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青天の彼岸花-regain the world-  作者: 文房 群
三章 組織とSF、帰る場所
34/79

ーー4



『我が子のみの食事の用意…………くっ』

『遅く帰ってくる母親の為に一人メシを作る末っ子…………うっ』



 亡霊二名がなにやらぼやいているが、その内容が上手く聞き取れなかったおれは二人に構わず、親子丼に手をつける。

 とろっとろの卵と、大ぶりな鶏肉。

 それから出汁の染み込んだご飯。

 立ち込める湯気に、無意識にごくりと、唾を呑んだ。



「…………テメーは軽食の範囲の中に丼物が含まれるのか」

「…………お腹が空いていたので」



 嫌味っぽく眺めてくる班長さんに一言だけ言葉を返し、両手を合わせる。

 合掌しながら「いただきます」と。食事始めの儀礼を済ませて、テーブルに設置されていた入れ物に手を伸ばす。

 七味や塩と共に並べられていたスプーンを一本取り出した。

 丼物といえばお箸を用いご飯と一緒に具をかき込む、という食事形式(イメージ)が個人的にあるが、一応今後の予定が控えている。

 そのため手早く食事出来るスプーンを使おうと思ったのだ。


 ――――それでは早速。


 丼茶碗を片手に持ち、スプーンを構えたおれは手前の具を少し奥に寄せ、鶏肉と卵の下から現れたご飯の山を崩す。

 出汁がたっぷり染み込んだご飯は、スプーンで切り込めば簡単に形を崩した。

 目分量で適度に薄茶色のご飯を崩したら、具である鶏肉と卵が、ご飯と同じ比率でスプーンの上に乗るように、一口分を調節。

 具とご飯が同じ土俵に立ったところで、湯気の立つスプーンの上をふぅ、と息を吹きかけ、後は滑らせるように。

 口の、中へ。



「ぁんっ」



 ――――じわっ、と。

 口の中に含んだ瞬間広がる、鶏の肉汁に醤油とみりんが絡んだ出汁。

 ふわりと広がる日本独特の味付けにほっとしながら、メインディッシュである鶏肉に歯を立てると、柔らかな肉からじわりと鶏肉特有の脂と出汁の混ざった肉汁が溢れ出てくる。

 ご飯とよく、絡む、マイルドな卵の味がクセのある鶏肉の臭みを消し、日本独特の文化が作り上げたみりん醤油の出汁とマッチする。


 名残惜しさを感じながら、ごくんと飲み込んだ。

 後味にほんのりと香る、甘いみりん。

 温かなご飯が咽頭を過ぎ、食堂を伝い胃へ落ちていく、何とも言えない心地良さ。

 腹がもっとと締まって、舌の上に唾液が溜まった。

 気付けば次の一口を用意し、今度はしんなりと出汁の染み込んだ玉ねぎと共に卵諸共ごはんを噛み締めていた。これにもしっかり、出汁が染み込んでいる。玉ねぎの甘さと上手く絡み合い、歯を立てればあっさり崩れてしまうほど柔らかい。

