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青天の彼岸花-regain the world-  作者: 文房 群
一章 灰色の空と橙の炯眼
3/79

一話 欠色 ー灰色の空ー

 それは、突然の事だった。



 入学式から一ヶ月が過ぎて、そろそろ新しい学校生活のリズムが体に染み付いてきた頃。

 部活紹介だ勧誘だとか、情熱と期待のこもった上級生の視線や声。これらをくぐり抜け、途中担任の先生に捕まり雑用を押し付けられながらも、やっとの思いで雑務を遂行し鞄を早足で通過した校門。

 ようやく着けた帰り道。肩にかかる鞄の重さと心地良い疲労感を味わいながら、おれは空を見ていた。


 登下校におれが利用している通学路は二つの区域に分かれていて、一つは最寄りの駅周辺に集中した、中小企業のオフィス街。もう一つはちょっと裕福な家庭の別荘や、一人暮らしの老人が住まう一軒家などが建ち並ぶ住宅街となっている。

 昼間でもあまり騒がしくなることのないオフィス街の一角で、客寄せとばかりにネオンの看板で店名を主張するカラオケ店やゲームセンター。二十四時間体制で接客対応している、わりと何でも揃ってるコンビニを横目に過ぎると、ちらほらと小綺麗な住居が見え始めて来る。

 そこはちょうど自宅から学校までの中間地点で、オフィス街と住宅街の境界。

 信号機と交差点の多いその場所は、立ち止まって空を見上げるのには適したポイントだった。


 午後四時を過ぎたこの時間帯は、買い物に向かう住宅街の主婦と帰宅する学生でやや賑わう。

 毎日が楽しいと語るように談笑する主婦の団体を横断歩道を挟み正面から向き合って、通い慣れた交差点の点字ブロックの手前で信号が青に変わるのを待つおれは、いつものようにただぼんやりと。

 隣で信号待ちをする疲れた様子の中学生の話し声をバックメロディに、徐々に朱に染まりつつある空に目を細めながら、ぼうっと。


「…………」



 ゆっくり流れていく雲の動きを目で追い続け、思考を放棄していた。

 そして、一瞬。


「……?」


 ゆるぅく。

 首のあたりに真綿を巻き付けられているような、微妙な呼吸のしにくさ。弱く圧迫感を掛けられている違和感を覚えたおれは、平坦な胸元越しに足元に目を向けてごほんと咳払いを一つした。

 違和感は直ぐに消え去った。そして何事も無く、自然に上空へ視線を戻し。




 ――――空が、灰色に染まっていた。




「……………………え…………?」



 我が目を疑い、ぱちぱちとまばたきを繰り返す。

 目が疲れているのかと思い、目頭を摘んで軽くマッサージもしてみる。

 しかし再び目を開いてみてもそこにあるはずの空はなく、陰鬱と濁った空間が広がっているだけだった。

 モノクロ写真の様な空。雲さえ暗い、グレーに染まった世界。

 なのに信号機や近くの一軒家の庭には何の変化もなく、色鮮やかな色彩を保っていて、それがちぐはぐなアニメーションの様で違和感を感じる。


 戸惑いと困惑に思考が停止したおれは、色を無くした空を前に立ち尽くす。

 だが立ち尽くすも束の間、ぐるぐると胸の中に泥に似た何がが渦巻くのを感じた。

 ぐるりと、質量を伴った何かが胸の、正確には鳩尾の辺りから込み上げる。車酔いのような感覚に、思わず口に手を持っていった。



「……お、げ…………ぇっ! 」



 ぶわりと、内臓全てを揺さぶられたかの様な違和感と気持ち悪さに、吐き気がした。

 体を前屈みに曲げて大きく息をし、逆流してくる胃液を飲み込むおれは「吐き気止めのようなものは持っていたっけ」と嘔吐間を紛らわすように考えながら、嵐の様なそれに耐える。

 その場にて、三十秒程。吐き気を誤魔化すために行った「ふーっ、ふーっ」という自分の荒い呼吸が頭の中でやけに大きく聞こえる中、ほんの僅か吐き気が落ち着いてきたところで――――そこでようやくおれは、別の異変に気が付いた。


 ――――周りが、異様に静かだ。


 若干喉の奥に残る吐き気を飲み込むように深呼吸をしながら、ゆっくりと辺りを見回す。

 つい先程まで横断歩道の向こう側で信号待ちをしていた主婦の団体。すぐ横で友人と愚痴りあっていた中学生。横断歩道手前で左に曲がるウィンカーを出しながら一時停止していた軽自動車。信号機の上に止まっていた雀。

