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青天の彼岸花-regain the world-  作者: 文房 群
五章 第三隊と出動
68/79

ーー2


「ああああああああああああああああああああああああ――――――」

『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――――』

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ―――――』



 コンテナが九十度右に回転し、身体がゴロゴロと冷たい床を転がる。

 体勢を整える間も無く遠心力に翻弄されるおれは、今の回転で打った肩や膝に鈍い痛みを覚えながら、次の衝撃に備えるため何かに捕まろうと手を伸ばし――――



『あんっ』



 ――――――なんか、柔らかいものを掴んだ。


 一瞬マシュマロを髣髴させる感触の、それ。

 温い温度のそれを左掌いっぱいに掴んだおれは一瞬思考停止し、近くで上がった女性の声と、ほどよい弾力のある左手の中から伝わる感覚に、瞬時に直感する。


 ――――今、おれは俗語でいう『ヤバイ』ことをしている。



『んっ、ふ、ふふふふふふふっ…………愛いやつよ、妾のかわゆい子よ。触るならばもっと激しく、奥の方に触れねば――――のぉ?』

「ぇ? う、ぬぅ…………っ!?」



 がしりと手首を掴まれさらに胸の方へと引き寄せられた左手は、ふっくらと柔らかなものより中心部へと押しつけられた。

 途端に左手両側面から柔く圧迫してくるむにゅりとした円形のモノ。

 包み込まれるように二つのモノの間に入れられたおれの手は、だんだんと温かくなってくる亡霊の身体に「ああこれはおれの熱が妲己さんに伝わってるんだ」と認識し――――同時に、緊張と恥じらいで心臓がぎちりと硬直した。


 今ので確信した。おれは今、妲己さんの胸の中に手を入れさせられている。



『ほぉら…………もっと好きなように…………欲望の赴くままに……存分に触るが良いぞ?』

「ひ――――うっ、ぬぅあ…………!」



 甘い、とろけるような甘い囁きがそっと耳に吹き込まれ、細く繊細な手は予想以上に力強く深い谷間へ手を誘っていく。

 なんとも言えない柔らかさと、胸に滲む背徳感。

 今すぐ妲己さんの腕を振り払おうにも、遠心力で押さえつけられた体勢が不安定である事と生半可ではなく妲己さんの力が強い為、思うようにいかない。



「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――――――――ッ!!?」

「ぬ…………!」



 どうしたものか、と良心に呵責されながら困り果てたところで、再度天地が横転。

 左手を固定されたままごろりと転がった先で、右手が何かを掴んだ。

 堅くしっかりとした造りのものだったため、思わず身体を支えるためにそれにしがみついた。

 右腕で手前まで引き寄せ、厚みのあるそれの上に乗っかり、それの裏側へ右手を挟み込むようにしがみつく。



「っ――――!?」



 左耳の近くで、吐息を感じた。

 息を呑む様な音と同時に縋り付いた身体が僅かに固まる。身体を支えられるならこれ以上のモノはないと判断したおれは、『ふふふふふっ――――』と微笑みを零しながら腕まで呑み込もうとしてくる温もりに耐え――――



「はーい。到着しましたー」



 ガゴンッ、と鈍い音を立て停止したコンテナに、ようやく高速の移動が終わったのだと理解した。

 終始力を込めていた右手を脱力させる。

 前持った説明もなくジェットコースターのように上下左右に揺さぶられたせいで、コンテナに乗せられていただけだというのに、凄まじい疲労感で一言も言葉を発する気にもなれなかった。