 一息ついてから、米一つ残さないとばかりに、飲み込むように次の一口にありついた。

 急かされているわけでもないのに、次々丼を口内へかき込めと、身体中の全細胞が訴えている。

 意識していないのに、自然とスプーンが進む。


 ――――おいしい。


 頬が緩んで、ほかほかと心が満たされた気待ちになる。

 ああ――――食べるとは、こんなに心地好いものだっただろうか。



『…………我が子。そのオヤコドン、とやらを一口我に捧げよ』



 胸のあたりがぽかぽかとしながら、親子丼を味わうおれに紅茶を楽しんでいたおじ様が『あ』と口を開く。

 意図を理解したおれはほくほくと運んでいた親子丼から一口分を、おじ様の口元へ持っていった。

 『うむ』とスプーンを咥えるおじ様。つるりとスプーンを引き出せば、もくもくと口を動かしたおじ様の浮き出た喉仏がごくりと下がる。



『――――ふむ。なんとも不思議な風味よ。しかしこの優しい味わい…………我が子、代わりを持て』



 親子丼は串刺し公のお気に召したようだ。

 お代わりを催促するおじ様にもう一口親子丼を与えれば、『うむ』と満足げに咀嚼する厳格な顔は綻んだ。

 その様子が大型動物が好物を与えられたようで可愛いとか思うおれは、思ったより疲労が溜まっているのか。

 それともおじ様に動物のような親しみを感じているのか。どちらか。



『おっ。ならオレは交換な』



 左隣で給仕を終えたところで今度は右隣から伸びてきた手が右手首を掴み、たった今口に運ぼうとしたスプーンを横からリッパーが咥えた。

 スプーンから無くなる親子丼。

 その行動はあまりに自然で手馴れており、おれは目で一部始終を追うことしか出来なかった。



『おっ、これ美味いな』



 もぐもぐと口を動かすリッパーはそう言いながら、おれの右手を解放する。

 ふと、手元の丼茶碗に目を落とせば、そこにはリッパーが頼んだフライドポテトが小山になって置いてあった。

 いつの間に、置いたのか。

 手の早い亡霊である。



「…………テメー、亡霊と距離近くねーか?」

「ぬ…………?」



 サンドイッチを片手に書類を作成する班長さんに「はて、そうだろうか」と思いながら両サイドの亡霊を見やると、おじ様とリッパーはしれっとした顔で。



『父と子の距離などこんなものであろう』

『兄弟の距離感なんてこんなもんだろ?』

「……………………そうか」



 何か言いたげに静かに首を振る班長さんの反応が印象的だった。

 彼の知る家族の距離感は違うのだろうか。

 斯くいうおれも家族それぞれの距離感などといった曖昧なものはよく分からないので、おじ様とリッパーの距離が特に変だとは思わないが。



「つーか、亡霊ってメシ食うのか」

『うむ。死人故に腹も減らぬ上活動に支障は無いが、若干傷の治りが早くなる。そして我の使える力がやや増加するようである』

『マジか。普通に食べてぇと思ったから食ってたわ。満足感はねぇけど、味するし』



 隣で亡霊の食事事情について語るおじ様とリッパー、班長さんの会話を聞き流しながらスプーンを手にフライトポテトと格闘するおれは、ほくほくのポテトに心を弾ませる。

 親子丼とは合わないが、単体で食べるとなかなか美味しい。外はカリッと中はふわっとしたじゃがいもの甘みと、表面の塩味が良い。

 トマトケチャップで酸味を付けて食べるのも美味しいだろう。


 香ばしく揚げられたフライドポテトに暫し意識をやっていたおれは、さて本命の親子丼と向き合おうと丼に目を落として――――ころんと。

 目の前に唐揚げが一つ、転がり込んできた。

 顔を上げると、以外と近い位置にこちらの顔貌を真っ直ぐ見詰めてくる双眼がそこに。

 思わず目を背けてしまった苦手なその目の持ち主、マスさんはいつからここに来たのか。

 屈託のない笑顔を浮かべながらおれの丼から具をヒョイっと持っていく彼は、リッパーの前の席に着きおれに声をかける。

