閑話 アクロトモの産声
荒廃した街のひび割れたアスファルトの上で、その生き物は這い蹲っていた。
陰鬱な色をした空はこの世界では変わりなく濁っており、地上は草木の一本すら無く荒れ果てている。
無人街を通り過ぎる風は温度すらなく空虚であり、吹き抜ける微かな音は死んだ街の亡骸を撫でるだけだ。
知的生命体がかつて繁栄し、絶滅したかのような小さな都市。
電柱は折れ、ビルは崩れ、道は陥没した、死者の都の片隅。
そこには、一つの生命体がいた。
蹲るように地面を這う、その生き物の外観は非常にヒトに近しい形をしていた。
丸い頭部。背骨の浮いた背中。二本の腕と、二本の脚。五本の指と、胴長の体躯。
白色の皮膚に覆われた身体をずるずると引き摺り、荒く浅い呼吸を繰り返すその生き物は、しかし。
ヒトというには、醜悪だった。
その生き物は、苦しみ悶えていた。
最早二本の脚で歩く力も無く、四本の手脚を使い砕けたアスファルトの上を蠢く生き物。
その白濁色の皮膚は乾いた地面のように罅割れ、割れた皮膚の間からは半透明の液が染み出ている。
開かれたままの口腔からは絶え間なく体液がどろりと滴り落ち、二つ眼窩は裂けて一つに繋がり、血が噴き出しているかのように、ごぼりと粘液が溢れ出ていた。
凹凸のない平坦な顔貌。
のっぺらぼう、と言われるに相応しい体長三メートル弱の生き物は、苦痛に顔を歪ませながら呻
き声を上げる。
――――本来ならばこの生物に意思など無く、自意識は皆無に等しいほど薄弱なものだった。
しかし何かに誘われるように、痛みに逆らいながらも前へ前へと這うその姿は、死から逃げ生き延びようと足掻く、ヒトのようであり。
獣というには、あまりにみっともなく。
虫というには、悽愴だった。
呻き、苦しみながらも地面を這い続けていたその生き物は、やがてその身を襲う激痛に動きを止める。
全身の血液が逆流しているような感覚。全ての内臓が目まぐるしく入れ替わっているような異物感と不快感に、苦悶の声を上げる生き物は、アスファルトに爪を立てた。
耐えるように背中を丸め、ヒトの声で悲鳴を上げる。
呼吸すらままならない、果てのない痛み。
メキメキと背中が裂け、皮膚が剥がれていくおぞましい痛覚に、ただ声を上げることしか出来ない生き物は助けを乞うように虚空に手を伸ばし――――
――――もうやめてくれ、と。
本能が、感情の激流がそう叫んだその時、自分の身体中の皮膚がメキメキと音を立て裂ける音をを聞いた生き物の意識は、闇に覆われ――――
この世界に、生まれ落ちた。
――――気付けば生き物は、全身から全ての痛みが消えていた。
まぶたを開け、ぱちぱちをまばたきをする。
唾液で汚れた口を開き、息をした。
呼吸で胸が膨らむ感覚があった。
妙に身体の中枢が熱っぽく感じた。
身じろぐと、両脚が擦れ合う感覚があった。
両脚の付け根に、何かが付いている妙な感じがした。
いつからか俯せに倒れていた生き物は、身体を起こした。
自然と両腕を使い、それを支えに膝を立て、四つん這いになった。
繰り返すまばたきと、鮮明な色彩か飛び込んでくる視界。
頭の中が空になったような、軽い感覚を覚えながらゆっくりと、二本の脚で立ち上がった生き物は、随分と自分の身体が縮んだと思った。
身体の中心になにやら違和感がある。
股の間に記憶に無いものがぶら下がっているものを見た生き物は少しの間、その奇妙な形をしたものを触ってみたが、ふと、足元に光る物を見つけた生き物はその場にしゃがむ。
目を凝らして見れば、足元にあったのは光り輝く石だった。
宝石の原石のように無骨なそれを、拾い上げる。
その瞬間に、生き物は理解した。
自分が如何なる存在なのか。
どうやって生まれたのか。
己に秘められた能力は何か。
そして――――今手にある石こそが、自分自身である事に。
「――――ほう。同胞の気配がしたので来てみれば…………丁度生まれた頃であったか」
空から声が降ってきた。傲岸な印象の男の声だ。
本能的に石を守るように握り締め、空を見上げる生き物。
見上げた灰色の空の中に無数の蝙蝠の群れと、その中に佇む男の姿を見た生き物は、直感する。
――――あれは俺と同じものだ、と。
「そう警戒するでない同胞よ」
空から降りてくる、白い肌をした男は言う。
吊り上がった口角から見える鋭い牙。
中世の貴族のような風貌に、寒気がするほど端整な顔立ちをした彼は、愉悦に歪んだ笑みを浮かべる。
「吾輩が貴様に、この世界での生き方を教えてやろうぞ」
――――こうしてこの日、幻想世界に“爆弾魔”が生まれた。




