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青天の彼岸花-regain the world-  作者: 文房 群
三章 組織とSF、帰る場所
36/79

ーー2

 木造の扉。

 廊下やここまで通り過ぎて来た検査室などは最新の機械や近未来的としか表現出来ない、おれからすれば使い方の分からない道具で設けられた扉が多かったにも関わらず、ドアノブに錠といった現代的な扉を前に足を止めたルイスさんは、白衣のポケットから鍵を取り出して振り返る。



「あ、そうそう。これから問診するけど、そこの怖い顔のおじさんと銀髪のおにーさんは外で待っといて欲しいな〜」

『はぁ!? 何でだよ!?』

「そりゃあ個人情報扱うんだし、いくら…………えっと、赤神父くん? の保護者であっても、問診は医者と対象者が一対一でやるのが決まりだし〜」



 さっきのバーで待っといてもいいよ〜、と。

 ならば先程移動する前にその事を言っておけば良かっただろう事を今になって言うルイスさんは『しんさつしつ』と平仮名で書かれた張り紙のしてあるドアの鍵穴に、犬をデフォルメしたかのようなキャラクターのストラップがついた鍵を差し込んで、カチャリと回す。



『納得いかねぇ! 何で一対一なんだよ! 何かあったらどうすんだよ!』

「何かって、ただ問診するだけで危険な事が起こるわけじゃないし〜」

『オイ末っ子! この巨人がちょっとでも変な事したら即殺っちまっていいからな! 後片付けはオレに任せろ! 迷宮入りの事件にしてやる!』

「本人の目の前で計画されてたら迷宮入りにならなくな〜い?」



 若干ズレたツッコミをするルイスさんは「う〜ん」と困った顔で小首を傾げ、意思を問いかけるようにおれを見下ろす。

 どうしようか、と聞いているような表情。

 どうしようかと言われましても、と対応に困るおれが首の痛みを感じながらルイスさんを見上げ、首を傾げ返す。

 どうしましょうか。これ。



『…………規則ならば仕方が無い。行ってくるが良い、我が子よ』



 対処に困っている最中、問診の方法が気に入らないと文句をつけていたリッパーの首根っこを掴み上げ、強制的に黙らせたのは、沈黙を守っていたおじ様だった。

 予想していなかったところから声が上がったので、驚いておじ様を見上げれば、違和感を覚えるほどに静かな彼は『オイクソ、親、父…………! 首! しまっ、首!』と足掻くリッパーを頭上に上げている。

 宙吊りである。



「わあ〜力持ち〜」



 パチパチとおじ様に拍手を送るルイスさん。

 さっきも思ったが、彼はツッコミ所を間違っていないだろうか。


 おれも片腕で成人男性一人を持ち上げられる筋力に感心を抱くが、ネコのように持ち上げられている当人は死にものぐるいでおじ様の手から逃れようとしている。

 ジャージの前チャックを首まで上げていた事が不幸にも、リッパーの首を絞める災厄となって彼に襲いかかっていた。

 このままではリッパーが意識を彼方へ飛ばしそうである。

 亡霊も気絶するのかどうかは知らないが。


 顔色が真っ青を通り越し始めたので「おじ様、リッパーが死ぬ」とおじ様に元気のなくなってきたリッパーを話すように申告したら、おじ様は『ああ…………』と悪びれもなく、寧ろ気が付かなかったと言うように呟いて、掴んでいた首根っこを解放した。

