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ルイスの持つ計測器が反応を示すのと、マスがカズの異変に気付いたのは同時だった。
大きく拳を振りかぶった先で、犬轡が外れ、切り裂きジャックに背中を押された――――と思われる赤神父もとい、カズ。
組織と逢うまでの数日間、一人で戦っていたためか。それとも喧嘩っ早い友達に巻き込まれているためか。
マスが予想していたより俊敏に動き、攻撃を躱していくカズに、久々に人と試合をする高揚感を抱いていたマスは途中から手加減を忘れ、まずは彼の素早い動きを止めようと本気で考えていた。
――――足を潰すか。直接脳を揺らすか。
一秒に満たない時間の間に、大した技術を持つほど器用ではないと自負しているマスは直接脳を揺らす事を選択し、渾身のスピードと重さを込めた左拳を叩き込もうと、下方から空気を抉りとる。
目標はカズのノーガードである下顎。
年下だろうとこちらの世界に来て間もなくとも、容赦なく拳を放つ。
視界の片隅で銀髪が離れていった。この数回の攻防の間にあった、放った攻撃が亡霊により強制的に躱される可能性は、消えた。
さあ、
(揺れろ――――――!)
空間そのものすら削り取るような、鋭いアッパー。
拳が、当たる。マスのみならず、この手合せを観戦していた誰もがそう確信した。
その時、
――――ゾワッ、
と。
鋭い、冷気のような。
冷たい刃に似た何かが眼と胸を刺し貫き――――凄まじい寒気がマスの全身を駆け抜けた。
「…………ッ!?」
心臓を冷たい手でわし掴まれたような感覚。
脳まで一瞬で凍らせた、鋭利な気配。
知らずしらず息が止まったそれが視線であること、そしてその刃の切っ先のようなそれがカズから放たれていることを瞬間的に感じ取ったマスは、これまで抵抗するのみで明確な闘志を見せてこなかった新入りへ思わず視線を落とし――――自分より低い位置にある顔を見。
外界を遮断するように伸ばされた、顔の上半分を覆う前髪の下から、
――――目が合った、気がした。
気にしては、いたのだ。
初めて逢った時から、妙にこの少年から視線が自分から逸らされていることに。
気付いていた。ふと交わることはあれど、それは気のせいかと思うようなほんの一瞬の間だけで、すぐに彼は違う場所を見ていることに。
人と話す時はその人物の目と顔を凝視する、そんなクセがあるマスは知っていた。
さり気なく修正してみても、顔を近付けてみても、視線を逸らされる――――その事に気付いた時、マスはカズに対し「コイツはあまり人と話すことが苦手なのだろうな」と感じ取った。
自分から話しかけることはごく僅かで、周囲のかなりよく喋る亡霊と対比するように、発言することが少ない。
鋭撃班の班長とは別の意味で、対人コミュニケーションが苦手なのだろう――――と。
長い前髪も気になったが特に視線を背けられることが気になったマスは、視線と前髪以外は普通であるカズにそれ以外の感想は抱かず、「まぁ根はいいヤツっぽいし、時間が経てば打ち解けるだろう」と。
そういう風に考えていたマスはじっと、前髪の下に隠された新入りの少年の細目をわざと見詰めるようにしていた。
半分は視線を逸らすことに対するちょっとした意趣返し。
もう半分は歳も近い新入りと仲良くしたい、という思いで。
――――そのように考えていたマスは、この時。
初めてカズと視線が交わった、この瞬間。
理屈。根拠。証拠――――そのいずれとも関係なく、生命の原初から存在する野生的な本能というもので理解した。
カズ、と。名付けられた少年。
彼は一見目を閉じているのではないかと疑う程の細目だ。
たがそれは、彼自身が意図的にそうしているものであって、元来生まれついたものではなく。
『そうなるように』、目を細めていたのだと。
そしてこの少年は、敵対すると決めた相手からは、決して。
