ーー3
「生きているから笑う」のだと、トシさんは言った。
生き永られた喜びに笑う事は、悪い事じゃない。
むしろ当たり前のことだと、おれは思う。
たが、その生きている喜びによる笑顔を、命を軽んじているように捉えたおれは、彼らの笑顔に恐怖と不快感を抱いた。
その感覚に「慣れるな」と、班長さんは言った。
「慣れたら人として終わりだ」と、彼は続けた。
トシさんの説明によって戦場での笑顔の意味は理解した。だがおれは、班長さんが言った言葉の意味を理解出来なかった。
彼が何を伝えたかったのか。
その真意はまだ、分からない。
だけど、おれは思うのだ。
理解しながら、理解していないことも有りながら。
――――みんな、ああいう風に笑うのかな…………と。
「あっ、トシおま――――」
「悪ぃ迷った後は俺が全部殺ってやっからさァ来い侵攻生物共ぉ!!」
「またかトシお前えええええええ!」
侵攻生物の鳴き声を頼りに移動すること十分。
「やっぱ都会は分かんねぇ!」とビルの隙間やら横断歩道を渡り、結果道に迷ったトシさんによってようやく前線の部隊と合流出来たおれは、既に戦闘を始めていた第三隊の人達を見て心に決めた。
今度からトシさんに運ばれる時は道をナビゲートしよう。
彼が方向音痴であることが、今回の迷子の件でよく分かったので。
そんなことを考えるおれを肩に担いだまま、当初の目的である前線の部隊とようやく合流出来たトシさんはというと、侵攻生物の姿を確認するや否や、先に戦闘を始めていたトドさんの制止を無視し勢い良く前線へ飛び出した。
デジャヴを感じるおれが見守る中、おれとトシさんが出発した後に移動したはずのトドさんが戦っていた侵攻生物を――――脳天から槍で串刺しにする、という。ダイナミックな獲物の横取りを決めたトシさんは、にたり笑った。
楽しげな気配を感じたおれは察した。
ああ、スイッチが入るな――――と。
「はははッ! はははははははははははははははははは――――――ッ!!」
思った通り、サイ型侵攻生物とのファーストコンタクト時のように戦闘のスイッチが入ったらしいトシさんは、笑いながら侵攻生物の頭から槍を引き抜き、大きく槍を振るう。
そうして刃に付いた血を払うと、二メートル程離れた場所からこちらへ狙いを定めていた侵攻生物へ目を向けるや、脚に力を込め。
「みぃぃ――――つぅ!」
たった一度の踏み込みで四足歩行する侵攻生物との距離を詰めると、短く持った槍を侵攻生物の下顎から頭蓋骨目掛けて突き刺した。
風船のように弾け、広がる血の臭い。
鉄と干し草が混じったような臭いに「ああ血だ」と思いながら顔を顰めると、額まで貫いた槍をずるりと引き抜いたトシさんは、おれの身体を支える手で肩に担がれているおれの背中を掴むと、ぽいっと道路に放り投げた。
目を、丸くするおれ。
「よぉしッ!」
「ぬ、お――――ッ!?」
十分程前の宣言通りにおれを片手で放り投げたトシさんは、己の獲物である長槍の柄を両手で掴み、構え、そして凄惨に笑う。
放り投げられ、上半身から道路に着地すると同時になんとか受け身をとったおれは、見上げたトシさんの横顔に血肉に飢えた獣を想像した。
そして次の瞬間には飛びかかるように駆け出し、侵攻生物に向かって刃の十字に分かれた長槍を振り回すトシさん。
彼のその姿に、おれは薄々感じていた事を確信へと導いた。
トシさんという、槍使いの先輩。
彼はいわゆる、『戦闘狂』と呼ばれる類いの人であると。
戦うしか能がないと豪語し、命懸けの戦いへ自ら望んで挑んでいく。
使うのは武器である長槍とその身一つのみ。
顔には深い愉悦の笑みを浮かべ、目の前の敵を斬り、突き、薙ぎ、倒していく。
まさしく、彼こそが噂に名高い『戦闘狂』という人なのだろうと、のろのろと立ち上がりながらおれは思った。
隣人とも似ているな、とも。
彼もケンカなどが絡むと、それはもう暴走機関車のように止まらなくなる。しかも周りを巻き込んでさらに激しくなる。最終的に手が付けられなくなる。隣人の場合は二、三回殴れば元に戻るが。
トシさんもそういう類いの人なのだろう、と。
すでに十を越す数の侵攻生物を倒し「ははははははッ!」と笑い声を戦場に響かせる槍使いの先輩、おれは少し親近感を抱くのだった。
――――状況的には、こんな悠長に思考をしている場合ではないのだが。
『我が子ォォォオッ!!』