 放り投げられるように解放されたリッパーだが、顔色のわりには普通に着地してぜーっぜーっと息をする。

 おじ様のように彼も丈夫なのか。顔色の回復は早かった。



「あっ。思ったより声好みだった」



 一体彼は何を言っているのだろうか。



『ごほっ、うえっ! 二度も死ぬかと思った…………!』



 回復は早いが、苦しかったことに変わりはないらしい。

 肩で息をし噎せるリッパーが背中を丸めて涙目で呼吸を整えていたので、背中を撫でて呼吸が落ち着く手伝いをする。

 ある程度リッパーの様子が落ち着いたところで、おれはぽんぽんと彼の肩を叩いて言う。



「リッパー、終わるまで待ってて欲しいんだが…………駄目だろうか」



 決まりなら仕方がないし、診察室の前で立ち往生しているルイスさんを待たせるわけにはいかないだろう。

 そういう意味を込めて投げ掛けた言葉を受け取ったリッパーは、不安そうな眼差しをおれに向けながら、渋々と『おう』と応えを返す。


 納得はしていないようだが、おれが一人で問診を受ける事は承諾してもらったので礼を言いながら、それではとルイスさんへ振り向く。



『待て。これ持っていけ』



 その時おれを呼び止めたリッパーはまだ身体に触れた状態だったおれの右手を取ると、手のひらを開かせて小型ナイフを押し付ける。

 何故おれにナイフを渡したのか。

 そもそも何に使えというのだろうかと、おれの目線に合わせ背を屈めている切り裂きジャックを見遣れば、彼は、至極真面目な顔でこう言った。



『いいか? 巨人の右肋骨の下あたり。そこを狙え。ナイフの柄は利き手でしっかり持ち、もう片方の手は柄の底に当てろ。刺す時は体当たりするように、全体重をかけて腰から行け。刺さったら奥まで通すように全身を使って押し込め。このナイフの刃渡りなら肝臓まで確実に届く』



 彼は一体おれに何をさせようというのだ。



『いけるな? よし。巨人に何かされそうになったら今教えた事をやれ。後はオレさえ呼んでくれりゃあ全部どうにかする。くれぐれも気を付けて、行ってこい。頑張れよ』



 何を頑張るのか。ルイスさんの肝臓を仕留める事をか。

 ぽんと肩を叩いておれを送り出すリッパーは『右肋骨の下だぞ』と囁きながらルイスさんを睨む。

 おれに肝臓の刺し方を教えたが、もしやそれは自己防衛方法として教えたのだろうか。

 だとすれば絶対やりすぎである過剰防衛方法にとりあえず頷いて、ルイスさんの元へ歩く。



「それじゃあ、行こうか?」



 こくりと一つ頷いたおれは、「いってきます」と一言。おじ様とリッパーに軽く手を振って、ルイスさんが開けた扉をくぐり抜けた。




 扉の先に足を踏み入れて、まず刺激されたのは嗅覚だった。

 部屋の匂いというのだろうか。薄まった芳香剤の香りと、木の匂い。

 適温の冷暖房機の風が耳の横をするりと通り抜けていく。

 それは――――何故か。


 懐かしい、感じがした。



「ようこそ、俺の仕事場。『ルイスのわくわくしんさつしつ』へ〜」



 照明は明るく、部屋を照らしている。

 診察室、というよりその部屋は一人暮らしのワンルームのような、アットホームな雰囲気のある場所だった。

 テレビは無いが、本棚や数人掛けのソファー、テーブルが配置されており、奥にはカーテンの仕切りがある。その向こう側には保健室で見かけるような簡易ベッドが設置されていた。