目を、背けたりはしない――――ということを。
脳裏に、肉食動物が獲物を狩る様子が思い浮かんだ。
眼の形すら見えないでいながら、しかし『鋭い』と容易に察せさせられる双眸に射抜かれ、命を狙われている感覚を。
敵意を向けられる事の恐ろしさを思い出したマスは、背中に突き刺さる嫌な予感を振り切るように拳を振り切る。
拳の軌道には狙いをつけていた、カズの下顎。
当たり所が悪ければ骨など簡単に折れてしまう、SFによって強化された握り拳。
目標との距離は十センチ弱。このスピード、この距離で避けられるはずなどない。
そんなマスの確信は、刹那。
「な――――」
渾身の左拳が空を切ったことによって、裏切られる。
「きえ…………っ!?」
線香の煙の中に手を入れたかのように。
霧を手に掴むかのように、本来あるはずの手応えもなく、幻のように目の前から消えてしまったカズ。
先程まで敏感に感じていた気配も虚空に霧散し、一瞬で存在そのものが消えてしまった。
ワープをしたわけでもないのに、人が一瞬で姿を消すわけがない――――影すら残さず視界から消えた少年に困惑しながらも、そう冷静に考えようとしたマスは、ふとここで腕に違和感を覚える。
ピキッ、と。
皮膚が引き攣っているような、妙な感覚。
不思議に思い目の前に左腕を持って来たマスは、そこで目にした光景に再び寒気を覚えると同時に、唖然と目を見開いた。
腕が、切られていた。
手首から肘にかけて。
一本の直線で、深々と。
「は、あッ!? おい、おいおいおいおい…………!?」
バッサリと切られていた左腕。
愕然と声を上げるマスは「嘘だろ」呟きながら、思い出したように痛みが染み出してきた傷口を手で押さえる。
いつ、切られたのか。
それすら認識出来なかった一撃。
そもそもこれまで傷一つ付けられなかったというのに、誰が、どうやって腕を切ったのか。
背中にぞわりと薄ら寒いものを感じながら、本能が囁くまま後ろに振り返ったマスは、少し離れた場所に、つい数秒前まで目の前にいたはずのカズが立っていることに気付く。
外された犬轡。口元がスッキリとし、真一文字に閉ざされた唇が見える。
息をしているのかすら分からないほど静かに佇む、カズ。
意識してみれば、痩躯な彼の体から薄く、これまで相対してきた少年とは別の冷たい気配があり、その手にしっかりと小型ナイフが握られているのを目撃したマスは「やっぱりか」と、確信を得る。
――――切ったのだ。カズが。
マスの腕を、あの小さなナイフで。
同じナイフを使っていながら、つい先程まで傷一つつけられなかったマスを、切った。
それが一体何を意味しているのか。
その意味は、この場にいる誰もが言われずとも理解していた。
確認するようにマスが試合監督のルイスに視線を投げかけると、ルイスはにっこりと笑みを深め、ぐっと親指を立て深く頷く。
満足げなこの反応。やはり、マスが思った通りであるらしい。
カズは『切り裂きジャック』のSFを発動している。
どのタイミングで発動したのか。
発動したSFの能力は何なのか。
そのどちらも分からないマスであるが、SFを発動しているならば警戒するに越したことはない、と判断するマスはカズを見据え、気合いを入れ直す。
不意を突かれた危機感に、油断は出来ないと心を改め、ナイフを右手に握ったまま動く気配のないカズの一挙一動に目を光らせる彼は、一方でカズが発動しているSFについての予想を立てる。
カズが現在発動している『切り裂きジャック』のSF。
その特徴はマスに分かるもので確実に二つ、ある。
一つはさながら瞬間移動したかのような、行動速度。
まばたきもしていなかったというのに、突然視界から消えたそのスピードは、普通の者が出せるものではない。
これが目にも止まらぬ速さで後ろに迫っていた拳を躱し、背後に回り込んだというのであるならば、身体能力の強化であるB型SFの効果であると断言出来るが、これが本当の瞬間移動であるならばD型SF――――単純な高速移動ではなく空間移動であるなら、脅威的に厄介な能力となる。
