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――――夢を見た、気がする。
遠い、夢を。
目を覚ましたおれの視界に飛び込んで来たのは、白い天井とカーテン。そして、
『おやおや。目を覚ましたのかのぉ、妾のかわゆい子よ』
「……………………へ……」
――――こちらを見下ろしている妲己さんと、非常に豊かな二つの山だった。
即ち、二つの真白な――――巨乳である。
「…………ッッ!?!!!?!??」
後で振り返った時、おれは自分に賛辞を送った。
よくもまあ、あそこで悲鳴を上げなかったな……と。
目を覚まし早々におれの脳裏を過ぎったのは、脅威的な双丘の圧迫感により窒息しかけた記憶だった。
死の経験を思い出し、これは夢かと気が遠くなったのは無理もない事だろう。
大きすぎるモノは凶器。既におれはそう学習していたのだ。
「普通は大きい方がいいんだけどね〜。おれも大きい方が好きかなぁ〜?」
「……まあ、世間一般はそうらしいですね」
真面目にそう語る巨漢の医務部長に、おれは当たり障り無い無難な返答をする。
女性の胸の大きさがどうとか、気にした事がないのでよく分からないからである。知り合いや母の秘書の人は大きい方が良いと語っていた覚えはあるが。
ついでに言うと隣人は論外である。彼はそういう話になると必ず「筋肉があるヤツ」と答える為だ。強いていえば警備会社のコマーシャルに出るような女性だという。つまり強い女性である。
人の好みはそれぞれである。うむ……。
さて。そんな胸の話についてはさておき。
目覚めると同時に軽い窒息事件未遂を思い出し、意識が再び夢の世界へ旅立とうとした時、救世主の如きタイミングでおれの回診にやって来たのは医務部長ルイスさんだった。
消毒液の様な独特な薬品の匂いが漂う部屋の白いカーテンを捲り、のっそりとベッド近くにやって来た医者。
冬眠明けの熊の如き彼による「患者に悪いからやめて欲しいかな〜? 」という諫言により、ベッドをすり抜けながらおれを膝枕していた妲己さんは揶揄う様な笑みを浮かべたまま、宙にぷかぷかと留まる。
――――そこまでして膝枕をしたかったのか。
そう思いながら、固まっていた身体に力を込めるおれは白いベッドから重い上体を起こし、カルテらしき書類を手に持ったルイスさんと向き合った。
最後の記憶では、確かおれは任務の為外に出ていたはずだった。それも敵に囲まれていた、かなり危機的な状況で全身全霊のSFを発動したはずだ。
それが何故医務室にいるのか。あれからどれほど時間が経ったのか。今はどういう状況なのかなど、聞きたい事は色々あった。
「ちなみにカズくんは女の子のおっぱいは大きい方が好き〜?」
「…………いや。別に、そこに拘りはありませんから」
それなのに、おれが問いたかった色々な疑問を切り出すより先に、見上げる程体格に恵まれた医務部長は世間話のノリで女性の胸部についての話を始めたのだった。
突然話を振られたおれは困惑するしかない。
取り敢えず、話を半分流す程度に聞きながら答えを返すものの。
――――……あの、今、その話しないといけませんかね……?
