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青天の彼岸花-regain the world-  作者: 文房 群
二章 防衛組織と前衛部隊
28/79

ーー3

 逆さになったトラックから荒野に出たおれが見たのは、これまでに見たことが無い夥しい数の薄灰色と白色の異形。

 数十メートル先で燃え上がる炎と、トラックなど優に超す巨大な腕と、遥か上空を飛行するサーフボード。

 そして、



「いやはや愉快! 流石は極東組織きっての前衛部隊! たった二人で吾輩を止めるか、巨腕使いと不死鳥よ!」



 腹の底から狂喜に哄笑する――――青白い肌をした人間。

 人間、だった。


 一瞬呆気にとられた。

 何で人間と人間が、戦っているのか。

 鋭撃班が戦っているのは、侵攻生物(インキュベーダー)じゃなかったのか。

 人間と人間が戦うことは、戦争と呼ぶのではないだろうか。

 刹那の内に脳内を駆け巡った疑念は、直後、青白い肌の人間がこちらを見やった瞬間に霧散した。



 金色と、視線が絡んだ。

 同時、頭蓋骨内を焼く圧倒的な嘔気に――――ぐらりと。

 脳が酔い、意識が彼方へ飛びかけた。

 なんとか踏ん張り自我を保たせれば続いて津波のように、全身の毛を総毛立たせるおぞましさが、おれの臓腑を握り潰す。


 ぶわりと脂汗が表皮に滲み出て、身体が極寒の気配に支配されたおれはこの瞬間。

 眼球の奥深くにある本能によって、否応なしに理解させられた。


 身体から恐ろしい造型をした白い狼の顎を生やし、足場もない宙に己が身一つで浮かぶその人間が。


 ヒトではなく――――化物だと。


 警告するかのような鋭痛を伴う五感で、思い知らされた。

 まさしくヒトと同じ姿の化物を、脳が認識した、その時間髪入れずに。



「……………………ぁ、っ……!」



 ずぶり、と。

 粟立った恐怖が無数の針となり、毛穴という毛穴を一斉に突き刺した。


 鼻の穴から足指の間までも飲み込んだ恐怖により針のむしろとなったおれは、身体中に刺さった恐ろしさに声を上げそうになる。

 だが、悲鳴を上げるには呼吸が上手く機能していなかった。

 息が詰まり、喉の奥がこれ以上なく渇き、口の中に酸っぱい味が広がる。

 病的なまでに身体が震え、眼球の裏にあたる脳味噌が立っていられないほどの激痛で意識を狩る。

 ――――死ぬ、と。

 痛々しく疼く本能が眼前に死があると警鐘を鳴らし、悲鳴を上げたくなるほどの頭痛をもって理性に知らせてくる。だかしかし、おれは理性も本能も肉体から隔離されているらしく、棒立ちの体は動くことが出来ない。


