閑話 望む者と微笑む者
鼻唄が漂う『しんさつしつ』の扉を開けた少年は、デスクチェアーに寄りかかりパッド型の端末を弄る部屋の主に投げかける。
「どうするつもりだ」
「ん〜? 何が〜?」
「今回の新入りについてだ」
単純な一言に意味が分からないという様に返答をした男に、わざとらしさを感じる少年は舌打ちを一つ零した。
柔和な顔立ちに、人の良さそうな爽やかな笑み。
見てくれこそ人を騙すような事など考えもしないような男であるが、この男の性格についてよく知る少年は男の笑顔に絆される事なく淡々と問いを続ける。
「アイツ、前に出すつもりか?」
「うん。そう考えてるよ〜」
デスクに置かれたノートパソコンに目を向け、キーボードを軽く叩いた男は、今し方自分がパッド端末で見ていたデータを画面に表示する。
少年に見せるようにして提示されたのは、複数の数値とその分析内容。
数値の下に『異常なし』と表示された画面を見せる男は言う。
「個人自身の数値は平均的なSF保持者の初期値より低いけど、それ以外の『串刺し公』・『切り裂きジャック』の数値は抜きん出ている。
充分実戦でも使える範囲だし、それに本人もここに来るまで自力で戦って生き延びてるんだし、これ程前衛に適任な保持者はいないと思うよ〜」
「当人の数値が低い上に、経験が浅過ぎる。発現して間もないヤツを戦わせるつもりか?」
少年の非難の込められた問いかけに、男は表情一つ変えることなく笑顔を向ける。
誠実そうな、笑顔を。
「班長くんもカズくんの戦いを見てたよね〜?
うちでも古株のマスくん相手に引けを取ってなかったでしょ〜。亡霊の力を使わなくてもあれだけ動ければ、大丈夫でしょ〜」
「大丈夫じゃねーだろ、あれは」
楽観的に唱える男に、不服な様子を隠さず眉間を寄せるしょは、自分の目で見た新入りについての所見を述べる。
「アイツのあの動きは、喧嘩慣れしている不良とか、その辺のチンピラの動きじゃねー。
専門的な訓練を受けたヤツの動きだ。
反射神経、足捌き、距離の取り方、体幹の整え方、隙の突き方――――手加減しているにしろ、あの脳筋が一分間に十回以上攻撃を許すなんてあり得ねーし、そもそも隙を突くのが上手過ぎる。
アイツは何気なくやってたが、あの動きは高々齧った程度のレベルじゃねー。十年単位でやってきたヤツのそれだ。
そんな素性の知れねーヤツに前を行かせるわけには行かねーだろ。
それに――――
――――アイツのSFは、精神状態に依存し過ぎている」
「――――へえ?」
ここで男はゆるゆると首を傾け、「なんでそう思うの?」と、問い返した。
ニコニコと。少年の話を聞く男は終始笑顔で、少年が反論を述べる事自体を楽しんでいるようにも見える。
掌で踊らされているような、もしくは妖怪の類いに化かされているような感覚に不快感を抱く少年は、忌々しそうに顔を顰めながら、新入りについての見解を続ける。
「アイツの『亡霊のSFを使う』SF。あれが試合で発動したのは、アイツが覚悟を決めてからだ。それまでどれだけ攻撃されようが、全くとして発動の兆しが見えなかった。計測器が無反応だったのが、その証拠だ。
それにアイツ自身、精神が不安定だ。
SF、特にA型のものは精神状態に左右される。崖っぷちに立っているような精神状態のアイツに前衛は任せられねー。後衛か、通信に回した方がどう考えても得策だ」
医務部・技術部的立場から男は新入りを戦力として数え前衛部隊とし、前線に立たせるつもりでいる。
しかし実際に作戦を立て現場にて指示を下す役割を担っている少年は、新入りを前線ではなく、後衛や通信といったサポート役に回そうと考えていた。
男の考えを最初から却下するつもりでいた少年は、笑顔を崩さない医師であり科学者を睨みつける。
数秒の沈黙の後。にこやかに男は提案した。
「じゃあさ、いっその事カズくんを鋭撃班に入れちゃったら良いんじゃないかな?」
「…………テメー、人の話聞いてたか?」
冷たい少年の声が、男に容赦なく向けられる。
これに対し、やはり笑顔のままでいる男は平然とした態度で提案の理由を述べていく。
「うん、やっぱりさぁ〜? 理系の大人としては効率良く、効果的に使えるものは使いたいんだよね〜。そう考えるとさ〜、やっぱりカズくんには前線で敵を倒して貰いたいし、カズのSFも有効活用出来そうじゃん?
