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青天の彼岸花-regain the world-  作者: 文房 群
一章 灰色の空と橙の炯眼
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閑話 おじ様と寝よう!


 公園から宿に帰り二度目の風呂から上がると、武装を解いたおじ様がリビングでスタンバイしていた。



『さあ寝ようではないか我が子よ!』

「…………おぅ…………」



 橙色の瞳をキラキラと輝かせるおじ様に、おれは『構って? 構って構ってねえ構って!』と千切れんばかりに尻尾をするゴールデンレトリバーの姿を髣髴する。

 どう考えても完全なる一致だった。

 見た目三十路こしたイケメンのおじ様に愛嬌があるなんて感じるところから、おれはかなり疲労しているらしい。

 もはやツッコむまいと、早々に床に就くことにした。

 もう寝よう、おれ。



 ハグをしたい。父と呼んで欲しい。

 何かとスキンシップが多いように感じる彼が宿に戻ったおれに言った次の要望は、『おれを寝かしつける』ことだった。

 おれも思春期真っ盛りの十五歳。

 そろそろ親から精神的にも自立していく頃なのに、そんな時期におじ様はまるで幼児に対して行うようなことをおれに要求してきた。

 何故その発想に至った、と高揚を隠して切れていないおじ様におれが遠い目をしていると、おじ様は頬を緩ませて。



『赤子の時からずっと、お前は一人で寝ていたであろう? 我はそんなお前の手をあやしたいと思っていたのたが、亡霊故に声すらも届かず…………こうして触れられ、言葉を交わせる様になるとは、夢のようであるな』



 しんみりと、本来ならば起きることのなかっただろう奇跡を噛み締めるおじ様の要望を、おれが叶えないわけがなかった。

 そんな風に言われたら、何が何でも叶えたくなってしまうではないか。

 ハリウッド出演してそうなおじ様の哀愁漂う表情なんて、誰が得をするのだ。



 ――――そういうわけで、おれはおじ様と一緒に寝ることになった。



 学ランに続きジャージまで血塗れになったため、少し泣きそうになりながらシミ抜きをし洗濯機に投入したおれは、運良く寝室のクローゼットで見つけたスウェットを着て寝室に向かう。

 わくわく、といった調子でおれの後ろを着いてきたおじ様は、寝室にあったセミシングルサイズのベッドを見て『貧相な宿だ』と零した。

 そりゃあ昔領地を収めていた偉い人からすればセミシングルサイズのベッドなんて庶民の物だろうな、と。

 本日の宿泊代について計算しながら入室したおれの目の前で、軽くベッドを整えたおじ様は優雅な振る舞いで寝床に腰掛けると、意気揚々と両腕を広げた。

 首を傾げるおれに、おじ様は白熱灯より明るい笑顔を浮かべ言った。



『さて、我の元に来るが良いぞ!』



 ここでまさかのハグである。

 どこまでもスキンシップが好きなおじ様に、一瞬悩んだおれはこのままグダグダと引き伸ばしても意味は無いと、意を決して両腕を広げるおじ様の目の前に立ち腕を伸ばす。

 控え目に伸ばした腕が脇の下を経由し、おじ様の背中に触れる。

 広い背中だ、と思った瞬間。

 おれの体はがばりっ、とおじ様に抱きとめられた。



「ごふっ――――」

『我が子ぉ!』



 分厚い胸板と太い腕に挟まれて、肺から空気が押し出される。

 固く熱い抱擁を喰らうことになったおれは、なされるがままおじ様にハグされる。


 ぎゅーっ、とおれの背中に腕を回して後頭部をわさわさ撫でるおじ様によって、頭をおじ様の肩に押し付けられる形になったおれは、全身から伝わるおじ様の低体温に彼が亡霊であることを改めて知らされた。

 おれの体温が伝わってやっと温かくなっていく鍛えられた体に、ああおじ様は生きている人じゃないんだな、と思う。


 あと、押し付けられた逞しい肩口からなんかいい匂いがするなと思った。

 男物の香水か。ミントに似たスッとした香りがする。

 不快にならない、わりと好きな匂いだ。



『我が子よ、よくぞ今日まで決して折れずに自己研鑽をしてきた! 今日は我が思う存分に褒めてやろう! 心ゆくまで串刺し公に甘えるが良いぞ!』



 ぐりぐりとおれの肩に額を押し付けるおじ様のテンションはハイなようで、なんとおれを抱えて立ち上がりぐるぐるとその場で回り始めた。

 アルプス辺りの広大な草原の中心でくるくると回るゴールデンレトリバーの姿を思い浮かべたおれは、軽く目を回しながら振り落とされないようにおじ様にしがみつく。

 甘えるが良いとかおじ様は言っていたが、どちらかと言うとおれじゃなくておじ様の方がおれに甘えている気がしてならないのはおれの気のせいか。


 しばらくして回転を止めたおじ様はおれの脇の下に手を入れて、ひょいっと軽々しく持ち上げた。

 赤ん坊を抱き上げているような感覚で。

 ハグといい寝かしつけるといい、もしかしたらおじ様はおれをティーンズだとは思っていないんじゃないか――――という疑惑を、このおじ様の行動で抱き始めたおれは、ちょっと回っている視界を下にずらしておじ様の顔を見る。

 おじ様はまじまじとおれの頭の頂点からつま先までを眺めて『うむ…………』と唸った。

 今度は何だ。

 