 視界に入っていたが、気の留めていなかった当たり前のそれら。

 その全てが、跡形もなく消えていた。

 影も形も残さず。この目で見ていたはずの、あらゆる生き物が。

 消えていたのだ。目の前から。


 ――――ぞっと、身の毛が弥立った。

 どうしてたった数分、目を離していた間に、小さな野鳥でさえも消えているのか。

 なぜおれ一人だけが、誰もいないこの場所にいるのか。他の人は、一体どこに。

 考えたところでその答えが出るはずもなく、そもそもおれには冷静に物事を考える余裕すらなかった。

 ただただ突然自分の身に起きた不可解な現象に、混乱するばかりだ。



「…………」



 きぃんっ――――という。あまりの静けさに耳鳴りすらしてくる程不快で不気味な現状に、正体不明の不安と恐ろしさが心を掻き乱す。

 己の心臓がばくばくと、異様な速さで鼓動している。

 渇いた口に溜まったなけなしの唾を飲み、自分以外の人の気配も、生き物の息遣いも、囁きのような風の音すらもない歩道の真ん中で、じっと何か変化が起きるのを待つ。


 誰が、人はいないのだろうか。

 何でもいい。どんなことでもいい。

 とにかく――――こんな異常な静けさを、何か、誰かどうにかしてくれないか。


 不安な気持ちに拍車をかけるような無音の世界に、あてもなくそう祈ったおれは――――不意に思った。

 ――――もし。今この場所におれしかいないとして。

 おれ以外のものが全て消えてしまったと仮定して、だ。


 そんな場所でひたすらに待ったところで――――この静寂は破られるのだろうか、と…………。



「………………う、む」



 ――――それは、無いな。……と。


 混乱が一定値を超えたせいか。

 急にスッキリしてきた頭でそう冷静に考えたおれは、ひとまず注意深く辺りを見回しながら。

 おれ以外の人間がいない――――などという。どう考えてもあり得ない現状に、悪い夢でも見ているのかと思い、一片の希望を抱きながら、爪先で頬を抓ってみた。

 もしこれが夢ならば。おれが学校からの帰り道に見ている、白昼夢というものならば。痛みをもって覚めるはずだ。

 おれの知っている光景に――――あの青い空が広がる、人がいる街へ景色が戻るはずだ、と…………。


 そう希望しながら、気持ち少し肉を捻りとる感じで頬を抓って、指を離した。

 強く爪を頬に食い込ませたため、じんじんと皮膚が痛んだ。

 指の腹でなぞってみれば、摘んだ場所にくっきりとした深い爪痕がついていた。


 しかし、おれの目は覚めなかった。

 希望は、あくまで希望でしかなかった。


 眼前に果てなく広がっているのは、灰色の空と静寂の街。

 色と人と生命が欠落したこの光景は、悪い夢などではなく、紛れもない現実であったらしい。

 そのことを、頬につけた痛みが示していた。



「……夢じゃ、なかったのか」



 自然と独り言が零れた。

 自分でも思うほど、小さな独り言だった。

 たがこんな小さな吐息のような声でも、耳元で囁かれたように、はっきりと聞こえた。


 虚空に響いた独り言のおかげで、おれはようやく理解する。

 今、自分の身に起きていること。これが空想や夢なんかじゃない、現実であるという事。

 そして、今ここにいるのはおれ一人だけであることを――――痛感した。


 これは、夢なんかじゃなかった。

 空が濁っているのも。人が居ないのも。

 誰もいない世界に、おれだけがいるのも。

 すべてが、現実であるようだ。



「…………現実、なのか」



 本当にここにはおれしかいないのか。

 試すように呟くと、やはり物音一つない虚空に自分の声だけが響いて、孤独というものをありありと感じた。


 ――――そうか。

 今おれは、ひとりなのか。

 

 そういう風に現状を認めたら、何かがすとんっ、と胸の奥に落ちていく感覚がした。

 すうっ、と。あれほど感じていたが嘔気が、まるで潮が引くように消えていった。

 爽快、と言えるほどではないが、不思議と気分が楽になってきた。



「…………うぬ」



 吐き気が治まったのを見計らって、折っていた体を真っ直ぐに直す。

 背筋を伸ばして前を見据え、肩掛け式の学生鞄を持ち直した。

 見える空は変わらず色が欠落していて、死んでいるかのように街は静かだ。

 その静けさが、煩わしく感じるほどに――――静かだ。


 ――――正直、おれはこの現状が怖い。


 突然、世界に見放されたかのような孤独感。知ってる場所なのに、見知らぬ姿を見せつけてくる現実への違和感。

 なんの前触れもなく自分の身に降り掛かったこの不可思議な現象に普通、恐れを抱かないわけがない。


 だが、こういう時こそなにか行動を起こさなければいけないのだ。


 このような、原因不明の事態だからこそ。何かしら行動を起こさなければ、きっとなにも変わらない。何も分からない。

 たとえその行動に意味は無くても、もしかしたらその次に繋がるかもしれないから。


 ――――などと。

 きっと前向きなおれの知り合いなら、こう言うのだろう。

 そんな事を思い浮かべたおれは、「とりあえず今後どうしようか」と思考する最中に思い出した知り合いの顔を頭の隅に置きながら。



「…………家に帰ろう」



 まずは、帰巣本能に従うことにした。

 何にせよ現在、おれは帰宅途中だ。

 寄り道せず家に帰らないといけない。それは小学校からの母の教えで、特に用事がない日は迅速に帰宅するようにと言われている。


 それに落ち着いて現状を分析するにも、安全な場所に移動した方が良いだろう。

 おれの家は幸いなことに最新の部類に入るセキュリティシステムが搭載されたマンションであるし、何よりマンションの向かいは正面は警備会社の支店がある。

 警鐘を鳴らせば二分で屈強な警備員が駆け付けれてくれる、恐らくこの町の住宅街で一番安全なマンションだろう。

 人がいれば、の話であるが。


 そう思考し、まず初めに家に帰ることにしたおれは右を見て左を見て横断歩道を渡り、生まれて初めて静かな下校というものを体験した。

 誰一人としていない街は確かに不気味だが、なんだか未知なダンジョンを探検している気分で童心が疼いた。

 そんな自分を客観的に見て、かなり呑気なものだと自分で思った。

 …………うぬ。

 呑気だな、おれ。



 何にせよ、家に帰れば何とかなるだろうと思いながら薄いグレーの日が落ちていくのを横目に帰宅した。



 その数十分後。おれは自分の考えの甘さを知ることになる。

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