 マスさんが持つお盆の中には湯気の立つ白ご飯と漬け物、味噌汁にレタスと一緒に彩られた唐揚げがあった。

 量と時間からして早めの夕食を取るらしいマスさんの今日のメニューは、唐揚げ定食であるようだ。



「よーお赤神父、さっきぶり! で、オレも交換な、っと!」

『ぬ。鋭撃兵マスか』

「おう! 赤神父の親父もさっきぶりだな!」



 誰だ? と、礼節に厳しいおじ様に気さくな態度で話しかけるマスさんを、只者ではないと思ったか。

 ひそひそと耳打ちしてきたリッパーに「班長さんの部下」と答えると、『ああ鋭撃班のヤツか』と銀髪の亡霊は班長さんから受けた説明を思い出すように呟いた。

 ふーん、と関心薄そうにポテトを頬張るリッパーの視線に気付いたマスさんは、先程おれの茶碗から浚っていた親子の具を白米の上に乗せながら、おれを見る。



「赤神父、そっちのヴィジュアル系バンドでヘッドバンギングしてそうな影の薄い銀髪の兄ちゃん、誰だ?」



 ピンポイントで特徴を指摘してくるマスさんに「言いたいことは分かる」と、外見的特徴の認識に同感するおれは確かに、ヴィジュアル系バンドでベースかギターを担当していそうな風貌のリッパーを紹介しようと左隣に目をやって。


 ――――影が薄い、か…………?


 マスさんの挙げた特徴の一つに少し引っかかるものを覚えながらも、訊かれたのだから一応紹介をしておく。



「『(ジャック・)(ザ・リッパー)きジャック』。理由ありきの殺人鬼だそうだ」

『そんでもってコイツの兄貴な。心配しなくても夜中に人気の無い場所で解体(バラ)したりとかしねぇよ。よろしく』

「おう、赤神父の兄貴『切り裂きジャック』か! よろし……………………んん?」



 いたって爽やかなリッパーの挨拶に初めにこやかに応じたマスさんだったが、途中彼は首を捻りながら何か考え込み、やがてリッパーを凝視したまま人当たりの良さそうな顔をみるみる強ばらせていった。

 はてどうしたものかとマスさんの反応に目を見張ったおれは、リッパーの正体を思い出し納得する。

 うぬ。まあ、目の前にかの有名な殺人鬼がいたらそれは戦慄するだろう。

 数十分前、おれ自身もマスさんと同じ反応をしていたが、彼は味方みたいなのですっかり警戒を解いて気を抜いていた。

 思えば彼は殺人鬼だった。うむ、忘れていた。



「え? 『切り裂きジャック』って…………おい? それって、ロンドンのヤベェ殺人鬼じゃ…………あれ。そう考えると串刺し公もヤバイやつ…………あれ?」



 ぶつぶつと何やら呟きながら難しい顔で考え込むマスさんに、おれは何か声をかけた方が良いかと思考する。

 確かに目付きは悪く二言目に「バラす」と言うような人物ではあるが、おじ様より常識的で害はないと言った方が良いだろうか。

 考え込んでいる様子のマスさんにそう考えていたおれだったが、しかしマスさんはおれが一言言うより早くぽんっと手を叩き。



「うん、まあいっか!」




 吹っ切れた様子で清々しい笑顔を浮かべた。

 あまりの切り替えの早さに、開こうとしていた口を閉じたおれは思わずおじ様の方を見遣り、何事も無かったかのように「よろしくな!」とリッパーに挨拶をしたマスさんに対しての見解を求めた。


 ――――彼、深刻な顔になったと思ったら直ぐ普通の笑顔になったが、どういうことなのだろうか。



『――――うむ。鋭撃兵マスは頭の回らぬ男故、あやつの行動一つ一つに理由や意味は無いと思う方が良いぞ、我が子よ』

「…………つまり?」



 おれの視線から意思を汲み取ったおじ様は断言した。



『鋭撃兵マスは犬であると思え』



 おじ様がマスさんに対して礼儀だ何だと言わない理由を察した。

 そもそも、人としての扱いをしていなかったようだ。

 言われてみれば、真っ直ぐ人の目を見てくるところといい、こうして出逢って数回程しか言葉を交わしていない人物にわざわざちょっかいをかけに来るところといい、犬のようであると納得できるところがあり、おれは「確かに」と一つ小さく頷く。