 突き落とされた仄暗い恐怖で肺まで溺れた。

 おれはくらくらと眩暈すら覚えながら――――命乞いをしたい。

 と、本気で、思った。

 それができたらどれだけ楽だろうか、と考えた。

 今この場で頭を地面に擦り付けて、助けてくださいと叫びたい。

 ごめんなさいと泣いて、許してくださいと請うて――――それで――――



 ――――それで、おれはあの人と向き合えなくなる。



「――――ぁ」



 どこからともなく浮かんできたその言葉は、軽い絶望感と共に白い意識の中に注がれ――――ガチンッ。と。

 錠のような重々しい金属が外れるような。

 もしくは歯車が嵌るような。

 音が、頭の中で響いた。



「う゛、ぅあ゛ぁっ…………!」



 途端、両眼が焼け爛れそうなほどの灼熱を放った。

 激痛とも違う突然の熱感に呻き声が零れて、いてもたってもいられず両手で双眼を押さえる。我が子と、案ずる声が聞こえた。

 じわりと生理的な涙によって、熱を湛える眼は冷やされようとするが、逆に熱くなるばかりだ。

 一体自分の身に何が起こっているのか。

 不安になるおれは手のひらで涙を拭いながら、眼を押さえるために伏せた顔を上げて――――ふと、胸の中で暴れていた恐怖心が大人しくなっていることに気付いた。


 息はつっかえているようで、スムーズにはいかない。

 びりびりと肌を嬲る恐怖は産毛を立たせている。

 指先は震えているし、心臓はばくばくと鼓動している。

 たが、もうおれは動けた。

 爪先を僅かに横へ、動かすことが出来た。


 嘔吐感のように胸の中心で渦巻く恐怖を押さえ込むように、おれの、生きる意味がそこでただ、おれを見ていたから。

 不思議と、あれだけおれを追い詰めていた怖さを、怖いとは思わなくなっていた。


 息を吸って、吐いて。

 震えながらも手が、自分の意思で動くことを確かめて。

 背中を押すように、近くに感じるあの人の気配に、救われていることを実感しながら、



「――――ウラディ公」



 ああやっぱり、母さんは凄いや――――と思いながら。

 震える両脚を叱咤するおれは、槍を手に佇む武人へ告ぐ。



「生き残るぞ」



 おれが生きる意味を見失わないように。

 母さんの傍にいても良い存在であるために。

 どんな恐怖にも立ち向かい――――生きて、帰ろう。

 母さんのいる、あの世界へ。


 残虐の代名詞たる領主は、口元に力強い弧を描いて応じた。




 覚悟を決めれば身体はおれの意のままに動いた。

 まず悲鳴の正体を、と。周囲に近付いてきた侵攻生物の相手をおじ様に任せ、横転したトラックの運転席の方へ向えば、砕けたフロントガラスがまず目に映った。

 最悪の事態を想定しながら運転席を覗き込めば、若い男性がぐったりと手を投げ出している様子が見える。

 ぱっと見たところ出血は見当たらない。

 だが、気を失っている事は確かだ。



「大丈夫ですか、運転手さん!」



 直ぐに内側にへこんだ運転席のドアをこじ開けて、意識のない運転手の肩を強く叩いた。

 目が開く様子はない。

 今度は耳元で名前を呼びながら、さっきより強い力でばんばんと運転席の肩を叩く。

 少しの間を置いて、「ぅ…………」と唸りながら運転手は傾げた。

 ゆっくりと目が開き、ぼんやりとした目がおれを捉える。

 やがて数秒もしないうちに瞳孔が定まり、渇いた唇が困惑とした様子で「何が…………」と呟いた。

 良かった。意識が明瞭としているあたり、脳にダメージは無いようだ。



『我が子! 早々に騎手を救出せよ! 数が多くて適わん!』

「ああ!」



 思ったより近くでおじ様が蜘蛛の形をした侵攻生物を串刺しにしている様子を見たおれは、立てますか、運転手に声をかけながら手を差し出す。

 後頭部をシートにぶつけ気を失ったらしく、頭の後ろに手やってから「すいません」とおずおず右手を伸ばす運転手は、突然目を見開いて。



「神父さんっ!」



 そう彼が叫んだ。

 同時に寒気を感じたおれが彼の目の中に映るおれ自身と、その後ろに迫った白い影を見る。

 影の正体を掴もうと首を回したおれは、不気味な程に集った無数の生き物の群れがこちら目掛け突進して来るのを視認し――――


 身体が、浮かんだ。



『我が子!?』



 予想もしていなかった事態に一瞬フリーズするおれの耳に、カサカサカサ、と耳障りなまでの羽ばたきと甲高い無数の鳴き声が入り込む。

 大量の白い生き物のはまるで手のようにおれを持ち上げ、コップを手元に引き寄せるかのようにどこからか伸びた腕が、地面から体を上空へ攫っていく。

 不意に訪れた浮遊感に驚愕し放心するおれの目に飛び込んできたのは、遠ざかる運転手の驚きの顔と横倒しになったトラック。

 そしておじ様が黒い生き物達に攫われるおれへ投擲した、十字架槍だった。


 ――――槍。

 ――――十字架槍。


 あっ、これおれ串刺しにされる。

 ――――他人事のように思ったのも束の間。

