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青天の彼岸花-regain the world-  作者: 文房 群
五章 第三隊と出動
78/79

ーー3


 おれがおじ様に問うたのは、二つ。

 一つは、おれが使おうとしているSFの攻撃範囲について。

 もう一つは、おじ様の持つ槍をおれの居る場所まで届けられるか否か。


 一つ目の質問に対してのおじ様の回答は、『我が子次第』。

 二つの質問の答えは、『届けられる』だった。



『何をしようとしているのかは知らぬが、存分にやると良い。我が子よ。ある程度の制御なら我も手を貸そうぞ』



 おれがやろうとしている事を察したのか。通信機の向こうよりそう心強い言葉を掛けてくれたおじ様に、「ありがとう」と礼を返す。

 おれなんかの事を心配してくれている。荘厳な言葉の節々に込められた穏やかな声音から、温かなものを感じ取ったおれは、ゆっくりと息を吐く。

 ――――もう、手の震えは止まっていた。



「――――トシさん!」



 通信機を手早く防護服の収納スペースに滑り込ませながら、こうしている間にも突き進み続けている先輩の居場所を探るべく声を張る。

 突進してくる侵攻生物を紙一重で躱し左手の短剣で斬りつけ、死骸という分かりやすい道標が続く方向へ目を凝らせば、目印の如く赤い槍が血飛沫と共に舞っているのが見えた。同時に楽しげな声も聞こえる。

 前へ進むのでさえ困難な敵の群れの中にいても、現在地が一目瞭然な人で良かった。

 心の底からそう思いながら、侵攻生物の間をすり抜けるようにしてトシさんの元へ何とか追い付いてみせれば、彼は「百九十ゥッ!!」とカウントしながら目だけこちらへ向けて。



「遅せぇぞ新入りぃ!! くたばったかと思ったぞ!!」

「すいません死んでません! 生きてます!」



 少し離れただけで死んだ事になっていたおれは自らの生存報告をしながら、どうにか追いつく事が出来たトシさんを狙う猪の異形を斬り捨てる。

 短い刃にのしかかった濁流に腕を突っ込んだかのような抵抗を感じたのは、気の所為では無いだろう。息を吸う度に大きく上下する肩が煩わしい。手が痺れ、短剣を握る感覚が無くなってきている。