 ――――洗濯機に入れられた洗濯物の気分だ。

 とにかく、もう二度と彼ら技術部に運んでもらことは無いようにしよう――――


 そう心の中で強く思うおれの視界に一筋の光が差し、段々コンテナ内は明るくなっていく。

 コンテナの扉が開かれたのだろう。

 暗闇に目が慣れていたので、突然差し込んだ光に目が眩むが、慣れてくれば暗闇に入る前のように光の中で、様々な光景が見えてくる。

 そこでおれは初めて、自分が現在どのような状態にあるか目の当たりし、



「………………………………」

「………………………………」

『あら? あらあらあら…………ふふっ』



 改めて――――自分の左腕が肘の辺りまで妲己さんの胸の間に呑み込まれていること。

 そして、今の今までずっとしがみついていたのが、近くの手摺りに掴んだまま仰向けで横になっていたマスさんだった事に気が付いた。

 左真横にで息をしていたマスさんと、目が合う。



「…………………………」

「…………………………すいません。今退きます」

「お、おう…………」



 パシャッと近くで音がしたが、今はそれについて言及するべきではないと判断した。

 それよりも今、おれは行動を起こすべきだと思った。


 組織の先輩と分からず必死でしがみついていた事に気まずさを覚えるおれであったが、それよりまずはマスさんの上から直ちに退くべきだろうと思ったおれは、彼の背中に差し込んでいた右手を引き抜き、ゆっくりと身体を起こす。

 あれほどおれの左腕を捕らえていた妲己さんの腕はあっさりと離され、彼女の意味有り気な笑みに見守られながら立ち上がれば、のそのそと緩慢な動きでマスさんも身体を起こし始める。

 足元にふらつきが見られたので、手を差し出せば「おうサンキュ」と彼は右手を出す。その手を掴んで引き上げれば、立ち上がったマスさんはおれから離した右手に視線を落とすと、何かを確かめるように深く頷きながら。



「…………うん。男だな、うん」



 一体何を確認したのか定かじゃないが、マスさんに外傷はなく妲己さんもピンピンしている様なので、彼の独り言は流しておく。

 怪我が無いようで良かった。あれだけ絶叫していたので、多少喉の調子は気になるが。

 それより他に洗濯、もとい運送されていたおじ様とリッパーは大丈夫かと、一人だけベルトを完備し安全だったミヤさんを横目に流しすっかり明るくなったコンテナ内を見渡せば、長方形の空間の奥に人影があった。

 おじ様がいた。リッパーもそこにいた。



『む…………! 我が子よ! 無事であったか!』



 ――――ただし、リッパーはおじ様の下に敷かれていた。

 文字通り、尻に敷かれていた。


 床に広がったレジャーシートをリッパーだとすると、その上におじ様が腰を下ろしているという、光景。

 傍らに十字架槍を突き立て、まるで山登りの最中に近場にあった岩に腰を下ろし休んでいるかのような。

 恐らく回転に対し十字架槍をコンテナに刺すことでに体勢を整え、ついでにリッパーを一箇所に固定させたのがこのような景色なのだとおじ様の性格から推測されるが――――はたしておれは三秒ほどどう声をかけたものかと考え、とりあえず生存確認のためにこう声を掛けてみた。



「…………リッパー、生きてるか」



 既に死んでいる亡霊に声をかける内容としては如何なものかと悩んだが、意識の有無を確認するには丁度いいだろうと思い投げかければ、おじ様の下から呻くような低い声が聞こえる。



『とっくの昔に死んでるっつーの…………つーかいい加減退けよクソ領主…………!』



 顔すれすれに十字架槍が突き立てられているという状況のリッパー。

 思ったより元気そうで良かったと、おれは思った。



「ところでさっきの写真送りましょうか? お二人の端末に」

「いらねぇよ!」



 端末の画面を見せるミヤさんは、それはそれはとても良い笑顔だった。

 二度と技術部から運送されまいと心に誓った。




 しかし、技術部の運送技術。

 もとい、コンテナによる高速移動は確かに納期の時間を守るようで。



「本当に一分以内に着きやがった…………」



 端末の時計を見て唖然とするマスさんの後ろで、自分の端末に表示された現在時刻を確認したおれも、確かに凄いと首を縦に振る。

 現在時刻――――出撃予定時刻より二十三分前。

 運送機までの移動に六分掛かっていたと計算し、少し話して乗り込んだ事を考慮しても約二十秒。


 確かに宣言通り二十秒で着いたのは感心するべき事だが、あれだけ長いと感じた二十秒も生まれて初めてだった。


 色んな意味で技術部の凄さを体験させられたおれは、コンテナ内に散らばっていた防護服とナイフを回収し四角い運送機の外に出る。

 運送機の終着点、おれと亡霊三名、そしてマスさんが送られた場所は第三隊待機室。

 「またのご利用お待ちしておりまーす」というミヤさんの言葉に見送られながら、コンテナから第三隊が利用しいるという施設の中に移動すれば、そこには仁王立ちしてこちらを迎え入れる人物が一人。



