まだ馬車で移動しているのか。単なる懐古趣味なのかも知れないが、魔導自動車の実用化と普及は1000年経っても成し遂げられなかったようだ。
なんて事を考えながら様子を伺っていると、襲撃者側の魔法使いが魔力を練り出した。
「な!?」
思わず声が出てしまい、慌てて自らの口を塞ぐ。
なんだ、あの魔力は!? 妾の倍は……いや、それよりこの辺り一帯を吹き飛ばすつもりか!?
妾は魔族でも随一の魔力を保持していると自負している。そんな妾の軽く倍の魔力を練り上げてゆく襲撃者。ただの盗賊ではありえない。いや、どんな輩だろうと、あんな魔力で放つ魔法など、敵どころか味方も巻き込む広範囲殲滅魔法くらいのものだ。
……ひとまずは、魔力探知でバレぬように注意しながら、シールドを3重……いや、5重に展開する。
「【ファイアランス】!」
放たれた炎の槍が馬車の護衛に迫る。
「【シールド】!」
護衛もシールドで防御する。
「くっ、この俺のファイアランスを防ぐとは!?」
「く、そ……今ので魔力を……」
なにやら大げさなやりとりをしているが、どっちも阿呆か? あの2人、どちらも強大な魔力を有していながら、そのほぼ全てを無駄に垂れ流していたのだ。はっきり言って、魔力制御が全くなっていない。魔力制御ができていなければ、魔法の威力は弱まり、魔力切れにもなる。
「ははは! 魔力切れか! 俺はあと2発のファイアランスを撃てるぞ!」
「なん……だと!? くっ、せ、せめてこの身を盾にしてでも……!」
「一応聞くが」
襲撃者と護衛の間に立ち、どちらにともなく妾は問うた。
「演劇か何かの練習というわけではないだろうな? もしそうなら、邪魔した事を詫びよう」
できれば、そうであってほしい。
あのような児戯以下の魔法が実戦で行使されているとは、信じ難い。
「なんだ? テメェは?」
「嬢ちゃん、コレは芝居でも訓練でもない! 本物の賊だ! 逃げろ!」
「顔をみられたんだ! 逃すわけねーだろ! オメェら、やっちまえ!」
「【ファイア】」
『ぎゃぁーーー! ! ! 』
周りを囲んでいた賊が……顔見られたからと殺そうとするなど、賊だろう。周りの賊が何人か、妾のファイアで燃え尽きた。
「な!?」
賊の頭らしき男が驚きの声を上げる。
むしろ、驚いたのはこちらだ。
「……防御すらできぬのか。どうやら、魔力は増したが、技術は地に堕ちたようだな」
魔力が強大になり過ぎて、力業で魔法を行使できてしまうようになった故の技術の衰退。といったところか。
「テメェ、今、何しやがった!?」
ふむ、分かるようにわざわざ省略とはいえ、詠唱して行使したのだがな。
「聞こえんかったか? ただのファイアだ」
端的に、事実を告げてやる。
「フザケンナ! ただのファイアで燃え尽きるわけねーだろ!」
確かに、妾のファイアを食らった者たちは、消し炭も残らず燃え尽きた。
「ああ、流石に妾も驚いた。まさか、ノーガードで食らうとは、な。さて、残りはどうする? 降参するなら、命まで取ろうとは言わん。……護衛の方々がどう言うかは分からんがな」
「そんな脅しにビビるかよ! 強力な魔法使いだろうが、あんな魔法はもう撃てないだろ!」
吠えると共に斬りかかってくる賊。先ほどの頭ではなく、少し遠巻きにしていた魔族だ。
ファイア程度、連発できないと思われているのも業腹だが、それ以上に身体強化すら無しのただの上段斬りをしてくるとは、まったく嘆かわしい。
身体強化なしの攻撃としては、なかなかのスピードとパワーではあるが、そんなモノはキングの駒だけで盤戦をするようなもの。勝てるわけがない。
軽く剣を躱し、カウンターを決めてやる。
「死にはせんだろ。とはいえ、暫くはマトモに飯は食えんだろうがな」
……そう言ってやったが、手応えがおかしい。
