講習会三日目~中庭
「……」
「すごい! すごいよ、玉木くん! みなみのイメージぴったり!」
藤沢くんの興奮した声が高く響く。玉木くんが自慢げに頷く。
「でしょでしょ~? ナチュラルだけど、カメラ映えするようにしたわよ~」
鏡に映る自分の顔が、違う……。
まん丸の茶色っぽい眼鏡。少しアイライン引いて、頬にチーク入れて、ぽってりめにリップ塗ったら……。
なんだか、いつもより瞳が大きく見える……?
「じゃあスタンバイして~」
藤沢くんに指示された場所に動く。中庭を横切る渡り廊下の端付近に立った。
「はーい、じゃあ、みなみちゃんが渡り廊下でプリントを飛ばしておいかけて行くシーンからね!」
うう……ちょっと手先が震えてる……。
「はい、用意……アクション!」
ガチンコの音が響く。
私は渡り廊下をプリントの束をかかえて、ゆっくりと歩き出した。途中で、横から風が(三人で、うちわ扇いでる)吹いて、プリントが空に舞った。
「あっ……」
ひらひらと舞うプリントを追いかけて、中庭に出た私は、前をちゃんと見ていなかった。
「きゃ……!」
何か、にどすんとあたった。プリントの束が手から滑り落ち、芝生の上に散らばった。
「痛てーな、なにすんだよ」
顔をあげると、不機嫌そうな山城くんの顔が覗きこんでいた。シャツの第二ボタンまでを開けて、ネクタイを緩めてて……うわ、不良っぽい。
「あっ、ごごめんなさ……」
自然に口調がどもってしまった。山城くん、すごい迫力……。
じろじろと山城くんが私の顔を見る。思わず、隠れたくなるんだけど……っ!
「お前、結構可愛い顔、してんじゃねーか。眼鏡でわからなかったけどな」
うわ、なりきってる。っていうか、もっと悪人になってる!?
急に手首を掴まれて、よろめいた。そのまま、中庭の陰まで、強引に連れて行かれる。
「きゃっ……」
壁に身体を押しつけられた。壁ドン。山城くんが両手を私の頭の両脇につける。
上から含み笑いしながら、見下ろされる。ちょ、ちょっと……。
(めちゃくちゃ、顔近いんだけどっ!?)
間近で山城くんの顔を見たのは初めて……と思ってたら、山城くんの目が光った、気がした。
「……いーよな、これくらい」
ぼそっと、私にだけ聞こえるように、山城くんが言った。
(いーよな、って!?)
目を丸くした私のあごを、大きな手が掴んで、無理やり上向かせた。
「ちょ、ちょっと……!!」
顔がゆっくりと近づいてくる。身体が動かせない。
(こ、こんな展開だったっ!?)
「や……っ!!」
かすれたような声しか出なかった。思わず顔を背けて、目をつむった。
――次の瞬間。
「うわ……っ!!」
山城くんの叫び声。どすん、と何かが落ちる音。身体が一瞬で自由になった。そっと目を開けると……。
私の目の前に立っている、背の高い後ろ姿。その影の前で、山城くんが、左頬をぬぐいながら、尻もちをついていた。
「……失せろ」
な、な、なにっ……!! この絶対零度みたいな冷たさは……っ!!
山城くんの顔も引きつってる。すごい迫力……私からは顔は見えないのに、ものすごく怒ってるのが、わかる。握った手が、かたかたと小さく震える。
……やだ。すごく怖い……。
さっき、山城くんに迫られた時よりも、もっと怖い……っ!!