『しかしこうして抱き締め気付いたが、お前は随分と小柄で華奢よの。やはり日頃から食事量が少ないのではないか?』

「…………おじ様が大きすぎるだけじゃないのか?」



 小柄。

 そして華奢。

 実は密かに気にしていた自分自身の体格についてのコンプレックスを的確に指摘されたおれは、内心ダメージを受けながらぼそりと反論する。

 一応言っておくが、おれは毎日毎朝牛乳は欠かさないし、食事と睡眠もしっかり摂っている。

 毎朝起きたら適度に運動もして、昼間ちゃんと起きて夜はぐっすり眠るように心がけ、健全な体づくりには気を使っているのだ。


 ただ、高校生になってようやく身長が百六十センチに到達したってだけであって。

 やっと最近約九十キログラムの大人なら抱えて走れるようになっただけであって。

 努力はしているのだ。身長を伸ばす。

 ただおれの体が今は少し反抗期なだけで、背を伸ばす努力はしているのだ。

 背が高ければ母さんの手の届かない場所にあるものを取ることが出来るし、体を鍛えれば母さんを護るれると思い試行錯誤している途中なのだ。現在。


 そういう風にしてやっとのことで百六十センチの身長を手に入れたおれに反して、今も軽々おれを抱き上げるおじ様の体格はかなり良い。

 百八十は超すだろう長身にガッシリとした体躯。

 胸筋もそうだが特に上腕が筋肉により隆起していて太く固いおじ様は、武人として均一の取れた筋肉質な身体なのである。

 ボディービルダーまではいかないが、それなりに肉のある体。

 上物のシャツの上からでも見て取れる体付きに、初めて鎧を脱いだおじ様を見たおれは目を見張ったものだ。

 カッコいい体だ、と。


 中身は完全に大型犬であるが。



『いや、お前は華奢過ぎる。少し力を入れれば容易く折れてしまいそうで我は怖い。これからは上質な肉を摂り、串刺しの鍛錬もすると良いだろう』



 串刺しの鍛錬って何だ、と。

 ツッコミたくなるような発言をしたおじ様は片腕でおれを抱え直し、空いた手でベッドのシーツを捲った。

 思わぬところで力強さをアピールしたおじ様はそうしておれをベッドに横たわらせ、先程捲ったシーツを被りながら俺の隣へ潜り込んでくる。


 ……………………ぬん?

 なんで隣におじ様が?



『では、そろそろ寝ようぞ』



 ――――ぬぬぬぬぬぬぬ?

 あれ、ちょっと、何故普通の顔しておじ様は俺の隣に横たわったんだ。

 寝かしつけるって、添い寝って意味だったのか?

 そういう意味でおじ様はおれを寝かしつけると言っていたのか?


 さり気なくおれの頭の下に腕を置いているおじ様に、戸惑いを隠せないおれは目をまばたかせる。

 セミシングルサイズベッドに、おじ様とおれ。

 何だこの状況、と頭の片隅で冷静に思うおれだが、一方で、ぽんぽんとリズミカルに背中を軽く叩かれるおれは懐かしい安心感を感じ、まぶたが重くなる。

 全身に広がっていた疲労感に思考を埋められて、低いおじ様の体温にじわりと染み込むような温かさを見つけた。


 …………思ったより、おじ様、寝かしつけるの上手くないか?


 それともおれの気が緩んだせいか。

 自然と眠りの世界に、おれの意識は引っ張られていく。



『よしよし…………今は安らかに眠るがよい、我が子よ』



 さらりと前髪を掻き分けられて、額に柔らかい感触と、ちゅっという音を聞く。

 薄く目を開いた先に映っている間近に迫ったおじ様の浮いた喉仏から、おれは彼に何をされたのか悟った。


 ――――本当に。

 どうしておじ様は、こんなおれに、そんな優しい目を向けるのだろうか。



『良き眠りを――――おやすみ』



 その言葉を最後におれのまぶたは落ち、温かな闇が目の前に広がった。

 完全に意識が途切れる直前、じんとした熱を胸に感じながらおれは思う。


 ――――おやすみ、なんて。

 最後に言われたのは、いつだったっけ。









『「こんなおれ」、か…………』



 指先でそうっと。素顔を隠すために伸ばされた我が子の前髪を分ける串刺し公は、明るみに出た幼い寝顔に目を細める。

 生者である証明である体温を確認するように柔い頬を手で包み、穏やかな寝息に耳を傾けながら、彼は己の存在が確立して間もない頃の記憶を思い出す。



『…………お前は、あの時に壊れてしまったのだな』



 腕も脚も頬も、首も。簡単に折れてしまいそうなほどに細く儚い。

 幼い頃はこれよりもっと脆かった。

 だが、誰かに護られているべき時期に受けた数々の所業は、目に見えるところも見えぬところも容赦なく傷付け――――壊した。


 今はなんとか形を保っているが、刻まれた傷は深く、未だにこの子は壊れたままだ。

 人の善悪にすら、興味を示さない程に。


 残虐で知られた領主を何の抵抗もなく受け入れた我が子の純粋さと、紙一重に存在する無防備さに危機感を覚えてやまない串刺し公は、その手に確かな温もりを感じながら思う。

 せめて、眠りの世界では安らかに――――と。

 そして、



『もし、お前の幸福を妨げるものが在るならば――――我はその全てを、串刺しにしてくれようぞ』



 愛情と狂気に橙色の瞳を燃やす残虐なる串刺し公は静かにそう誓い、目を閉じた。

 決して離さぬようにと、護りたいものを抱き締めて。


 夜は、更ける。




『…………ところで、奴等は何処で道草を食っておるのだ』



  呟きと共に。

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