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河川敷の指輪ケース

 無色透明な空気の果てに、空はどうして青色なのか。

 誰かが「海の色が写っているのだ」と言っていたが、じゃあどうして無色透明な水の海が青色なのかと訊くと、また誰かが「空の色が写っているのだ」という。

 段ボールのソリで土手を滑り降りた少年——有泉ありいずみそら——は、いつもの癖でポケットに手を突っ込み、段ボールの布団から空を見ていた。

「どわああああああっ——ぶねえぇ」

 そらは、叫びながら横に回転し、ギリギリのところで上から滑ってきた段ボールソリをかわした。

涼沍りょうごてめぇ、俺を殺す気か」

「そらなら避けるってわかってたから、殺す気ではなくて、避けられる気だったよ」

「だまれアホ!」

 そらの声は、突き抜けるように夏の夕空に広がった。

 彼のリアクションはいつだって全力だ。実際に今のが衝突していたらかなり危険だっただろうから、その叫びは妥当ともいえるが、涼沍の言った通り、そらが躱せない可能性はほとんどなかったという自覚もあった。言い方を変えれば、自信があった。有泉そらは、純粋な自信を持った人物だ。

 そのことを感覚的にわかっているのか、挑戦的な行動とは逆に、涼沍のそらに対する評価はかなり高い。小学校三年生のクラス替えして最初の日に、涼沍がひとつ後ろの席に彼を見つけた時から、ある種のあこがれや尊敬が、彼らの人間関係には混じっている。

「そういえば横根よこねはどこ行ったの」

「は、サクヤならそこに……あれ、どこ行ったんだ」

 少し前まで三人で土手を滑っていたそらと涼沍と朔夜さくやだが、気付けばふたりになっていた。

「まあ、そのうち戻って来るかな」

 近くに立っている時計台は、ちょうど六時を指していた。それを確認して、涼沍は「そろそろ帰るよ」という。

 ここの土手はそんなによく遊びに来る場所ではないが、時計が十五分進んでいるというのは、そら達の間では周知だ。いつも六時きっかりまで遊んでいく涼沍にとって、帰るには少し早い。

「マジかよ、普通待つだろ」

「だって時間が」

「まだいけんだろ」

「だれかひとり待ってれば十分でしょ」

「このヒトでなしめ」

 そう言いつつも、そらは無理に涼沍を引き留めなかった。

 今日は早めに帰らなければならない用事があるのかもしれない、と内心で思っていた。

「じゃあねー」

 涼沍は土手を登って反対側に消えていった。

「……どん引きだぜぇ」

 と口にしておく。

 そらはまた、段ボールに寝転がった。

 見晴らしが良い。

 スズメが二羽、目の前を飛んでいた。そらはその姿を見て、仲が良さそうだと思った。

 集団になって飛ぶ鳥を見てもそうは思わないのに、どうしてつがいの時だけ、あんなに仲が良さそうに見えるのだろうか。

 スズメ同士のコミュニケーションの仕方なんて全く知らないから、本当は喧嘩をしていたり、人間で言うところの口論みたいな事をしているかもしれないのに、無意識に深い関係性を想像してしまっている。

 スズメが通り過ぎると、途端に静かになった。

 土手の斜面に背中を預けて寝ているそらには、河川敷の先に西日を反射しながら流れる川が見えた。

 朔夜はまだ戻ってこない。

「……」

 一瞬、水難事故の可能性がよぎった。

 しかし、川は穏やかだし、川岸も浜辺のようになっている。突然深い場所に落ちる事も、足を取られて流される事も考えにくかった。

 しかし、嫌な予感は、雲のように気付けばそらの頭を覆っていた。

 どうせ待っていても戻ってくる様子はないし、一応見に行ってみようと上半身を起こす。

「どわああああああっ——ああああぶねえぇなぁ、バカ!」

 そらは、叫びながら横に回転し、ギリギリのところで上から滑ってきた段ボールソリをかわした。

「サクヤてめえ、俺を殺す気か!」

「躱せないようなら、死んでも仕方なかったよね」

「おまえとんでもねえこと言うな」

 朔夜の登場は、涼沍と全く同じだった。そらはこのふたりの気がよほど合うのか、それとも裏で打ち合わせをしていたのかと、疑念を持って土手の上を見上げるが、そこに笑ってこっちを見ている涼沍の姿はなかった。やはり彼は本当に帰っただけらしい。

 その視線を気にしてか、「あれ、ひとりなの?」と朔夜が尋ねる。大げさに、腰をくの字に曲げて首を傾げた。頬を覆っていた髪が重力方向に垂れて、隙間から柔らかそうな耳が覗いた。そのうち、この耳たぶにもピアスの穴が空くのだろうか。だとしたらそれは少しもったいないなと、そらは思った。

「涼沍ならちょうど今帰ったところだよ」

「なーんだ。今日は早いんだね」

「そうらしいな」

「せっかくいいものみつけたのに」

 朔夜は大人が見たらニコニコと見分けのつかない表情でにやにやとした。

 そういえば、彼女はさっきから右手を背中側に回している。そこに何か隠し持っているらしい。

「なんだよ」

「気になる?」

「別に」

「じゃーん!」

「なんだよ!」

 もったいぶった割に、一瞬で公開されたそれは、一辺五センチ程度の箱のようだった。泥をかぶってかなり汚れている。

「なにそれ」

 とそらが訊くと、「知らないの?」と言って朔夜がふたを開けた。

「指輪ケースだよ」

「ああ」

 とそらもうなずく。

 そうやって開かれるまで、泥で汚れたその箱が何に使われる物なのかさっぱりわからなかった。しかし中身は綺麗で、空っぽだった。

「そんなのその辺に落ちてるもんかね」

「いろんなヒトがいるんだよ」

「そうらしいな。捨てた奴も、誰かが拾うとは思ってなかっただろうぜ」

 仕上げのスパイス程度に嫌味を混ぜて言った言葉は、重力にでも負けて朔夜まで届かなかったらしく、そらの言葉を完全に無視して「これ洗ったら使えるよね」と朔夜は言った。そらは、幼稚園時代からの付き合いなので、そんな対応には慣れてしまっていた。

