三話 計測ー模擬戦闘と静音ー
「串刺し公の槍を装備するとI粒子は串刺し公のものになり、カズくんが元々持っていたB型I粒子の出力も上昇…………槍を手離すと元の数値に戻る。
いや〜、ホントに面白いSFだね〜」
パットの画面を操作し引き続き何らかのデータを取っているらしいルイスさんは、終始楽しそうな笑顔で時折独り言を呟く。
どうやらルイスさんは科学部の方にも在籍しているらしく、現在その科学者魂というものに火がついた状態であるそうだ。
ああなればもう本人の気が済むまでとまらないぞ、と。
A型のSFを持つためルイスさんの実験に付き合わされたことがあるマスさんは、槍を放す、おじ様に返す、投げる等といった細かな指示をされるおれに同情的に言った。
仕事は出来る人、というおれの推測は外れていなかったらしい。
「いいねぇいいねぇ〜…………ああ、もうっ、最高に面白いねぇカズくん…………」
…………恍惚と潤んだ瞳で薄ら笑いを浮かべるあたり、何やら入ってはいけないスイッチが入ってしまったようであるが。
何故だろう。
今のルイスさんに名前を呼ばれると、寒気がする。
『うわぁ…………変態だな、あの医者』
軽蔑した顔でそう零すリッパーの心境が理解出来て、何とも言えない微妙な気持ちで科学者モードに入ったルイスさんを観察していると、『ところでよ』と口を尖らせたリッパーはおれを見た。
どうしたのかと視線を返せば、悪名高き切り裂きジャックは不満げにおじ様を一瞥して。
『オレ、末っ子がクソ親父の力使えるなんて知らなかったんだけど』
『うぬ? そうであったか?』
きょと、とした顔でリッパーを見やるおじ様。
おれも「あれ、そうだったっけ?」と思いながらリッパーと出逢ったところまで記憶を振り返ってみれば――――確かに。
リッパーと出逢った時おれは倒錯者に捕まっており、そのすぐ後には班長さんに救出されたためおれは一度もリッパーの前でSFを使ったことがなかった。
成程。リッパーがおれの『亡霊の力を使う』SFについて知らないわけである。
『なんかそれさ、狡くねぇか? おれが必死こいて海横断してる間に交友深めてやがるし、自分の力使わせてるしよぉ…………なんでオレが末っ子の近くにいなかったんだ…………!』
悔恨の極みとばかりにぎりぎりと拳を握り締めおじ様に対し恨み言を呟くリッパーに――――どうしてそこまでおれに固執するかは不明だが。
とにかく非常に悔しそうな姿に憐憫を感じるおれは、少し迷い、そっとリッパーの肩に手を置く。
「…………どんまい」
『末っ子ォ…………!』
おれと話す時は少し身を屈め目線を合わせるリッパーの目は、若干潤んでいた。
犬轡を着けていることもあってか、うるうる目でこちらを見つめてくるリッパーが、もうおれにとっては構って欲しくて仕方ない寂しがり屋な犬にしか見えない。
ぽんぽんと背中を叩いたら『ぅ〜…………』と泣き声を上げて鼻を啜る。どうやらこれで良いらしい。
彼への接し方がおれの中で確定した瞬間だった。
『それは運としか言いようがないぞ長男』
慰める気など毛頭なく、はっはっは、と自慢げに満面の笑みを浮かべるおじ様であるが、彼も構って欲しい大型犬である。
『して、我が子よ。我に何かする事が有るのではないか? 例えば抱擁など…………』
スキンシップが多い系の。
「なんか面白い光景だよなこれ…………有名人が揃いも揃ってデレてるのってよ」
リッパーを慰めていると、怪しげな笑みでパットを弄るルイスさんから逃げてきたマスさんがおれの方に近付いて来る。
言われたことに同感できるところがあるため「確かに」と意味を込めて頷くと、「しかし大変そうだな…………」とハグ待ちのおじ様を横目に流した彼は、ふと、思いついたように言った。
「ところでよ、串刺し公の力が使えるなら、同じように切り裂きジャックの力も使えたりするのか?」
「え…………」
『ぬっ…………?』
『…………あ』
――――盲点だった。
マスさんの一言におれだけではなく、おじ様とリッパーも今まで思いもしていなかった事に気付く。
よく考えれば、おれのSFが『亡霊の力を使う』ものなら、おじ様と同じ亡霊であるリッパーの力も使えるはずだと。
