魔王の定めた義務
魔王の国に住むもの達は皆、裁きによって送られてきた人々である。
すでに刑期を終え、それでも帰りたくない、帰ったら此処に来るために大犯罪を起こしてやる、と彰子に直談判して残った者達も居るには居たが、その数はまだ少ない。
多くが六法により裁かれた罪人である為、個の生活が尊重される家が与えられ、食事も提供されるという厚待遇を受けている一方で、その生活や行動には管理され決められた行動を取ることを幾つか義務付けられていた。
その一つが、朝の体操だった。
誰も彼もが、病気などの理由や特別な許しが無い限り、朝日が昇ったばかりの早朝に、魔王が手本を見せた体操を何処からともなく聞こえてくる不思議な音楽に合わせて行うことが義務付けられていた。雨や雪など、天候が悪い日以外は必ず家の外に出て、天候の悪い時には家の中で、必ず行わなければならない義務、六法達やその他の式神によってしっかりと監視されている。サボったり、寝坊したり、と体操を行わなかった場合、後から音楽無しに一人で行う、という何とも恥ずかしい思いを味わうことになる。その為、初めの頃には度々現れたそういった手合いも、最近では現れなくなった。
朝に強い商人や農民などだけでなく、闇に生きていた人相の悪い者達まで、早朝の爽やかな朝日の下で、健康的に体操を毎日欠かさず行っていた。
渋々、嫌々、悪態をつきながら行っていた体操も一月、二月と毎日行っていると、自然に決められた時間に目が覚め、音楽を聞くだけで体が勝手に動き出す効果を発揮した。
三月もすれば、体操をしないと逆に体の調子が崩れるという現象に気付き、何ともいえない表情を浮かべるようになるのだった。
また、労働も義務の内に入っている。
畑、牧場、鉱山で働く者。砂漠の女性像などを始めとする建造物を造り上げる者。
此処に送られてくる前から手に職を持っていた場合は、それを活かせる職に配属される。魔王の国にその職がまだ無いという状況ならば、彰子達の判断によって、有ってもいい、支障はないとされれば、その職が設置され配属されることも可能だった。
流石に、暗殺者などの闇に属するような職は魔王の国には必要無いので許される訳がなく、そういった人々は自然と畑や牧場などの健全過ぎる程健全な職に配属された。
そんな彼らが、俺らって…と遠い目をしだすのに時間はかからない。
過去と現在を繰り返し頭に過らせ、比較するのだ。そして、長い刑期を終えた後に元居た場所に戻っても、前のように働くことはもう出来ないだろうな、と哀愁を漂わし始める。その頃には、畑を耕して作物を収穫する手は手慣れた農夫のものになっていた。
だが、そういった殺伐とした世界に生きてきた者達が牧場へと配属された場合、ある問題が時折、いや頻繁にある問題が見られた。
「やだ~。ミーちゃんを食べるなんて、殺すなんて、そんなの俺には無理だぁ~‼」
「馬鹿いうな。そいつはもう十分に育って、出荷基準に当てはまってるだろ。」
その牧場では、牛乳の為に乳牛、山羊などを、食肉の為の牛、豚、鶏などを育てている。
国内では、他にも魔獣を食料とする為に養殖している牧場、人々の足となる馬や騎獣と成り得る魔獣を育てる牧場など、用途に合わせた牧場が数ヶ所存在しているが、その叫び声が聞こえてきたのは、魔術の才が無くとも勤める事の出来、最も規模の大きな牧場からだった。
人間の大人よりも大きく育った豚に張り付き、本気で涙を流して嫌がっているのは、無個性な顔にしなやかに細い体の青年だった。
此処に送られてきて一年。
この牧場の、豚の担当に配属されてから初めての、自分が育てた豚の出荷作業をしていた最中の乱心だった。
「なぁ、俺の目が確かなら、あいつって『真紅の閃光』だよな。凄腕って有名な暗殺者。」
「あぁ。仕事中に『刑法』様に見つかって、裁きを受けたんだってよ。」
何百、何千という血に手を染めてきた暗殺者が、豚一匹を屠殺することを本気で嫌がり、嘆き悲しんでいる。
それは、彼の仕事の数々をしる人間にとっては、奇異過ぎる光景だった。
「まぁ、俺も此処に配属されたばっかの頃は、出荷の度に心が痛んだからな。あいつの事は笑えねぇが。」
「あっ。旦那も?実は俺もなんだよね」
闇の世界という殺伐とした、自分の身は自分で守れという世界で生まれ育った人間。何かの命を育てたことがなく、命の輝きに触れる機会も無かった。その為に、牧場という場所で命を育てることで凍りついていた心の琴線が揺れ動くのだろう、と彰子は推測していた。
「まぁ、これじゃあ仕事になんないからな。手伝うか。」
「そうっすね。今までで一番長かったのは、17日だったけかな?」
「あぁ、あの時は大変だった。あいつ元気にしてんのかな。生き物はもういいって、鉱山の方に配置換えしてもらったんだったよな。」
乳牛班リーダーと鶏班リーダーが、元は裏社会に名を馳せていた若頭という男の姿を思い浮かべ、あの時の騒ぎは今日以上だったと苦笑を浮かべた。
自分が育てあげた牛を連れて、奴は愛の逃避行を仕出かそうとまでしたのだ。あの出来事は最早、この牧場のみならず伝説と化していた。