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青天の彼岸花-regain the world-  作者: 文房 群
一章 灰色の空と橙の炯眼
6/79

ーー4

 戦ヶ時国代高等学校は、地元ではそれなり頭のいい高校へカテゴリされる。

 それなり、というのも実は隣町に県外でも有名な進学校があるからで、そこから考えると多少影になる存在と化している我が高校だが、けして偏差値自体は低くない。

 ミッション系の学校であるのと、カトリック系統の学校であるため校内に教会がある事。制服がブレザーではなく女子は修道服、男子はカソックに似た制服といった特色を除けば、平凡的な私立高校だ。

 強いて言えば二週間に一度、熱血教師による授業と名の借りた熱血スポーツ指導がある程度の変わったところはある。

 よってここからスポーツや体育系の大学に進学する者もいるらしいが、おれは知り合い同様文学部志望だ。

 ようは普通の高等学校だ。




 そんなどこにでもあるような普通の高校のグラウンドに――――化け物がいた。




「…………え?」



 初めて“それ”を見た時、頭の中が真っ白になった。

 “それ”は動物図鑑に載っていない。

 そもそもこの世にこんな生物が存在していたのか、と思うような歪な生き物。

 地球上に存在するどんな生物よりも醜く、悪夢的な“それ”は想像を絶する造型をしていて、生物学やら専門知識に疎いおれでも生物学的機能はちゃんと備わっていない、と断言できるような姿をしていて。

 ある種の幻想がそこにはあった。

 これが夢幻だったら、どれだけ幸せだったのだろう。


 しかし残酷なことにこれは現実であり、幻想なんかではない。

 それは“それ”の鳴き声を聞いた瞬間、理解した。



「「「――――――――――――!!!!!!」」」



 振動が、全身を揺さぶっていった。

 その鳴き声を何に喩えればいいのか。

 象か。牛か。蝙蝠か。獅子か。蛇か。

 いいや、これら全てに当てはまらない。

 重低音の音波を高所から地面に叩き付けているような、息の詰まる恐ろしい咆哮は――――ただ恐怖を煽るだけのおぞましい鳴き声で。


 一瞬息が詰まったおれは、静かに後退る。

 恐怖でパンクした頭は目の前で真っ白に弾け、内側から破裂しそうな心臓の鼓動音が、徐々に精神を追い詰めていく。

 思考が弾けたおかげで無駄に冷静になった、そのせいで“それ”の異質さが余計に浮き彫りになって、ぐるぐると渦を巻く吐き気が胸の中へ満ちてくる。



 “それ”はまるでチューブから取り出した絵の具をそのまま伸ばしたかのような濃白色で、蛇のような身体をしていた。

 所々血管のような青い筋が体表に浮き上がり、どろどろとした粘液のようなものが中をゆっくり通過しているのが透けて見える。

 体育館の半分ほどの大きさで、背中には人の膝から先の足が鶏冠のように並んで生え、尾の方は黄土色。

 頭部は無数の歯が生えた口で、唇のように口の周りを無数の目玉が囲っていた。


 手足は無く、腹這いで移動する“それ”はいつか図鑑で見た寄生虫を髣髴させたが、記憶にあるどんな寄生虫よりも醜悪で、歪で――――目も当てられない有り様で。

 あまりの醜さに、気分が悪くなる。



「っ…………!」



 嘔気を堪えて寄生虫から目を離したおれの脳内に『逃走』という文字が浮かび上がる。

 そうだ、逃げなければならない。“あれ”から、逃げなければならない。

 あの化け物に気付かれないように。悟られないように。

 あの化け物がどこからやって来たのか皆目検討もつかないが、そもそもおれは音の正体を知るためにここに来たのだ。様子見に来ただけなのだ。

 音の正体が分かった。化け物がいた。あとは、見つからないように逃げれなければ。

 隠れて、逃げなければ――――


 呼吸を整えて震える足をじりじりと反していく。

 早くこの場から逃げよう――――得体の知れない化け物に見つかったら殺される、と。生物として規格外な体長から、何よりその造形から本能的に察したおれは、そろりそろりと足を来た道へと運びながら――――まだあの寄生虫がこちらに気付いていないか、様子を伺うためちらりと最後にグラウンドを見て。