おじ様がおれを呼ぶ声が聞こえる。おれがトシさんに連れていかれた後、トドさん達第三隊と行動を共にしていたのだろう。
どこにいるのかと、呼ばれたからには返事をしなければと思ったおれが声の聞こえた方向へ目を向けれは、こちらへ向かって突進してくるサイ型侵攻生物のトカゲのような目と目が合った。
あっ、これはマズイ――――と。岩をも砕くだろう強靱な角が自分に突き刺さるのを想像し、ぞっと青ざめたおれは即座に突進してきている侵攻生物の直線上から飛び退き、直線の攻撃を躱す。
突進して来た侵攻生物はそのまま直進を続け、歩道にあった電柱へとぶつかることでようやく停止した。
それをおれが見届けると同時、電柱にぶつかったものとは別の侵攻生物が、おれに向かって走って来る。
先程の侵攻生物同様の、一直線の突進。
軌道上から外れれば、あっさり避けられる攻撃だ。
そう思い侵攻生物の正面から逃げようと考えたおれは――――自分の背後、その数メートル先に第三隊の隊員がいることに気が付いて、
今、ここで躱したら――――この侵攻生物は後ろの隊員に突っ込むんじゃないだろうか。
そんな考えが頭を過ぎり、一瞬反応が遅れた。
「…………ッ!」
侵攻生物の接近を許してしまった。距離にして一メートル弱。
侵攻生物の移動速度とおれが避けるスピードでは、向こうの方が上だ。
このままでは避け切れない――――そう判断したおれは右手で腰に差した短剣を引き抜き、身体を半分左回転させた。
全身の重心を左に寄せ、そのまま転がり込むように突進してくる侵攻生物の右側を通り抜ける。
その際、逆手に持ち直したナイフの刃で撫でるように、侵攻生物の右前脚と右後脚を斬りつけた。侵攻生物を後列の第三隊まで向かわせないようにするためにだ。
象のような鳴き声だった。
右両脚から崩れ落ちながらコンクリートに転がる侵攻生物。突進する勢いを無くしたそれは、引き摺られたような跡を車道の上に残しながら鮮血を散らす。
短剣での戦闘に慣れていないためか、脚を斬り落とすつもりでいたおれが想像していたより、軽い手応えが手に残った。紙を切ったかのような感覚だった。
だが、腱の方は斬れたらしい。
立ち上がろうとして踠き、少しずつ広がっていく血溜まりの中で足掻く侵攻生物を見て、おれは、
――――なんて惨たらしい光景だろうと、思った。
「ぬっ――――うぅっ!?」
その直後、おれは突然に落下する感覚を覚え素っ頓狂な声を上げた。
見ればおれを中心に半径六十センチ以内のコンクリートが瞬間的に消失し、大きな円形の落とし穴を形成していた。穴の先は闇だ。
コンクリートと落とし穴の境界線で紫色の炎が揺らめいているのが見えたおれは、この落とし穴が誰によって作られたものなのかなんとなく察しながら、クイズ番組の人形のように落ちていき。
「んぬ゛っ!??」
穴に落ちきったところで、着地に失敗し――――腰を強打した。
「――――――っ、ぐ……ぬ゛…………!」
骨が砕けたと思うような、衝撃。
正確には臀部であるが、尻より腰の方がダメージ的には大きい。
恥骨部辺りにズキズキとした鈍痛を味わいながら、短剣を片手にゆっくりと立ち上がり辺りを見渡すと、空飛ぶ絨毯が見えた。見覚えのある絨毯だった。
通信機、もしくは武器を片手に頻回に対陣を組み直している第三隊員と、第一隊員の姿も見える。
場所は中小のビルに囲まれた広い大通りの、車道の上。象のような侵攻生物の鳴き声と、怒声にも似た人の、指示を送り助けを要請する声が飛び交っていた。
湿ったようなと音と、瓦礫が砕けるような音が聞こえる。
血の臭いと、焼けた肉と鉄の臭いが混ざり合っている。
いつの間にかおれは、先程強打した腰の痛みなど忘れていた。
――――耳に残るけたたましさと、息を止めたくなるような恐ろしさの漂う空気。
振動が地面を伝う度に手足の震えそうなこの場所がどういうものであるのか。それをおれは、身体と心で理解した。
ここは戦場だ。
命懸けで命を奪い合う、悽愴な墓場だ。
『我が子よ! 怪我はないか!? あの戦闘狂に何かされていないか!?』
生まれて初めての『戦場』を実感するおれに、十字架の黒槍を携え陣形の後部から駆け付けてきたおじ様が槍を地面に立て、がしりと両手でおれの肩を掴もうとし――――すり抜けた。
