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――――トーキョー地区第一隊・第三隊共同最終前線。
鋭撃班による司令塔の殲滅により指示系統を失い、混乱状態に陥った侵攻生物が前線より逃走を開始して約三分。
前線を守りきり、これで暫く侵攻生物の動きも穏やかになるだろうと第一隊の隊員達が胸を撫で下ろす中、第三隊の面々は神妙な表情を浮かべていた。
その中心にいるのは第三隊副隊長ダテ。
細かな作業やマメな通達が苦手である隊長トドの代わりに通信機を手にした彼は、切られた通信を繋ぎ直すべく何度も呼び掛ける。
しかし通信機から反応は返ってこない。
「ダテさん」と、状況を薄らと把握している隊員が不安を顔に滲ませながら指示を仰ぐ。
隊員達の心情を感じ取ったダテは、速やかに場にいる隊員達を仕切る。
「チカさん。ヒメさんを連れて深部に向かって下さい。カズさんだけでも連れ戻し下さい」
「了解」
「はい!」
「他の隊員は侵攻生物が前線を超えないようにして下さい。ネネさんは後衛から医務部の人を引っ張って来て下さい」
「了解!」
ひとまず今直ぐに動ける隊員へ指示を飛ばしながら、再度通信を試みたダテは無反応を貫く小型通信機に、奥歯を噛む。
頭のどこかで予想だけはしていた想定外の事が、起きていた。これは己の配置ミスだと自責する。
今回の任務においてトシへの抑止としてわざと新入りのカズを組ませるよう隊長トドへ提案したのは紛れもない、ダテ自身であったからだ。
隊から外れて行動するトシの振る舞いには誰もが頭を抱えていた。特に、彼が何か問題を起こした場合苦言が寄せられる所属先の責任者、副隊長のダテは。
己の直感と独断により行動するトシの自由奔放さが引き起こす些細なトラブルの数々。これらによる他の隊からの苦情で頭痛が治まらなかったダテは、組織において所謂、中間管理職の立ち位置にあった。
ただでさえ大雑把な性格の隊長に代わり、細やかな書類や通信機による指示系統の整備、その他後衛部隊との連携。その様な事務は会社でやっている事とさほど変わらないので、彼自身あまり苦には感じていなかった。それでも以前より有事のことも考え、自分の仕事の補佐か代理を用意した方が良いとは思っていたが。
それよりもダテにとって優先すべき、早急に解決すべき目下の問題は、たとえ何があろうと我が道を往く隊員トシの対処についてだった。
元来の性格からか血の気が多いトシは、だかその乱暴な言動に反し知能は悪くないことを、ダテは知っている。部隊の作戦を理解し、現場の状況を認識し判断する頭脳をキチンと兼ね揃えている。
だがしかし、彼は理屈より作戦より何よりも、己の本能――――闘争心に従うのだ。
自制心などかなぐり捨て、肉体が反応するままに。
心のままに。獣のように。
相手が死ぬまで槍を振るう、戦狂い。
戦闘が長引けが長引く程他者の声を聞かなくなるこの暴走隊員は、戦力は十分すぎるが単独行動故の苦情が多い。
それも所属している隊の長であるトドやダテに黙って他の隊に同行し暴れ回るため、注意しようにも中々本人を捕まえる事が出来ない。
どうしたものかとあの手この手を尽くし切り頭を悩ませるダテ。
そんな副隊長に、先日冗談混じりで第三隊隊長トドが「あいつ一回本気で首輪つけた方が良いんじゃねぇか?」と日課の素振りしながら言い――――その瞬間ダテはふと思い付いたのだ。
今度うちに所属することになる新入りに、一度あの戦闘狂を任せてみればいいんじゃないか?
