ーー2
「…………………………………………は、い?」
我が耳を疑った。
さらりと、おつかいを頼まれてくれというような、日常的な調子で紡がれた、凄惨な言葉に。
放たれた残酷な一言の意味は分かっていても、まさかという気持ちから自分の中で処理できず、その場で硬直するおれにルイスさんは表情一つ変えず、笑顔で続ける。
「ああ、別に本気で殺し合えとかって言ってるわけじゃないよ? 模擬戦闘みたいな感じで、相手を侵攻生物だと思って戦ってって意味でさ〜」
本当に殺し合うって思った? と笑みを深めるルイスさん。
一瞬心臓が止まった気がしたおれだが、冗談で彼が言ったのだと気付きそっと胸を撫で下ろす。
彼はひどく当たり前のように言ったので、この人はそこまでクレイジーな人なのかと思った。
本当に、殺し合うのかと思った。
『我も我が耳と医師の精神状態を疑った』
「オレもビビったわ…………」
『首をかっ切ろうかと思った…………』
「それはないわ」
「え〜、みんなひどいな〜」
むくれた顔で「俺ってそんなに信用されてないかな〜」と不服そうに零したルイスさんは、まぁいいけどさ、と気を切り替えてパットを操作すると、白衣のポケットからおれが手首に着けている計測器と同じ物を取り出す。
「はいこれ、マスくん着けてね〜。ついでにカズくんと戦闘した時のデータも取っちゃうから〜」
「うわぁ…………ホントこの人ちゃっかりしてんなぁ…………」
ついでにマスさんのデータも取るらしく、マスさんに計測器を着けさせるルイスさんは、さてとおれに向き合うと、操作していたパットの画面を見せながらこれからおれが行うことについて説明する。
「カズくん、SFっていうのはI粒子が体内で精製された結果現れる症状のようなものなんだけど、これっていつの間にか出てくる場合もあれば生命の危機に直面した時現れる場合もあって、後者の方が圧倒的に多いんだ。
で、今からカズくんにやってもらうのはカナガワ支部一のSF保持者であるマスくんとの模擬戦闘。
どちらかがギブアップするか戦闘不能になったら終了。殺すのはNGだけど骨折までならOK。
カズくんは今回切り裂きジャックのSFを発動させるのが目的だから、串刺し公のSFは使っちゃダメね。
ルール分かった?」
「…………一つ、訊いて良いですか?」
骨折までなら良いというかなり危ないルールであるが、本当に殺し合うわけではないということを理解し納得したおれは、後ろで『何故我の力を使ってはならぬのだ…………』と釈然としない様子で文句を口にするおじ様に後で一声かけることを決めながら。
ところでと、提示された画面の右側に映る数値に目を向ける。
「…………この、右側の数値ってもしかしてマスさんのSFの数値ですか?」
「ああ、うん。そうだよ。左側がカズくんね」
にこりと微笑むルイスさんに言われ、パット左側の画面を見ると『B』という文字の隣に『110』という数字が表示されており、その下に緩やかに波打つ一本の線があった。
この波がI周波を示しているのだろう。
そう推定しながら右側のグラフへ目を移し、おれのよりも遥かに大きな波を描いている線とその上の数値を数回見直したおれは、嫌な予感がこみ上げてくるのを感じながら落ち着いて問う。
「…………マスさんのSFの数値…………桁が一つ多いのは、おれの気のせいですか?」
『…………我が子よ、我にも一つ数字が多いようにみえるのだが』
『確か、この数字って500〜700までが標準値だったよな…………?』
おれの両隣から画面を覗き込む亡霊二名が、目を点にして半信半疑にルイスさんを見る。
科学者スイッチがオンになっているルイスさんは困惑と疑惑の混ざる眼差しに対し、安心しろと言うように朗らかな笑顔を見せ。
「大丈夫! マスくんは数値2000前後が普通だから、遠慮せずやっちゃって!」
『いやそういうことじゃねぇよ!?』
どう考えても「ドーピングしてるんじゃないか?」としか思えないマスさんのA型SF、その異常な数値。
これに『異議あり!!!』と、おれとおじ様の思いを代弁したリッパーのツッコミが炸裂した。
『2000とか平均より高いとかそういう次元じゃねぇだろ!? テメェこれ、やっと歩けるようになった赤ん坊が素っ裸でホッキョクグマと殺り合えって言ってるようなもんだぞ!?
