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――――妲己さんのSFは『物体の移動』だ。
曰く、『目に見える範囲のモノを別の場所へ移動させる』能力であるらしく、それを使い危なそうな隊員や物資の運搬を行っていた。
型は調べていないので分からないが、『別の場所に物を移す』ぐらいしか出来ないという事で、自ら後方部隊に助力を名乗り出たそうだ。
なおこのSFには発動に条件があり、最低でも『目に見える範囲』での『物体』が『円状の炎の中を通る』事が必須であるらしいというのを、おれは後におじ様から聞かされたのだが。
それは、さておき。
原理はともかく、『人間』を『移動させる事が出来る』ということだけは実体験から知っていたおれは、真っ先に妲己さんの元へ走り、彼女のSFでトシさんの近くまで送ってくれないかと頼んだ。
彼女は快く引き受けてくれた。
絢爛な扇で口元を隠しながら『ならば今夜妾と褥を共にしてくれるのならば良いぞ?』とか言っていた気がするが、それは送ってくれるのだと解釈して「頼む」と返事をした。
妙に胸騒ぎがするのは気のせいだろう。うむ。
こうして妲己さんのSFによって、第三隊から離れた場所で孤立奮闘しているトシさんの近くまで大幅にショートカットして移動することが出来たおれは、直ぐ様トシさんに通信機を渡そうとする。
「……戦闘中失礼します。すいませんトシさん、第三隊副隊長から通信機を預か――――」
「いらねぇ捨てとけぇ!! ――――しゃアッ、七十九ぅ!!」
............あっさり断られたが。
こちらを見ること無く通信機を捨てておけと吐き捨てたトシさんは、群がる侵攻生物に対し槍を振るい続ける。
しかしおれは特に狼狽えたりはしなかった。
というのも、薄々そんな気がしていたのだ。確信は無かったのだが。
なんというか、見た目完全に不良である戦闘狂の彼は、筋肉番付の別名を持つ隣人と通じる所が多いのだ。
血の気が多いところや、血気盛んなところ、暴れるのが大好きなところなど。
そしておれの知る隣人は、自分の喧嘩の邪魔をされる事を非常に嫌う。
おれが殴れば聞く耳ぐらいは多少持ってくれるが、基本知り合いや第三者が喧嘩を止めに入ったら逆ギレして、仕留めに来る。
殴り掛かるんじゃない。
仕留めに来るのだ。
本気で息の根を止めに来るので、一度それで怖い目にあった知り合いは以来「カズサ! ゴー!」と暴走する隣人のストッパーをおれに一任するようになったのだが。
そんな回想は、意識の外に追いやり。
――――それならおれが、トドさんからの通信を伝えれば良いか。
トシさんが通信機を受け取らない理由を「通信が戦闘の邪魔になるから」だと推測したおれは、おじ様から渡されたトシさんの通信機を防護服の内ポケットに入れ、腰のホルダーから短剣を抜いた。
続いて左大腿に着けていたホルダーからも短剣を引き抜き、右手では逆手に、左手では順手に持ち構える。
耳に着けた通信機から、現在の戦況を報告するおじ様の声が聞こえた。
通信機の状態も良いようだ――――と。雑音なくクリアに紡がれるおじ様の報告内容に耳を貸しながら分析したところでおれは、肩の力を抜くように、ふっ、と息を吐いた。
これからおれは何をすれば良いのか。迷っていた己の行動について覚悟を決めたからか、思考は簡単に戦いに向けたものへ切り替わった。
もう手は震えない。脈拍も平常通りに働いている。
おれは自分が倒すべき敵の姿を視界に映す。
ああそうだ――――おれに出来ることは最初から限られていた。
ならばそれに、全力をつぎ込めば良かったのだ。
おれが今、やるべき事は――――この先輩の邪魔にならないように、侵攻生物を倒していくことだ。
「……いくぞ、リッパー」
両手の短剣を強く握り、閉じていた眼を開き前を見据えるイメージを持ちながら小さく呟く。
眼球の奥から炎のように熱いものが胸に落ちていく感覚。そこから全身へ巡っていくそれは緩やかに、しかしナイフのような鋭さを帯びながら四肢に力を与えていく。