それにカズくんが入ったら鋭撃班の戦力も強化されるし、作戦にも幅が出来るし、前衛部隊への被害も減らせると思うし〜…………何より、班が纏まりそうだしね〜」
「…………何が言いてぇ」
「つまり、鋭撃班に入った方が利益が大きいって事だよ〜? SFも強力だし、性格も悪くない。班員のマスくんも気に入ってるみたいだし、ナガちゃんもカズくんには悪くない印象を抱いている。
――――纏まらない班員を纏めるには、これ以上無い人材だと思うけど?」
少年の眼光が鋭くなる。
小馬鹿にしたような皮肉を口にした男は、貫くような視線に当てられながらも、にこやかに。後ろめたいことなど何一つ無いと言うように。
清々しいまでに、根深く張り付けられた笑みの顔で。
うっすらと、嘲笑を湛え。
「それとも、班長くん。自分より人望も才能のあるヤツは、班に入れたくないのかなぁ?」
――――そっと。
誠実な顔貌で、悪意を吐く。
「……………………」
「あははっ、ヤダなぁ――――冗談だよ、冗談。班長くんはカズくんを後衛か通信に入れたいんだよね?」
底冷えするような視線を笑い飛ばして躱す男は、少年の意志を再確認するよう唱えると「でもね」と、大人という立場から現実を口にする。
「誰をどの部隊に入れようとか、そういう事を決定する権限は班長くんには無いよ?」
「意見する権限は俺にもあるだろ」
「俺が班長くんに与えた権限でね」
少年は何かを言いたげに口を開いていたか、何を言っても無駄だと判断したのか。
「――――狸が」
鬱陶しいと吐き捨てるようにそう言い残した少年は、男に背を向け部屋を後にする。
がたん、と閉ざされる『しんさつしつ』の扉。
きっと扉の向こうにある廊下では、少年がやり場のない思いを一言の悪態に詰め零しているのだろう――――これまでの少年との付き合いからそう予想立てる男は、パッド端末に新入りの問診結果を映し出すと、その内容を眺めながら呟く。
「狸、ね」
狐ではなく、狸と表現するあたりが俺のわりと腹黒いところを理解してるよな――――
と、四年の付き合いになる少年の慧眼に心の中で称賛を送る男は、「いいよ、それで」と、目尻を下げる。
――――それで、キミ達が救われるのなら。
「――――いや」
違う。
「絶対に、キミ達は救われる」
希望を胸に、男は呟いた。
画面に表示された新入りの顔写真を指でなぞり、たった今し方抱いた確信を自分に言い聞かせるように、彼は言葉を紡ぐ。
「相対であり、対極であり、真逆であるキミ達は――――故に、惹かれ合う」
それは歯車のように。
それは磁石のように。
相反している。故に、互いの違いを埋めようとする。
「方向性は対比的。けれど、その根底にあるモノは全く同じ。
だから、きっと大丈夫だ。彼等なら、彼ら自身の心を――――」
――――救える。
たった一人だけが存在する虚空に響いたのは、祈りにも似た希望。
その希望が叶うことを願う男は、今にも消えそうな笑みをそっと浮かべて、祝福を謳う。
――――嗚呼、全く。
「これが運命、ってやつだろうね――――きっと」
その声音は、幸福に溢れていた。