ふと見ると、賊の背中から生える腕が見えた。妾の腕だ。ふむ、身体強化無しだと、ここまで脆いのか。
腕を抜くと、賊が崩れ落ちた。が、死んではいない。バレないように、こっそりヒールをかけてやった。あんなセリフを吐いて死んでたら恥ずかしい。
『ひぃぃ! 』
残った賊が蜘蛛の子を散らすように逃げてゆく。
貫通した腕を見られたようだ。うーむ、コイツが生きてるのを確認してから逃げて欲しかったのだが……
「あ、テメェら、逃げるな!」
賊の頭が止めるが、方々に逃げる部下の足は止まらない。
「さて、残りはお前だけだが……」
そう言いながら一歩踏み出すと、頭は武器を捨てて命乞いをしてきた。
「ひ、こ、降参するぅ! 命だけは……」
跪き、手の指を組む。妾の知識にはない仕草だが……恐らくは、頼み込む時のポーズであろう。
とはいえ、妾の一存では決められない。頭であるならば、襲撃の責任はコイツにあるのだ。ひとまずは、護衛の人間に判断を仰ぐとしよう。
「こう言っているが……」
「【ライトニング】」
妾が護衛に向き直った瞬間、頭が電撃を放ってきた。が、妾に届かず弾かれる。
「あぶ……え?」
「なん……?」
護衛と頭が困惑しているようだが、単にシールドを貼っただけだ。正直、児戯のような魔法で妾がどうにかなるとは思えないが、電撃は弱くても事故の可能性が充分にある。試合や対人訓練での使用が禁止されるほどに危険なのだ。
そんな魔法を放ってきた頭を見やり、言い放つ。
「不意打ちなら、詠唱破棄くらいはする事だ。まぁ、魔力も殺気もダダ漏れでは意味は無いが。さて、流石に降参したフリをして不意打ちで攻撃してきた輩を許すほど寛容ではない。【ストーンバレット】」
無数の礫を射出する。もちろん、手加減は忘れない。どうせコイツも防御すらできないだろうからな。
「ひぎゃぁぁぁ」
賊の悲鳴が響く。暫く踊っているかのように礫を浴びた頭も、妾が礫を止めると同時に崩れ落ちた。
「死なん程度には手加減した」
ヒールも不要だ。地獄を見るがいい。
おっと、しっかり引き継ぎもしないとな。護衛に向き直り伝える。
「後ほど拷問でもするがよい」
「あなたは……」
そんな言葉しか出ないほど呆然としている護衛だが、妾の事より大事があることを忘れているのではないか?
「妾の事より、馬車の中を心配するべきではないか?」
そう、馬車だ。横転……というか、ひっくり返っている。乗っている人物もそれなりにダメージがあったはずだ。妾に構っている時間も惜しいだろう。
護衛は直ぐに馬車に駆け寄り、天地が逆になった扉を叩く。
「奥様、奥様!? 失礼します!」
中からの返事が無いとみるや、護衛は無理矢理扉を開け放った。
中を見ると、あちこちに血が飛び散っている。そんな血まみれの中にひとりの夫人……いや、子供を抱き抱えている。どうやら夫人が子供を庇ったらしい。意識は、無い。だが血で汚れてはいるが、自身の怪我は無いようだ。
つまり、馬車内の血は全てこのご婦人のモノという事。想定していた以上の大怪我だった。
「怪我が酷いな。早く治療を……」
「分かっている! だが、これからで間に合うか……」
「お主、護衛じゃろう? 治療魔法はできんのか?」
「俺が聖職者に見えるのか? できるわけ……いや、こんなことを言っている間に……」
どうやら、護衛の必須技能だった治癒魔法だが、この1000年後の世界では聖職者どもの技能という事になっているらしい。本当に、度し難い程に技術が衰退しているな。
「ううう……」
そんな事を思っていると、夫人がうめき声を上げた。どうやら、何とか意識が戻ったようだ。
「奥様!?」
「アルバートは……」
「奥様がお守りして、ご無事です! 申し訳ございません。我々が付いていながら……今しばらくご辛抱を」