 部屋には仕事場と言う通り、ノートパソコンのが置かれたワークデスクとチェアがワンセットあり、その隣にはどう見てもお菓子しか入っていないような棚がある。

 流し場の隣には冷蔵庫と電子レンジがあり、食糧さえあればこの部屋で寝泊りできそうだ。



「赤神父くんは牛乳飲める〜?」



 鍵をワークデスクに放り、流し台の上の小棚を開くルイスさんが問いかけてくる。

 牛乳はどちらかというと好き部類に入るので「はい」と答えると、マグカップ片手に冷蔵庫から牛乳パックを取り出すルイスさんに「適当に座っといて」と言われた。

 適当に、ということだったのでぱっと目に付いた手前のソファーに控えめに腰を下ろせば、目の前に煎餅や飴玉の入った皿が出される。



「遠慮しないで寛いでいってね〜。好きなの食べといていいから〜」



 と言いながら小分けに包装されていた煎餅を一枚持っていき、鼻唄を歌いながら流し場に戻るルイスさんは電子レンジにスイッチを入れた。

 これから健康診断が行われるとは思えない緩い空気に、どうやらもてなされているようだと、テーブルに置かれたお菓子の皿に目を落とすおれは、もう一度部屋を見渡す。

 ぐるりと、壁や天井、本棚に並べられた本の背表紙まで眺めて、頭の中で妙にしっくりとくる感覚――――既視感に、「うむ…………」と首を捻る。


 何故、だろうか。

 部屋に入った時から思っていたが、ここには初めてくるはずなのに。


 ――――おれは、この部屋に初めて来た気がしない。


 昔、似たような部屋に入った事が有るのだろうか。

 妙な感覚ではあるが、しかし嫌な感じはしない懐かしさに過去数年前ばかりの記憶を思い出しながら、何気なく皿から小ぶりな包装の飴玉を取り出し、手前のテーブルの上に転がしていると、視界に影が差した。

 いちごみるく、と薄れたピンクの印刷がされた飴玉から顔を上げると、にこやかなルイスさんの笑顔がそこにあった。



「はい、ホットミルク。熱いから気を付けてね」

「…………ありがとうございます」



 ことっ、と。湯気の立つマグカップが飴玉のすぐ横に置かれる。膜を張った牛乳が、カップの中で僅かに揺れた。

 犬が好きなのか。それともキャラクターが好きなのか。診察室の部屋の鍵にも付いていた犬のキャラクターがプリントされたマグカップを、そうっと手にするおれは、色違いのマグカップを片手にワークデスクから紙の束を引っ張り出すルイスさんの背中を横目に、そろそろとカップを口元に運んでいく。

 先程小腹を満たしたばかりなので飲食する気などなかったが、せっかく用意してくるたのだ。

 手をつけなければ失礼だろう。


 そう考え、もわりと湯気の立つマグカップを両手で持ち、ふぅ、と息を吹きかけるおれは、乳白色の液体に口を付けた。

 熱いミルクに一瞬舌が焼かれる。だがさほど猫舌というわけでもないので、一口分を口に含みこくりと飲み込めば、牛乳の滑らかさと共に優しい甘さがふわりと広がる。

 ふう、と自然と息が零れた。

 身体がぽかぽかする。

 懐かしい、味がした。

 心の温まる、優しい味だった。



「あまい…………」



 ふわふわとした甘さに頬が緩み、ぽつりと言葉を零せば、得意気な顔をしたルイスさんが「ふふっ」と微笑む。



「隠し味に愛情を入れてるからね〜」

「…………あったかい」

「ほっとした?」



 事実なので頷けば、嬉しそうな顔をするルイスさんは鼻唄を唄いながらワークデスクからペンを取り出す。

 それからマグカップを抱え持つおれの斜め左隣にある一人掛けソファーに腰を下ろした。



「じゃあ、早速問診始めるね〜」



 そう上機嫌で言ったルイスさんに、さてどんな質問をされるのかと予め予想していたおれは、次に彼が唱えた質問にやや張り詰めていた緊張を解いた。



「この部屋の第一印象は?」

「……………………部屋」

「うん。この部屋に入ってどう思ったかとか〜、どんな感じがするとか〜…………あっ。そうそう、質問には正直に答えてね〜。百問ぐらいするからね〜」



 てっきり最初に名前を訊かれると思っていたおれは、そっと肩から力を抜いて、ホットミルクをちまちまと飲んでいく。

 モデルルームの案内人のような質問をしてきただらけた雰囲気の医者は、必要な事として書き込むつもりなのか。バインダーの内容がこちらに見えないように立てて、ボールペンを片手に待機している。