 目が、合った。




「……………………………………」



 びたり、と。

 軋むような鳴き声を上げながら頭を垂れていた寄生虫と、目が――――合った。

 心臓の音すら止まる沈黙と静寂の後、恐怖のど真ん中を貫かれたおれを見て、寄生虫は。


 ――――ニタリ、と。

 嗤った。

 そんな気配が、した。



「………………………………ッッッ!!!」



 悲鳴を上げる余裕すら無く、弾けるようにその場から逃げ出した。

 がくがくと震える足を全身全霊をもって強制的に動かして、大通りの方へ逃げる。

 生存本能が、体を支配していた。

 無数の目と、目が合ってしまった。

 狙いを定められた、化け物に存在を悟られてしまった――――溢れ出す、死への恐怖に。



「………っ、はぁ………………!」



 数時間前に何かあったら全力でどうにかしようと、そんなことを考えていた自分はなんと愚かだったのだのだろう。そう過去の自分の能天気さを恨めしく思う。

 何を根拠に、そんな大口を叩いていたんだ、おれは。

 あんな化け物、普通の人間が適うわけが――――




「「「――――――――――――――――!!!!」」」




「ぁ、う゛…………!」



 大通りに出る交差点に差し掛かったところで、背後から猛スピードで突進してきた寄生虫が車道に突き刺さった。

 真後ろから衝撃と豪風に足元を浚われ、ぶわりと浮かび上がったおれの体は数メートル先のコンクリートへと転がっていく。



「い゛、ぎッ…………ぅあ゛ぁぁ………………っ!」



 ごろごろと小石のように地面を転がり、背中・膝・腰を強打する。

 ずずずず、と俯せの状態でコンクリートの上を滑り、あごの裏が凹凸したアスファルトとの摩擦で熱く燃えた。続いて、皮膚が削れたかのようなおぞましい痛みが燃え上がる。



「い…………っだ、ぁ…………!」



 かはっ、と転がる途中で吸った砂埃に噎せながら、ぎしぎしと痛む四肢に力を込めて立ち上がり、走り続ける。

 近いようで遠い、後ろの方ではあの化け物が嗤っている気配がする。逃げ惑う背を追って来ている気配が悪寒となって神経に突き刺さる。


 おそらくあの化け物は、おれが逃げる様を見て楽しんでいるのだろう。

 無様に転びながら、逃げ続けるおれを眺めて。

 蟻の群れに足を踏み入れて、慌てふためいた蟻が散り散りに別れて忙しなく動き回る様子を観察する、無邪気な子どものように。

 その気になれば一瞬で殺せる命を、弄び、嗤う。

 ああ――――なんて惨めなんだろう。

 おれは…………おれはまだ、やらなきゃいけないことがあるのに。



「こんな…………こんなところで…………っ!」



 ――――死ぬわけには、いかないのに。



 肺は酸素を欲してぎゅうぎゅうと収縮する。

 止まらない鼓動は熱く煮え滾り、生きるための逃走に必要な力を全身に巡らせる。

 泣きそうになりながらおれは走るが、しかし恐怖と長時間に及ぶ遁走に消耗した肉体は、限界を訴えていた。


 寄生虫の気分も、変わり時だったらしい。



 ドンッ――――と後ろで何かが弾けて、飛び出した瓦礫がおれの背中を直撃した。

 息が詰まり、視界が彼方へ飛ぶ。

 次に意識がはっきりとしたのは、額をアスファルトに打ち付けた時だ。



「――――は、ぐぅ…………あっ、がぅ゛…………!」



 思い出したように背骨が悲鳴を上げて、呻き声が唾液と共に唇から落ちる。

 棒のようで力の入らない両腕をなんとか動かし、倒れ込んでいたボロボロの体をどうにか仰向けに変えたら――――無数の目と歯が、おれを覗き込んでいた。



「――――――ああ」



 ここで死ぬのか、と。

 思考の欠落した頭の中に、ぽかりと最悪の未来が浮かび上がった。

 焼けるように痛い喉の奥から、諦めのため息が込み上げる。


 鼻を摘みたくなるような生温かい臭気がおれにかかる。

 どうにもならない結末が、化け物の口という形で目の前に迫っていた。

 体中が鼓動と連動してずきずきと鳴いているのを他人事のように感じながら、そしておれのちっぽけな体は化け物の口内へと――――――





 ふと、おれは思う。

 なんでおれは、ここで、化け物に食べられて、死ななくちゃならないんだろう――――と。

 思う。

 なんで、おれはこんな化け物に、頭から喰われて。

 咀嚼されて、死ななくちゃ――――――――

 ――――――――――――…………………………。

 ――――――――――――……………………………………。

 ――――――――――…………………………。

 ――――――…………あれ?

 …………ちょっと、待て、よ………………?

 なんで――――――


 なんで――――おれはこんな化け物に、喰われなくちゃならないんだ?



