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気が付いたらおれは、後頭部を両手で抱えながら、地面に伏せていた。
目の前には防護服を着用した何者かの脚があり、状況が読み込めていないおれは「ふぁっ?」と意味も無く声を上げ、暫しぱちぱちとまばたきを繰り返す。
一体自分に何が起きたのか――――という。当然に浮上する疑問。
それは間もなく、後頭部に訪れた鈍痛から自然と理解した。
おれは殴られたのだ。
しかも、相当固い何かで。
「ボサッとしてんじゃねーぞ。ここが何処だか分かってんのか」
「……あ」
横柄な性格が滲み出ている声が、頭上から降ってきた。
ずきずきとした痛みを訴える後頭部を優しく擦りながら、彼方遠くで広がる灰色の晴天を見上げると、おれへ向けて真っ直ぐに鋭い視線を注いでいる人物がいることに気付く。
そこにはよく見知った、鋭撃班班長さんの姿があった。
恐らく手に持ったライフル銃の底でおれの後頭部を強打したのだろう。
ライフル銃の銃身にあたる部分を片手に持つ彼は、状況が飲み込めず四つん這いの姿勢で呆然と班長さんを見上げているおれを数秒程見つめるや、不快そうに眉間を寄せた。
そんな彼におれは「何でここに?」という疑問が頭の中に浮かべたが、後頭部に居座る痛みと殴られたという事実から、即座に別の疑問が思考の中心に現れた。
――――おれは何かしたのだろうか。
記憶に無いが、殴られたからには何か理由があるのだろう――――という思考過程を経て、「おれが何か粗相をしてかしたのだろう」という結論に至ったおれは、咄嗟に「すいません」と謝ろうとする。
しかし、何故だろうか。
殴られた原因を思い出そうとすると、何故か担架がおれのすぐ側を横切ったあたりから記憶が白いもやに包まれて、何も思い出せなくなってしまう。
もしや、殴られた衝撃で記憶が飛んでしまったのだろうか。
古いパソコンじゃあるまいし、と不備がある自分の記憶力にそう思う反面、班長さんがおれを殴った件に関しては「彼は理由もなく他人を殴るような人物ではない」――――と。
マスさんのように気軽に話せるような間柄ではないが、それだけは確信を持って言えたおれは、理由を思い出せないが、まずは謝罪をしなければならないだろうと本能的に察し――――ついでにいつまでも地面に座り込んでいてはまた班長さんに何か言われる気がしたので、謝罪をしながら立ち上がろうと片膝を、
「――――慣れるな」
「…………ぇ?」
片膝を、地面についた、ところで。
唐突にそう切り出した班長さんに対して、再びおれは不遜な言動である彼を見上げた。
――――彼は今、「慣れるな」と言ったのか。
それは一体、何に対してなのか。
片膝を地面についた状態で動きを止めたおれに、用事が済んだらしいライフル銃を、後ろ手に背中のホルスターへ仕舞う班長さんは続ける。
「ここは戦場だ。これまでテメーの生きてきた場所とはなにもかもが違う。
違うからこそ、慣れるな。不快だと思う事に、嫌悪を抱くものに、慣れたりすんな。
――――慣れたら、人として終わりだろ」
「……………………」
――――まるで、おれの内心を見透かしているかのような口振りで。
記憶が飛ぶ前に抱いていたおれの胸中のみでの葛藤を、知っているかのような口振りで。
断定的にそう告げた彼は、おれと同じくその場で固まっていたおじ様と妲己さんに視線を投げかけると、苛立ちを吐き捨てるように言った。
「家族だって言うなら、ちゃんと見とけ亡霊」
『…………礼は言わぬぞ、鋭撃班班長。我が子に手を上げた時点で極刑案件であるが、場合が場合であったからな』