ふざけんな!! まともにやりあったら下手すりゃこっちが死ぬっつーの!!』
「まぁ数値高いし無駄に体力あるせいで誰もマスくんの手合わせとかに付き合ってくれないけど、やれば出来る!! ネバーギブアップだよ!!」
『ネバーギブアップじゃねぇ殺り合う前からギブアップだクソが!! テメェうちの末っ子殺す気か!!』
「大丈夫だカズの兄貴! ヤバくなったら止める! 骨は二、三本折れるかもしれないけど!」
『テメェの一言で余計に不安になったわクソ筋肉!! 準備運動してんじゃねぇ解体すぞ!』
「クソ筋肉!?」
クソ筋肉って何だよ!? と声を上げるマスさんを見れば、リッパーの言う通り。
首にかけていたタオルを腰のベルトに通し、念入りに屈伸をしたり関節を回したりしていた。
口元は楽しそうに緩んでいる。
早くおれと戦いたいとうずうずしている様子が表情に出ている彼は、相当やる気満々のようで。
これに警戒心と心配性を限界まで引き上げたリッパーがおれを庇うように立ちながら、直接おれへ意見を口にする。
『末っ子、これもうやめとこうぜ? オレのSFはもうどうでもいいから、とにかく安全に過ごそうぜ? な?』
『我も心配ではあるが…………必要ならばやるべきでは無いか?』
『黙ってろクソ親父! テメェは関係ねぇだろ!』
『…………貴様、処刑されたいか』
すうっ、と細くなるおじ様の双眸。
温度の下がった眼差しを睨み返すリッパーは『あ゛ぁ?』と夜な夜な盗んだバイクで走り出す不良少年のような返事を返すと、おじ様へ牙を剥く。
『解体すぞテメェ…………!』
『ほう…………余程命は要らぬと見た』
「まあまあ落ち着いてよ〜二人共〜」
それぞれ武器を取り出し今にも一撃を繰り出しそうな険悪な空気になるおじ様とリッパーの間に、ルイスさんが二人を静めようと口を挟む。
が、直後『そもそもお前が言い出しっぺだろうが!』という流れ弾にあたり「わ〜…………」と何も言えなくなった。
確かに。リッパーの言う通り、事の始まりはルイスさんが原因である。
正論を突かれ「まあ必要な事だからね〜」と言い返すルイスさん。
だが、ちらちらとおれに向けられる視線がこう、雄弁に語っていた。
――――やるよね?