「ちっ……!!」
山城くんは、よろけながら立ち上がり、グラウンドの方向へと立ち去った。
膝が、がくがくして、立っていられない。ずるずるとそのまま座り込む。ほーっ、と思わず、溜息が洩れた。
「……大丈夫か?」
顔を上げると、”黒沢くん”が目の前に片膝ついて、しゃがみ込んでいた。
「う、うん……」
大きな手が差し出される。その手に右手を重ねる。そのまま、ぐいっと引っ張られて、一緒に立ち上がった。
「あ、ありがとう……」
お礼を小声で言う。手、まだ握られたままだった。頬がかっと熱くなった。ふっと、”黒沢くん”の口元が緩んだ。
――心臓が、変な動きをした。
「……藤堂みなみ、さんだよね?」
「え……」
じっと見つめられる。眼鏡越しなのに、し、視線が外せない。ますます顔赤くなっていくのが、自分でもわかる。
やがて、”黒沢くん”は手を離し、ぼーっと突っ立っている私の代わりに、散らばったプリントを拾い集めてくれた。
はい、とプリントの束を渡された時も、まだ私は何も言えなかった。
「じゃあ……気を付けて」
”黒沢くん”は、優しい瞳で笑いかけた後、渡り廊下の方へ歩いて行った。
その後ろ姿を、じっと……姿が見えなくなるまで、私はじっと、見つめていた……。
「はい、カーット!!」
藤沢くんの声が響いた。その途端、周囲にざわめきが戻る。
「あ……」
なんだったの、今の……なんか、魂が抜けてたような……? 私はまだ、呆然としたままだった。
「すごいよすごいよ、三人とも!! めちゃくちゃいいシーン撮れたよっ!!」
藤沢くんが興奮気味に叫んで、拍手していた。こちらに戻ってきた日向くんをちらりと見ると……”黒沢くん”はいなくなっていた。
「おい、日向!」
山城くんの声も近づいてきた。日向くんの目の前に立った山城くんは、自分の頬を指差した。
「お前、さっき、思いっきり殴っただろ!」
あ、本当だ……左頬、赤くなってる。あれは後で腫れる……かも……。
日向くんは、冷静な瞳で山城くんを見た。さっきまでの、怖い空気は綺麗に消えていた。
「スマン。つい」
「なんだよ、その棒読みなセリフはっ!!」
山城くんの怒りの声。うん、確かに。誠意がこれっぽっちも感じられない口調だった。いてえ、と山城くんが眉を顰めて頬を押さえる。
(……あ、そうだ)
「山城くん、ちょっと待ってて」
私は椅子の鞄のところに走って行った。鞄の中にある、いつものポーチを取り出して、中を確認する。
「……あ、あったあった」
まだ残っててよかった。白い湿布薬を小さなはさみで切り、またポーチを鞄にしまって、山城くんの元に戻った。
「はい」
ちょっと背伸びして、山城くんの左頬に湿布をぺたんと貼る。
「これで痛み、ましになると思うけど」
山城くんは、びっくりしたみたいな顔をして……それから、小さな声で呟いた。
「……さんきゅ」
……山城くんがちょっと照れ笑いをしながら言った。
「意外だな、お前って、いつも救急セット、持ち歩いてるのかよ?」
「え、うん……結構よく怪我とかするか、ら……」
「は?」
……し、しまった!! 完全文科系人間のさーちゃんは、怪我なんかしないじゃないっ!! 私は必死に言葉を継いだ。
「……お、おねーちゃんが」
ぎ、ぎりぎりなんとか、言えたわっ!!