 疲労でぼろぼろになっている身体にべったりとへばりついた返り血の匂いすら、分からなくなってきた。

 それでも一瞬たりとも気が抜けない敵の群れの真ん中で、握り締めた両手の短剣を構えながらおれは背中のトシさんへ向けて声を張る。



「……っ、トシ、さん! おれからあまり、離れないようにして、貰えますか……!」

「ァア!!? んなのテメェが俺に着いて来りゃアいい――――」

「遠くに行かれると狙いが逸れるんです! 後二分だけで良いんで近くにいてください!」

「――――狙いだァ?」



 首を傾けたトシさんから向けられる疑惑の眼差しに答える余裕は、おれに無かった。

 目の前の侵攻生物を捌きながら、次の行動に残された体力を全て充てる準備に集中していたからだ。


 長時間SFを発動していたお陰か。何となく分かり始めた、全身を巡る力――――ルイスさん曰く、I粒子の違い。

 今おれの身体を巡っている夜の冷気のように鋭い流れは、リッパーのI粒子だ。

 主に手脚に集中している彼のSFは、動くなり敵を斬るなりして常に一定の量を消費しなければ、一瞬で四肢の血管を凍りつかせるような負荷がおれに襲い掛かる。

 身体強化に特化している分、その反動が大きいのだ。組織での訓練でも、十分程が発動の限界だった。

 それを少なくとも三十分以上使い続けているのだ。初めは緩やかだったI粒子の循環も、時間が経つ毎に内側から凍てつかせる様な鋭さを増している。

 一瞬でもこのSFの制御を緩めれば、反動でおれは動けなくなる。そんな確信があった。


 それとは別に、もう一つ。おれの中に別の“流れ”があった。

 それは眼球の奥から腹の底へと落ちてくる、燃えるような感覚。それを起点に冷たいリッパーのI粒子が四肢へと伸びて行っている。

 恐らくそれが、以前ルイスさんが言っていた『おれ自身のI粒子』なのだろう。

 リッパーの力とは真逆の、熱い流れ。意識しなければ自動的にリッパーのI粒子と混ざり変換されてしまう、ただ身体中を巡るだけのそれ。

 そんな他のSFの下敷きになるしかないおれのI粒子が冷たくなり四肢へと巡る前に、一部を腹の底に留めておく。

 この後に使うおじ様のSFを発動させるために。

 瞬時にSFを使う、その起爆剤にする為に。



「ぃ、ぐ……――――ッ!」

「おい新入りぃ! どこ見てんだてめぇ集中しろ! つーか質問に答えてねぇぞごらァ!」



 一瞬注意が逸れ、避け損ねたサイ型侵攻生物の角が、脇腹を掠め取った。

 突撃してくるこの侵攻生物の殺傷能力は高い。ほんの少し掠めただけなのに、左脇腹の肉が一部掠め取られた。シュッ――――と裂けた肉から血が飛ぶ。ずぐりと、取られた肉の断面が痛みを帯びる。

 思わず上げかけた悲鳴を奥歯で噛み殺して、逸らしていた注意を目の前と向け直す。短剣を握り直す。

 先輩の声に反応する暇は、無い。


 性質がピーキーである為、扱いが難しいリッパーのSFを制御しながら、一方であまり意識した事のなかった自分のI粒子を体内に留める。

 更には眼前でこちらへ殺意を向けてくる侵攻生物への対処。

 幾ら意識を総動員させても足りない。どこかで集中力が、注意力が散漫になる。

 無謀な事をしているとは自分でも分かっている。

 それでもおれはやるしかない。これしかないのだ。



「おい新入り聞いてんのかァ!? つーか生きてんのかァ!? おい返事しろてめぇよおぉ!」



 どんなに痛くても。苦しくても。

 不安だろうが、怖かろうが、それでも。


 ――――その背中を護るといった、言葉を嘘にしない為に。

 預けられた、信頼の為に。

 何より――――こんなおれでも、出来ることをする為に。



「弁慶みてぇに立ったまま死んでんのかァ!? それとも俺に対して無視決めてんのかァ、ァアん!? それならいい度胸してんじゃねぇか新入りぃい!! 今すぐ上下関係ってヤツを」

「――――トシさん」



 視界の中に、鮮やかに燃える炎が映った。艶のある紫色の炎。

 空中で円形を描いた炎の中から、黒く細長い物が射出されるのを、おれ目は捉えた。

 あの槍を、待っていたのだ。



「おれから、離れないで下さい」



 侵攻生物の間を縫って一直線に飛んでくる槍。前へ一歩踏み踏み込んだおれは、接近したと認識し突進してくる侵攻生物を、身を翻しながら左手の短剣で斬りつける。

 角は斬り捨てて無力化した。そのまま頭から胴まで上下に分かつように斬り捨てる。だが突っ込んだままの勢いが死なないまま侵攻生物の太い前脚が避け損ねたおれの左脚に衝突する。

 嫌な音がした。硬いはずの物が砕け、支えを失った脚が膝から崩れ落ちそうになった。折れた脚の鈍痛が、脊髄に走る。

 ――――それでも。



「――――おれは」



 もう一歩、踏み出す。

 近付いて来たサイの形をした生き物の頭へ、右手の短剣を深く突き刺したまま、手を離す。

 身体を反転させ紫炎から背を向けた状態で、飛んでくる槍の軌道線上に何も持たない右手を差し出せば、黒い槍は吸い込まれるように手の中へ滑り込んで来た。

 飛び込んできた槍をしっかりと握れば、その直後、十字架を象った黒槍から熱を伴った力が流れ込んでくる。

 氷のようなI粒子を押し込むようにして身体へ流れて来たのは、膨大な質量を持ちながらも洗練された力。

 腹の底に留めていた熱と混ざり、渦を巻く、清涼で強靭なそれは血流を凍えさせる力を溶かしながら全身を巡っていくそれは、『串刺し公』と呼ばれた武人の力で――――



「っ――――は、ぁ…………!」



 槍の飛んできた勢いを更に身体を反転させる事で受け流しながら、短剣を地面へ手放した左手を添え、橙色に光沢する黒槍を道路へ突き刺す。

 この槍が易々とアスファルトを突き抜ける事は、先程おじ様の手元に槍があった時に見ていた。だからこれを思い付いたのだ。

 これしかないと、思ったのだ。



「――――ッ、ぅ、ぁ゛!!?」



 墓標のように十字架槍を地へ突き立て、SFを発動させる為に体内のI粒子へ意識を向けたおれは――――その瞬間、ばちりと目の前が弾け飛んだ。

 槍から流れ込んできた『串刺し公』のI粒子によって身体の中心に押し込まれた『切り裂きジャック』のI粒子が、暴れ出したのだ。

 おれの目論見通り、腹の底に留めていた熱が槍から送り込まれた熱と渦を成す。SFを発動させるエネルギーが急速に生成されていく、その一方で――――使われる事無く行き場を失ったリッパーのSFが、過負荷となって身体を内側から貫いたのだ。


