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青天の彼岸花-regain the world-  作者: 文房 群
三章 組織とSF、帰る場所
37/79

ーー3


―――――――――――――――――――

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――――――――――




 遠慮せずさあさあと言われ、ホットミルクを五杯飲み干す頃。



「最後の質問。ここに何か見える?」

「……………………何も、見えないです」

「何も?」

「…………はい」

「は~いおっけ〜、お疲れ様〜。これで問診は終わりだよ〜」



 真っ白な画面の移った電子パットを見せられ、終了した一時間ちょっとの問診。

 ようやく終わりかと空になったマグカップをテーブルに置いたおれに、機嫌良く何かの歌を口ずさむルイスさんはおれの回答を書き込んでいた書類をワークデスクに仕舞って言う。



「じゃあ次は身体検査とSFの測定だけど…………このあと別に予定とか無いよね」



 まだ検査があるのか。

 ミルクを飲み過ぎで胃のあたりにたぷたぷとした感覚のあるおれは、終わりのない道に立たされた気分になって肩を落とす。

 問診だけで一時間も費やしたのに、まだ検査があるのか。

 しかも、名前から予想するに時間のかかりそうな検査が二つも。


 予定は入れていないが、こちらは四日も家を開けている身だ。

 現在の時間からしてもそう早い時間ではないし、こちらの世界に来ていた間の学校や知り合いと隣人の事も気になる。

 出来ることなら今すぐにでも家に帰りたいと思うおれは、「検査検査〜」と上機嫌に歌うルイスさんに「あの…………」と、帰宅を申し立てる。



「出来れば帰って、知り合いとかに電話したいんですけど…………流石に四日も学校に行かなかったら、家に乗り込んで来かねないので…………」

「ああ、それなら大丈夫だよ〜」



 特に隣人。週二回自宅に上がり込んできて「突撃! 隣の晩ご飯!」とちゃっかり食器を持参して食卓につく彼が四日も無断で学校を欠席したおれの異常に気付かぬはずがない。

 そのため最低限でも隣人には声をかけておきたいと希望するおれに、何が大丈夫なのか。


 この世界では携帯電話が通じないため、おれに連絡は繋がらない。

 そうすれば自然と行方不明という扱いになるおれの行方を求め、下手をすれば地元の裏稼業に喧嘩を売りかねない血の気の多さに定評のある隣人のことが気にかかって仕方がないおれに、ルイスさんは気の抜ける笑顔で告げる。



「現実世界と幻想世界じゃ時間の流れが違って、ここの一日が向こうの一時間でしかないからね〜。四日、って事は向こうで四時間しか経ってないってことだから、まだ日も跨いでないから大丈夫だよ〜」

「…………四時、間……?」

「こっちに来る前、最後に時計を見たのはいつ〜?」

「…………五時、二十分ぐらいです」

「なら今向こうは九時だね〜」



 あ~でも親御さんには連絡しといた方が良いかな〜? と、壁時計を見やるルイスさん。

 どうにも彼の周囲だけ時間の流れがゆっくりな気がしてならないおれは、時差、などというものがこの世界と現実世界の間に存在していたという事実にリッパーの正体以上の衝撃を受け沈黙する。

 なんだ、その、軽い時間旅行みたいな感じは。



 ぼけっとした空気を否めない医者の話からすると、向こうでの一日がこちらでも約一ヶ月となって、その逆も然りであるらしい。

 こちらでの一年が、向こうでの二週間ぐらいになる。言いかえればこちらでいくら過ごしても、現実世界ではそうあまり時間は経過していないということになるのだという。

 なんというか、それはつまり、


 おれは、そう慌てる必要が無かったということらしい。


 すっ、と。気持ちが楽になった。

 この四日間ずっと気にかかっていたのだ。

 おれがいなくなることで、誰かに迷惑をかけているのではないかと。

 その心配は消え、胸の中に積もっていた焦燥が吐く息に混じって霧散した。

 肩にのしかかっていたプレッシャーに似た重いものが、下ろされたような感覚がある。

 身軽になった感じがする。それと共に、穏やかな風が胸中を通り過ぎていったような、落ち着いた心境になる。


 ああ、どうやらおれは安堵しているらしい。


 異常もなく、いつものように、これまでと同じ日々を送れる確信に。

 「また明日」と手を振った知り合いと隣人のささやかなやり取りを裏切ることなく、守れることに。

 何の心配もなく、母の邪魔をすることもないことに。

 心の、底から。



「…………今日、誰もいないんで。日を跨いでないなら、大丈夫です」

「そう? じゃあ検査しちゃう?」

「はい」



 向こうの時間で朝七時までに帰れば問題ない。

 そうするとこちらの時間であと十日程は猶予がある。ならばそう急く必要も無いが、用事などがあるなら先に終わらせてしまおう。

 出来ることなら、ゆっくり体を休めたい。

 早く帰らなければ、という焦燥がなくなったからか。心身共に脱力感に見舞わられているおれは、結局一度も手をつけることがなかった飴玉を皿に戻し、空のマグカップを流し台まで持っていく。