『あら、妾は素直に礼を言うがのぉ。助かったぞ班長ちゃん…………礼として妾の完全な肢体に口付けをする事をゆる――――』
「断る」
おじ様に睨み付けられながら妲己さんの誘いを容赦なく切り捨てる班長さん。
ただでさえほとんど丸見えである胸元をさらに広げ、それはそれは目に毒なポージングを取りながら猫なで声で微笑みかけてきたにも関わらず、見事としか言いようがない冷たい一言で一蹴した彼は、おれへ視線を戻す。
「槍馬鹿に伝えとけ。先行するなら程々にしとけ。あとテメーの後輩ぐらいちゃんと見とけ…………って、面倒臭ぇ来やがった」
どうやらおれに「槍馬鹿」という人物――――何故は分からないが、その言葉を聞くや真っ先に脳裏に浮かび上がってきたトシさんに向けて、伝言を頼んでいるようだった班長さんはおれから視線を外すと、忌々しそうに「チッ」と舌打ちを零した。
どうしたのだろう、と。
おれ自身に向けられた「慣れるな」という一連の言葉と、不思議なことに頭の中に残る「槍馬鹿」というフレーズに関する伝言を覚えたものの、その意味まではまだ処理し切れてないおれが班長さんが向いている方向へ目を移せば、
――――今にも肩に担いだ槍を投擲しようとしているトシさんが、引き攣った笑顔を浮かべながら、闊歩していた。
子どもが見たら、恐ろしさのあまり大泣きしそうな、恐ろしい笑顔だった。
肩に担いだ、やけに柄の長い槍が、余計に恐ろしさを引き立てていた。
しかもズンズンズンと、線路の上を走る電車のように、一寸の狂いもなくこちらに向かって来ている。
その姿はまさしく、悪夢に出てくる悪鬼の姿だった。
「なァにウチの後輩にちょっかいかけてんだァ班長さんよぉおおおおおおおお?」
おれと班長さんの元へ到着するや否や、百人が百人恐怖を抱くだろう般若の如き表情で、班長さんの胸倉を掴むトシさん。
地毛ではないと一目で分かる金髪と怒りで磨かれた眼光のせいで、タチの悪いカツアゲのように見える彼に、平静と班長は反論する。
「連絡事項を伝えただけだ」
「俺から見りゃアてめぇが新入り虐めてるようにしか見えねぇんだけどよぉ、俺の気のせいかァアア?」
「……あの」
――――どうもトシさんは、班長さんがおれを虐めていると思い怒っているらしい。
蚊帳の外へ放ったらかしにされたおれは、下手なカツアゲより迫力のある彼の言葉からそう読み取る。
先に戦場に向かっていたのにわざわざ遠くからやって来てくれたあたり、トシさんはトシさんなりにおれという後輩に対して気を配っていたことが、たった今彼の言動から判明し、おれの中でのトシさんへの印象が「ヤバイ人」から変わりつつあるが――――しかし。
誤解である。
おれが虐められたと思って怒ってくれているようだが、それは大きな誤解である。
「……トシさん、誤解です。虐めじゃないです」
おれは睨み合う班長さんとトシさんが交える視線の外から、誤解を解くためのフォローを入れる。
だが、なぜそんな誤解をされたのかのだろうか。
その理由を考えたおれの中に瞬時に思い浮かんだのは、おれと班長さんの現状だった。
――――立っておれを見下していた班長さんと、見下され膝を付くおれ。
確かに、第三者から見れば虐めているように見られなくもない状態だ。
だが、真実を言わせてもらうと、おれは班長さんに虐めてなどいないし、そもそも彼はおれに気遣ってくれていただけである。
…………ライフル銃で殴られたけれども。
確かにおれは地面に膝を付いているけども、誤解である。
なので親切とはいえ、烈火の如き怒気を身に纏うトシさんに、班長さんが怒られる理由はない。
あらぬ罪を被せられている班長さんに申し訳なく思いながら、おれは誤解を解こうと立ち上がりトシさんと班長さんの間に入ろうとし。
