後日譚
通り魔は捕まった。サクヤはまともに警察と話をできる状態じゃなかったし、きっと襲われたときは必死で、正確に犯人について思い出すことはできなかった。しかし、サクヤがその日立ち寄ったコンビニの店員が彼女のことを覚えていた。お陰でコンビニの防犯カメラから、犯人を特定することができたらしい。
連続通り魔事件のニュースももう下火になった頃。
サクヤが一度退院できることになって。俺は未解決だった問題について思い出した。
見たことのない植物ばかりを育てている202号室にベランダの柵を伝って忍び込んだ日。俺がその部屋で会ったのは、201号室に住んでいるはずの柏木さんだった。
裏野ハイツのベランダは、非常時に隣接した部屋に非難できるように、簡単に突き破れる素材の壁で仕切られている。201号室と202号室のその壁には、大人が屈んで通れるほどの穴が空けられていた。実際に柏木さんは、部屋を二つ契約して借りているらしい。絶対に姿を現さない住人の住む202号室を彼女は、植物を育てる目的で使っていた。その多くは、毒を持つ危険な種類の植物だという。ベランダには、その植物の実を食べてしまったのか、まだ新しい小鳥の死骸が転がっていた。
それ以来、ベランダに現れる視線の正体には近づいていなかった。
結局、ベランダからサクヤを見ていた視線は何だったのだろう。
病院に居る間、そういう視線を感じなかったか聞いてみた。すると、彼女は、
「あ、あれね……ごめん、実は嘘だったの」
とわざとらしく下を出しておどけた。
「う……そ……?」
「だって、あのときあっくん、あんまり構ってくれなかったんだもん」
「それはサクヤがいつも仕事大変そうだったから、ちょっとでも気を使わせないようにって……」
嘘と聞いて、怒るのかな、と客観的に自分を見てみたが、そう言うことはなさそうだ。それどころか、溜息を吐くと。
「ばかだなあ」
と俺の口からこぼれた。
「なに?」
よくわからなそうにサクヤがいう。
「俺たちは、お互いに、間違った気遣いばかりしてる」
入院して最初にサクヤが目を覚ました日。俺のことを気遣って「別れよう」といった彼女を思い出す。
俺には、あの気遣いは、間違ったものだと分かる。
でも気を遣う側になると、それが相手にとってありがたいものなのか、迷惑なのか、ぜんぜんわからなくなる。
「俺さ。なんとか犯人を突きとめようと思って、ベランダに鉢植え買ってきて、防犯用のカメラまで仕込んでたんだぜ」
「うっそ。あのセンスない植木、そういうことだったの」
「うるさいな。センスないとか言うなよ。俺だって必死だったんだ」
「ごめんごめん」
サクヤは笑いながら、ありがとね、と言った。
不思議と、その一言が、大切な願いが叶ったみたいにうれしく感じた。
きっとこれからも間違え続ける。
俺たちはお互いに、わからないことがたくさんある。
好みの食べ物だって、知らないものはたくさんあるし。何を信じていて、どういう行動が気に入らないとか。思い出のある本とか、自分の中にある正義感とか。俺はサクヤのことをまだぜんぜん知らない。
だからきっと、たくさん間違える。
それでも、自然とあるはずの、単純で、知らない、この笑顔の理由を失わないように。本当に大切なものだけは守り続けて、生きていければいい。
「んん〜。やっぱすきだ」
いつだってこんな本音を漏らしながら。
ずっとそうだったとか。
どれだけ前から思っていたとか。
そんなことは関係ない。
今想っていること。
今、そう思っているということ。
伝えなきゃいけないのはそれだけでいい。
きっとそれが大切なんだ、誠心誠意生きるために。