と……………………。
――――おれはマスさんと模擬戦闘、もとい、手合せをすることになった。
元より、頼まれれば断われない性格のおれだ。
お願い、だとか、必要、だとか。
そんなことを言われたらどんな無茶でも首を縦に振ってしまう。
特に、女の子の頼みなら無条件で引き受ける。
隣人曰く「お人好し」であるという、おれの性格上からして分かりきっていたことだが。
おれは、ルイスさんの「お願い」に負けたのだった。
…………視線で脅迫してくるような人物の頼みを断ったら、後から何をされるか分からないという恐怖もあったので。
―――そういう事で。
『死んだらどうする』という異常と言って良いほど心配性なリッパーをどうにか説得し、小型ナイフを貸してもらったおれは、マスさんの前に立つ。
顔には「ちゃんと着けてね」と清々しいまでに悪意の無い笑顔でルイスさんが言っていたため、リッパーの犬轡は着用したままだ。
正直息がし難く居心地が悪いが、リッパーのSFを発動させる条件になるかもしれないことなので、仕方がない。
『末っ子が言うなら…………仕方ねぇよな…………おう……………………』
と。説得した結果、引き下がってはくれたものの若干拗ねているリッパーはおじ様に引き摺られながらルイスさんの元で、おれとマスさんの手合せを観戦するらしい。
いざとなったらおじ様の槍が飛ぶという。
なかなか怖い観客者である。
観客者といえば、おれとマスさんが手合せをするという話をどこから聞いたのか。
「おーい! 手加減してやれよマスー! 相手は今日組織に来たばっかの新入りだぞー!」
「どうせルイスさんが一枚噛んでるんでしょうけど…………どうしてこうなったんですか」
「“ザ・脳筋敗北祈願”!」
と、ギャラリーがいつの間にか集まっていた。
その中に白衣の人やら前衛部隊の人々が混じっているのは俺の気のせいではない。
というか、何故おれがマスさんと手合せする程度でこんなに注目することが有るのだろうか。
不思議に思ったおれの疑問は、いつからかギャラリーに参加していた大剣さんと勇者さんの会話が耳に飛び込んで来たことにより解決した。
「しかしまぁ、初っ端からマスとやり合うのはキツイな。だってアイツ体力のバケモンじゃねえか。俺が一時間ぶっ続けで本気でやり合ってもまだ動けるんだぞ? 若いってスゲェよな」
「まあ…………マスさん自身の戦闘能力はカナガワ支部の三本指に入りますからね。むしろトドさん、よく一時間も戦っていられましたね」
「気合いだな、気合い! いやー、実際死ぬかと思ったけどな! 肩とか外れてたし!」
一時間以上本気でやり合っても動ける。
カナガワ支部三本指に入る。
手合せで肩が外れる。
にわかに信じ難い言葉を聞いてしまったおれはひしひしと、嫌な予感を感じながらマスさんを見る。
――――つまり、あまりにマスさんが強過ぎるから誰も手合せをしないと。
マスさんが誰かと手合せをすること自体がレアな現象だということで、ギャラリーは集まって来たのだろうか。
ストレッチを終えたようであるマスさんは晴れやかで、待ちきれないと頬を緩ませておれに屈託ない笑顔を向ける。
「手加減無しでかかって来いよカズ! オレもそこそこ本気でやるからな!」
実力差を考えて加減して欲しい。切実に。
楽しそうににこにこしているマスさんに、今からでも手合せを棄権したいおれは、表情筋が引き攣るのを感じながら「お願いします」と会釈をした。
既に胸の中は敗北感でいっぱいである。
頼まれたからには、頑張るが。
――――迷いも、あるが。
「は〜い、じゃあそろそろ始めるよ〜」
「「「おおおおおーーーー!!!」」」
素手のマスさんと、犬轡に刃渡り数センチ程の小型ナイフを所持したおれが向き合い、準備が出来たところで、手合せの監督役であるルイスさんが声を張り上げる。
その声にギャラリーが湧き上がった。
コロッセオの剣闘士になった気分だ。
ああとうとう始まるのか、と憂鬱な気分になるおれは、前後に脚を開いて構えるマスさんを正面に捉えながら刃渡り五センチ程の小型ナイフを構える。
相手は明らか様にやる気満々。
きっと加減なんてしてくれないだろうな、と思いながらちらりと、汗ばむ右手の中にあるナイフへ目を落とす。
リッパーから借りたのはバタフライナイフで、本人曰く『こっち来た時道端に落ちてた』から拾ったものであるらしい。