「……あの、誤解なんです。とりあえず落ち着いて話を」
「新入りぃてめぇもだ! トロトロしてっからんな嫌味野郎に目ぇつけられんだ! シャキッとしろシャキッとぉ!」
「え、はい。すいません」
思わぬ飛び火を食らった。
まさかこちらにまで怒りの矛先を向けられるとは思っていなかったおれは、反射的に謝る。
ここで謝らなかったらトシさんの怒りが激化するような気がした。
あれだ。マジギレ三歩手前の隣人と同じ気配がした。うぬ。
――――というかそもそも、この人こんなに激しく怒るんだな、と。
怒髪天を衝いているトシさんの、一部の話題以外仏頂面だった時とは目を疑うような激しい一面を見て、心の端で冷静にそう分析するおれ。
そんなおれへと怒りの矛先が変わったのだろうか。トシさんは班長さんから手を離した。
そして足音荒くおれへ近付いた彼は、般若の様ではないが、苛立っていることが読み取れるしかめっ面でおれを見下ろすと、
「おらさっさと戦場行くぞ!」
「ぇ――――ぬぅっ…………!?」
『あら』
おれの前でしゃがみ込み――――かと思えば、次の瞬間おれを肩に担いだ彼は、戦場に向かい走り出した。
「――――!!?」
二秒程の思考停止。そして現状把握。
突然の視界の上昇と腹部への圧迫、そして浮遊感と揺れが、困惑するおれを襲う。
「ぬ、ぬぬぬぬぬうぅぅぅぅぅ…………!?」
つい先程まで怒り心頭だったトシさんの奇行。
何故おれを担いだのか――――その理由を訊ねるより速く駆け出したトシさんは、SFによって強化されているのだろう脚力によって急速に班長さんと亡霊二名が遠ざかる。
『わ、我が子ォーーーーーーーーーー!!?』
「るっせぇぞおっさん! こちとら我慢の限界なんだ! 文句なら後で聞いてやらァ!!」
あっという間におれと引き離されたおじ様の上げる絶叫に対し、もし本人に聞かれていたなら串刺し確定である暴言を吐き捨てるトシさんは、おれを担ぐ反対側の肩に槍を担いで地を駆けていく。
目的地は何となく分かっている。だがなぜおれを担いで運んでいるのか。
先程「トロトロすんな」と怒っていたことが由来なのか。つまりおれの行動が遅いからとこのように強制連行しているのか。それほどまでに彼は戦場に行きたいのか。
予想すらしていなかった現状への混乱のあまり、あれこれ考えるおれを担いだまま走るトシさんは怒鳴る。
「つーか新入りてめぇ、軽すぎるんだよ!! 武器防護服込みのくせに軽すぎんだよ!! ぜってぇ一発食らっただけで死ぬ感じのヤツじゃねぇか飯食えごらっ!!」
意味の分からない事に怒りながら、アスファルトの上を駆けていく先輩。
意外に人を抱えるのが上手く、人して有り得ないスピードで移動しているにも関わらず、おれの腹部にあまり負荷をかけることなく無人の都会内を移動する彼は「見つけたァ!」と叫ぶと、地面を蹴る力を強くする。
――――何を見つけたのだろうか、と。
米俵のように運ばれている内に平常心を取り戻し、「遠くでおじ様の声が木霊している」といったり、班長さんが言っていた言葉の意味を理解したりしていたおれは、されるがままにだらりと脱力していた上半身に力を入れ、トシさんの進行方向に何があるのか振り向いて確認しようとする。
わりとしっかり固定されている腰まわりに、トシさんの腕力の強さを実感しながら首だけを後ろへ――――つまりトシさんの向いている方向へ振り向かせた。
頭部が二メートル程ある、顔の半分が鋭利な牙で覆われたサイのような生物と目が合った。
「――――は」
と。
間抜けたおれの声が口から出るより早く、鋭い牙を持つサイの顔面を蹴り抜いたトシさんは、次に出した左脚でサイのような生物の背中を踏み台に上空へ跳び上がる。