 回答を書類に記す必要があるんだな、とルイスの行動理由を把握したところで、おれはすっかり気の緩んだ調子で口を開いた。

 言われたように、正直に。



「…………懐かしい、感じがします」

「懐かしい?」



 やんわりと続きを促すルイスさんに、おれは感じた事の詳細を語っていく。



「来たこと無いはずなのに、来たことがあるような…………初めて来た気がしない。でも、なんだが落ち着く、感じがします」

「落ち着くんだ〜。今リラックスしてる〜?」

「…………かなり、してます」



 そっか〜、と相槌を打ちながら手元の書類に書き込んでいくルイスさん。

 数秒、さらさらとボールペンを走らせたところで、彼は次の質問に移った。



「最近良いことあった?」



 ――――この質問からおれは、おれの想像していた問診と実際の問診は違うことをうっすらと感じ取った。




 実際に、思っていた問診とはかなり質問内容が違った。

 最近食べたもの。好物。犬派か猫派か。最近何のニュースに興味を持ったか。一日のスケジュールは。最近何をして遊んたか。好きな色は何か――――などと。

 知り合いが持ってきた本の相性占いをしているような、緊張感の欠片も無い気分で二十問ばかりの質問に答えたところで、ようやく名前を訊かれたおれは「こんな調子の質問が続くのかな」と思いながら、診察室の外に残してきたおじ様達の事を考えていた。


 今、彼らは何をしているだろうか。

 おそらくやる事もないので医務部内を探索しているか、休憩室で待っているかのどちらかではあると思うが、おれが不安に思うことが一つある。

 二人共、ケンカはしていないだろうか。

 仲が良いのか悪いのかまだはっきりとと分かっていないが、少しでも意見が食い違えば武器を取り出すような二名である。

 血の気の多い二人が何事もなく過ごしているか。

 そればかりが心配である。



「名前の由来とかって知ってる?」



 ケンカといえば、知り合いと隣人はおれがいない間ケンカしていたりするのだろうか――――と思い耽っていると、一つ前に答えたおれの名前について問われた。

 名前の由来なんて、それこそ姓名診断とかいう占いで聞かれそうな事だと思いながら、遥か遠い記憶の蓋を開き、おれという人物を形容する言葉の由来を引き出してくる。

 名前の、由来。

 それは、たしか――――



「…………おれが産まれた時、おれの顔を見た母がぱっと思い浮かべたのが、それだったそうです」

「へぇ〜、お母さんがつけた名前なんだ〜」



 なかなか和風な名前だよね〜、と書類に書いたのだろうおれの名前を見て感慨深そうに呟くルイスさんは、気軽に天気でも訊くように問う。



「この名前気に入ってる〜?」

「……………………いえ。あまり好きじゃないです」



 母が、おれにと、つけた名前だ。

 別にこの名前をつけた母に文句が無い。寧ろおれなんかに名前をつけてくれたことに、母からの愛情というものを感じられて嬉しいと思っているし、感謝している。

 だが、おれはこの名前が好きじゃない。

 どうしても、好きにはなれないのだ。

 だって、



「…………昔から、不吉だとか、縁起が悪いだとか、いろいろ言われてきたので」



 そのせいで、ただその言葉を選んだだけの母も非難されてきた。

 母は、何も悪くないのに。

 それに、その言葉はおれの嫌いなものを連想させた。

 ひどく、鮮明に。

 嫌というほど。

 だから、



「好きじゃ、ないです」

「へ〜…………」



 紙の上をペンが走る音を聞きながら、少し冷めて飲みやすくなったミルクを半分まで飲み干す。

 おかわりあるからね〜、とおれと同じホットミルクを飲むルイスさんは、次に書類から顔を上げると小学校などの自己紹介なとでありそうな、よくありふれた質問をする。



「好きな色は?」

「…………空色」



 おれの趣味である、空を眺める大きな理由。

 ここしばらく見ていない、空の色。

 心の底から綺麗だと思う、澄んだ青空。

 その色を見たいから、空を見るのだと断言するほど、おれは好きだ。

 特に春の、桜の木の下から見上げる空が。


 「空色ね〜」と、おれの言葉を繰り返しながら文字を書き込んでいくルイスさんは、先程の質問とは相対的な質問を投げ掛ける。



「嫌いな色は?」



 両手で包み込むように持ったマグカップに目を落としたおれは、残り半分となったホットミルクを見て、思った。

 一気飲み出来るほどにぬるくなったミルクのおかわりをもらえるのならば、もらおうかな、と。


 今、おれは無性に。

 また、ぽかぽかとした気持ちになりたいと思ったから。




「――――赤」


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