 槍は想定外なことに、おれを攫う生き物達を通り抜けていった。



「…………えっ」



 おれの脚すれすれを通り抜けた、十字架槍。

 確かにそれは質量のある物体だった。

 なにせ物質が空を切る時の、独特な風の動きをおれは感じ取ったのだから。

 だがおじ様によって投げられた槍は立体映像を通り抜けるように、おれを捕らえる白い生き物を通り抜けていった。

 おじ様の動揺が遥か遠くで見える。



「班長おおお! 赤神父攫われてるううううう!!」

「チッ。分かってる!」



 マスさんの絶叫を聞いた班長さんが、飛行するサーフボードの上からライフルで黒い生き物を狙い撃つ。

 だが生き物の表皮は硬いようで、厚い金属が別の金属物に殴られたかのような硬質な音がし、白い腕を構成する数匹が弾け飛んだだけだった。

 その弾け飛んだ生き物の姿を見て、おれは生き物の正体を知る。

 独特な羽と白い体毛。小型で耳が大きい、高音域の鳴き声を発するそれは――――蝙蝠だった。


 なぜ蝙蝠がおれを、と。白色であること以外はどう見ても普通の蝙蝠である誘拐犯の集団行動に疑問を抱くおれは、蝙蝠の腕がどこから生じているのか目で追い。

 蝙蝠達の動きが止まった今この場所が、運搬の最終地点なのだと悟る。



 目の前には、蝙蝠の腕を腰のあたりから生やした、白い肌の男性。



 その男はおじ様より少し歳上だと思われた。

 すっと通った鼻筋に、彫りの深い顔立ち。

 切れ長の双眸は刃物を思わす鋭利さで、絹糸のように艶やかな長髪は灰色の空の下でよく映えていた。

 中世の貴族を彷彿させる、質素な造りでありながら装飾は華美である衣装を着こなした男性は、一見紳士的にも見える。

 だが服から覗く死人のような青白い肌と、この世の者とは思えぬほど整われた容姿が男への近寄り難さと、周囲への壁を作っているようだった。


 何より――――冷酷ささえ感じる鋭い眼光と男の放つ気配が纏う空気を持って彼の異質さを証明していた。

 特に、男の持つ人間とは違う気配が。


 居るだけで冷蔵庫の中に放り込まれたかのような全身を凍てつかせる悪寒と、針のような恐怖心を覚えさせられる、ヒト。

 ――――正確にはヒトのカタチをした化物だと形容するのが相応しいだろうその男は、静まっていた恐怖が喉元までこみ上げてきているおれを眺めながら、整われた唇を開く。



「――――して」



 その声は、ヒトと言うにはあまりにも妖美な低さと、官能的な響きで鼓膜を刺激した。

 脳が侵されそうな感覚にぞわり、と。未知への恐怖と、目の前の存在が人間ではないことの確信から背骨を震わせるおれは、息を呑む。


 その造型も、理性的な眼差しも、言葉の流暢さも、何一つとて人間と違わないでいながら。

 人間離れした美しさと、異形の腕と、異常な能力を持つその生物は。

 ヒトと同じく、明確な好奇心という感情をもって――――妖しく金色の双眸を輝かせた。



「貴様が、吾が敬愛する『串刺(カズィクル・ベイ)し公』であるか――――」



 ――――その化物は、羨望と憧憬を込めておれを見ていた。





「…………いえ、人違いですけど」



 そしておれは、ぼそりと唱えた。


 なんだか熱い感情を向けれているところ悪いですけど、と。

 場の空気が固まった気がしたが、間違いは訂正しなければならないとおれは思った。

 

 今、この正体の分からないヒト型の化物さんの持つ蝙蝠の腕により、地上から約三十メートルの地点で捕らえられているこの状況。

 ここで「人違いです」なんて発言をするなんて場違いにも程があると思われているかもしれない。

 たが、察してほしい。

 一心におれをおじ様――――串刺し公として見てくるヒト型の化物さんに、いたたまれなさと本人ではない罪悪感に苛まれるおれの気持ちを。

 良心の呵責から思わずこう言ってしまったことは仕方がないことだと、どうか理解して欲しい。

 特に「呑気に何言ってんだテメー」とばかりにおれを睨んでくる班長さん。

 こんな状況で立場分かってんのか? と考えているのだろう班長さんは、特に。



「……………………」

「………………………………えっと…………」



 キィキィ、と耳鳴りを引き起こしかねない鳴き声を発する無数の蝙蝠。

 見た目に反し強固な体表を持つ蝙蝠で構成された腕によって体を拘束されているおれは、黙り込んだヒト型化物さんに気まずさと恐怖を覚えながら、おそるおそる声をかける。


 いや、うむ…………その…………。

 こう…………緊迫した空気を壊すようで申し訳ないが。



「……あの…………多分貴方のいう『串刺し公』は、侵攻生物を片っ端から串刺しにしながらこちらに向かってくる、あのおじ様だと思うのですが…………?」



 蝙蝠の声に掻き消されないようにと声を張って、己の胸の中で沸き立っている恐怖を打ち消すように勇気を振り絞り誤解を指摘すると、地上の方でザッシュザッシュッと侵攻生物を串刺しにするおじ様の咆哮が聞こえた。