一瞬、ぐんっ、と支えられている腰を中心にかかる空気の抵抗力。
重力に逆らっている感覚を得た直後、左肩に担いでいた槍の穂先を下に向けたトシさんは、小脇に抱えるように槍の柄を握ると、そのまま真下へ落ちていき――――
「ひとぉつッ!!」
さながら――――隕石のように。
上空から背中を空けたサイに似た生物の心臓目掛け――――一突きに。
「ははッ、はははははははははッ!!」
体重と重力を掛けた一撃。
おれという荷物を抱えながら必殺といえるその一突きで心臓と思わしき塊を的確に貫き、動きを止めた生物の背を踏みしだきながら、ずるりと槍を抜き、赤い槍を一振し血を払うトシさんは笑った。
トラックの中で戦闘の話になった時以上に、楽しそうに――――愉しそうに。
「まずはひとぉつ…………んで、次のヤツはどいつだァ? まだいんだろ、なァ、まだ他のヤツも残ってんだろぉ?」
ガツ、と石突で叩かれるコンクリート性の車道。
見る限り通常の動物の皮膚ではなく、鉱物のような質感の皮膚であるにも関わらず、あっさり身体の奥にある心臓を貫かれ絶命したサイ――――侵攻生物。
それには毛ほども興味は無い、と。
赤色に彩られた槍を携え、今し方殺めた死体を単純な障害物の様に軽く踏み越えたトシさんは周囲を見回す。
そして直ぐに、がっくりと肩を落とした。
「なんだよおい、一匹だけかよ生物はよぉ。んだよつまんねぇじゃねぇかよ」
「…………あの」
拗ねたように呟く彼。
あの平時無愛想であった人物と本当に同一の人間なのかと、疑うような高揚感はどこへいったのか。
落胆した様子で溜め息を吐くトシさんに、絶叫系アトラクションに乗せられた気分であるおれは訊ねる。
「……おれはいつ、下ろしてもらえるんでしょうか…………?」
「アァ?」
侵攻生物を探してか。スタスタと歩き出したトシさんはおれを抱え直しながら答えた。
「邪魔になったらその辺に投げる。ちんたらおっせぇんだよおめぇはよ」
「…………はあ」
――――何なんだこの人、という気持ちがおれの中で強くなった瞬間だった。
なんだろうか、この人は。
なんだか、隣人と同じ気配がするのだが。
こう、人の話を聞きながらしながら自分の欲望のままに人を振り回すような。
そんな、傍若無人な人物の気配が。
というか邪魔になかったら投げるのか、と。
人を躊躇無く投げると言ったトシさんに、ますます隣人との共通点を見出すおれは、移動時間短縮のためにおれを運ぶトシさんは「あっちか?」と呟きながら歩く。
途端にトシさんの進行方向から聞こえてくる、獣のモノのような鳴き声と破壊音。
「あっちかァ」と確信しニタリと笑うトシさんは、音のする方へ向かう足を速めていく。
おれの都合、もとい存在などお構い無しである。
「フンフフンフ〜ン」
どうもトシさんは戦闘の事が絡むとスイッチが入るというか、楔が外れる傾向にあるらしい。
機嫌よく鼻唄まで歌い出した先輩に、これまでの会話での反応や、侵攻生物との戦闘に入った時の性格の変わりようからそう分析したおれは「危ない感じの人と関わったなぁ」と、隣人に抱くモノと同じ種類の諦めと、リッパーの正体を知った時のような生命に対する危機感を感じながら、
「……………………」
頭の片隅で、班長さんから言われた事を繰り返しながら――――ただ、何となく。
なんの根拠もなく、「問うなら今の方がいい」という感覚的な思いから、頭の中に浮上してきた疑問を戦い好きらしい彼に投げかけた。
「…………質問していいですか?」
「おう、何だァ? 敵ならもう少し先だァ、黙って運ばれてろ新入りィ」