亡霊は生者に触れられない事を、未だにおじ様は忘れるのか。歯痒そうに『ぬぬぬ……ッ』と唸ると、再度『我が子!』とおれを呼ぶ。
――――あの槍ってコンクリートに簡単に突き刺さるんだな、と。
視界の片隅にある槍にそう思いながら、おじ様の心配そうな顔を見上げるおれは、今にも目が潤みだしそうな武人に「大丈夫だ」と告げる。
ほっと肩を撫で下ろすおじ様。
だが次の瞬間には綻ばせた顔をキリッと武人のそれにすると、忠言を口にする。
『我が子よ、ここは戦場である。故に、刹那の迷いが己が屍を晒す事になる。それをゆめゆめ忘れてはならぬぞ。常に周りを見、己の置かれた状況を分析し、最善を尽くすのだ』
良いな、と念を押してくるおじ様に、おれは先程の侵攻生物との攻防を見て言っているのだと語調から感じ取り、「わかった」と首を縦に振る。
この間にも、おれの耳は戦場特有の音を拾い続けていた。
侵攻生物の鳴声、破壊音、ざばりと水の溢れる音、風を切る鋭い音、何かが燃える音、人の叫ぶ声――――
何故か、耳から離れないのだ。
聞き慣れない、あまり良いものでない、音が。
おれの頷きを見て『良し』と頷きを返したおじ様は、赤い外套の中から黒いモノを取り出すと、おれへとそれを差し出した。
耳にこびり付く戦場の音を聞き流そうとしながらおじ様が差し出したそれ――――耳に付けるタイプであるらしい、スパイ映画などで見た事があるような小型通信機を手に取ったおれに、おじ様は現状を説明をする。
『第三隊の班長からこれを耳に付けよとの伝令だ。すいっち、とやらを入れれば自動的に端末を介し、他の隊員を通信が取れるそうだ…………我の時代にこれがあれば、時間差もなく遠方まで伝令が届いたであろうに。
――――うぬ。兎も角、我が子よ。現状は劣勢である。第三隊が前線に合流した事で形勢は持ち直したが、見ての通り向こうの数の方が倍程多く、押し返すには決定打が足りぬところだ。
鋭撃班は報告にあった群れの大将首を直接叩きに行き、第三隊は防御線の維持。
長男は医務部にて負傷兵の手当て、長女は負傷並びに危機状態にある兵士の回収及び交代、我は戦局を読み兵の指揮を執っている。
現在負傷兵は少ないが、長期戦になれば数も増え、兵士の士気も下がる。そうなる前にこの大群を退けたいものだが…………さて、どうするか」
――――あの下に落ちている感覚は、妲己さんによるワープだったのか。
ここに来る前技術部で見た、あの紫炎の能力を使ったのだろう。
なぜ急に自分が落下したのか、その理由を理解したおれは、途中から独り言になっているおじ様の説明を聞きながら、第一隊隊長から引き継ぎのために聞いた報告の内容を思い出す。
――――侵攻生物の大群が確認され、防衛線を守る為に第一隊が応戦。主にレベル1~2の侵攻生物の群れであるが、数が多過ぎたために応援を要請。侵攻生物の数は現在推定二千体。
交戦の最中、大群の奥にレベル4二体の存在が確認されており、この二体が群れの中心核であると考えられる…………と。
――――恐らく鋭撃班は主格を討ち取ることで群れの統率を崩そうとしているのだろう。
慣れないながらも震える手で小型通信機をしっかり耳に装着しながらそう考えたおれは、報告にあった防衛線は多分この場所なのだろうと、周囲の隊員達の動きを見て想定する。
この場の守りを固めているのだろう。B型SF保持者だと思わしき人達が水や土で壁を建設しているのを一瞥したおれは、侵攻生物との激しい攻防が繰り広げられている前線へ目を向けて、「ああ」と無意識に声を零した。
今、おれは班長さんの伝えたかった事がわかった気がする。
「…………おじ様」
金属音と、鳴き声と、煙の臭いと、腥い鉄の臭いと。
今、手の中にある鈍い色を放つ短剣と、血と。
激しく争い、命を奪い合う鮮烈な景色に、心臓よりずっと深いところで渦巻いていたモノの正体を知ったおれは、誰よりも戦場を知る武人へ告げた。
「戦場は、怖いな」
『……………………』
鮮やかな橙色の目を見開きおれを見るおじ様。
その瞳に純朴な驚きと困惑が浮かんでいるのを見たおれは、「やっぱり」と。
武人である彼の眼から、班長が伝えたかった言葉の意味を確信した。
彼が伝えたかったのは、『戦場に慣れるな』という事だったのだ。
守る為には、戦わなければならない。
生き残る為には、相手を殺さなければならない。
ここはそういう場所だ。相手を倒す事でようやく自分が生きる事を許される、そんな世界だ。