もう一つは、恐ろしいまでのナイフの殺傷力だ。
SFによって強化された、小型ナイフ。
試合当初はマスのSFの効果によりつるりと肌の表面を滑るだけのものだったのが、深々と筋組織を切り裂くような威力へと変わっている。
具体的に喩えるなら、オモチャの短剣でなぞられていただけのものが、手術用のメスで切りつけられたかのように――――鋭くなっている。
刃物の殺傷力を上げるSFにはA型の特殊能力か、B型によって向上された身体能力によるものか、C型による属性能力の付加によるものが考えられる。
切られたというだけで、実際に切られているところを目撃しているわけではないマスには、この三つの内のどれによるものなのか。その判断が出来ない。
せめてもう一度見れば、何か手掛かりは掴めるだろうと考えているが――――
とにかく、まずはあいつの動きを見切ることが先決だろう。
視界から姿が消えるという現象を実際に起こしてみせたカズにそう思うマスは、少年の様子を用心深く様子を見張っている中で、彼が右手のナイフを軽く上へ放り、宙で回転するナイフを逆手に取り、構える光景を見て――――違和感を抱く。
あれ。と、モヤのような奇妙な感覚を抱いたと同時、右脚を僅かに後ろへ引き、数センチ身を屈めるカズが「攻撃してくる」と予感したマスは一瞬たりとも彼の動きを見逃すまいと目を見開き。
カズは地面を蹴った。
――――あれ。
力強い一歩にて、床を滑るように高速接近してくるカズ。
それは辛うじて動きを見れる速さ。だが対処するには体がついて行かない。
握られたナイフが冷たく輝き、狩猟動物が標的に爪を引っ掛ける様にして細い腕が引かれる。
――――こいつ…………。
そんな中、視覚的にはスローで、自分の胸に刃が迫って来ているのを見ていたマスは、抱いた違和感の正体に驚愕しながら、今己が出来る限り最速で体をナイフの起動から逸らし――――
――――『音』が、無ぇ…………ッ!!
ナイフを手にする音。力強く地面を蹴った音。
息遣いから、ナイフが空を切る音まで。
それら全てが動作に対し『静か過ぎる』ことに驚愕するマスは、迫り来るナイフと目が合い――――
盛大におれがコケたことで、マスさんとおれの手合せは幕を閉じた。
なぜおれは転けたのか。
マスさんに足を引っ掛けられたからである。
「いやぁ…………しかしカズ! キミは新入りなのにあのマスに一撃食らわすなんて凄いな!」
「…………ん。ありがとうございます」
大剣さん、もといトドさんがおつまみを片手にビールを流し込みながら、おれを称賛する。
「そうそう」とトドさんに同意する絨毯の中学生チカさんや、ハンマー遣いのコージさんに囲まれながら、カツ丼を食べるおれ。
なんてシュールな光景なんだろう。
そう思いながら、おれは正面で焼肉定食を食べているマスさんに助けを求めるように視線を投げかけた。
というのも普段、おれは三人以上の人数で食事を摂ることがなく、こんなに大勢の人に囲まれて食事をした事などないのだ。
そんな状態の中で、居酒屋の奥にある畳の個室を貸し切らなければならないほどの団体に囲まれながら摂る食事の、なんて居心地の悪い事か。
よっておれは先程からやたらと絡んでくるトドさんやチカさんを追い払って欲しい、という希望を込めてマスさんを見遣るが。
しかしおれと対称的に、大勢で騒ぐ事を好むらしいマスさんはにかりと笑って、残酷におれを突き放す。
「かぁずぅ、慣れだ慣れ! とにかく慣れろ!」
無茶を言わないで欲しい。
おれは少数派でひっそりと食事を摂るタイプなのだ。
内心でそう主張するおれは、おじ様とリッパーが酒の入った大人に絡まれている様子を視界の端に入れながら、段々と目が半眼になっていくのを感じつつ黙々と箸を進めた。