おじ様の力の印象が強過ぎて、少し考えれば行き着く事に気付かなかった。
マスさんの質問を聞いて真っ先に反応したのはリッパーだった。
『末っ子! おれの力! あー、SFだったか? 使ってみろ! 絶対クソ親父より役に立つから! クソ親父より使えるから!!』
おれが背中を叩いていたことにより一時的に実体化していたリッパーはおれの手を取り、振り向きながらおれの肩をガシッと掴むと、ずいっと顔をおれに近付けた。
目の鼻の先にあるリッパーの端正な顔と、キラキラと輝く深い藍色の眼。
至近距離で目が合い個人的に気まずくなるおれは顔を覗き込んでくる視線から目を逸らしながら、「やり方知らない…………」となんとか返答する。
おじ様しかやったことないから、リッパーのSFは使えるかどうか分からない。
『大丈夫だ! 末っ子なら出来る! こう、スパパパパァンッ――――って、感じでズシャァッ! ってやれば出来る!!』
「……擬音ばかりでよく分からない…………」
感覚的に指導されても分からないものは分からない。
しかし急に捨てられそうな仔犬から『構って! ねえねえ構って!!』ムードの中型犬になったリッパーはどうしてもおれに自分の力を使って欲しいようだ。
『やれば出来る!』と熱血的に言われたとしても、おれ自身いつの間にかおじ様の力が使えていたので、意識してリッパーの力を使うなんて、どうすればいいのか検討もつかないのだが…………。
おれが今か今かと切り裂きジャックの力を使うのを全力で推奨してくる自称常識的亡霊を、どうにかしてほしい、と。
助けを求めおじ様の方を見やれば、おれの気持ちを汲み取ってくれたようである串刺し公は『やれやれ』と言うように、おれの手を握り締めるリッパーの首根っこを掴むとあっさりと持ち上げ、マジックテープ式の財布を開けるかのように引き剥がす。
『長男よ、そう我が子に詰め寄るでない。一度も気を静めよ』
『待て、首っ…………! 首しまっ、っげふ…………!』
ジャージは上までキッチリ閉める派であるリッパーは再びてるてる坊主ような体勢にされ、長い腕を伸ばして自分を掴むとおじ様の太い腕をバシバシと叩き藻掻く。
前回ので学習したおじ様は直ぐにリッパーをおれから少し離して解放する。
何故だろう。リッパーが合流してからおじ様が非常にしっかりして見えて来たのだが。
自称常識的亡霊、しっかりしてくれないだろうか。
「で、試してみるのか? 兄貴の方のSF。おれは興味あるからちょっと見てみたいけどな!」
一方こちらはわくわくといった調子でおれを見るマスさん。
おじ様に言われてからというもの、見れば見るほど彼が犬にしか見えてこなくなったおれは、言葉通り興味津々な目でおれの返事を待つマスさんにぶんぶんと揺れる尻尾を幻視する。
濁りない目で真っ直ぐおれの目を見てくる彼が苦手だったはずのおれだが、一度犬に見えるとそうとしか見えなくなるので、わりと普通に顔を見ることが出来るようになってきたように感じる。
「というか、切り裂きジャックのSFってどんなのなんだ?」
あっ。やっぱりこの人じいっとおれの目を見てくるから苦手だ。
悪い人ではないんだが。苦手だ。
『あ? オレのSF?』
マスさんに問われ、考える素振りを見せたリッパーは言う。
『オレもよく分かんねぇわ!』
「分かんねぇのかよ!」
分からないのか。
おれの心の中のツッコミがマスさんとかぶる。
『多分、こう…………ザックザク切る感じの力だと思うんだけどな? 実感がないっつーか、とにかくクソ親父みてぇに派手じゃねぇからよくわかんねぇんだよな』
どんなのだったっけな、と小型ナイフをくるくると弄び始めたリッパーが首を傾げているのを見て、リッパーからSFについて具体的な内容を聞ける望みは薄いと察したおれは、今後の指示を仰ぐためおじ様とマスさんを見る。
ほぼ同時に二方向から返された「どうする?」という視線を受け判断に迷うおれは、ここは専門家の意見を仰ぐべきかとルイスさんのいる方向へ振り向き。
「カズくぅぅぅぅぅん!」
いつ手にしたのか分からないが、携帯端末を耳に当てていたルイスさんが真夏日の太陽のような晴ればれとした笑顔を浮かべ、ビシッと親指を立てた。
「やろう! 『切り裂きジャック』のSF測定!!