――――と。
突拍子もないダテの提案に、トドが逡巡すること無く「そうしてみるか」と許可を出したのは、これまで見てきた新入りの様子から考えると当然の反応だった。
何故なら新入りの傍には常に死んだはずの過去の偉人が存在しており、新入りカズはそんな悪名高い彼らを何の気遣いも負うことなく言葉を交わせられるからである。
生者のように存在し、その存在感を否応なしに周囲へ、強烈に知らしめている彼ら。
亡霊、と呼ばれる者達――――領主と殺人鬼である彼らは両者共に血腥い伝説を持ち、現代にまでその名が判然と残された死者だ。
かつて人でありながら、今は人ではなくなった者達。彼らが近くに立つと、生者である人間は反射的に身が竦み、全身から血の気がサッと引く。多少慣れたダテら第三隊でさえ未だ恐怖を拭い取れない。
そこに居る。何もせずとも、佇んでいるだけで他者に畏敬の念を抱かせる、亡霊という存在。
たとえそれがSFによるものだとしても、異質なものであることに変わりなく、『触らぬ神に祟りなし』と大抵の組織所属者は挨拶をしたり偶に雑談をするといった“深みには踏み込まない知り合い”といった関係を保っているのが現状だった。
そのような亡霊達を、ただ一人。
死者だということを気にすることなく普通に接し、共に生活し、彼らの能力を己の能力として駆使するのがカズだった。
久々の組織加入者であるカズ個人に対する周囲の共通認識は『少し暗い感じの真面目な子』であり、『大人しい子』であった。
実際最初に保護し、また同じ班であることから何度か世間話などをしたダテは、カズが良識のある人物であることはよく知っている。
休み時間教室で黙々と本を読んでいそうな見た目の通り、口数は少なめであること。同じA型SF保持者であるマスと仲の良いこと。組織中では珍しく礼儀正しく親切であることから女性陣から密かに人気が高いということ――――“あの”鋭撃班班長に臆することなく普通に話せる人物であること。
必要な時に我の強い亡霊達を諫める事ができ、また組織に保護されるまで自力で生き残り、どのような人物とも隔たりなく交流出来る。
そのようなカズの人柄は、十分信用に値するものだった。そのためダテは思ったのだ。
カズさんなら、トシさんと組ませられるのではないか…………と。
そのような経緯から今回の任務で早速班長の提案通り問題児トシと常識人カズを組ませたダテだったが、任務が終盤に差し掛かった現在はもう少し時間を経てから実行すれば良かったと後悔している。
考慮しておくべきだったことを、忘れていた。
あまりにもダテは戦いに慣れてしまっていたのだ。
故に、判断を間違えた。
善良な普通の人間は、目の前にある人の命を無視することが出来ない。
そんな当たり前のことを、ダテは忘れていたのだった。
カズはまだ戦場に慣れていない、一般人だ。それも、人を殺したことなどない子どもだ。まだ成人すらしていない学生だ。
そんな未成年に、戦場で必要とされる行動の取捨選択が出来るはずが無い。それも、もしかしたら助かるかもしれない人間を放って自分だけ逃げることなど、善良な子どもができるはずも無かったのに。
この世界は残酷なまでに弱肉強食で、自分の命の保証ですらままならない。他人にかまけていれば次の瞬間には自分が食い殺されていた、などということは日常茶飯事だ。
その事を、新入りである彼はまだ理解していない。組織に保護されるまで一人で生き延びてきた彼は、まだ経験していない。
だからまだ、他人の命が常に、視野に入っている。
助けられるなら、と。躊躇無く良心のみで動けてしまう。
そんな優しさが、善い心が、残酷な結果をもたらしてしまうのが、この戦場だ。
一刻の猶予もない。もたもたしていれば侵攻生物にやられる。
新入り救助のための指示を飛ばすダテ。
どうか無事であるようにと、この世に神などいないと分かり切っていながらも願わずにはいられない。冷めた心の中で祈った――――その時だ。
ズンっ、と。地面が揺れた。
一瞬の地響き。不意をついたそれに戸惑いながら、ダテはコンクリートの地面へ目を落とした。
普段から軽度の地震が頻繁に起きる国に住んでいるためか、震度は四弱ぐらいかと体感的に計算し、本震の心配をするが――――そもそもこの世界に地震などそう起きない事を、瞬時に彼は思い直す。
ならば今のは何だと、ダテは周囲に目を向ける。
突発的な地響きに視線を足元へ向ける者が多くいる中、こちらに後衛の通信部隊が一人、駆け込んで来るのが眼鏡を通して映った。
「――――報告します!」
第三隊副隊長を前に立つ隊員。余程急いで来たのか、息を荒らげていた彼は通信機を手にしたまま一呼吸置き、早口で現状報告をする。
「ただ今前線深部中間地点より、A型I粒子検出!パターン『串刺し公』!測定値三千オーバー!」
「三千……!?」
聞き間違えかと疑うダテの声が震える。
I粒子の最大測定値は五千だ。これは過去に測定された最大値が四千前後であったためそう設定されている。
平均的なI粒子の値は五百から七百。隊長レベルならば千から千五百前後。
常に二千を超える数値を持つのが、A型SF保持者だ。
だがそれでも、三千を超える事はそう無い。あるとするならば、考えられるのはSFの暴走だ。
「暴走か!?」
「詳細不明です! ただ広範囲に渡り『串刺し公』パターンのI粒子が拡大しています! 現在半径五百メートル!」
「I粒子が拡大……?」
