2話
屋敷に住んでいる人間は計7名である。
旦那様の家族と使用人である。
ただ家族と言ってもこの家には一人娘しかいない。
ゆえに旦那様、奥様、そして今年で15歳になる夕木様のみだ。
住み込みの使用人の数の方が多い。
旦那様の秘書、夕木様の世話係、調理師、そして俺だ。
頭から、女、女、男、男である。
非常に恥ずかしい話だが、俺は旦那様が具体的にどういった仕事をされているかは詳しく知らない。
すこぶる好待遇の求人を頼りにやってきただけであって、細かい話には興味がなかった。
やり取りが殆ど欧州や北米など海外であることは明白だったが、それゆえにどこか縁遠い話に感じていたし、また、実際職務内容も多岐にわたるようで、はっきりいって株や政治や取引といった類のことは無知だったので理解しようとも思わなかった。
何時の間にか夕の空が頭上に描かれ始めていたため、俺は脚立から降りた。
偶々俺が庭いじりに長けている理由は、ただ単に神経質だからなのかもしれない。
だから俺には欧米の有名な美術家のような奇抜でセンス溢れる庭を創造することなど到底不可能で、ここに来た時から習わしとなっている外観に従い、ただひたすらにこのだだっ広い庭を整えるだけである。
本当にただ日々均一化をはかっているだけであるが、不思議なことに旦那様と奥様の評価は大変良く、待遇は良い。有難いと思っている。
元々俺はここより遠くの生まれであり、嫁と娘が居る。
ただ、何を隠そう、屋敷のあるこの地域は離島である。
わざわざ俺の仕事のためだけに家族ごと引っ越しをというのは気が引けた。
引っ込み思案な娘がようやく地元の小学校に馴染み始め、親しい友達ができ始めた段階だったので尚更だった。
屋敷に戻り、部屋のシャワーを浴びてから、俺は調理場へ足を運んだ。
そこでは、当然のように調理師の高戸さんがせわしない様子で料理へ取り掛かっていた。
「おや牧原さん、今日も手伝ってくれるんですね」
「ええ、まぁ、手が空くようなら極力と言われておりますので」
「それはありがたい。しかし最近は特に何かと頼まれごとが多いようで。あまり無理をされると身体に毒ですよ。なんてったって、僕らはもう中年のオジサンなんですからね。ははは」
「はっはっは。しかしお互い子どものいる身ですから、老け込むわけにもいかないでしょう」
「それはごもっとも。しかし子どもというのはね、牧原さん。存外自分の力で生きていけるもんですよ。親が過保護になり過ぎるのも考えものです」
「そんなものですかね。というか、旦那様や奥様の前でその発言は不味いですよ」
「ははは、確かに。大変だ。では早速ですが……」
と、高戸さんと世間話を繰り広げながら俺は調理を手伝った。
無論、プロの調理師の高戸さんには遠く及ばないが、元来手先が不器用な方ではない俺は、彼の負担を軽減する程度には手伝いが出来た。
また、高戸さんは歳も近く気さくなタイプで、お互い妻子を持つ単身赴任ということで境遇も似ていて、彼と話す時間は俺にとってはまったく疲れにならなかった。
そしてあっという間に出来た夕食をいつもの如く屋敷の住人全員で列席し召し上がり、俺はその後夕木様の世話人である筑波さんに呼ばれた。
「これです」
筑波さんはまだ二十代前半のかなり若い女性である。世話人の習わしなのかメイド服姿だが、どこそこの安易なコスプレイヤーよりも、段違いに良く着こなせおり様になっている。そのスタイルと美貌故だろう。雑誌のモデルでもやっていそうな顔の整いようだが、しかしどこか冷たく氷のような視線を浴びせてくるのが常だ。
短く言い切った彼女の視線の先は屋敷二階のとある窓だった。
俺は開閉を繰り返して頷いた。
「確かに立て付けが悪くなっていますね」
「はい、油を差しても直らないので牧原さんにと思いまして」
「んー……」
一度取り外すこともできなくはないだろうが、仮にも二階のそれなりに大柄な窓である。
しかも夜分。うっかり手を滑らせ落としたりすると危険だ。
それにこの屋敷の窓が一体幾らになるかわかったものじゃない。見た目の造りは標準的にも見えるが、その実云千万なんてこともあるかもしれない。俺が日曜大工的な感覚でやるより、日を改めて専属の修理屋を呼んできた方が賢明ではないだろうか。
しかしそれを口にすると、筑波さんは、
「いえ、それは既に私の口から旦那様にご相談済みです。それを受けたうえで、この件は牧原さんにお願いしますとのことですので。では」
「ちょ、ちょっと……」
そう言い残して去って行ってしまった。
やはりどうも彼女とは折り合いが良くない。実のところ、雇われて当初からこんな感じだ。
しかしまさか修理屋を呼ぶ金が勿体無いということがこの屋敷に限ってある訳がない。
なぜだ。なぜわざわざ俺にやらせる。信頼されているということなのか。確かに最近やたら腕を買われているのは事実だが。それともこれは筑波さんの俺への嫌がらせなのか……。
どこか訝しみながらも、流石に言いつけを無下にするのは不味いので実行に移る。
窓のすぐ下に万が一人が来ないよう仕事道具を並べてバリケードを造って二階に戻り、軍手やそのほかつかえそうな工具を持参して作業を開始した。