 「水につけとくだけでいいよ〜」というルイスさんの声の通りに、軽く中身を洗い流し水を注ぎ入れて流し場に置いた。

 振り返れば菓子の入った皿を棚に戻したルイスさんが書類を小脇に挟み、「じゃあ行くよ〜」と鍵を持つ手をひらひらと振っていたので、小さく頷いて診察室を後にする医者の後に続く。


 と。



『無傷か…………ちっ』



 非常に悔しげに舌打ちをするリッパーが診察室から出たおれとルイスさんの間に体を滑り込ませ、眼前に壁として立ち塞がった。

 ルイスさんの頭しか見えなくなるおれ。

 さり気なく横から近付いてきたおじ様に『怪我はないか我が子よ』と訊かれ、何も無いですという意味を込めて首を縦に振る。



『そうか。ならば良い』



 おれの回答に表情こそ厳格なままであったが、ふっと張り詰めていた緊張を解くおじ様。

 ただおれは問診を受けていただけなのに、彼らは何を危惧し、何を心配していたのだろうか。

 謎だ。



『末っ子が刺さなかったってことは、妙なことしてねえってことか…………ちっ』

「あれ? ここで待ってたの? バーで待ってても良かったのに〜」



 謎と言えるほどのものではないが、些細な疑問がここでもう一つ。

 リッパーはルイスさんに何か恨みでもあるのだろうか。


 自分から握手を求めておきながら、あまり友好的な様子は見られない。

 むしろルイスさんのことが気に食わないといった調子でリッパーはおれが返却したナイフをまばたきの間に体のどこかに仕舞うと、『それで、これから何すんだ?』と、おれに話しかける。

 数秒前のルイスさんの言葉については無視である。

 リッパーは一体、ルイスさんに何の恨みがあるというのか。



『高々数十分、我が子を待つ事など苦ではない。だが、今後我が子のみに与えられる用事などはあるまいな?』

「当人と医者だけでやるのは問診だけだからね〜。あとは保護者同伴でも良いよ〜」



 おれとルイスさんの間で壁という役割を果たすリッパーに代わり、問診を受ける前より心なしか表情の柔らかいおじ様がのほほんとした空気を漂わせる医者に話しかける。

 いつの間にかおじ様達亡霊を保護者扱いしているルイスさんはもう、おじ様の扱いに慣れたようで。

 この後に控えている身体検査とSFの測定についての内容を詳しく説明しながら「検査室に移動するよ〜」とこちらに一声かけてゆっくりと歩き出す。

 壁役のリッパーに問診中何があったか問われているおれは、検査がまだあるからとルイスさんの後に続くように、構って欲しいと強請っている犬にしか見えない切り裂きジャックに促しながら、列の最後尾歩き出した。



 問診中に雑談を挟んできたり、やたらとホットミルクを勧めてきたりと、医者というにはなんとも冴えない、というかだらしない感じが全体的にあるルイスさんであるが、しかし医務部を纏めている人物とだけあるようで。

 検査室に向かう途中、質問をしてきた医務部の人に澱みなく返答をしたり、手の空いているものには検査に必要な機材の準備を頼んだりと、仕事は出来る人物であるようだった。



「ところで部長、チカは男子です」

「部長、興味無いからってトドとかの資料の扱い雑にしないでください」

「逆っす。部長、検査室はあっちっす」


「あれ〜?」

『…………うむ』

『ははっ。マヌケ』

「…………うぬ」



 …………多少、私生活の方では抜けているところがあるが。

 作業自体はてきぱきとしているので、仕事は出来る人物なのだろう。



「あれ? 採血管のゲージこれじゃないよね〜? 太いよね〜。どこにやったかなぁ〜…………」



 …………仕事は…………うん………………。





 ――――身体検査は所謂学校の健康診断のようなもので、身長や体重、SFを使わない状態での聴覚や視力検査といったものを測定していった。

 その際に判明した事が、一つある。


 こちらに来てからというもの、驚異的な勢いで発達していったおれの視力や身体能力だったが、これはどうやら身体能力を向上させるB型のSFを無意識に発動していたらしい。



「こっちに来て異様な吐き気とか、体調不良に襲われたよね〜? それはI粒子に身体が適合しようとしている時の症状なんだよ〜」



 と。携帯式トランシーバーの様な形をした、I粒子を感知するという計測器を持ったルイスさんに言われ「成程。道理で人外じみてきていたわけだ」と、おれはこの数日の異常な身体能力の上がり具合に納得した。

 通りで硝子を素手で割っても無傷でいられたわけだ。


 ともかくおれにB型のI粒子が備わっていたことが判明したところで、無自覚に発動しているSFを解除するための方法を「スイッチを切る感覚」「便意の時のいきりを止める感じ」「蛇口閉めるようなイメージ」などなどと。

 通りすがりの医務部の人にもアドバイスをもらいながらなんとか成功させ、検査に臨んだ。



「え〜っ、と…………視力、両眼共に2.0。三分間歩行、390m。閉眼片足立ち、180秒。長座位体前屈、50cm。上体起こし、20回。イス座り立ち、35回。反復横跳び、55回。握力36キロ」