――――そうだ。ようは、いつもの通りだったのだ。
隣人に連れられた喧嘩の時と同じ様に、立ち回れば良かったのだ。
隣人の――――この場合はトシさんの邪魔にならないように、常にトシさんの行動に気を配りながら。
かつ、第三隊からの報告やおじ様からの報せを通信機を持たない先輩に伝達しながら。
いつも隣人にやっていたように、トシさんの背中を守るのだ。
それが、今のおれに出来ること。
今のおれが、やるべき事だ。
「八十ぅううッッ!!!」
跳び上がったトシさんが、六メートル弱程ある朱槍で侵攻生物の一匹を突き刺す。
ビルの二階まであるだろう槍を振り回すトシさんの膂力は恐るべきだが、それ以上にあの槍の長さによる攻撃範囲の広さも恐るべきだと、おれはおれと同じく槍を使う先輩の戦いぶりを横目に見る。
武器を一振りするだけで、台風がそこにあるかのように、次々と侵攻生物が薙ぎ倒されていく。
近付く敵は片っ端から、そして容赦なく、彼は嬉々として突き、穿ち、貫き――――殺していく。
野生の猛獣を髣髴させる威圧感を全身から放ちながら、止まることなく槍を振う。
その姿は最早人とは違う、もっと原始的な生き物のように思えた。
だが、ブレーキの壊れた機関車の如きその戦い方はとこか洗練されている。
訓練の際に手合わせをしたおじ様の槍術とは違うそれは、トシさん自身を表しているかのようだった。
一見ただ長い槍を振り回して暴れているかのように見える光景。
だが彼の一撃は確実に、しかも的確に急所を突き一匹、また一匹と侵攻生物を倒している。
荒々しくも猛々しいトシさんの戦い方は、その凄烈さから、味方であっても近寄り難いと感じさせる。そんな本能的危機感を他者に与えるものだった。
だが、彼と同じ得物である槍を使うおれは、彼が侵攻生物に対して振るうそれに、彼の本性を感じ取った。
彼は戦いに対して誠実な人間なのだ、と。
殺すか、殺されるか。
その瀬戸際の中で彼は目の前の一瞬に全身全霊を賭けて戦っている。
相手の命を真っ直ぐ見据えながら。
己の命を燃やしながら。
恐らく彼はそこで力尽きても――――決して後悔しない人なのだろう。
刹那のやり取りの中で喜悦とばかりに笑う彼に若干引きながら、短剣を握るおれは、
「……......」
だけど、
「……かっこいいな」
そう呟いて、突進してくる侵攻生物へ短剣を振るった。
言動は乱暴で、戦闘狂。
命懸けの戦いの中に嬉々として飛び込むような、どうしようもない人物であるが。
その、命と正面から向き合うその在り方は。
鮮烈さの中に真摯さを持つ彼は――――かっこいい、と。
傷一つないその広い背中に、好戦的に口角を吊り上げる横顔に、おれはそんな思いを抱いた。
尊敬にも、羨望にも似たそれを言葉にするなら――――憧れだろうか。
じりじりと胸を焦がすようなそれに突き動かされるように腕を、足を動かすおれは、ばっと散った鮮血を頭から被りながら、こうも思う。
――――おれも、ああなりたい……と。
たとえ戦場で一人戦うことになっても、立ち向かえる強さがあり。
たとえ幾千の命を奪うことになっても、揺るがない覚悟を持って。
真っ直ぐ前を向いて進んでいけるような――――そんな人になりたい、と。
……戦闘狂になるのはゴメンだが。
それに、今のおれがそんな理想とは程遠いことは、誰よりおれがよく分かっている。
先程だってとっくの昔に決めたはずの心が揺らいで、迷いが生まれた。そもそも精神だけじゃなく、肉体的にもこの場にいる誰よりも未熟で、それこそ目の前にいる敵を倒すので精一杯だ。
――――だけど。
「下手にうろつくんじゃねぇぞ新入りぃ! んでもって大人しく死なねぇ程度に反撃しとけぇ!」
「――――はい」
こんなおれにでも、出来ることを。
こんなおれでも、今、やれることを。
「先輩の邪魔にならないよう、気を付けます」
全力でやろうと。そう、決めたのだ。
向かってくる侵攻生物を片っ端から斬りながら、おれはトシさんの声に答える。
既に襲いかかってきたサイ型侵攻生物を十以上は斬り、おれの身体は返り血で全身が濡れていた。