今司令部に過去ロンドンで観測された『切り裂きジャック』本人のものだと思わしきデータ全部ここに送らせたから!!!」
さあやろう!!! と誰よりも張り切り有無は言わさないとばかりに笑顔で威圧してくるルイスさんに、班長さんが「医務部で一番目立つヤツと関わるな」と言った理由が分かった気がした。
この人、スイッチ入ると暴走するタイプの人種であるようだ。
そう。たとえるなら、匂いを嗅ぎつけたなら即座に恋バナを展開するクラスメイトの女子のような。
「『全部送らせた』んだな…………」
引っ掛かってはいたもののあえて見ないふりをしたいたところをぽつりと指摘するマスさんとは、苦手かもしれないが気は合うんじゃないかと思い始めるおれだった。
――――こうして科学者スイッチ全開なルイスさんにより、リッパーのSFも測定することになったのだが。
改めて言わせて欲しい。
リッパーの力を使うとは、具体的に何をすれば良いのだろうか。
本人が自分の力について自覚しておらず、感覚的なことしか覚えてないためSFの内容が分からない。
そもそもどうやって発動させるのかどうかすら分からない状態でどう測定しろと言うのだろうか。
根本的にそれが一番の問題である。
初っ端から打つ手がないおれはマスさんと専門家を混え、亡霊二名と共にSFの発動の仕方について考える。
「串刺し公のSFを使う条件があの黒い槍を持つ。つまりその人物を象徴する武器か何かを身に着けたらいいんじゃないかな〜」
気合い入れる。切り裂きジャックくんの真似をしてみる? 何か実際に切ってみてはどうだ。じゃあコイツ。オレかよ! ――――といったやり取りをした後でこう切り出したのは、ルイスさんだった。
おじ様の事例から導き出した推測を口にしたのだろう。
根拠もありそうなので、専門家の言う通りにリッパーが持っていた小型ナイフを受け取ったおれは、リッパーが教える通りにナイフを持ってみた。
だが、『持つだけならば問診の時と同じ状態ぞ。何も変わらぬだろう』というおじ様の意見が出たため、少し工夫が加わり。
――――犬轡をつけることになった。
…………因みに。
おれには縛られるのが好きだとか、束縛されると興奮するとか。
そういった趣味は無い。
「おいこれ絵面的に大丈夫なのか?」
『我が子に轡を着けるなどと…………』
「大丈夫! これで発動したら科学部の最高技術をもって最高な轡を作るから!!」
おそらくマスさんとおじ様と言いたいこととは全く違うだろう点で「任せろ!」と胸を張るルイスさんは、おれがリッパーから受け取った犬轡をおれの顔へ装着させる。
鼻と口元を覆う犬轡は革製で、鉄製の支柱が頬に当たる感覚が妙に冷たく、顎の下と耳の上を通る革ベルトからぎちりとした革の固さが伝わってくる。
かちゃ――――と。金属の擦れる音がした。
何故だろうか。
緊張、する。
頭の後ろに回されたベルトの調整をルイスさんが終えるまで、大人しくリッパーからナイフの持ち方についてレクチャーを受けていれば、ひったりと犬轡がおれの顔に密着し固定された感覚がした。
良いよ〜、と言われてしばらく一定位置で固定していた頭を少し上げれば――――顔全体に今までになかった重さと風の抵抗を感じる。
ぎち、と。しなる丈夫な革で後頭から耳の上、顎の下とを経由し、呼吸の行われている重要な器官を細い鉄と革で覆われている、違和感。
初めて体感する、呼吸器官を拘束されているという奇妙なそれに、胸がざわついた。
…………落ち着かない。
顔半分を拘束されているという、感覚が。
「なんかヴィジュアル系バンドにいそうな感じになったな…………激しくシャウトするタイプの」
『おお! 似合ってるじゃねぇか末っ子!』
『我は居た堪れぬぞ我が子よ…………痛みはあるか?』
一喜一憂、様々な反応を貰ったおれはおじ様に「大丈夫」と応え、顔に装着した犬轡にそうっと触れてみる。
触り、実際に着け、肌で感じて、分かる。
拘束具のという自由を奪う物の、重々しさと冷たさ。
着けられた途端に感じる、身体だけではなく精神まで拘束されているかのような息苦しさ。
呼吸が抑制されているようで、何もされていないはずの肺が圧迫されている錯覚を覚える。
リッパーはこれを着けてよく気にしないでいられるな、と視界に入り込み違和感でしかない轡に思っていると、優しくおれの肩に手を置いたルイスさんが穏やかに問うた。
「で? 何かSFが発動した感じはあった?」
無いです。全く。
非常にノリノリでおれに拘束具を着けた張本人へ、至って冷静に返す。
「う〜ん…………これだけじゃダメみたいだね〜」
「…………SFっつーか、SMっぽい感じがするのはオレだけ? なあ、オレだけか?」
マスさんの言葉を無視し、う〜ん…………、と腕を組んで考え出すルイスさんは、拘束されている感覚が落ち着かないことと、効果がなかったことから犬轡を外そうとするおれに「待った」をかけた。
何故おれの行動を制止したのか。
おれが犬轡を着けていることを気に入らないようであるおじ様が、今か今かとおれが轡を外すのを待っているのだが。
何故止める、とルイスさんを睨むおじ様が静かに槍を手にするのを見たマスさんがおじ様を宥めに行くのを横目に見ながら、考え込んでいるルイスさんが次に開口するのを待っていれば、数秒ほどしてから緩んでいる唇を開いた専門家は、
「仕方ないかな〜」
と一言に呟いて、おれの方を向き、言った。
「カズくん、マスくんと本気で殺し合ってくれない?」




