魔王の発明(笑)
ぶち ずぼっ ぶち ざくっ
畑で作業する人々の中に草むしりに精を出す『魔王』の姿。それは、最早当たり前のように人々に受け入れられ、時には「こっちも頼むよ、魔王様。」と気安げな声を掛けられる事もあった。
「おい、こら、魔王。計画まで後少しだろ。こんな所でんな事をしてていいのかよ。」
指揮を取らなくていいのかよ。
農業部門長を任されている男が、抜かれた雑草が篭の上に山を築くまで草むしりに熱中している、年若い少女を見下ろす。
麦わら帽子の縁から布が垂れ下がり、首もとをギラギラと厳しい日差しから守っている。腕にはアームカバー、手には作業用にと配給される軍手という手袋が嵌められている。足元は、ズボンをしっかりと中に入れて長靴を履いている。
この他にも鎌や鍬などの配給してもらう装備の数々は、彰子が作業用に必要だと早い段階で鍛冶師や靴職人、服飾職人を集めて提案して作らせたものだった。
彰子が作業の度に身につけている装備は、日焼けを抑えることが出来る、と白くきめ細かい肌の持ち主たる彰子が言葉にしたことで、男達は「何だ、それ。」と半笑いで受け流したが、女達はこぞって帽子やアームカバーに手を伸ばしたのだった。
全ての部門の作業に喜んで受け入れられたのは、長靴だった。
これは、暗黒大陸の大部分を占めていた大森林の中から、彰子が見つけ出した、ゴムの木と同じ性質を持っていた植物を使って作られたものだった。あらゆる場所から送り込まれてきた全員が、素材自体を初めて見たと口にしていたのだから、これは彰子の発明であると、この世界では認定されるだろう。
このゴムは、長靴の他にも多くの場所で活用されている。
日焼け対策が男達に受け入れられることは無かったが、長靴は全員から絶賛の声をもって受け入れられた。
水を使う作業の際でも、足下を濡らす心配など必要としない動きが出来たし、これまで彼等が使っていた革製のものや、木靴、布靴に比べると履きやすく、使い勝手も良かった。
「そうね。でも、今はもう計画の段階ではなく実行の段階。その計画の為に、動員される人達に教育を施している段階だから、私はもう別に必要じゃないわ。」
刑期の終わりも近い、此処に来る罪はあっても後ろ暗過ぎる過去などはない者達にだけ、通達された魔王発案という計画があった。他言にはするな、とも記されていたそれを、他に洩らすようなものは居なかった。その為、それがどんな計画などを知り得た者は選ばれた者達、そして通達を運んできた部門の纏め役達以外には居なかった。だが、その通達の内容への参加を決めた者達は皆、各部門の担当場所から数日前から姿を消している。城下町の中心に建つ魔王の城へ召集されて行ったのだが、この数日、夜になっても自宅に帰った形跡の無い様子に、どんな計画なのだろうと知らない者達の興味を引いていた。
きっと、この魔王の事だ。
誰もが想像だにしない事をやろうとしているのだろう。
早く知りたい。そう、心を踊らせていた。
これが、この地以外での出来事ならば、彼らはそんな風には思わないだろう。
もう二度と帰ってきはしないだろう、と憐れみや嘲けりを一瞬だけ浮かべ、連れ去られた者達が残していった持ち物を漁り、金目の物や欲しいと思った通り物を手に入れようとするだけだろう。
だけど、この地ではそんなことはない、と彼らは信用している。此処での短くはない時間が、そんな信用、信頼を揺らぐ事もなく抱かせているのだ。
そして、収集されている者達が、魔王の計画に参加したことで得る利益、恩恵のおこぼれを少しでも受けれれば、そうでなくとも帰ってきた時に話を聞かせて貰えるように、と自主的な動きを見せた。
自宅に帰ってもこない彼らの労働場所。割り当てられた畑の水遣りなどや、担当の動物達の世話を買って出る者が居た。数は少ないが鉱山に配属されていた者の為に、自分が掘り当てた物を少しだけでも、と不在の彼らの取り分としておいてくれと申し出る者も居た。
彼らの不在を補う存在は用意されていた。バイト代を貰って派遣されたヒロに、お小遣い目当てに立候補した児童擁護院の子供達。
そんな子供達は、自主的に手伝いをする大人達に混ざって、和気藹々と教えを受けながら作業することになった。
「本当、変な奴だな。王ってやつは普通、踏ん反りかえってるもんだろ。こんな畑で汚れるようなことは絶対にしねぇよ。」
自分が食ってるもんがどう育ってるのかも知らねぇんじゃないのか、と男はある人物に目を向けた。
青々と茂った葉の間から莢を千切り取り、片腕に抱えた籠の中へと嬉しそうな笑顔で入れていっている老人。その老人は、息子に玉座を譲り引退生活を満喫していた、ある国の王だった。何の罪でこの地に送り込まれてきたかは誰も知らない。だが、その老人が王であったことは皆が知っていた。
畑に配属されて、いの一番に老人が口にした言葉が、「これは何なのだ。」だった。その時、老人が目に入れていた作物は、貧しい国の小さな町の商店でも手に入るような、見ただけで誰でも名前を口にすることが出来る、極普通の野菜だった。
「ほう、これがそうなのか。料理される前のものを見たのは初めてだ。」
それは、『愛の逃避行事件』と同じだけの衝撃を全員にもたらし、伝説と化して語り継がれている。
王という存在は、極普通の庶民や闇に生きる者達にとって身近な存在ではない。彼らの王に対するイメージは現在、その一件による大きな影響を受けている。
「あら、あれは特異な例よ。特異な例でなければならないわ。」
彰子も勿論、それを知っている。
知っているからこそ、この世界の王族という者達が全員そうだなんて思いたくない、と溜息をついた。
「食とは、人の生活に置いて最も重要視するべきことよ?それを軽視して、自分達の生活を根本で支えている食材について無知な施政者なんて、馬鹿げている。そう思うでしょ?」
長年に渡って放置され、雑草が生い茂り、土も硬く乾燥している土地。そこに、定職もなく遊び惚けている若者を配して、次の年には収穫を得れるようにすればいい。そう発言した施政者を知っている、と彰子は肩を竦める。海水に浸った畑からも、次の年には収穫を得られるだろう、と言った施政者も居たな、と苦笑を見せる。
施政者がそれでは駄目過ぎる。
そう言って、『魔王』彰子は自分が畑や牧場で作業に参加する意味を、人々に説いたのだ。
その背後で、「良い考えですが、御自身のお仕事が無い時間を利用して行ってください。」と仁王立ちしている『商法さん』の姿さえなければ、それはとても人々の心を打ち、感動させていただろう。
現実でのゴムの登場、1852年と意外に早くてビックリしました。