すっかり脳内は戦い一色であるらしく真っ先に侵攻生物についての回答をしてきた先輩に、「違います」とすっぱり前置きを置いたおれは、おれの知る常識と、つい五分前に遭遇したこの場所の常識を比較しながら訊ねる。
「……なんで笑っていられるんですか?」
「……ァア?」
「……さっきトラックの中で引き継ぎをしている間、ずっと考えてたんです。
なんでこんな場所で笑えるのかなって」
奇妙な質問をするヤツだと思われたのか。
少し歩くスピードを落としたトシさんから、怪訝な眼を向けられている気配を感じ取る。
その異質なモノに向けられる眼差しに一瞬怯むおれだったが、胸の中にある妙な義務感――――「今訊くべき事だ」という強い思いから踏み留まったおれは、質問を続けた。
「腕が無くなったり、内臓が見えるほどの怪我をして、死ぬほど痛いはずなのに…………それこそ死ぬかもしれない状態で、何で笑っていられるんですか?」
おれは、それが理解出来なかった。
何故、あれだけの怪我をしながら笑っていられるのか。
何故、あの様な負傷を笑い飛ばせるのか。
まるで生命を軽んじているような言動が、おれには理解出来なかったのだ。
だって、死んでしまったら終わりじゃないか。
何もかも、終わってしまうじゃないか。
「まるで……死ぬのか怖くないような、そんな先輩方が…………おれは少し、怖いです」
だからおれは、恐ろしさを感じたのだ。
死すら陽気に笑い飛ばすような、この人達が。
おれの持っている常識からは考えられなくて、理解出来なくて――――恐ろしいと思った。
疑問も、抱いた感情も、何もかも。
包み隠さず口にしたおれは紡いだ言葉を振り返り、改めて自分が感じていた気持ちを再確認する。
ああ、やっぱりおれは怖かったんだ――――と。
生命を奪うことについては怖くない。それはこの世界で生き残る為に、必要な事だからだ。
だが、生命を奪われることに関しては、どうしても振り切れない、恐怖があったんだ、と。
奥底に眠っていた気持ちの正体に気付いたおれは、歩みを止めないトシさんの足元を見ながら、それでもと考える。
それでも、おれは戦うのだ。
生き残る為に。生きて、母の幸せを見送る為に。
「…………なァんで笑っていられんのかァ?」
不意に、トシさんは立ち止まった。
目的地に向かいただひたすらに動かていた足を止め、おれが投げかけた質問を復唱した彼は、おれの身体を支えていた手でおれの首根っこを掴む。
「んぬっ…………!?」
そしてそのまま、仔猫を持つかのようにぶらりと、おれを掴み上げ自分の目の前へと移動させたトシさんは、顔を覗き込みながら無関心そうな表情で。
「んなの、生きてるからに決まってんだろ」
真剣な眼をして、そう言った。
「…………生きてる、から……?」
「そ。手脚ぶっ飛んでハラワタぶちまけても生きてる。まだ生きてられっから、アイツらは笑う――――っても、『鬼』の野郎は別だけどな。
アイツ根本的に戦う事しか考えてねぇバカだから、ハラワタ無くなったところで『やっちまった』ぐらいの事しか考えてねぇと思うけどよ」
おじ様並みの剛力を発揮しながら淡々と答えるトシさんは、「あーでもなァ」と呟くと、眉間を寄せ目を細めておれを見る。
「おめぇみてぇな新入りにやァそういう風に見えんのか。まァ確かに、『今回はこれだけで済んだ』みてぇな皮肉とかも有るからなァ。戦場慣れしてねぇおめぇにはキツいか」
なるほどなァ、と。
そういう事も有るんだな、と言うように。初めて自分の主張とは違うモノを見た、と語るような口振りで理解の意思を示すトシさんは、猫のように持ち上げられたまま大人しく話を聞いているおれに「だがなァ」と強い言葉で続けた。
「勘違いすんなよ? この戦場にてめぇから死にに来てるヤツなんざ一人もいねぇんだよ。どいつもこいつも、腹に一物抱えて戦って、ソイツのために命を懸けてる。