「…………テメーら、何してるんだ」



 一時間半ほど前に司令室で別れた班長さんが、腕を組み眉間を寄せて立っていた。

 怪訝な目がおれとマスさんに向けられる。



「うえっ!? は、班長ぉ!?」

「『うえっ』って何だマス」



 声を裏返し驚くマスさんに、班長さんの懐疑的な視線が注がれる。

 細部は異なるが、おれが渡された防護服と同じ系統の軍服を既に身に纏い、腰や背中のホルダーに銃器を装備している彼。

 マスさんからすれば歳下であるが、そうとは感じさせない威圧感に、マスさんは挙動不審になりながら言葉を返す。



「い、いやー…………だって、集合時間二十分前なのに、まさか班長が既に来てるなんて思ってなかったし…………」

「…………俺が集合時間前に来て都合の悪ぃ事でもあんのか」

「いや別に無いですけども」



 「なら良いだろ」と、淡々と切り返す班長さんはマスさんの次におれを見遣ると、いつの間にか言い寄っていた妲己さんの誘いを断るミヤさんを一瞥し、問う。



「技術部に行ってきたのか」

「…………はい」



 班長さんに訊ねられ、内心「しまった」と焦りを抱く、おれ。

 というのは以前――――おれが鋭撃班と初めて邂逅したその時、班長さんに言われた事を守らず破ってしまったことに関して、彼から長々と説教をされた記憶があるからだ。

 移動時間丸々、三十分間も。正座して。


 今回おれは『技術部のヤツらには用がある以外関わるな』という班長さんの言葉に逆らってしまった。

 恐らく彼はこれについておれに説教をするだろう。

 技術部に行く前に覚悟はしていたが、また長時間叱られることになると考えると気が沈む。

 だが、それでも班長さんの忠告を無視したのはおれなので、何を言われてもいいようにと腹を決めて班長さんを見据えた。

 班長さんは言う。



「そうか」



 そして彼は、口を閉ざす。



「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………」



 沈黙。



「……………………?」

「……………………」



 叱られる心積りで班長さんを見上げるおれは、いつでも彼が遠慮なく口を開けるようにと沈黙して待っているのだが、班長さんはというと一向に喋り出す様子がない。

 彼もおれと同じように無表情でこちらを見下げてくるだけで、何を考えているのか、その意図すら読めない。

 班長さんは何を考え黙っているのか。

 小首を傾げながら、しかし真っ直ぐに班長さんと視線を交わらせることたっぷり十秒。



「…………お前ら何見つめ合ってんだ?」



 おずおずと脇からマスさんに訊ねられた事により、俺と班長さんの間に作り出された沈黙は終わりを告げた。

 班長さんが今すぐ喋り出す様子も無いので、先に投げかけられた質問に答えようと判断したおれは、困った顔でこちらの様子を窺っているマスさんへ目を向ける。



「…………いや。おれ、班長さんの言いつけ破ったから、怒られるかなと思って…………」

「言いつけ?」

「…………技術部に関わるなと」



 「ああ…………」と察したように溜息混じりに頷くマスさん。

 おれと同じ様な経験をした事があるのか。共感の眼差しをおれに向けた彼は「まあ、なんだ」と誤魔化すような笑みを浮かべると、おれの後ろに立ち両肩に手を置きフォローに回る。