防護服が血を吸ったせいか、心なしか重くなったのを動く度に感じながら、大きく両手の短剣を振るい刃に纒わり付いた血を落とす。
灰色の空を反射する刃に視線を向け、刃毀れが無いことを確認したおれは、直ぐに視線を戻しおれと先輩の方へ突っ込んで来る侵攻生物の迎撃に入った。
現在こちらに向かって来ているのは一匹だが、それでも気を緩めはしない。手加減はしないと、短剣から流れ込んでくる熱を――――リッパーの力を全身に回していく。
そして一歩、踏み出したおれは突っ込んで来た侵攻生物を右脇から通し、すれ違いざまに。
逆手に握った短剣で、通り過ぎようとする侵攻生物の身体に刃を滑らし――――
一撃で、殺す。
肉を断つ音は、無かった。
重厚そうな皮膚とは裏腹に、サイの姿によく似た侵攻生物の首はあっさりと切断され、その断面から、行き場を無くした鮮血が噴き出した。
噴水の如く高く噴き上がった血は、雨のようにおれに降りかかる。
体温が無い侵攻生物の、冷たくもでろりと少し滑り気のある血液。それを頭から被るおれは、泥水を被った感覚に近いと思いながら、短剣を握ったまま右手の甲で目元に引っ付く邪魔な前髪をよけた。
足元でびしゃりと崩れ落ちた侵攻生物の胴から内臓と思わしき塊が零れ落ちる。
強い干し草と鉄錆の匂いが一瞬鼻についたが、何度も侵攻生物の返り血を浴びたせいか、匂いに慣れてきたらしい。クセの強いその悪臭は、一呼吸の間に気にならなくなっていた。
「は――――はは、ははははははははははッ!!!!」
背後でトシさんが高らかに笑っているのが聞こえたが、彼がテンションが上がるととてもよく笑うことは知っているおれは哄笑を聞き流しながら、向かってくる侵攻生物の相手をする。
もう戸惑う事は無い。躊躇する事は無い。
容赦する事無く、おれは彼らの命を奪う。
奪って、それを糧に、おれは前へ進む。
少しでも、役に立てるように。
少しでも、経験を積むために。
そして――――ひたすら突き進む、その背中を守れるようになる為に。
「……先輩、前方からレベル2の猪型とサイ型の侵攻生物による第二波が来ると報告がありました。数は六十から八十前後。備えて下さい。後ろはおれが――――」
――――護ります、と。
口にした言葉を、守る為に。
おれは、短剣を振るう。
通信機に届いたトドさんからの報告をトシさんに伝える。
グリップにまで及んだ返り血を払いながら反応を窺えば、手前にいた侵攻生物にとどめを刺したトシさんは顔だけおれの方へ振り向く。
「『守る』? はッ、てめぇが俺を?」
鼻で笑ったトシさん。彼に返答しようとしたおれだったが、間を置かず別のサイ型侵攻生物が突っ込んで来たため、軽く攻撃を避けながら前脚と首を断ち斬った。
隙あらば突っ込んで来る、今回の侵攻生物達のレベルは2。仲間同士での意思疎通が可能で、少ないながらも知性があると分類されているモノ達であるということを、返答しようとした隙を見て突っ込んで来た侵攻生物に今更ながらおれはいつかの訓練の際に聞かされた事を思い出す。
群れで行動するため、SF保持者一人での討伐は相当な実力者でなければ難しい、との事も。
「――――なら、守ってみせろ」
そんなレベル2の侵攻生物を単騎で次々と倒しているトシさんは横目でおれを見ると、挑発的に口角を吊り上げ長槍を構える。
「てめぇごときに俺の背中が守れるか――――やってみせろ新入りぃ!」
そして侵攻生物が群がる敵陣目掛けて――――突っ込んで行った。
......大切な事なのでもう一度、トシさんの背中を見直したおれは、再度現状を認識し直す。
トシさんは単騎撃破が難しいレベル2の侵攻生物、その群れに目掛けて――――
一人、突っ込んで行った。
「……え」
口を開いて、呆ける、おれ。
一瞬、思考が止まったおれはサイ型侵攻生物の中にさながら草を掻き分けるように入っていくトシさんの後ろ姿と、動きを止めたおれへ突っ込もうとする侵攻生物数体の姿を認め。
そして――――おれは全力ダッシュを始めた。
――――な、何してるんだこの人ぉぉぉぉ!?