――――こんな宴会のような状況になる一時間程前に行われた試合にて、おれは見事ルイスさんの期待に添い、リッパーのSFを発動する事が出来た。
どうして急に発動出来るようになったのか。
その理由は不明だが、結果として『串刺し公』のみならず『切り裂きジャック』のSFも使用できるのだということが判明したルイスさんはご満悦そうであった。
今後もおれにいろんな検証に参加してもらう予定らしい。
謹んで断りたいところである。
そんなルイスさんの期待を大いに叶えたリッパーのSF。
その正体はB型・D型I粒子による身体能力の超強化と、『音を消す』能力であるとの事だ。
おれ自身は全身にロケットブースターが付いたかのような異常な身体能力に適応するのに必死で、自覚はしていなかったが、おれと対峙していたマスさんが言うところによると、おれの行動全てから『音』が消えていたという。
簡単に説明するならば、テレビの音声を『消音』にしたかのような現象が起きていたのだと。
全力で飛び込んだところに足を引っ掛けられ、派手に転んだ結果両腕と膝を擦りむき担架で医務室に運ばれている途中で聞かされたおれは、にわかに信じ難いものであったが。
「静かな闇夜に紛れ、何者にも悟られず人を殺す――――如何にも『切り裂きジャック』らしいSFだな」
そう言いながら、おれが街に忘れてきたはずの鞄とその中身一式を投げて渡してきた班長さんの言葉で、成程とおれは納得した。
言われてみれば、『切り裂きジャック』を具現化したようなSFである。
この言葉にリッパーは褒められたと取ったらしく、おれの左腕が折れる直前まで負傷していたことに対する不機嫌が治っていた。
非常に分かりやすい性格の殺人鬼である。
今後リッパーの機嫌が悪くなった時の参考にしようと思った。
そんな経歴があり、医務室に待機していた医療チームのSFにより怪我を完治させてもらったおれは、直後「腹減ったしメシ行こうぜ! メシ!」とマスさんに引っ張られ、このようなどんちゃん騒ぎの最中にいるのだが。
今後、この幻想世界を侵攻生物から守るため、保護とSF保持者確保のためこの組織にお世話になる事が決まったおれには、二つばかり疑問が残っていた。
まず一つ目。
なぜマスさんはやたらとおれに構うのか。
食事に誘った事といい、今も正面に座り話しかけて来ることといい、まるで親友に対するような接し方である。
出逢って間もない上につい一時間前に骨を砕くような拳を容赦なく振るってきた人物なのだ。
おれからすれば若干の恐怖心もあり、かつ真っ直ぐ目を見てくるので苦手な人なのたが。
彼はお構い無しに、
「カズ、カツ一切れくれ。オレの焼肉少しやるから!」
と、おれの器にひょいと箸を伸ばしカツと焼肉を交換していく。
フレンドリー過ぎて戸惑う。
しばらくおれは彼への対応の仕方に難航しそうだ。
二つ目は、試合の時に聞こえた声について。
頭の中でリピートされていた声と違った、冷たい声。
おれを冷酷に軽蔑し、叱責しながらも――――どこか優しさがあったような。
そんな、声。
記憶の中にあるものではなく、囁きとしてはっきりと聞こえたその声は、初めて聞くような声音ではなく。
どこかで聞いたことがあるような、知っている人のような――――そんな声だった。
――――不思議と悪い感じはしなかった、あの声は誰のものだろうか。
おれの意見も聞かず、勝手にお代わりにと生姜焼き定食を頼むマスさんに趣味やら普段何をしているのかやらと、他愛ない質問をされながらおれは、現代の酒に舌鼓を打つ亡霊二人の楽しんでいる様を横目に夕食を進めた。
「…………いつも思いますけど、A型SFの保持者って皆胃袋がブラックホールなんですか?」
「あの新入り、黙々とマスと同じくらい食ってるよな…………」
「“ザ・大食い選手権決勝戦”」
「あ。定食四つ目いった」
――――こうしておれは組織に入り、世界を守る為に戦う戦士となった。
空は、清々しい灰色だった。