アルバートとは、夫人が抱き抱えている子供のことだろう。さて、これまでに見た魔法技術のレベルでは、治療の方も大したものではないだろう。下手をすれば夫人はこのまま死ぬ。ここで恩を重ねて、さらなる情報を得るのが得策か。
「【ヒール】」
「え?」
夫人にヒールをかけると、直ぐに傷が治る。
「奥様!? おお、貴女は名のある神官様でしたか!」
その様子から、こんな初歩のヒールですら、大魔法扱いなことに気付き、目眩すら覚える。
「ただの魔法使いだ」
まさか、1000年前から来た魔王だと言うわけにはいかない。どんな悪評が伝えられているか分からないし、そもそも信じてもらえないだろう。
「ありがとうございます。ここでは充分なお礼はできませんので、是非とも屋敷に!」
「いや、金は……」
要らないから情報だけくれ。
と、伝えようとしてふと思い出す。
そういえば、金どころか着替えも無いのだった。
何せ、戦闘中にぶっ飛ばされてきたのだ。装備は軽装。財布なんぞあるわけがない。仮にあっても、1000年後の世界では使えないだろう。
「あー、恥ずかしい話、文無しでな。現金収入は歓迎だ」
結局、そう言った。
ひとまずは、暫く暮らせるだけの現金だ。その額で物価も分かるだろう。
「喜んでいただけるようで、何よりです。……丁度迎えも来たようですね」
街の方から正規兵らしき集団が来るのが見える。
このご婦人を送る算段は考えずとも良さそうだ。
これが、妾とクライム家との出会いだった。
◆
今日の我が国の発展は、魔王アルバート・クライム抜きには語れないであろう。その類稀なる魔法の才によって魔法学園を優秀な成績で卒業し、若くして魔導騎士団長に就任。近隣諸国に並ぶものの無い武才を誇った英雄。
その英雄が「真の魔王」と呼んだのは家庭教師にして伴侶であったカーリー夫人なのだという。
カーリー夫人の実像は謎に包まれている。魔族であったことは確かなようだが、その来歴は一切記録に残っていない。強大な魔法を操る賢者であった故にクライム家の家庭教師として招かれたと記録にあるが、彼女の記録はそれ以前のものは一切見つかっていない。そのような強大な魔法を行使するような人物でありながら、各地に信頼できる記録が一切残っていないのだ。(後世の創作と証明されたものであれば、枚挙にいとまがないが)
当時よりカーリー夫人の魔力量は常人のそれよりも少なかったとされる記録もあり、アルバートらしからぬ身内贔屓の評価とする向きがある。
この過大評価は身元不明の平民である彼女との結婚を正当化するためのでっち上げとする研究者も居る。
実際、彼女が行使した魔法の記録を紐解くと、今では初心者レベルの魔法と評されるものばかりで、せいぜいが中級者程度のものであったようだ。
しかし、当時としては強力な魔法だったことは間違いなく、恐らくはその恵まれぬ魔力量を補う為、古の魔法を研究した。という説が主流である。
類い稀なる運と努力によって大厄災以前の魔法鍛錬方を見出したのであろう。当時の技術の数段先をゆく魔法制御術を身につけてた彼女は、なるほど「真の魔王」と呼ぶに相応しいかもしれない。
もちろん、大厄災以前の魔王カーリーと同名であった事も、無関係とは言えないだろう。
もっとも、こちらの「魔王」とは、現代の「魔法使いの王」という意味ではなく、「魔族の王」ではあるが。
近年、この魔王カーリーとカーリー夫人を同一視する研究者が出始めている。クライム家の蔵書の中から、夫人の日記が見つかり、自分は魔王カーリーだと記載してあったのである。最初の方は古代文法で書かれ、徐々に当時の文法に修正されてゆく様など、「時を超えた魔王」の書いたモノというリアリティがある。
とはいえ、流石に偽書であろう。仮に本人が書いたものであっても、日記風の小説というオチであると思われる。
我々歴史家は例え本人の直筆書簡であっても、鵜呑みにする愚を犯してはならないのだ。