カーテンレールの小箱
2016年の夏ホラーに向けて、書いていたのですけど、、、、完成は2017年の春になりました。。。
今更企画の設定を使った作品を投稿するのもどうなのだろう、と思ったのですが。少し大事な作品になったので、投稿することにしました。
魅力的なものには価値が付かない。
もしもこの世の真実を記した辞書があるなら、そんな一文が採録されているのではないか。管理人に続いて入ったその部屋で、そんなことを思った。それほどこの裏野ハイツの一室は家賃に対して魅力的に感じた。そう言えば、値札の付いた太陽も、競りに上げられる月も見たことがない。
古びたキッチンや、前の住人が釘で空けたであろう柱の穴。隅にシミの残ったフローリング。立て付けの悪い風呂の窓に、蓋の付いていない便器。天井を見ればわかる、きっと雨漏りもするはずだ。備え付けの家具は当然なにもなく、俺は寝室の押入に、ちゃんと襖が付いていることに感嘆の息をもらした。
この部屋の内見に来るのは二度目だが、管理人は思い出したように、
「ああ、部屋の鍵は入居したら付け替えてくださいね。前の住人が鍵を持っているかもしれないので」
と前回は言わなかった情報を提供した。
俺は、今抱いた愉快な気持ちを自分の顔が表現しないように我慢し、
「わかりました」
と答えて部屋を見て回った。
よく見れば見るほど、迫力ある高層のビルディングや、気の利いたデザイン住宅とは似ても似付かない。
気取らず気楽で、かっこ付けていない。
むしろ逆で、とことんかっこ悪いとさえ言える。だけどちゃんと生活はさせてくれる。そんなことろが俺は気に入った。
この部屋には、プールのある庭も、天蓋の付いたベッドもない。住んでいる人間のステータスにはならないだろう。けど、生活はできる。「家の要素にそれ以外何か必要あるのか?」と訴えかけるような最低限度ぶりだ。かっこ付けてるのと、かっこいいのは全く違う。言葉が似ているだけで、例えるなら可哀想と川獺くらい別物だろう。この部屋をかっこいいとまでは、流石に感じていないけれど。
「いい場所だ」
と知らず声が漏れていたらしい。
管理人は、「そんなに気に入りましたか」と不思議そうに言った。
「汚くて古くさい場所が好きなんです」
と冗談を言っておもいきり笑った。
「確かにここは、汚くて古くさい」
管理人も釣られて笑う。
「一応、今週中に清掃が入るので、荷物は来週以降でお願いします」
「はい」
それから、自分の部屋と、彼女の部屋の家具を思い浮かべながら、レイアウトを考えた。水回りや寝室の収納を前回来たときよりも細かにチェックする。勝手にいろいろ決めてしまうと、同棲予定の彼女に怒られてしまうかもしれないが、地味な作業というのは一人で考えた方が頭が働く気がした。
リビングと寝室のレイアウトを大ざっぱに数パターン考えたところで、ポケットに入れていた巻き尺を取り出す。ガスコンロ、下駄箱、洗濯機。必要な家具を置くためのスペースを測り、スマートフォンのメモ帳に記録していく。そして、床からカーテンレールまでの高さを測っているときだった。寝室からベランダに出る窓のカーテンレールの上に、小さな箱の様なものが乗っているのに気が付いた。前回来たときにもそこにあったのだろうか。思い出そうとしてみたが、その時はカーテンレールの上なんて注目して見てはいなかった。なにしろ俺は、カーテンとハンガーを掛ける以外に、カーテンレールの使い道を知らなかったのだ。そこに重要な秘密や、高価な宝が隠されているかもしれないなんて思うほど、現実にフィクションのような物語を期待して日々を送ってはいない。
おそらく女性や子どもでもある程度カーテンの取り付けがしやすい高さなのだろう。レールの上には簡単に手が届いた。
下から見たときは曖昧に「箱だ」としか思わなかったが、一辺五センチ程度の丸みを帯びたその箱は、おそらく誰もが知っているものだった。正確には、誰もが中に何が入っているか知っている箱、と言うべきかもしれない。ラブストーリーの定番アイテム——指輪ケースだ。およそ中には、指輪が納められているはずである。
一度蓋に手を掛けて、止まった。
特に意識せずその蓋を開こうとしていたが、何となくそれはいけない事のような気がした。ボタンがあれば押したくなるし、蓋があれば開きたくなる。しかし、この蓋は、俺が開けるべき物ではないだろう。源泉がどこにあるのかわからない好奇心に何とか栓をして、その箱をいつも空っぽのポケットにしまった。考え事や、集中したいときは、ポケットに手を突っ込む癖があるので、なるべく物を入れないようにしている。
管理人は近い内にこの部屋に清掃が入ると言っていたし、一旦預かっておこう。この箱を忘れていったであろう前の住人がもしも戻って来たときに、捨てられてしまっていたら、心が痛い。
窓の前で棒立ちしているのを変に思ったのか、管理人が「どうかしましたか」と声を掛けてくる。
「いや」
と俺は体半分振り向き、首を振った。そして、ひとつ思い出したことを付け足す。
「そうだ、今日ここにひとりで来たことは、彼女には言わないでおいてもらえます。あいつきっと、なんで勝手に行くんだって怒るから」
「わかりました」
と言って、管理人は少し笑いを漏らした。
今のを惚気と取られたのか、「仲がいいんですね」という。
「まあ」
本当は、本当に、勝手な事をされるのが嫌いなヒトなので、仲のよさというより、防衛戦を張る意味で言ったのだが。
「そうですね」
と愛想笑いをしておく。
言葉の意図は正しく伝わっていないけれど、仲のよさを否定することにそんなに意味は感じなかった。