と、内心絶叫するおれは己の目を疑いながら、どんどん敵陣へ突っ込んでいくトシさんの後を追う。
いや、本当に。
戦闘狂とは思っていたが……言動から分かっていたが…………!
――――現状を分かってるのかこの人は……!
何故か、今回の任務の引き継ぎの際に第一隊のソゴウさん、という人が言っていた『おまんも運が悪かのぉ』という言葉が頭の中でリフレインする。あの時は聞き流したが、今のおれにはその言葉の真意が分かるような気がした。
「そぉらァァァ――――ッ! は、ははは……っ、まだだ……まだいけんだろ? まだ戦えんだろぉがケモノ畜生共ぉ!!」
――――訂正。
今、おれは第一隊のソゴウさんが、トシさんと組むなんて運が悪い……そう言った理由が分かった。それも、よく、分かった。
「死にてぇヤツも戦いてぇヤツもまとめて来いよ! 全力で相手して全力で殺してやらァ! だから今すぐ、俺を殺しにかかってこいやァァァ!!」
――――この人、馬鹿だ。
周りが見えていないにも程がある、と。今すぐ第三隊のいる前線へUターンしたい衝動に駆られながら、黙々と先輩槍使いの背を追っていく。
進行の邪魔をするように飛び込んでくる侵攻生物を切り裂きながら、崖っぷちに立たされているような危機感を覚えるおれは「どうしたものか」と考えを巡らせる。
ただでさえおれとトシさんはトドさん達第三隊がいる本隊から離れているというのに、これ以上離れればいざという時の撤退が難しくなるどころか、物体の移動能力を持つ妲己さんの視界の範囲から外れてしまう――――いや。もうこの距離なら範囲外だろう。
振り向けば第三隊と第一隊が戦闘しているだろう防衛線は、遥か遠くの方にあった。これでは向こうからもこちらの様子が分からない。
つまり後方からの援護は全く受けられない、という事だ。
更に言えばこのレベル2の侵攻生物の群れは現在展開されている防衛線より深部――――都心部の方からやって来ている。
それは現在これら侵攻生物の大将首を取りに行っているという、班長やマスさん達鋭撃班がいる方向。
トシさんが、一心不乱に突き進んでいる方向でもある。
すなわち――――このまま真っ直ぐ進み続けると、侵攻生物のボスと戦っているだろう鋭撃班の元に辿り着くだろうということだ。
レベル2である程度の知能があると確認されている侵攻生物。
そのボスということは、今おれや第三隊が必死になって戦っている侵攻生物よりレベルが高い可能性が極めて高い、という事だ。
そしてそんな主犯格が無防備に群れの中にいるわけがない。かなりの確率でレベル2以上の侵攻生物がいるだろう。
それだけではない。こうしておれとトシさんが都心部に向かい進んでいる間にも後方で戦闘音が聞こえるということは、進行方向だけではなく背後にも侵攻生物がいるということだ。
簡単に言い換えると――――トシさんは自分から敵に囲まれに行っている、という事だ。彼の後を必死で追っているおれも、例外なく。
一言で現状を説明するなら、四面楚歌、である。
……どうしてこうなった。
『そうだカズ! 言い忘れてたがトシはテンションが上がれば上がるほど暴走して敵に突っ込んでいくから、気を付けろ!』
おれとトシさんが完全に敵陣の中に孤立した頃合いに、通信機に第三隊隊長トドさんからそんな注意事項を聞かされる。
今更としか言いようがないタイミングで忠告してくれたトドさんにはとりあえず「分かりました」と返答をしたおれだが、心の中は荒れていた。
――――いや、忠告遅過ぎですトドさん。
先陣を切って行くトシさんの取り零した侵攻生物を倒しながら、おれはわりと本気で悩む。
「ヒャッハァァァアーーーーッ!!」
――――この状態を、どうしろと?
世紀末あたりに出てきそうなハイな奇声を上げながら侵攻生物を薙ぎ倒していく戦闘狂先輩に、おれは扱い慣れないSFを使いながら着いていくのだった。
どうして、こうなった。