 マスさんは、犬っぽい。


 しかし、彼は人間であるためおれはおじ様のようにマスさんを犬と思わないことにする。

 犬だと思えば多少、目を合わせやすくなったが。

 多少だが。





「ところで赤神父よー、これから医務部に行くんだろ?」



 親子丼を食べ終えて、トレーを返しに行くところでまだ食事をしているマスさんがおれに問うた。

 リッパー、おじ様と雑談をしていた彼は次に、おれと話をしたいようだ。

 もさもさと唐揚げを頬張りながらマスさんは言う。



「なら赤神父はこれからコードネーム貰うんだな」

「…………コードネーム」

「ああ。大体そいつの苗字から取られる本名を侵攻生物に知られないためのヤツ。班長の場合は被るから下の名前から取ったんだよな」



 コードネーム。

 侵攻生物に本名を知られれば『囚われる』という現象を防ぐため、付けられるという呼び名。

 『囚われる』という言葉から感じられる不穏さから、てっきり組織の偉い人が作っているのかと思っていたが、そうでないらしい。


 医務部で付けられるのか、とわりとフランクなシステムであるらしいコードネームの作成方法に思えば、おれより早くサンドイッチを食べ終え書類を纏めていた班長さんが、さらりと解説をする。



「カナガワ支部の医務部は医務部長が現実世界じゃ相当名の知れた資産家で、組織に資金を提供している。その上腕の良い医者で前線には出ねーがSFも強力っつーことで、上に顔が利くんだよ。それこそ職権濫用の範囲でな」

「影の支配者だよなぁ、あの医者…………」

「…………影の、支配者……」

「あのヤブ医者、現代に復活した串刺し公に興味を持ってやがったからな。多分テメー、死ぬ程絡まれるぞ」

「…………絡まれる」



 影の支配者。死ぬ程絡まれる。

 聞くからに危なさそうな人物とこれから会いに行くのだろうか、と。少し医務部に行く気持ちが薄れるおれは「御愁傷様」と言わんばかりの憐れみの眼差しを向けてくるマスさんに不安が湧き上がり、嫌な予感がしながらも恐る恐る班長さんに問いかける。



「…………おれは、生きて帰れますか」

「…………本当に死にはしねーが、根掘り葉掘り訊かれる覚悟はしておけ」



 どこか悟ったような、諦めた目をしている班長さんに、死にはしないということで安心するおれは一方で、どちらにせよ覚悟をしなければならないほどの質問をされるらしいということに「一体何を訊かれるんだ」と疑問に思う。

 マスさんが班長さんと同じ目をしているところから、相当精神的にダメージを負うようなことも訊かれそうだが。

 …………おれは、これから何をされるのか。



『我が子よ、そう固くなるでない』



 悶々と思考するおれにふっと笑いかけるおじ様。

 これから向かう医務部へ抱くおれの不安を、敏感に感じ取ったのか。

 思えばおれの感情の変化に対して必ず反応を示すおじ様は、優雅な午後のティータイムを終えてカップをソーサラーに置いたその手で十字架槍を持ち、それはそれは頼もしい笑みを浮かべて。



『何。いざとなればその医者を処刑するのみ』

『オイ。串刺しより解体(バラ)した方が証拠残んねぇから解体(バラ)そうぜ』

「いや、そういう問題じゃねぇだろ!?」



 それぞれ得物を手にした亡霊二名にズバリとツッコミを入れるマスさんに、心の中で同意するおれはひとまず、これだけは決めた。

 おじ様とリッパーが殺人に走る事だけは阻止しようと。

 気が付けば二、三人くらい、葬っていそうな二名なので。



 自分の空いた器を返しに行くついでに、マスさんと処刑についての話から武器を使っていい場所についての説明を受けている亡霊二名の空いたお盆を片付けて戻ってくると、『何故我オレを連れて行かなかった!』と少し拗ねた様子の二名に迎えられた。

 少しお怒りらしい二人だったが、その拗ねている様子から、マスさんよりおじ様とリッパーの方が犬のようだと思った。



「犬だな…………」



 なお、移動の準備を終えた班長さんの呟きによると、彼も同じことを考えたようで。

 おじ様とリッパー、大型犬決定である。

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