そのような疑念は適当な相槌を打つ度に、おれの胸中に積もっていくのであった。
……本当に、彼は何の為におれの元に来たんだろうか。
なお、その後ルイスさん一人で胸の話題について盛り上がり、おれが本来聞きたい本題に入るまでに約十数分程要した。
この人の胸に対する拘りは何なのだろうか。一体女性の胸の何が彼にこうも熱弁を振るわせるのだろうか。
因みに妲己さんは話の途中で退室したかと思うと、五分程、ほくほくとした表情でベッド近くに帰ってきた。
何故彼女が勝ち誇ったような笑みをしていたのか。その理由は分からないが、楽しそうで何よりだとおれは横目に彼女の様子を眺めていたのであった。
そうして、意識が戻り十数分後。
おれの鼻が完全に医療関係の部屋にある特有の匂いに慣れた頃。
最終的に『胸は個々の体格に合っているサイズが良い。あと大きければなおよし』という結論に至ったルイスさんは「さて」とパイプ椅子に座り直すと、現在おれはどのような状況に置かれているのか説明にようやく移ってくれたのであった。
――――まず、何故おれは医務部の休養室にいるのか。
それはおれが戦場で気絶したからである。
理由はSFの軽度な暴走。今回のおれの場合、個人容量を越えたSFの使用によるI粒子の枯渇だという。
つまり、エネルギー切れが原因であるとの事だ。
「まぁ〜、それ以外にも今回は二つのI粒子を上手く制御出来ていなかったり、身体が長時間のSFの使用に耐え切れなかった事だったりとか、色々あるけどね〜」
要するに訓練不足って事だね〜、と診断するルイスさん。
曰く、今回おれは三十日という最低訓練規定日数というのをクリアしないまま実戦に赴いた。それが大いに関係しているのだろうと。
日本屋敷の縁側で日向ぼっこをする老人のような、気の抜け切った調子でそう述べたルイスさんは「これに関しては今後の訓練で慣らしていこうね」と、手元のカルテに丸を付け、話を続ける。
……途中、実はダテさんの眼鏡は実は伊達眼鏡であるとか、トドさんは現実世界では建築家をやってるだとか、年寄りの話のようにあちらこちらへと脱線する中。時折おれや妲己さんが話の軌道修正をしつつ、まだぼんやりと霞かかっている頭の中で現状について纏めていくと。
――――倒れた後のおれは、すぐ近くにいたトシさんに担がれ、荷物のようにして組織へと運ばれ、医務部に引き渡されたのだらしい。
医務部の人達は最初、全身血塗れのおれを俵担ぎにした同じく血塗れのトシさんを見て、動く死体を見たかのように絶叫し軽くパニックになったとか。
その節は申し訳無かったと思っている。おれ自身、目の前の戦場から生き抜くことに必死で服の汚れとか血とか特に気にしてはいなかった。
次から出来るだけ返り血浴びないようにしよう。それはそれは阿鼻叫喚だったと笑い話のように語るルイスさんに、おれは冷静に思うのであった。
なお、この時あまり他人と連れ合わないトシさんがおれを医務部まで送り届けた事に、彼と付き合いが長い方である第三隊の隊員でさえも「どういう風の吹き回しだ?」と困惑やら驚愕やらといった軽い騒ぎになったらしいが、これに対しトシさんは気絶中のおれを肩に担ぎながら、
「ァア? 一応組んでるんだから、そりゃあ面倒見んのは当たり前だろ」
と、バッサリ返したのだとか。
これに対し「お前今までそんな当たり前の事をやった事があったか!?」と、普段の慇懃な態度を忘れダテさんが思わずツッコんだらしい。
……まあ、ダテさんの気持ちは分からなくはない。だってあの人、我が強すぎる。戦闘狂である事とか、人の話を聞く前に担いで戦場に行く所とか、本隊からの通信を一切無視する所からして。
身近な人物と比べるならば、隣人並に我が強いとおれは分類している。戦い好きという性格が似通っているし、人の話を聞かないし、強引であるし…………うぬ。
――――おれの身体の状態に関しては、医務部による検査の結果、数日の安静と休息が必要だとの事だ。
外傷自体はリッパーのSFと、負傷者の治癒の為後衛部隊の元へと戻ってきた『鋭撃班』のナガさんによる癒しの炎で、傷跡も無く完治している。
特にリッパーのSFによる身体能力の超強化。これにより身体の自然治癒力も高くなっているらしく、ナガさんが処置をする時には既に出血は止まっていたそうだ。
だがその一方で、身体の内部の方はSFの暴走によるダメージでかなり深刻なのだという。
以前ルイスさんから聞いた話によると、おれのように複数の型のSFを持つ保持者は良く、異なるI粒子を持つ為体内でI粒子が反発し合い暴走する事が有るのだとか。
大抵は微熱が出る、関節の節々が痛むといった風邪症状が出現する位であると――――そう聞いていたのだが。