戦争ってのはそういう、てめぇと相手の命懸けたサシの戦いだ。だから、ここに死にてぇヤツは一人もいねぇ。それだけは覚えとけ」
そう言ったトシさんは次の瞬間にはニタリと、今にも人を殺しそうな愉悦とした笑みを浮かべると、爛々と瞳を輝かせて嘯いた。
「まァ、俺は単純に殺り合う事しか能がねぇからこうして好き勝手やってんだけどなァ! 殺った分だけ手柄はあるし、どいつも本気で本性ダダ漏れだし、殺った分だけ強いヤツと殺り合えるしなァ!」
「…………はあ……」
豪快に笑うや否や「そうとなりゃサッサと戦場行こうぜ!」とおれを肩に担ぎ直し、スキップ混じりに歩き出すトシさん。
彼のオンとオフの表情の切り替わる様を間近で見ることになったおれは、別人の如きその顔付きの変わり様に「人ってこんなに変わるんだ」と予想外に表情豊かであるこの先輩に驚きながら、彼が言った言葉を噛み締める。
――――つまり、おれは勘違いをしていたのだ。
死を恐れていないような、と思っていたが、実はそれは真逆で。
死を恐れながら、彼らは戦って、そして生き残った喜びに笑っていたのだ。
彼らの笑顔は、あのやりとりは、今『生きている』喜びを分かちあっていたものだったのだ。
己の内に抱えたものの為に。
命を懸けて戦ったが故に。
「……先輩方への非礼をお詫びします」
大して交流もないのに、初対面の印象だけで命を軽んじていると軽蔑したことを。
彼らのこれまで辿ってきた道程を考えることもせず、そのような発言をしたことを。
トシさんに運ばれながら誠心誠意謝罪すれば、無愛想に思っていたが歳相応に感情豊かである彼は「ア? 別にひれーとかそんなんじゃねぇだろコレ。気にすんな」と謝絶すると、それよりもう直ぐ戦場だぞと高揚した声で告げる。
声音から、表情を見るまでもなくワクワクしている様子が分かった。
この人はやっぱり戦場が好きなんだなと、心なしか弾んでいるように思える彼の足取りに思いながら、おれは何気なく言った。
「……先輩は、命懸けの戦いが好きなんですね」
「おう! 何だ、ドン引きか新入りィ?」
「はい。引きました」
「即答かァおめぇ!」
ぶはぁっ、と噴き出すトシさんに、思った事を正直に言っただけであるおれは「どこに笑う要素があるのだろう」と、これまでの会話から察するに、戦う事に思想を置いているようである体育会系の先輩に、軽く聞き流す様な益体のない話のつもりでこうも言った。
「でも、そういう他人とちょっと変わったモノを堂々と好きと言えるところ…………おれは、すごくカッコイイと思います」
「………………………………………………」
「…………あの」
先輩? と。
突然黙り込んだ槍使いの彼に、戦場はまだなのにどうしたのかとおずおず話し掛けると、やや間を置いたトシさんは。
「新入り、おめぇ引きこもりみてぇな格好してんのに、モノはズバズバ言うんだな。嫌いじゃねぇぜ、そういうの」
「……はあ、ありがとうございます…………?」
褒めているのか貶しているのか分からないが、恐らく関心したような口振りから褒めているのだろう――――そう言うと「フフンっ」と愉しそうに一フレーズ程の鼻唄を零した彼は、段々近付いてくる戦場へ向かって迷いなく歩む。
恐らく――――いや、予想するまでもなく、この人は侵攻生物を見付けたらおれの存在に構わず突っ走るんだろうな、と。
トシさんという人物について少しずつ理解しつつあるおれは、次にやって来るだろう浮遊感に備えて心構えをしながら。
「慣れるな」と言った班長さんの言葉と、「生きているから戦場で笑う」と言ったトシさんの回答を繰り返し頭の中で復唱して。
おれは、思考するのだ。