 『我が子ォォォオオオオオオオオ!!!』と轟く叫び。

 静寂の漂うヒト型化物さんとおれの間を、荒げられた低音が通り過ぎていく。



「……………………」

「……………………」



 おれの指摘を受けたヒト型化物は何も語らない。

 じっと金色の眼でおれを見つめてくるだけのこの生物は、腹の底で一体何を考えているのか。

 腕を胴体ごと一緒くたに拘束され、手も足も出ない状態で目の前の生物に拉致されたおれは、声を出すことすら憚られる沈黙の空間で――――軽い現実逃避からか。


 どうやって地上に帰してもらおうかな――――と。


 抱いていた恐怖が一周回って、逆に心が静まり、自分でも思うほど呑気に目の前のヒト型化物さんとのコミュニケーションの取り方について黙考していた。



「《不死鳥(フェニクス・ウィング)の羽撃き》!」



 ――――そんな風に。

 のんびりと構えているものの内心ではとにかく早く開放して欲しいとおれが願う中で、現実逃避から眼前の現実へとおれの意識を呼び戻したのは、覇気のこもった水着さんの掛け声だった。

 それと――――横から襲来する、羽根の形をした攻撃的な炎の矢。 

 


 正直な話をするならこの時、おれはおじ様がおれへ槍を投げた時よりも、命の危機というものを感じていた。



 炎の羽根は一つではなく、複数存在し、おれが目測する限り半径約十メートル範囲に展開されているようだった。

 それから横と表現したものの、実際矢を放った水着さんのいる位置は、おれとヒト型化物さんより高度が高い。

 よって状況としては真横からではなく斜め上――――即ち横殴りの雨と同じ形式で、空から降り注ぐ赤い矢に「ナガちゃん赤神父! 赤神父いるからああああ!!」というマスさんの悲鳴が木霊するが、どうやら「忘れてた」という表情を浮かべる彼女は一度放ってしまった魔法の炎を操作することはできないようだ。

 一切の手加減もなく放たれた矢に、危機感を感じる、忘れられていたおれ。

 しかし、冷や汗を背中に滲ませるおれとは反対に揺らぐ様子のないヒト型化物さんは、ここで。



「――――フフッ」



 唐突に破顔し、笑い始めた。

 何なのだと思いながら見遣ると、ヒト型化物さんは堪え切れないという様子で肩を震わし、炎に覆われた天を仰いだかと思えば――――呵呵大笑。


 端正な顔で大きく口を開き、牙にも見える犬歯を剥き出しにしたヒト型の彼は、炎が迫っているという危機的状況下の中で、腹の底から笑った。

 炎など眼中にないと言うように――――嬉々として。



「フハハハハハハハハッ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ――――――ッ!!」



 上体を反らし高笑うヒト型化物に、炎の矢が降りかかろうとする。

 ついでに巻き添えとしておれの身にも羽の形をした矢が降りかかろうとした。

 そう、捕まっただけのおれ諸共。

 おれはどう考えても、大笑するヒト型化物さんの巻き添えだ。


 どうするか、と。両腕を塞がれている上に身動き一つすら取れない現状で、炎の防ぎ方について思考回路をフル回転させるおれは、まだ遠い位置にいるおじ様に石でも投げて幾つか矢を防ぐか、と案を練る。

 考えついた案を口にするより早く矢がおれに刺さりそうだと予感しながら。

 だけど一番ダメージが少ないのはこれしかない、と決断し、おじ様に意思を届かせようと声を上げるため息を吸った――――その時。



「ぬ、ぅっ…………!?」



 ヒト型化物の腰部から溢れ出した大量の蝙蝠が、幕が掛かるように迫る炎の前に立ちはだかった。

 ザバァァッ――――と、壁のように。


 おれを捕らえる腕と同様の蝙蝠で出来たその幕は広範囲に渡り展開され、ヒト型化物さんから数メートル離れた位置で拘束されているおれの方にまで白い幕が頭上を覆い尽くす。

 一秒も経たないうちに構成、展開された白色の天幕。

 それはまるで傘の如く、弾丸のような凄まじい音を立て落ちてくる赤く熱い矢の雨を防いでいった。


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