特にこれといった特徴の無い、キャンプなどでロープを切る時に使われそうなナイフは、切り裂きジャックが言うには、安っぽい造り、であるのだという。
柄の中に収納できて持ち運びが簡単な分、耐久性は低く、ナイフとしての殺傷力も低いらしく、紐やちょっとした雑草を切ることは出来るが生き物などを捌くには不向きなのだとか。
皮ぐらいは切れるだろうし、石を投げるよりかはマシだから持っていた、と言っていたリッパーはおれにこのナイフを使うにあたって二つの事を言った。
一つは、このナイフで相手の攻撃を受けるのではなく、ただ切ることだけに使うこと。
理由はナイフの耐久性が低いから。折れてしまう可能性があるため攻撃の場合にのみに使用するということ。
もう一つは、刺したら二度と使えない、ということ。
元々肉を切るためのものではないため、一度刺してしまえば血や脂がついて切れ味ががくりと落ちるのだという。
なので刺す時はもう戦うこともなく、ナイフを使うことのないトドメに使え、ということ。
ナイフの専門家からそのような指導を受けたおれは、SFの発動については置いておき、とにかく重傷にならないようにすることを目標に手の中の刃物を握る。
いきなり攻めに行っても、相手はおれより強いと分かっている人物。これまでこの世界の最前線で戦ってきた人だ。
そう簡単に初撃を許されるとは思っていない。
それに現在の様子とマスさん自身の性格から考えるに、彼は開始直後からこちらへ攻撃を仕掛けてきそうである。あのうずうずした様子からして。
それにおれはマスさんがSFを使った際の破壊力は知っている。ビルを壊し、『倒錯者』の半身を容易く吹っ飛ばした必殺の一撃だ。
正面からあの一撃を食らうのは避けたい。
なのでまずは攻撃を避けることを重点に置き、マスさんの戦い方を見るためにしばらく様子を見よう。
そういう風に最初の試合運びを考えていたおれの視界の隅で、「じゃあ双方よーい…………」ルイスさんが合図を下すところが見えた。
手合せが始まる。
犬轡を着けているのとはまた違う、精神的な理由で息苦しさを覚えるおれはゆっくりと呼吸をし、目の前のマスさんへ意識を集中させる。
――――手合せの、始まりだ。
「――――始め!」
そして合図が下され――――――
「――――――――ッ!」
瞬間。
脊椎を走る、強烈な寒気。
それと同時に、目の前でマスさんの姿がぶれ、顔の左側に風圧を感じる。
何も考えず、本能が示すまま反射的に上体を後ろへ反らした。
そんなおれの目と鼻の先、犬轡の先端から数ミリ離れた位置で――――岩のように硬く握られた拳が豪速で通り過ぎる。
ブォンッ――――と。
ただの拳の空振りとしては有り得ない、高速で大型トラックが通り過ぎたかのような音に、背中にある全ての毛穴からぶわりと冷や汗が滲み出た。
「ッ、ぅ!!?」
「お…………?」
続いて追撃とばかりに右下――――マスさんの左腕が唸りを上げて突き上げてくる。
狙いは顔面。反らした体を大きく後ろへ傾けバク転し、地についた両腕を曲げ、渾身の力で全身を跳ね上げる。
背中を相手に向ける時間は最短に。一回転する勢いを利用し地面に足がつくや、素早くもう一転。
距離を開けて、早くも汗が腋窩に滲むのを感じながら、速攻を仕掛けてきたマスさんの様子を伺えば、「おおっ!」と高揚混じりの歓声を上げた彼は感嘆する。
「すげぇ! あんなアクロバティックにオレの初撃を避けたの、お前が初めてだぞ!」
「……ああ、はい。どうも…………」
称賛されているようなのでとりあえず礼を言うが、おれの内心は穏やかではない。
体格が良い事と、巨大な腕を操るSFから考えて威力こそはあるものの速さはあまりないだろうと考えていた、マスさんの戦闘能力の予想が覆されたからだ。
――――速い。
予め予想していたよりも数倍、彼の行動速度が速かった。
猛獣が襲い掛かってきたかのような感覚。
まさか一瞬で五メートル弱の距離を詰められるとは思っていなかった。
その上――――B型SFで強化しているのだと思うが――――ただのパンチがあんな凄まじい音を立てて空を切るとは。
もし顔に当たっていたら、首から上が吹き飛んできたかもしれない。
そんな恐ろしい拳を当然のように、顔色一つ変えず放ったマスさんに戦々恐々しながら、おれは刃物を握り締める。
――――これは、困ったな。
ただでさえ人を傷つける事に迷っているのに、迷う時間すら無いようだ。