 訓練の際でも、一度たりとも二つのSFを発動させたまま切り替えることは無かった。

 あっても、片方のSFを解除してから、もう片方を発動させた事しかなかった。

 故に――――予想していなかった。

 脳が焼き切れそうになる、苦痛を。



「……ぁ、ぁ゛……っ!」



 凍るような冷たさ、等では最早それは言い表せなかった。

 鋭い、無数の刃で、内臓を切り刻まれているかのような激痛。身体が疲弊しているのも相俟ってか、夥しい数の鋭刃が五臓六腑に、あらゆる筋肉に、神経に突き刺さる。

 痛みが。ズタズタに身体を裂かれる痛みが。悲鳴を上げることすらままならない痛みが。息が詰まる苦しみが。自分ですら見た事が無い身体の部位を一つ一つ無作為に、無造作に刻まれる痛みが。生きたまま全身をバラバラに解体されるような激痛が。骨を。神経を。脳を。意識を。塗り潰していく。自我を削いでいく。焼ける、焼ける、焼ける。意識が。自分が。痛い。思いが。痛みで焼けていく、焼ける、痛い、焼け落ちる。

 後悔する。痛い。こんな事をしようと考えた数分前の自分を後悔する。覚悟を後悔する。決意を後悔する。痛い。痛いそんな感情すら浮かび上がった泡を突くように刹那に弾けて消えた。痛い。声を上げたい。叫びたい。痛い。痛い。喚き散らしたい。腸を口から吐いてしまいそうだ。痛い、痛い。痛い。この痛みから逃れられるなら何にかも捨ててしまいたいと、差し出してしまいたいと思い、