「カズくんの場合は『串刺し公』のは槍から、『切り裂きジャック』のは体内から生成されている上に、この二つは完全に異なる粒子なんだよね〜。だからこの二つを同時に使用するとなると、互いのI粒子の“衝突”しちゃうんだろうね〜。暴走した際のダメージが通常より大きいのはそのせいだろうね〜。
普通、複数のSF持ちの子でもI粒子は体内で生成されるから反発してもどっか混ざりやすい部分があるんだけどな〜」
今回おれを襲ったSFの反動についてそう語ったルイスさんは、キラキラと好奇心と探究心で瞳を輝かせながらおれを見る。
今回の任務でおれに測定器を身に付けさせた甲斐あって、興味深いデータが取れたとかどうとか言っていたが、それ以降おれのSFの話になると早口で何を言っているのか分からなかったので、適当に相槌を打ちつつ次の話を促した。
後で別の人に聞こう。出来れば、説明が丁寧そうな人に。
――――とにかく。おれの今後については暫しの休息が必要であると分かった所で。
おれが倒れた後の、話である。
今回、正式の組織の一員として参加した初めての任務。トーキョーにて第一隊の援護はどうなったのか。
結論から言うと、任務達成であるという。
そもそも今回の第三隊に第一隊への援護が要請された理由は、第一隊が保持していた地区に侵攻生物の群れが一斉に南下してきた為である。
その数の多さとレベルの高い侵攻生物が多数存在していた為、第一隊だけでは対処が難しいと判断され、『鋭撃隊』並びに担当する地区が現在安定している第三隊へ援護要請がかけられたのだ。
その結果、『鋭撃隊』により高レベルの侵攻生物は討伐。第三隊の援護によって多数いた侵攻生物も退治され、第一隊のみでの担当地区の現状維持が可能になったと司令部から判断が下った。
よって第三隊と『鋭撃隊』の任務は完了。組織本部に帰還命令が出た――――というのが、おれが気絶していた間の顛末であるとの事だ。
「ちなみに今回の任務の功績の三分の一はカズくん個人によるものだよ〜。何せ最後の『アレ』で殆ど全部倒しちゃったからね〜」
ルイスさんのいう最後の『アレ』とは、おれが気絶する直前にやったおじ様の伝説の再現である。
串刺しの丘。
おじ様の槍を持つと、頭に浮かんでくる光景。沈み行く夕陽の中に佇む悍ましい墓標。
それがきちんと再現出来ていたがどうか。SFを使用した直後におれは気を失った為その結果を見てはいないのだが――――ルイスさんの口から語られるに、それは相当な物だったらしい。
広範囲かつ、敵だけを的確に貫いた精度の高いSF。恐らく現在するA型SF保持者の中でもトップクラスの精度と攻撃範囲だろうと評価する巨漢の医務部長は今にも詳しい話を聞きたそうにちらちらとおれを見てくるのだが、おれはその視線に気付かないフリをした。
残念ながら、話し始めればあれこれと根掘り葉掘り訊くだろう彼の話についていけるだけの体力が回復していないのだ。
今回調べて分かったおれのSFについての話も含め、その辺の事はまた別の機会にして貰うしよう。
このようにして、偶に雑談を交えながら現状についての説明を受ける事、約四十弱。
そろそろただ話を聞くのも飽きて来ただろうと、ルイスさんは席を立ちおれにホットミルクを作り持ってきてくれた。
手渡されたマグカップを受け取ると、じんわりと指先にカップの熱が移っていくのが分かった。どうやら俺の身体は自分が思っていたより冷えていたらしい。
湯気の経つ甘い香りのするミルクに軽く息を吹きかけ冷ましながら、終わりへと近付いたであろうおれが倒れた後の話へ耳を傾ける。
――――その後、任務を達成した第三隊は負傷者と共に組織本部へ帰還。
現在『鋭撃隊』も本部にて待機中、という名の自由時間が与えられているという。
負傷者の多くは第一隊であり、第三隊には大きな怪我人も出ていないという。
その話を聞いたおれはそっと胸を撫で下ろした。どうやら、おれのSFに巻き込まれた人はいないようだ。
任務にて重傷者を負った人達も、後衛部隊によって救命処置がされた後にここ、医務部に運ばれ皆回復に向かっているとの話だ。すれ違ったあの重傷らしかった女性も、腸が見えていた第一隊の人も一先ずは無事であるらしい。
死傷者が出なくてよかったと。心の底から安堵の息を吐いたおれに、「ところでさ〜」とルイスさんは続けてこんな話をした。
「知ってる〜? 『串刺し公』と『切り裂きジャック』くんが今、謹慎中って話〜」
「……何があったんです?」
今、謹慎と言っただろうか。
問い返したおれに、ルイスさんは説明する。