「………スポーツ選手並みの身体能力値ですけど、部長それちゃんとスイッチ入ってます?」

「スイッチはずっとつけっぱなしだし、充電も満タンなんだけどな〜?」



 ドーピング打ってないよね? と検査中に度々怪訝な目を向けられたが、使う理由が無いのに何故ドーピングを所持しているのだと疑われるのだろうかと思いながら、毎回使用していないと答えた。

 おじ様は検査結果に対して誇らしげに、リッパーに至っては『流石末っ子!』と頭を撫で回そうとしておれの体を透けていたが、それほど身体能力が高いだろうかと、おれは小首を傾げざるをえない。

 おれなんかより優れた人など星の数ほどいるだろうに、何故そこまで称賛するのか。

 確かに、体育の授業の際は運動部系の部活動をしている同級生達と同じく、試合の最終兵器的な扱いを受けているが。


 ――――おれなんかより、隣人の方が凄いぞ?


 なにせ隣人、遅刻しかけた際は閉ざされた五メートル程の校門を飛び越え、垂直の壁を脚力のみで、三階の教室まで一気に駆け上り、窓からダイナミックに登校する男だ。

 最初に見た時は「彼は人間なのだろうか」と、何事もの無かったかのようにおはようと言ってくる隣人に思ったものだ。

 今では毎週水曜日に見れる、おれのクラスの軽い名物だが。



「あっ。赤神父くんのコードネームさ〜、『カズ』 でいいよね〜? ちゃんと名前から取ってるし、『串刺し(カズィクル・ベイ)』とも被ってるしね〜」

『我が子、その呼び名にせよ。それ以外は認めぬ』

『オイゴラクソ医者ァ! テメェ、オレの名前も使いやがれ!』

「あ〜ジャックくんはさ〜、実はイギリス支部に『現代(じゃック)(・ザ)(・リッパー)きジャック』って呼ばれてる人がいるから無理かな〜」

『なっ…………!?』



 ――――などという、おれのコードネームに関するやり取りがあり、おじ様の機嫌がかなり良くなったところで。

 最後の検査だ。





「おっ、赤神父! 検査は終わったのか?」



 場所は移動し、訓練室。

 最後に残ったSFの測定は、実際にSFを発動させてその上限値と最低値の効果を測定しなければならないのだらしく、広い場所で行った方が良いとのことで医務部から機材と共に移動してきた。


 訓練室に入って真っ先に、二時間程前に食堂で分かれたマスさんと再会するおれだが、おれの目線は首にタオルを巻きこちらに歩み寄ってくるマスさんではなく、周りの風景に向けられる。

 訓練室という名を聞き、スポーツジムのような内装を想像していたおれの予想を、遥かに超えた光景がそこにはあったからだ。


 青空があった。

 広い、どこまでも澄んだ空と白い浮雲が。

 快晴とばかりに頭上に広がる空の下には、レンガ色のトラックと、整えられた芝生で覆われた長方形のフィールド。

 土と草の混じった爽やかな印象のある匂いを運ぶ微風は、ここが現実世界にある外の世界であるかのような錯覚に陥らせる。

 遠くに聳える壁や、外気の如き匂い。

 それら全てが爽やかに五感を刺激して、懐かしい気持ちを思い起こさせる。


 ――――まるで、現実世界に帰ってきたかのような感覚がした。



「…………室内に、空がある」



 唖然と立ち尽しながら見上げた空を凝視していると、「ああ」と同じ様に空を見上げたルイスさんは機材を調整している手を止めて、陸上競技場をそのまま移動してきたかのような訓練室の内装について説明をする。



「あれはね、現実世界の空を参考にして再現したホログラムでね〜。地上から六十メートルの場所に天井があるんだけど、ただの天井じゃ殺風景だから、ああいう風に空を映してるんだよ〜」



 よく出来てるでしょ〜? と自慢げに胸を張るルイスさんの声を聞きながら、映像で出来ているという空を見上げるおれは、確かにと心の中で呟く。


 からっと、晴れた天空。

 眩いほどの白い雲と、視界を埋め尽くす淡い青。

 どこまでも澄んでいて、澱みのないそれは、じっと見つめていれば身体を吸い込まれそうで。

 ああ――――と。郷愁と憧憬に、息を吐いた。

 たとえ偽物でも、眼前に広がる大空は、心落ち着くもので。

 綺麗だった。



『室内にこれ程までの施設を運び込むとは…………この時代の建築技術は興味深い。そう思わぬか長男』

『ヘェイッ! 犬っコロヘイッ! オラ鳴いてみろコラァ! お手!』

「いやオレ犬じゃねぇし。赤神父の兄貴すっげぇフランクに絡んでくんだけど、切り裂きジャックってこんなキャラなのか?」

『長男、鋭撃兵マスを犬と呼ぶでない。犬に無礼である』

「そうそう、オレちゃんとしたじんる――――え? 待って、犬の方に加担すんの赤神父のお父様?」



 …………少し目を離している間に、マスさんと亡霊二名はそれなりに友好的な関係を築いていたが、特にコメントすることもなく流す。

 性格が犬っぽい者同士、やはり通じ合うものが有るのだろう。

 うむ。


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