『初陣だろーがA型SF保持者だろーが関係ねー。誰も期待なんかしてねー』



 ――――……嗚呼、それでも。



『だからテメーが出来ることだけをしてろ』



 ――――やらないと。おれが、やらないと。




『テメーはもう、分かってんだろ?』



 ――――わかってる。おれが、何をするべきなのか。

 もう、わかってる。これしかないと、思ったんだ。


 声が、聞こえた、気がした。

 聞いた事があるような。いや、無いような。

 でも、聞き覚えのある声だ。

 聞いた覚えがない言葉でも、その声をおれは知っていた。

 威厳に満ちたものではない。

 粗暴さの目立つものではない。

 艶やかさのあるものではない。


 ――――けれど。



『…………その心がけは褒めてやる』



 ……もう一度、あの声を聞いてみたい。

 そう思ったら、不思議と焼かれたはずの意識が戻ってきた。全部投げ捨てたくなるこの痛みすら、耐えられる気がした。まだ、終われない気がした。

 覚悟が、決意が、胸の内に灯る。


 不思議と、もう少しだけ頑張れる。

 そんな気がした。



「――――“天に座する、我等が父よ”」



 十字架の槍を強く握り締める。折れた脚で真っ直ぐに立つ。力む全身に脇腹から血が流れる。

 身体中を刺し貫く激痛は止まない。神経が痛覚に侵されて頭の中は真っ白だ。チカチカと意識が明滅し、目の前もまともに見れやしない。

 だが、近くに護ると言った人の気配は死力を尽くして捉え続ける。酷い耳鳴りで侵攻生物の鳴き声も、あれだけ煩かったトシさんの声を聞こえないけれども。



「“我が罪を赦し給ふな。我が業を讃え給ふな。

 然れど、我が祈りを赦し給え。

 彼等の命を赦し給え――――”」


 眼が、焼けるように痛い。実際焼けているのだろうとすら思う。

 眼球神経から喉を通り丹田へ落ちる灼熱は燃えながら、莫大な力を持ったI粒子と混ざり激しくなった血流と一体化している。

 見開いた両眼から炎のようなものが頬を伝っている。きっとそれは赤い色をしている。鼻の奥から錆鉄の匂いがする。



「“我が罪業の名は――――”」



 ――――それでも、全てはこの一撃の為に。




「――――“串刺しの悪魔也(Tepes Draculia)”」




 これしか、ないと思った。

 これから押し寄せる侵攻生物の足を止める為に、無数の生物を斃す為には、これしかないと思った。

 ――――かつて、とある護国の武人が我が領土を侵略者から護るべく行った所業。

 初めて十字架槍の銘を口にした時、脳裏に焼き付いた光景。

 橙色の瞳を持つ彼の力を使うとする度、思い出す光景。


 ――――全てを朱色に染め上げる、雄大な夕焼け。

 瞼の裏に焼き付くその色より、濃い赤に彩られた大地。

 小高い丘に並ぶ、この世で最も悍ましい墓場。


 おじ様の通り名の由来となった、串刺しの林を再現する。


 広範囲に。迅速に。ただし、トシさんは巻き込まないように。

 出来るだけ多くの侵攻生物を斃せるよう、持てる力の全てを注ぎ込んだ。

 その後、力を使い切ったおれがどうなるか、自分でも分からなかった。

 それでも、やるしかないと思ったのだ。

 これしかおれに出来ることはないと、思ったのだ。

 護ると、口にした言葉を守る為に。

 ――――これ以上、誰も傷付かないように。



「―――――」



 初めに、おじ様が槍を作り出す際に口にしていた言葉。

 異国の言葉であるそれを紡いだ瞬間、眼球ごと体内で循環していた熱がごっそりと――――全身を蝕んでいた痛みも根こそぎ、黒槍から体外へと放出され。

 全ての力を出し尽くしたおれは、意識を手放した。

 何もかも、空っぽになった。そんな感覚だけ感じながら。

 全部、どこかへ手放して――――













「…………ほめて、くれるかなぁ」



 古い本と、黒鉛の匂い。

 書き込み過ぎて黒ずんだノート。真っ黒になった手。

 汚れた手の至る所がじんじんと痛い。きっとマメが出来て潰れている。こんな事は初めてではない。

 だが、慣れる事のない痛みに奥歯を噛んで我慢しながら、手を洗う為に席を立った。

 音を立てるのは行儀が悪い。そう叱る声を思い出しながら、マメを刺激しないようにそっと襖を開けて、廊下に出る。

 古い建物であるこの家は、夕方から夜にかけて特に薄暗く、不気味だ。どこまでも続いているような気さえする冷たい廊下に怖気付きながら、音がしないように出てきた部屋の襖を閉める。

 廊下を走ってはいけません。そう注意する声を思い出し、細心の注意を払って歩く。

 それでも軋む木製の廊下の音に驚かされながら、目的地である洗面所に向かっていれば――――



「何をしている」



 ひっ、と。後ろから降り掛かった冷たい声に、肩が跳ね上がった。

 何とか悲鳴を上げずに、跳ねる心臓が落ち着かぬ内に振り向き見上げれば――――



「顔を上げるな」

「あ……っ、ご……ごめんな、さい……」



 ぴしゃりと。氷水のような言葉を浴びせられ、目を伏せる。

 そうだ。このひとはおれが見ることを嫌っていた。おれの目に自分が映る事を心底嫌悪していた。

 俯いたおれにその人は「何をしている」と問いかける。薄暗いこの家なんかより遥かに冷たい声だ。



「……てが、よごれたので……あらおうと、おもって…………」



 落とした視線の先に映る手には、黒鉛に混じり赤色が見えた。

 やっぱりつぶれていたんだ、と潰れたマメから滲む血を眺める。見れば見る程、鮮やかな赤。庭の片隅に咲いている花と同じ色。

 そういえば、と。不意に思い出す。

 子どもが怪我をしたら親は心配するものなのだと。お母さんが話していたのを、思い出す。


 …………しんぱいしてくれるかな。

 目の前のこの人は、心配してくれるだろうか。ほんの少しでも、やさしい言葉をかけてくれるだろうか。

 そう思うも、束の間。



「明日は早朝より打ち込みを行う」



 とだけ言い、その人は踵を反す。

 恐る恐る顔を上げると、広い背中が遠ざかるのが見えた。遠く、小さくなっていくのが見えた。

 あの人が遠くへ行ったことで廊下の空気が少し軽くなった気がしながら、胸にぽっかりと空いた穴に、冷たい風が通り抜けていくのがわかった。


 …………これくらいじゃ、だめなんだ。

 わかっていたはずなのに。両手を見下ろして、奥歯を噛みしめる。

 まだ、足りないんだと。足先が廊下と同じ温度になっていくのを感じながら、汚れた手を握り締める。

 ……もっとがんばらないと。

 いつも向けられる目に、かけられる声に。ほんの少しでいいから、温かいものがほしくて。


 もっと、がんばったら。

 今よりも、もっともっとがんばったら。

 そうしたら、あの人は…………父上は……――――



「……ほめて、くれるかなぁ…………」




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