「おねーちゃん? お前姉貴いるのかよ」
「う、うん。おねーちゃんはスポーツやってるから、しょっ中、怪我して帰ってくるの。それで手当するようになって」
へー、と山城くんが言った時、日向くんの声が聞こえた。
「……山城、今日のギャラ」
日向くんがぽいっと何かを投げ、山城くんが、片手で受け取る。冷凍スポーツ飲料だった。
「お、冷てえな。こいつで冷やしとくか」
湿布の上から頬にペットボトルをあてた山城くんに、藤沢くんが歩み寄って来た。表情がキラキラ輝いてるわね、藤沢くん……。
「山城くん、ご苦労様~。本当に良かったよ!」
「藤沢、ちゃんと編集しろよ」
「もちろん! カッコいい悪役にするからね!」
なんだそれ、と山城くんが笑い……また、いてぇと顔を顰めた。藤沢くんが私の方を向き、にっこりと笑って言った。
「みなみちゃんはどうだった? さっきの二人」
「え……」
そ、そんな急に感想求められても。おまけに……
(うわー……)
日向くんと山城くんの二人が、じーっとこっち見てる……。
「あ、あの、すごかったよ。山城くんも怖かったけど、日向くんはもっと怖かったし……」
「「……」」
……どうして、二人とも黙ってるの!? 私、何か変な事言った!?
山城くんがぶはっと、いきなり吹きだし……身をよじって大笑いし始めた。
「お、お前……鈍すぎ……っ……」
「はあ!?」
何なのよ、鈍いって!?
「笑うと痛てえのに、笑かすなよー」
左頬を押さえながら、高笑いする山城くん。そこ、笑うところなの!? どうなの!?
――ゾクリ
全身に感じる……冷気。と、鳥肌が立ったっ……! 冷気の源を見ると……。
「日向……くん?」
ちょ、ちょっと、さっきの絶対零度を超える冷たさなんだけど……っ!! なんで、そんなに、こっち睨んでるのよっ!!
ダークな日向くんと大笑いの山城くんを目の前にした私は……逃げ場もなく、ただ立ちつくしていた。
「あー、もう、この湿布に免じて、思い切り殴った事は水に流してやるよ」
にやにや笑いながら、山城くんが日向くんに言った。日向くんは無言のまま、山城くんをじろり、と睨んだ。
「じゃあな」
山城くんが渡り廊下の入口へ、口笛を吹きながら歩いて行った。
――後に残ったのは、どう見ても不機嫌そうな日向くん。
「あの……」
言いかけて、言葉が止まる。日向くんが……コワイ。な、何て言ったら、いいのっ!?
たらり、と冷や汗が落ちそうになった時、ハイテンションな声が響いた。
「あ、みなみちゃーん、次のシーンだよー」
「は、はーい」
た、助かった……ありがとう、藤沢くん~!!
藤沢くんの傍へ行こうと、日向くんの傍を通り抜けた瞬間――確かに、低い声が、聞こえた。
「……覚えてろよ」
聞かなかったフリをして、そのまま駆け足で藤沢くんを目指した。心臓が、ばくばくいってる……。
(な、な、なにっ、そのドスのきいた低い声はっ!!)
こ、怖い……。私がなにをしたって言うのよ!? 怖い思いしたのは、私なのに!!
(……でも、そんな事、あの雰囲気じゃ言えない、よね……)
必死で藤沢くんの傍に駆け寄り、ようやく一息つけた。
「ふう……」
思わず長い息を吐いた私の前で、瞳をキラキラにさせた藤沢くんが、ぐっと拳を握りしめた。丸めた台本がぐしゃっとなってるけど!?
「本当、いい映画になるよ、絶対!」
藤沢くんのハイテンションは収まる様子がなかった……。ちょっと顔が引き攣る。
「そ、そうかなあ……」
うんうん、とうなずく藤沢くん。
「みなみちゃんも、すっごくイメージ通り! これはイケるよ!」
「あ、ありがとう……」
大絶賛されて、ちょっといたたまれない私に、藤沢くんが台本を開いて言った。
「じゃあ、次、女子更衣室行くよー」
「え?」
「体操服に着替えながら、親友の夕実に今日のデキゴトを話すシーンだよ。あ、夕実ちゃんはもう先に、現場行ってるから」
――みなみの親友の夕実……って……確か。
私は一瞬固まったが……「ほら、行くよっ!」と藤沢くんにひっ立てられ?、スタッフの皆と体育館裏手にある、クラブハウスの女子更衣室へと移動した。