「カズも反省してるみたいだし、許してやったらどうだ?」



 技術部にいた時より迅速な対応に、技術部の時は周りに圧倒されていたのだと悟るおれ。

 特にマツさんに絡まれている時はフォローを出そうにもマスさんと親しい関係にあるわけではないので、口を出そうにも出し難い状態にあったのたと、この迅速な対応から感じ取ったおれは自分の中にあったマスさんへの誤解を解く。

 彼はあの時ただ萎縮していただけだったのだ。


 班長さんはマスさんを見ると、淡々とした口調で言った。



「何を怒る必要がある?」

「…………え」

「ほぁ?」



 以外な言葉にマスさんが瞠目した。

 かくいうおれも予想していなかった言葉にぽかんと口を開く。



「俺が言ったのは『技術部のヤツらには用がある以外関わるな』、だ。用があって関わったなら別に咎める事なんて何にもねーだろ」

「お、おう…………そういや、確かに…………」



 ――――確かに。

 言われてみれば、おれが言われたのは『用がある以外関わるな』ということだけで、今回はおじ様とリッパーを迎えにいくという用事があったので関わっただけ、という事になる。

 そうなるとおれはちゃんと『用がある以外関わるな』という班長さんの忠言に従っていたというわけで、つまり。


 班長さんは怒る理由がない。

 おれは怒られる必要がない――――という事だ。



「そもそも約束したわけでもねー事を破ったところでそこの筋肉バカみてーに黙っときゃ良いのに、何でわざわざ俺に報告しに来るんだ」

「…………確かにッ!!!」

「おい脳筋テメー始末書書かせるぞ」



 ヘットバンキングの如く激しく首を縦に振ったマスさんに班長さんの冷めきった視線が突き刺さる。

 「うげぇ鬼畜!」と察しなくても口を滑らせやすい性格であることがよく分かるマスさんの引き攣った顔を横目に流したおれは、班長さんから投げかけられた質問に対し「確かにそうだ」と同意しつつ、何故義務もないのに彼の元を訪れたのかを考え。



「…………なんとなく?」



 考えれば考えるほど、やる必要のなかった事を実行した理由が分からなくなっていくおれは、一番理由として近いものを口にしながら、首を傾けた。

 なんというか、曖昧過ぎる回答ではあるが。



「…………なんとなく?」

「…………なんとなく、です」



 そうした方が良い気がしたから、そうしただけだ。

 おれの発言を反復した班長さんにそう言えば、彼は少し考える素振りを見せ。



「…………その心がけは褒めてやる」



 と。

 ほんの僅か、難攻不落の城壁の如く硬く冷たい顔貌を緩ませた。

 その瞬間、「え゛っ」という。マスさんの小声が鼓膜を通り抜けた。

 困惑している様子が声音から読み取れたが、どうかしたのだろうか。



「第三隊の副隊長なら既に来ている。ここを出て左手側の壁沿いに別室が有るから、そこで着替えて来い。マス、テメーは待機室に真っ直ぐ向かえ。点検終わった装備が置いてある」

「う、うぃっす班長ぉ…………い、行くぞカズ」

「? はい。班長さん、また後で」



 班長さんに一言残し、急かすマスさんに背中を押されながらコンテナの終着点を後にする、お咎め無しのおれ。

 予想外のことに、本当に班長さんに怒られることは無いらしいおれは、別に彼が怒りたくて怒ったりしているわけではなく、定められた基準に反した場合にのみ叱責することが分かり、「ああ意外にカッチリした人なんだな」と、班長さんに対する理解をまた少し深める。

 無闇矢鱈に怒るのではなく、理由があって叱る。

 ゲームセンターの時は私情を絡めた苛立ちを露わにしている面も見受けられたが、それを理由に他人を咎める事はしない。

 そういう所で、彼はしっかりしているんだなぁと思った。



「班長こえぇぇぇ」



 ――――これではマスさんと班長さん、どちらが年上かわからないなぁと。

 大学生であるらしいが、現役高校生の班長さんに叱られている事が度々あるという頼りない先輩に、おれは少し呆れた眼差しを向けた。


 ――――なんだか、なぁ…………。

 なかなかに締まらない、先輩である。



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