通信部隊員から返された奇妙な報告に、前線へ目を向けるダテ。その時、同時に前線で指揮を執っていた亡霊が声を張った。
『全兵士達に告ぐ! 直ちに前線より後退せよ!繰り返す! 死にたくなければ前線より後退せよ!』
前線では侵攻生物と戦闘を続ける隊員達がいる。その間を堂々を通り過ぎ前へ出る緋色の外套を纏った将の姿を、ダテは捉えた。
影のない人影。ブロンドの混じった茶褐色の髪に厳しい甲冑。命無きものでありながら、鮮烈に視界に飛び込んでくるその存在感。
速歩で前線より前へ出る亡霊の歪んだ口角に、ダテは直感する。
あの亡霊が何かをしでかそうとしていると。
「『串刺し公』パターンI粒子、最終前線より五メートル手前で停止!」
「おい『串刺し公』! 何をしようとしてる!?」
『我ではない』
隊員達より数メートル前に出たところで立ち止まった亡霊に、トドが前線を越えようとする侵攻生物を押し留めながら問う。
それに隊員達の先頭――――最低防衛線の最前へ立った橙色の亡霊は遥か前線の先を見据えながら、手を伸ばす。
『我が子である』
見えない壁に当たったかのように、『串刺し公』は宙へ伸ばした手を止める。
――――そして轟音と共に、地獄が展開された。
コンクリートを砕く音。それに混じり地面から無数の槍が聳え立つ。
穿たれるのは侵攻生物。ドッ、という鈍い音と共に花吹雪の如く灰色の宙を舞うのは、真っ赤な血飛沫。
それは一瞬の出来事だった。
前線にいた者。指揮を執っていた者。後衛で援護を行っていた者。その場にいた人間、誰もが声を上げることを忘れ、眼前の惨状をただ茫然と見詰めていた。
あまりにも無惨であるが故に。
あまりにも凄惨であるが故に。
『ふーーーーははははははははははははははははははっ!!』
幾度となく侵攻生物を退けて来た歴戦の兵士ですらその場で呆然と佇む、地獄絵図。
呼吸すら本能的に潜め眼下の光景を目に焼き付けられる彼らの中で、一人その亡霊は笑っていた。
恐怖により支配された戦場の静寂を砕き、生者のように興奮で頬を染めた『串刺し公』は、己の直ぐ手前に展開されたその“偉業”を惜しみなく称賛する。
『素晴らしい!!』
ぱしゃり、と。跳ねた血で濡れる甲冑。濃色の血鏡に躊躇なく足を踏み入れ、その亡霊は両腕を広げ地獄を仰ぐ。
喉から手が出る程欲しかった物が手に入った子どものように、期待以上のものを見たと言うように。
濁った色の天を仰ぐように呵呵大笑し、喜悦に満ちた笑みを振りまく彼は『嗚呼』と熱の入った嘆息を零す。
『見事!! 実に見事だ我が子よ!! 良くぞ我が力を継承した! まだ些か荒いが、この光景こそ我が力! 我が証! 我が成した断罪と粛清の業!!』
常人ならば背筋の凍るおぞましき地獄に、心底から湧く歓喜に軽くその場でくるりと回ってすらみせた『串刺し公』は、道路の奥まで続く針山地獄に目を細める。
全ての侵攻生物を刺し貫いた黒い槍は、墓標の如く。
地面に広がる血溜まりに見せしめるように映るのは、命無き肉塊。
地面から突出した槍に貫かれながら、なお痛ましく藻掻く生物が、身体の内側で三叉に分かれた槍に貫かれる。
穂先が十時に別れた槍。それにぶら下がる死体。
――――アスファルトで舗装された道路十数メートルに渡る極刑の林を、地獄と呼ばずして何を地獄と言うのか。
『今此処に!! 我が名は受け継がれた!!』
『串刺し公』と呼ばれた男は今この場にいない我が子に、帰ってきたら力強く抱き締めキスをしてやろうと思いながら、高揚のまま笑い続ける。
気が狂ったように、笑い続ける。
見る者の瞼に否応なしに焼き付けられる畏怖の光景。無数の侵攻生物の骸。その前で狂喜乱舞する橙眼の亡霊へ、得体の知れぬ恐怖を向けるダテの端末に通信が入った。
手の中で震えるそれを一見すること無く、身体に染み付いた習慣で操作し耳に宛てがうと、『もしもし、オレだ』と聞き覚えはあるが馴染みのない声が聞こえる。
一瞬誰かと記憶の中を掘り起こしたダテは、相手の気さくを通り越した無礼な口調にはっと瞠目する。
それは決してこちらからの連絡に応じる事の無い、問題児からの発信であった。
『あー……もしもし? これ通じてんのか? 使った事ねぇから分かんねえが……通じてねぇなら切るぞ』
「い、いや、通じてます! はい! 聞こえてます! というか、トシさんですよね……!? 」
『お、聞こえてるっぽいな。えーっと、何だ。つか誰だ? あー……いや、いいか。それより用件言うぞ』
初めて端末による通信が成立したが、平素の時と変わらず人の話を聞く様子が全く見受けられない『無双の槍』は、意外な人物が端末の機能を使用したという驚きと恐怖から我に返った直後の思考停止とで慌てている副隊長に気遣うこと無く、淡々と報告する。
『侵攻生物も全滅したし、なんか新入りがぶっ倒れたからそっちに担いで帰る。 ほらあれだ。来る時乗って来た……輸送用トラック? 用意しといてくれ』
「……はい……?」
未だ目の前の光景すら処理しきれていないダテに告げられたのは、新たな二つの情報。
どういう意味だと、少しの間を置き動き出した頭でダテが問うより早く、一方的に切られる通信。
もう何が何だか分からない。次から次へと起こる想定外の出来事に、キリキリと胃が幻覚痛を訴え出し、第三隊の副隊長は小さく呻きながら胃のあたりを擦る。
そんな悩み多き副隊長を、チカが憐れみと同情の眼差しで見ていた。