だから誰もが戦っている。大人も、子どもも、関係なく。
たとえ自分の手で何かを殺めた事がなくても、武器を手に取り、恐怖を押し殺して、敵を殺して。
そうしなければ、自分が死んでしまうから。
それはおれにも理解出来るし、その恐ろしさはよく分かる。
命を殺めることへの罪悪感。他を殺してまで生き残ろうとする自分への嫌悪感。
心臓を蝕むそれらの怖さは、おれも知っている。
だからおれは、覚悟を決めた。
自分が生き残る為に命を奪う事に対して、それをこの先も続けていくことに関して、覚悟を決めた。
――――けれど。
だからといって、許容してはいけないのだ。
命で、命を奪い合う――――という。
血で血を洗うような、そんな行為に。
この異常な光景に、慣れてはいけないのだ。
命は、そんな風に殺されていいものじゃないのだ。
『…………我が子よ』
技術部で受け取る時は何とも思わなかった。だが、今になって自分の手の中にある短剣がどういうものなのかを知るおれに、おじ様が静かに声をかけた。
短剣と震える指先に付いた血へ視線を落としていたおれは、おじ様へと目を向ける。
神妙な顔をしたかの国の領主は、あらゆる戦場を見てきたその眼に慈しみを湛えていた。
『鋭撃班班長に、「分かったようなら言え」と預かっていた言伝がある』
「…………班長さんから?」
おじ様に頼む程、おれに伝えたい事が彼にはあったのだろうか。
しかも、『分かったようなら』という言葉の意味から考えるに、おれが班長さんに言われた『慣れるな』という言葉の意味を理解して、初めて成り立つような内容であるらしいが――――
班長さんは何をおれに言いたいのだろうか、と疑問に思うおれに、おじ様は低く重みのあるその声で鋭撃班班長からの伝言を紡ぐ。
『「初陣だろーがA型SF保持者だろーが関係ねー。誰も期待なんかしてねー。だからテメーが出来ることだけをしてろ」――――との事だ』
「……………………」
『…………うむ。似ていないな』
真面目な顔で自己評価するおじ様。
状況的にはわりと余裕が無いと思われる戦場の真っ只中で、至極真剣に班長さんの真似をしたおじ様にかける言葉が見当たらなかったおれは、沈黙を返した。
それ以外にどう返せばいいのか分からなかった。
――――それはさておき。
「…………そうか」
班長さんからの伝言。
それを確かに受け取ったおれは、ふっ、と。肩にかかっていた重みが消えるのを感じた。
不思議と、先程まで鮮明に聞こえていた戦場の音が気にならなくなった。
恐ろしさを感じていた短剣を握っていても、おれの心は自然と凪の海のように落ち着いていた。
――――戦場に出たからには、何か功績を上げなくてはいけない。
そう思っていた心を見透かすように班長さんが残した言葉は、身体に伝う震えを止めるには充分だった。
不思議だな、とおれは思う。
たった少しの言葉で、自分の心が軽くなったのを感じて、おれは自分が知らず知らずのうちに気負っていたことに気付いた。
初陣で、稀少なSFを使える人材だから、という理由もあって、心のどこかで誰よりも成果を上げなければと思っていたのかもしれない。
そんなおれ自身でも気付いていなかった焦りに、班長さんは気付いていたのだろうか。
気付いて、言葉を残したのだろうか。
だとすれば彼は凄い人だと思いながら、おれは短剣の柄を握り、戦場を見据えた。
死の気配と血の匂いがする戦場は、やはり恐怖を感じる。
だが、踏み出そうとするおれの足に、躊躇いはなくなっていた。
『――――ところで我が子よ、お前を連れ去ったあの槍使いの所在を知らぬか? 第三隊副隊長から通信機とやらを渡すように言われてるのだが…………』
「……おれが渡してくる」
どうやって収納しているのか分からないが、内ポケットなど無さそうな赤い外套の中からおれに渡したものと同じ形の小型通信機を差し出すおじ様に、おれは返答する。
ただでさえこのような戦場は初めてで、自分の持つSFさえ使いこなせていない、この場で誰よりも未熟者であるおれだが――――だからこそ。
「……おじ様、妲己さんはどこに?」
だからこそ――――自分に出来ることをしようと…………否。
出来ることをするべきなんだと、班長さんの伝言から思い直したおれは、おじ様からトシさんへ渡す小型通信機を受け取った。