「何に使うんだよ」

「何って、何か入れようよ」

「何を入れんだよ」

「さあ……水道で洗ってくるから考えといて」

 朔夜は河川敷に並ぶ野球場ふたつ分先にある水道を指さすと、走って行ってしまった。

「考えといて、って言われてもな」

 今日のそらは手ぶらだった。持ち物と言えば、自転車くらいしかない。そらの自転車の隣には、朔夜の自転車が並んで停めてある。前かごには彼女の大きめなポーチが入っていた。

「まあいいか」

 と思ったことを口に出して、朔夜のポーチを漁った。

 ハンカチやティッシュ、家の鍵に財布まで入っている。貴重品をおいたまま姿を消す彼女に呆れつつ、内ポケットや、サイドポケットも覗いていく。しかし、絆創膏やキャンディが入っている程度で、指輪に変わるような品は見つからなかった。そらは、「サクヤも女子なんだから、アクセサリのひとつくらい持っていてもおかしくはない」と期待していたが、彼女はまだ、そいういうものを持ち歩いてはいないらしかった。

 仕方ないか、と荷物を元に戻していると。後ろから走って朔夜の戻ってくる足音が聞こえた。

 そらが振り向くと、朔夜は目の前で急停止し、低い姿勢からそらの脇腹へ拳をたたき込んだ。

「あほおおおお!」

 と朔夜は叫んでいた。

 あまりに突然で、あまりに近距離から放たれたボディーブローにそらは躱すこともできず悶絶した。

「女子の荷物勝手に漁るとか、アホかおまえは、アホ泉そらか!」

 意味不明な罵声に「それは、女子らしい物を持ってからいいやがれ……」とそらは地面に背中から転がった。両手を広げ、大の字になって、降参のポーズを表す。

 その時に、ポーチのポケットに戻そうとして手に持っていたキャンディが土手の芝生へこぼれ落ちた。

「お」

 朔夜がそれに気付き、拾う。

 見つめる。

 何かを考えているらしく、しばらく無言だった。

 河川敷の強い風音と、またどこからかやってきた番のスズメの鳴き声がよく聞こえる。

 朔夜はキャンディを真上に投げ、格好付けて、横から掴むようにして見事にキャッチすると、

「いいじゃん」

 と機嫌良さげに言った。

 朔夜が機嫌よさげの時というのは、本当に機嫌が良いときだけだ。良くも悪くもそらとは反対に、彼女が嘘を吐くのが下手くそなのをよく知っている。荷物を漁られた怒りは、渾身のボディーブロー一発で発散してくれたらしい。

 むしろ、そらからすれば、お釣りを返したいくらいの一撃だった。未だに脇腹がジンジンと痛む。

「いいじゃんて、何がいいんだ」

「これだよ」

 朔夜は指先で摘んだ小包装のキャンディを突きだしてそらに見せた。

「ほら」

「だから?」

「ピッタリじゃん」

「あ?」

「入れるのに」

 言うと、綺麗になった指輪ケースを片手で開いて、中央にキャンディを乗せた。

 そして、パンッと音を立てて蓋を閉じた。箱は、グレーの表面がまだ少し濡れていたが、さっきと違って、一目で指輪ケースとわかるくらい綺麗になっていた。

「ただのアメじゃん」

「わかってないねー。これだからアホ泉そらは」

「うるせえな、その変な名前を定着させんな」

「アら! アら!」

「どうしたんだ急に……て、すげえ分かりづらい省略形でヒトのこと罵倒してんじゃねえ!」

 よく今のボケに気付いたなと、そらは自分のツッコミの才能を自覚しかけるが、それを遮るように朔夜が「アらアら」という。

「アらアら。アらアらアら。まさかこのアメ知らないの? アらまあ」

「知ってるよ、うぜえな喋り方。あのコマーシャルでやってるやつだろ」

「そう、ヴェルタースオリジナル」

 そのキャンディは、コマーシャルの中に登場するおじいさんが「特別な存在にあげるものだ」と言って、孫にプレゼントする。多くの小学生は、その甘いバターキャンディの味をよく知っていた。

「指輪だって、特別なヒトに渡すものでしょ」

 だからピッタリじゃん。と朔夜は笑った。

 確かにそれはよく洒落の利いたアイディアだとそらも思った。朔夜の手から指輪ケースをもらい、一度開いて、パンッと閉じる。

「でもこれ、入れてどうすんの」

「それは、誰かにあげるんじゃん?」

「誰かって?」

 ふたりは首を傾げて、何となく笑った。

 意味のないことを真剣に考えていたのが面白かったのかもしれない。

 結局その指輪ケースが誰かに渡されることはなかったのだろうけど、その日どちらがそれを持って帰ったのか、それとも持って帰らなかったのか、その後の行方よく分からない。

 ただその空を番のスズメが、睦まじそうに飛んでいた。

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