夕食ショッピング
十一月に入って、最初の燃えないゴミの日。
台風の日に壊してしまった傘を捨てた朝は、よく晴れていた。
近所の掲示板には、「赦すな! 動物虐待!」とかなり強めの圧力で書かれた手書きのポスターが貼ってあった。
鳥類を中心に、毒を与えて殺してしまうという事件が時々起こっているらしい。こういう事件は、どこの町に行ってもあるような気がした。駅前の交番には指名手配された人間の似顔絵がいくつも貼ってあるし。駅のトイレには、ゴミを便器に捨てるなという注意書きがある。そういうものは、本来この世に必要はないものだと思うのだけど、必要のないものに限って大量に溢れているのが、今の世の中の流行なのかもしれない。誰も、その全部が一滴の善意で置き換えることができることに気付かないで、無駄な汗ばかり流して生きているのだ。
「はあ」
と、キャンディひとつ分くらいのため息を吐き出す。
ここ最近だ。
ここ最近のサクヤは仕事から帰ると、かなり疲れているように見える。
だから家ではできるだけ彼女が休めるよう、そっとしておいた。
しかしそれは、俺の方も少し重たい仕事が続いていたこともあり、お互いに励ましあう余裕がなかっただけなのかもしれない。
そのことに遅蒔きながら気付いた。今日は俺が夕食を作る当番の日なので、久しぶりに手の込んだ料理を作ろうと決めた。
先日のラザニアをサクヤが作った日に、彼女がかなりワインが好きだったという話を初めて聞いた。俺はここ最近のサクヤのように、料理が得意だと言えるほどの技術はないので、なるべく簡単で、ワインに合って、それでいて豪勢な感じのあるメニューを考えながらスーパーに入った。
スマートフォンを操作しながらワインに合うメニューを探す。
「やっぱチーズかな」
まず乳製品のコーナーに足を向けた。
しかし、チーズをそのまま食べるのも、料理を作る側からすると、少し味気ない気がする。
うろうろ。
コンビニと違って、行ったり来たり立ち止まって悩んだりしても、あまり店員に不振な目で見られることはないんだな、と今晩のメニューには何の関係も無いことを考えながら歩いていると、「本日特売」の四文字が目に入った。どうやら牛肉が特売らしい。
「牛なら豪華かな……」
今の発言がいかにも料理初心者っぽいな、と内心ですぐさま自嘲した。しかし、ワインも買って帰ることを考えると、できるだけ安く、おいしい食材を手に入れたいのが人情だ。それに、たぶん、肉はワインに合う。イメージ的に。
「お、これは」
その時、目に留まったのは、そのまんま「ローストビーフ用かたまり肉」と書かれた牛肉だ。
またスマートフォンを操作し、ローストビーフの作り方を調べる。
「いいね、これ」
ローストビーフを作るのに必要な行程は、大抵が待ち時間という、かなりずぼらな人間に向いたレシピだった。一品目は決定だ。
そこで、そう言えばサクヤが、ワインに合う食べ物の例をいくつか教えてくれたのを思い出した。
「意外に餃子とかも合うって言ってたな。脂っこいのがいいのかな」
果たして、悪い意味で適当なことを言っている気しかしなかったが、いい線はいっているんじゃないだろうか。
そのまま歩いて、何かヒントになるものはないかと、総菜コーナーの揚げ物のあたりに来た。
「ち、チーズ揚げ……」
それはまさに運命の出会いだと確信し、危うく総菜のパックを買い物かごに入れる寸前に我に返って元の位置に戻した。
「危ない危ない。買って帰ったらいつも通りじゃないか」
またしてもスマートフォンを取り出し、チーズ揚げのレシピを検索する。
一番わかりやすくて簡単そうなレシピを探していると、途中で揚げ餃子と言うものを見つけた。材料にチーズが入っていて、脂っこい。レシピを開くと、かなりわかりやすく行程が説明されている。
「これでしょ、俺が探してたの」
と感動あまり、若干大きめの声で独り言を言ってしまった。
周りの客から視線を集めてしまったが、気づかなかったフリをして材料を集めに回る。
最後に、またサクヤの蘊蓄の記憶を辿って、スーパーでも買えるおいしい赤ワインを探し出して、一応二本かごに入れた。
一食分としてはかなりの出費になってしまうが、今日は俺の小遣いから補填しよう。
帰り道は、完全に日が落ちている。気温も下がって肌寒いが、袋いっぱいに詰まった食材に、気分は高揚していた。
裏野ハイツの近所で、しっかりとジャージの上下を着込んで駆けていく若い男性の二人組とすれ違った。ジョギングだろうか。汗を流すのが目的なのかもしれないが、鍔付きの帽子をかぶって走る姿が印象的だった。やけに楽しそうだ。鍵でもポケットに入れているのか、一歩毎にカシャ、カシャ、と金属のふれあう音がリズムを刻んでいる。最近俺も、完全に運動する機会がなくなってしまったし、ああやって走るのもいいかもしれない。まだまだ、体が老いていくのを「仕方ない」と諦めきることは難しい。サクヤを誘って、週に一回くらい、何かスポーツをするのも、楽しいかもしれないな。きっと、彼女の方が運動神経がよくて、俺は悔しい思いをするだろう。
「ただいま」
玄関を開けて、靴を脱いでいると、サクヤがこちらに駆け寄ってきた。例によって、俺の「ただいま」は彼女の中で無かったことになったらしく、「ねえ」と深刻そうな表情で言った。たぶん俺は、目の前でスマートフォンを板チョコみたいに真っ二つにパキンと割られたりしたら、そんな顔になるんじゃないかと思う。
「どうした」
と訊くと、サクヤは演技派女優のようにたっぷりと息をのんで、
「最近、誰かに見られている気がするの」
と言った。