(いやいや、おいおいおい…………。)



 ちょっと、待て。あの、ほんと。

 ちょっとでいいから、待てよ、時。

 いや、よく見たら時間が止まって…………ああこれは走馬灯か。

 走馬灯のせいで時間がゆっくり動いているように見えているのか。

 うむ、なんて都合のいい走馬灯なんだろう。

 ならばこの走馬灯、折角だから思う存分利用させてもらおう。


 音が無くなったスローモーションの世界。

 どうやら死に際に精神が何かを超越し、走馬灯という化け物の歯に噛み砕かれる僅かな時間の中で自由に思考することが出来るようになっているらしいおれは、ここぞとばかりに考える。


 ――――うむ。それでは、問わせて貰おうか。

 どうしておれは、喰われなきゃいけないのか。

 しかもどう考えても地球上には存在しない、寄生虫のような化け物に。

 一体おれが前世、どんな悪行を積んだらこんな事になるのだろうか。

 いや、この世に産まれてからおれは………………ああ。このことは置いといて。

 たとえば、だ。

たとえばおれが人を殺める、などといった悪行をしたとして、何故こんな化け物に喰われるという人生の終わり方をしなければならないのか。

 理不尽というか、不条理というか――――割に合わないじゃないか。

 国という存在に、処刑という形で人生に幕を降ろすのなら納得する。寧ろ喜んで罰を受けよう。

 しかし。

 なんで。

 どうして。



 おれは――――こんな化け物に殺されなきゃならないんだ。



 死ぬまで残り三秒を切ったその時、おれは恐怖の底に眠っていた感情に気が付いた。

 そうだ。おれはただ怖くて今、震えているわけではない。


 今、目の前にある全く意味のわからない理不尽に、怒りを抱いているのだ。



 ――――ああそうだ、まったく。

 どうしておれは、こんなところで死ななきゃならないんだ。

 灰色の空の広がる、こんな世界で。

 醜い、こんな化け物に。



『嗚呼そうだ全く、そうだとも! お前はそこで死ぬ必要などないのだ!』



 ――――そうだ。

 死ぬ必要も無いのに、なぜ死なないといけないんだ。



『まだ一人前の幸福もその身に受けていない幼子に、何たる不幸。何たる仕打ち! 嗚呼もどかしい! 何故我はお前に触れられん! 何故お前から離れてしまったのか、我は!』



 ――――不幸。

 そうか、これが不幸か。

 知り合いがおれの生涯を聞いた時、「不幸だ不幸だ」と涙ぐんでいたが、ようやく理解出来た。

 今この身に降りかかっている理不尽。不条理。

 不幸とは、こういう事を言うのか。



『ああああああ゛我が子よ! そう諦めるでない! 待っていよ! 今直ぐ我がお前を助けようぞ!!』



 ――――そうか。

 おれなんかのために、そんなに必死になれる貴方が、おれを助けると言うのか。

 …………そこまで、貴方が言うなら。

 おれは…………あと、もう少しだけ

 諦めずにまって…………――――――――えっ?



 いや、ちょっと待て――――と。閉ざしかけていたまぶたを開いた。

 見えるのは化け物の赤黒い喉の奥。

 うぬ、これはいい。このグロテスクな光景はもういいから。

 それより、なにより。


 今、誰が喋った?



『案ずるな。直ぐに助ける』



 ――――いつから、その声は聞こえていたのか。

 そもそもどこから聞こえるのか分からない。

 正体不明のその声は、だが、自信と力強さに溢れていた。

 自分から手放しかけていたおれの意識を、現実に引き戻すほどの――――力を。



「「「――――――――――――――――!!!!!」」」


『さあ、立て! 今の内にこの怪物から距離を取るのだ!』

「えっ? …………ぬ、ぅぅぅんっ?」



 刹那。豪速でおれの頭上を通過した立入禁止の道路標識が、寄生虫の上唇にあたる目に当たった。

 耳を塞ぎたくなるような嫌な音の後、おれを飲み込もうとしていた化け物は絶叫し身をよじる。

 おれは唖然としながら、ずっとこちらへ語りかけている声に導かれるように――――ふらつきながらも残った力を総動員して体を起こし、目から赤い出血をしながら悶絶する化け物から一定の距離を置く。

 そして苦しそうにひくひくと身を歪める化け物へ、振り返った俺の隣に。



『さて。こちらの手勢は串刺すことしか能のない我のみ。

 あの女狐がおれば多少なり時間を稼げたかもしれぬが…………仕方があるまい』




 音もなく、それこそまばたきをしている合間に、その人物は現れた。

 その手に化け物を突き刺したのだろう、先端が真っ赤に汚れた道路標識のポールを携えた彼は、涼しい顔をして化け物を見詰めていた。



『ここは我が一つ、刑罰を下そう』



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