なんでも、おれが倒れたと知ったおじ様はリッパーと共に大いに慌てふためき、おじ様に至っては挙句の果てに泣き出し、リッパーはといえばどうにかしろと周囲に恐喝紛いな事をしていたとか。
そんな二人を、唯一同じ亡霊という事で接触が可能である妲己さんが文字通り蹴り倒し、現在おれの自室で謹慎中だとか。
その話を聞いておれは思わず妲己さんを見やった。
いや、おじ様とリッパーが迷惑を掛けて、第三隊の人達や第一隊や後衛部隊の人達に申し訳ないという気持ちがあったが。
それよりも、一度弾けたら中々止まらないあの二人を妲己さんが蹴り倒したという話があまりにも衝撃的過ぎた。
見目は絶世の美女、かつ、宮廷の奥で悠々と暮らし扇以上の重たい物など持ったことの無いような、妲己さんが。
生前から武人として名の知れたおじ様と、世界一有名な殺人鬼であるリッパーを。
蹴り倒しただなんて、と軽く自分の耳を疑いながらふわふわと浮かんでいる美女に目を向けていれば、聖母のように穏やかな微笑みを浮かべる妲己さんは口元を黄金の扇で隠しながら。
『やれ我が子と泣き喚き、やれ女子が触るなと牙を剥き、落ち着きの無い雄犬は見苦しい故。その様な生き物は蹴り殺すのが当たり前じゃろう? 最も、か弱い妾の力では蹴り倒すのがせいぜいじゃったが』
うふふっ、と笑いながら何やら恐ろしい事を言ってのける傾国の美女に、おれは口を噤んだ。同時に脳裏に過ぎった知り合いの顔に、直感的に悟った。
――――この人、怒らせてはいけない類の人だ……と。
どこまでも美しく微笑する妲己さん。彼女に対しては、おじ様やリッパー以上に対応には気を付けようと肝に銘ずるおれに、現状説明を終えたらしいルイスさんはマグカップをとカルテを手にパイプ椅子から立つ。
「とりあえず、今のカズくんは何も気にせずご飯をいっぱい食べて寝て、安静にする事〜。暴走のダメージは見た目より大きいからね〜。最低三日は安静ね〜」
「……はい」
「あと明日の昼から面会解禁するから、謹慎していた亡霊二人が突撃してくるだろうけど頑張ってね〜」
なんか妙な副音声が聞こえた気がするが、確かにおじ様とリッパーは犬っぽいよなと納得出来る部分もあるので「はい」と、明日が大変そうだと思いながら頷く。
そんなおれにルイスさんはにっこりと笑って。
「まあ、今から大変だと思うけどね〜」
「……はい?」
何がだろう、と首を傾げたおれが視線を向ける中、ルイスさんの巨体は白いカーテンの向こうに消えていき――――入れ替わるように入ってきたのは。
「……おい。随分無茶な事をやらかした様だか……『串刺し公』から聞いたよな? 『出来ることだけをしろ』って聞いたよな?」
低く、冷たく問いを投げかけてくる、『鋭撃班』班長シュウさんだった。
何故ここに彼がいるのか。面会は明日からとルイスは言っていなかっただろうか。
口角は上げているが目が笑っていないシュウさんは、思いもしていなかった人物の登場に表情が強ばるおれへ何やら白い紙束を目線に掲げながら。
「ペンは持てるな? なら初任務記念に早速報告書を書いて貰おうじゃねーか。俺が態々伝言までしてやったのに、SFの暴走なんて起こしやがった理由も、事細かによぉ……」
「……えっ。あ、え……その……え?」
――――なんでこの人こんなに怒ってるんだ?
言葉を荒らげているわけではないのに、発言する毎に室内の温度が下がっていく感覚に、彼の怒りをひしひしと感じるおれはひたすら困惑の声を上げる。
僕が、班長さんに何かしただろうか。いや、していない。
いくら記憶を遡っても、特に何か失態を起こした覚えがない。
聞く限り班長さんはおれがSFの暴走した事について腹を立てているらしいが、その理由が皆目検討もつかない。
強いていえば、言われた通りに、出来ることをやっただけなのだが――――そう答えようとした矢先、どう見ても愛想笑いの班長さんの鋭い眼差しが眼鏡越しにおれを射抜き。
「喜べ。初心者のテメーにも分かりやすい様に一から十まで懇切丁寧に報告書の書き方を教えてやる。安心しろ。マスなら泣いて喜ぶ」
「ひぇっ」
思わず悲鳴を零す程の黒い圧力に、「鬼畜」とA型保持者の先輩が顔を引き攣られた理由を、おれはこの瞬間心から理解したのであった。
――――こうして、おれの命懸けの初任務は厳しく冷たい監視下の元報告書を書き上げることで幕を閉じた。
そしておれは任務より何よりも、静かに怒る班長さんの言及が一番恐ろしいという事をしっかり肝に命じるのであった。
『かわゆい子も大変じゃのぉ……どれ。一つ妾の胸でも揉むか? 元気が出るぞ?』
「いえ。良いです。遠慮します」
「邪魔するな痴女。報告書が終わった後にしろ」
「報告書が終わった後でも遠慮します」
『おやおや……』




